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作品名:さよなら世界…僕らのキヲク… 作者:火村擁

第15回   B 満月 (その5)
あたしは膨らむ。
生きているあたしは、膨らんでいるあたしの記憶を駆け回る。
何もしていないのは死んでいるあたしだけ。
こいつはさっきから全然動かない。あたしたちがこんなに頑張っているのに。
あたしは段々腹が立ってきた。
元はといえば、全部こいつのせいだ。こいつが死んだりするから、膨らんでいるあたしは膨らんでしまうし、生きているあたしは突然記憶の中をあちこち行き来する破目になった。無残な死体。死体のあたし。あたしは同情しない
。当然の報いだ。死んでいるあたしが死ななければ、膨らんでいるあたしは膨らまなかったし、生きているあたしも、過ぎた時間の中で思い出されることもなくのんびり眠っていられたのに。
俯せに倒れているあたしを引っくり返してやりたい。動かないあたしを蹴り飛ばしてやりたい。
膨らんだあたしの体は不自由で思うように動けないから、あたしは精一杯死んでいるあたしを睨みつける。
やっぱりこいつは、嫌な奴だ。
あたしたちの声が揃う。三人の声が重なる。
あたしたち、三人の、声。





嫌いなもの。怖いもの。あたしの敵。生きていくのに邪魔なもの。
それに対するあたしの対応は実にシンプルだった。
あたしはあたしの嫌いなものを、あたしの世界から排除する。結構な数ある嫌いなもの、それはあたしには必要のないもの。そう割り切って生きていく。
月も桜も、本当は全部壊してしまいたかった。でも残念なことにあれはあたしだけのものじゃなくて、世の中に生きているたくさんの別の物体たちと共有させられていたものだから、あたしがどんなに強くてもどんなに強く願っても、あたしの一存だけでどうこうできる問題じゃなかった。だから時々あたしの世界に入り込んでくるあいつらを、あたしは蔑んで嘲っていた。
あんたたちは可哀相だ。あたしの世界に入る価値もない。
あんたたちは要らない。あんたたちは入れてあげない。
あんたたちは抜け殻だ。






「さっちゃん」という友達がいた。
さっちゃん。
本当の名前は覚えていない。
さっちゃんは、あたしとは真逆の人間だった。お月様を見上げて、桜吹雪に踊らされる人間だった。
家が近所だったからあたしたちはいつも一緒に遊んでいた。幼稚園も小学校も手を繋いで通っていた。
あたしとさっちゃんはお揃いの手袋を持っていた。さっちゃんのお母さんが編んでくれた赤い手袋。色も大きさも全く同じだったから、あたしたちはさっちゃんのお母さんに教えてもらって手首のところに自分の名前を縫った。あたしの手袋にはあたしの名前。さっちゃんの手袋にはさっちゃんの名前。あたしたちはあたしたちの手袋をあたしたちのものにした。
やったね。
あたしとさっちゃんは手を合わせて笑った。




さっちゃんのお母さんが、今度はお揃いのマフラーを編んでくれた。ピンクのマフラー。端っこに白いぼんぼりがついていてとても可愛かった。
あたしたちは今度も名前を縫い込むつもりだったけど、さっちゃんのお母さんが気を利かせて、既にあたしたちのマフラーは見分けがつくようになっていた。
さっちゃんのマフラーには猫のアップリケが、あたしのマフラーには犬のアップリケがついていた。
さっちゃんは猫が大好きで、さっちゃんのお母さんも好きだったから、さっちゃんの家は猫を三匹も飼っていた。だからさっちゃんのお母さんは、さっちゃんのマフラーに猫のアップリケをつけたんだと思う。
さっちゃんは、猫が好きだったから。
でも、あたしは犬が大嫌いだった。




あたし、さっちゃんのマフラーがいい。
だめだよ。これはお母さんがあたしのためにつくってくれたんだから。
こっちだってさっちゃんのお母さんがつくったやつだよ。とりかえっこしようよ。
でも…。
じゃああたし、こんなのいらない。




砂場に放り出されたマフラーを見て、さっちゃんは泣きそうな顔になった。
さっちゃんは家で、さっちゃんのお母さんが一生懸命あたしたちのためにマフラーを編んでいるのを見てたから、それが捨てられたのがきっととても悲しかったんだろう。
黙ってあたしのマフラーを拾って自分の首に巻いた。そして、猫のアップリケがついたマフラーをあたしの首に巻いて、さっちゃんはにっこり笑った。




それ以来、あたしはさっちゃんと遊ばなくなった。






嫌なことばかり思い出してしまう。
あたしの胴は膨らんで、とうとう頭にも空気が入ってきた。
ねっとりと這い上がってくるそれは、僅かに熱を持っている。体を逆流してあたしの頭を侵食する。
熱の塊が押し寄せる。
あたしの中に残っていた幾許かの記憶を、更に追い詰めて口から吐き出させてしまう。あたしをもっと空っぽにしようとする。
生きているあたしは忙しそう。空気の畝に乗って流れるあたしの記憶を次々に渡り歩いている。膨らんでいるあたしが生きていたときの記憶を、あたしが生きていたという証をあたしが捨て切ってしまう前に、その全部を覗き込むつもりだろうか。膨らんでいるあたしが忘れていることまで全部、あたしの中に詰まっていたもの全部を確認するように、残ったあたしの頭の中を駆け回っていた。
もう止めて欲しい。
嫌なことばかり思い出してしまう。
膨らんでいるあたしの記憶。生きているあたしが生きていた時間。死んでいるあたしが、忘れた全て。硬い世の中。廻る歯車。
捨てられた、あたしたち。




あたしの体に侵入した空気に押し潰されて、あたしは息が出来ない。苦しい。あたしは、死んだはずなのに。




膨らんでいるあたし。生きているあたしの成れの果て。成れ果てたあたし。成り上がった?
あたしはどっち?強いあたし。
死んでいるあたし。捨てられたあたし。
捨てたのは誰?
死んでいるあたし。死んだはずのあたし。
あたしたちは思い出を共有するただの塊。
捨てられたあたし。捨てられたはずのあたし。
生きた証。共有する思い出。あたしたちの時間。消えた時間。捨てられた時間。捨てた時間。
捨てたはずの時間。
捨てたはずの、あたし。




そしてあたしは思い出してしまった。
あたしの、一番大嫌いなもの。




あたしの体は、まんまるに膨らんだ。満月みたい。
満月みたい。




唐突に蘇る記憶。思い出。生きているあたしが生きていた世界。死んでいるあたしが捨てた世界。

ステラレタセカイ。




あたしの体は満月みたい。




大嫌いな月。




満月みたいなあたし。




(大嫌いな)



満月みたい




(な、あたし)


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