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作品名:さよなら世界…僕らのキヲク… 作者:火村擁

第10回   A 雑音 (その7)
風が吹いている。
灰色の道は真っ直ぐに続いて、灰色の空が待つ地平線へと吸い込まれていく。
どこへ辿り着くのだろう。

僕は歩き出した。先は見えない。目的も分からない。けれど足を撥ね返すアスファルトの硬い感触は本物だった。
僕は歩く。景色は変わらない。道はどこまでも続いている。
耳鳴りは消えていた。

ここは現実かもしれない。

ここは空間≠ゥもしれない。

どちらでも、もう僕には関係ないような気がした。空間≠ヘもはや僕のものではなく、僕が帰るべき場所はなくなった。恐怖に足もとをすくわれて在るべき場所を見失った。

「そんなもの、始めからないのさ。」

そうだ。
そんなものは、始めからなかったのだ。僕の恐怖が作り出した妄想だったのだ。
君は、そのことを教えるために現われたんだろう。そうなんだろう?
僕は歩を止めた。隣りを見る。天使は何も言わない。ただじっと僕を見下ろしている。彼の足は、僕と同じ、灰色の道についていた。ずっと僕と並んで歩いていた。
彼は答えない。何も言わない。悲しそうな顔で僕を見下ろしている。
悲しそうな顔?
僕は手を伸ばした。両目を隠す黒布に触れたい。その下を知りたい。何を悲しんでいるのだろう。何を苦しんでいるのだろう。君も、何かを恐れているのか。
目隠しに届いた僕の手を、天使の手が捉えた。包むように、僕の手は彼の顔に触れる。
温かいな。
「お前の手は、温かい。」
この存在は温かい。




風に乗り 土に埋もれ 空気に溶けて
世界の果てで 世界の一部になる




僕は泣いていた。
泣こうと思ったわけではない。いつの間にか泣いていて、止めようとしても止まらないだけだ。
もう随分、こうして泣いたことはなかった。空間≠ェ現われてから、僕には泣く必要がなかった。泣かずに済む場所があった。悲しい世界を、苦しい世界を、見逃すことができる場所があった。




僕は世界を失った。だから涙を止めることができない。




僕は世界を失った。




本当に、そうだろうか。




「こんなものは世界じゃない。」
天使の口から声が漏れた。脳に直接届く声じゃない、天使の口から出た言葉だ。
それは今までのどんな言葉よりもはっきりと、僕に届いた。僕の体を突き破って、僕の心を貫いた。




それなら。




それなら、僕の世界はどこにある?僕はどこを生きればいい?どこにいれば、僕は、この恐怖に、生きることの恐怖に苛まれずに存在できる?




天使は僕の手を放した。右手を上げる。鎖の垂れ下がった右手。真っ直ぐに、道の先を示した。
指の先では、遥か遠く、灰色の道が灰色の空に突き刺さっている。




僕は歩き出した。

彼の示す方向へ。

足音は一つ。

僕は振り返らずに歩いた。





僕は目を開けた。
人込みの中を、一人で歩いている。
涙は止まらない。
太陽は沈んでしまった。
回りには無数の人間がいる。僕は巨大な塊の一部になってしまったのだろうか。
横断歩道で足を止める。隣りに並んだ人が僕の顔を一瞥する。涙を見て目を見張る。
世界が色を取り戻す。
歩行者用の信号機からけたたましい音楽が流れる。
世界が音を取り戻す。
止まっていた人々が一斉に歩き出す。
巨大な塊は姿を崩す。綺麗に解れて、たくさんの小さな個体になる。





悲しいから
苦しいから
生きてみようと思う




僕は迷路を抜けた。
ビルとビルの間の、長方形に切り取られた空は、沈んだばかりの太陽に下から照らされて真っ赤に染まっていた。
それは強烈な色だった。
こんな色は見たことがない。



ああ、これが世界なのか。




僕が生きる世界。たくさんの僕が生きている世界。そして、誰もいない世界。
やっと、見つけることができた。




お前は幸せだな。




彼の声が響く。




太陽が沈んだ後、ビルの隙間から見えた夕焼け空の赤に。
一抹の陰も冷たさもないその赤に。
僕は、ただ泣き続けていた。
その景色の一部になって、僕も強烈な赤に染められながら、希望にも絶望にも似た、よく分からない激情に飲み込まれて。
何の抵抗もせずに、僕は泣いていた。




この物語に終わりはないのだ。
僕はこれからもずっと、果てのない世界を目指して歩いていくのだ。




僕は、ただ、泣き続けていた。


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