夢を、見た。 ほんの刹那。 そんな夢を見たのは、初めてだった。 ほんとうはそんな夢など見たくはなかったが、運命には逆らえなかった。 彼女に出会ったのは、ほんの一週間前。 まだ完全におとなになりきらぬ年齢ながらすれ違った瞬間鳥肌が立つほどの美貌に、俺は一目で、彼女のためなら命を捨てられると思った。 俺は恥も外聞もかなぐり捨て、無我夢中で愛を追い求めた。 だが俺は知らなかった。 彼女のためなら何度でも死ねると偏執的なまでに愛を抱いた男が俺だけではないことに。 その結果。 気づけば俺は廃ビルの地下室で、鎖で椅子に縛りつけられていた。 「さて、そろそろゲームを始めましょう」 向かいあった椅子で悠然と脚を組み替えながらそいつは宣言した。 いきなり地下室ってのもなんだがなにせ夢のすることだから特段おかしいとは思わなかった。 部屋には当然ながら俺達のほかに人はいない。 「条件はふたつだけ。 ひとつ、私は嘘をつかない。 ふたつ、あなたは三回だけ質問できる。 そして質問が終了した時点できみは一分以内に正しい答えを出すこと。 もし答えが正しければあなたが、不正解なら私が、金を手にして部屋を出て行く。 そしてゲームに負けた者はこの拳銃で撃たれる」 そいつの言葉どおり、そいつと俺の間には、拳銃と金の詰まったアタッシュケース、それと安物の目覚まし時計の載った小さなテーブルがあった。 アタッシュケースの中身の半額は俺の生命保険だ。 夢の手伝いがあったとはいえ準備がよすぎて苦笑が漏れる。 「理解した? では、問題。 私は、男か、女か。 答えは二者択一。 さあ、質問をどうぞ?」 向かい合って座る人物が淡々と説明する間、おれは相手の容貌をじっくりと観察していた。 ブランド物の濃紺のスーツ。 左腕には金ピカのロレックス。 白いものの混じった頭髪は一本の乱れもなく整えられ、自信満々の表情でこちらを凝視している。 俺は口を開いた。 「あんたは、女か?」 「それはあなたが答えるべき質問ですね。今のは聞かなかったとにしましょう。さあ最初の質問をどうぞ?」 「…性転換手術の経験は?」 「ないよ」 「戸籍に登録されている、あんたの名前は?」 「佐々木良輔」 撃鉄の下りる音。 「おいおいこんな些細な冗談でも嘘をついたってことになるの? 訂正、私の名前は佐々木優。優勝の優で、読み方はまさる。良輔は弟です」 にやりと笑って佐々木は首を伸ばし、ウィンクして見せた。 「弟は借金まみれでね、私の戸籍をやれば借金取りから逃れられると思ったんだがダメみたいだ。厳しいね」 もうすぐ死ぬ運命にあるというのに佐々木はあまりにも飄々としていた。 …まさかこいつは、好きな女に殺されるのなら本望、とでも思っているのか? 「あんた、家族はいるのか」 「それが最後の質問? 両親と弟、それから、妻がひとりいる」 「こどもは?」 「その質問で四つめだから答える必要はないね。それよりもうカウントダウンが始まっているから答えについて考えた方がいいんじゃない?」 「こどもはいるのか」 「…三十秒前」 「この質問は三番目の問いに入る。だからあんたには答える義務がある」 「二十秒前。さあ、答えをどうぞ」 「俺にはこどもはいないし家族もいない。あんたはどうだ? 既婚であんたの年齢ならいるのが普通だろ」 「早く答えなさい。時間がない。答えを聞いてからほんとはわかってた、なんて後出しで言い訳しても通用しませんよ」 十秒前。安物の目覚まし時計の針が無情に回る。 「あんたこそ答えろ、あんたは自分勝手な夢のために家族やこどもを犠牲にできるのか?」 すると佐々木はうつむき、そして、笑った。 「…まだわからないんですか? これらはすべて夢の話のできごとなんですよ? だからね、怖がる必要なんてなにもないんだ」 四秒前。 不意に笑顔を消すと、佐々木は俺に視線を据え、こう言った。 「それとね、いますよ。こども」 二秒前。 「…夢の、なかにね」 目覚ましのベルが高らかに時を告げる。同時に、 「答えは…男だ」 拳銃が取り上げられ、佐々木の胸に向けられる。 轟音。 鎖で縛られた佐々木が椅子ごとコンクリートの床に倒れる。 鎖を解かれ、札束の詰まったアタッシュケースを渡された俺は、本当に訊きたかったことを質問した。 「なぜこんなことをするんだ? 男があんたを取り合って殺し合うのがそんなに楽しいのか」 「な…なぜ? き…みはこんなにも楽しげな夢…を見たことがあるか? 彼女こそ…私のファム…ファタル、この世で見られる唯一の…夢…」 なじる俺を無視し、夢という名の少女は微笑みを浮かべながら、苦しむ男の唇にそっと唇を重ねる。 死にゆく者への餞だ。 その光景に俺は嫉妬を憶えた。 もしかしたらこの男こそ真の勝者なのかもしれない。
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