時は更に過去に遡る。
それは鳴瀬が両親と向かえるはずだった8回目のクリスマスの日のこと。
おとうさんとおかあさんがニコニコしながらやってきた。
「なぁ、佳奈」
「なに?お父さん」
「佳奈は今年はサンタさんに何をお願いするのかな?聞かせてくれないか?」
「うん! かなはね、大きなクマさんのぬいぐるみがほしいの! だからサンタさんにおねがいするの!」
わたしはりょうてをいっぱいにひろげた。
「あらあら、そんなに大きなクマさんだとサンタさんが大変そうね」
あしたはたのしいクリスマス。
おとうさんとおかあさん。それにクマさんといっしょにケーキをいっぱい、いっぱいたべたいな。
「佳奈、お父さんたちはちょっと出かけるからいい子で待ってるんだぞ」
おとうさんとおかあさんはなかよくおでかけ。
わたし、いい子でまってる。
いいこにしてたら、おとうさんが大きくてゴツゴツの手でわたしのあたまをなでてくれるから。
おとうさんの手がわたしはだいすきだ。
おみあげ、かってきてほしいな。
「当たり前の日常は当たり前に続くはずだった。…けれど続くことはなかった」
1じかんまった。まだかえってこない。
…4じかんまった。まだかえってこない。
……たくさんのじかんまった。ドアのひらくおとがきこえた。
きっとおとうさんたちだ!
けれど、はいってきたのはしらないおじさん。
…こわいよ。おとうさん。おかあさん。
たすけて。
「佳奈ちゃん! お父さんたちが大変なんだ! 病院へ行こう!」
しらないおじさんは、おとうさんたちのしりあいらしい。
おとうさんとおかあさんがたいへん?
たいへんって、なに?
びょーいんについた。
なんだかいやなきもち。
びょーいんはきらいだ。
「患者の具合は?」
「旦那さんも奥さんも危険な状態です!」
「すぐに手術室へ運べ!まずは輸血だ!」
「ハイ!」
しろいひとふくのひとたちがベッドをおして、はしっている。
ベッドのうえには…おとうさんとおかあさん…。
とてもくるしそう。
しろいふくのひとたちは、わたしのまえをとおっていく。
つれていかれちゃう!
つれていかないで!
「何だ?この子供は!」
しろいふくをひっぱると、そのひとがおこった。
…こわい。
けれど、はなしたらつれていかれちゃう。
「すみません! その人たちの娘なんです!」
おじさんがわたしの手をはなさせた。
しろいふくのひとたちは、あっというまにつれていってしまった。
おじさんのせいでつれていかれてしまった。
「あたしにはその時、医者の人たちがお父さんたちを攫っていこうとしてるように見えた。助けようとして必死で頑張ってくれていたのに」
鳴瀬は目を伏せる。
それが俺には過去に謝罪しているように見えた。。
「佳奈ちゃん! お願いだからジッとしていてくれ!」
「…だって、おとうさんとおかあさんが」
「言うことを聞いてくれないとキミは二度とお父さんたちに会えなくなるかもしれないんだ!」
あえなくなる?
おとうさんたち、もしかしてしんじゃうの?
いやだ!
そんなのはいやだ!
1じかんまった。まだかえってこない。
2じかんまった。まだかえってこない。
たくさんまった。それでもかえってこない。
「寂しかった。本当に寂しかった」
今にも泣き出しそうな顔で鳴瀬は言う。
彼女はどれほどの悲しみを背負っているのか?
俺には想像できなかった。
かみさま。サンタさん。
わたし、クマさんもケーキもいらないです。
ほんとうはほしいけど、がまんします。
わたしはいい子だから。
だから、おとうさんとおかあさんをたすけてください。
いっしょうのおねがいです。
どうかかなえてください。
ドアのひらくおと。
やっとおとうさんたちがかえってきた。
きっとしゅじゅつはせいこうしたんだ。
たすかったんだ。
かみさまがおねがいをかなえてくれたんだ。
「あの時のあたしは信じていた。神様はお父さんたちを助けてくれたはずだって」
唯一、縋り付いた希望。
神様の存在。
…でも
きょうはおでかけ。
おとうさんとおかあさんがいない。
ちょっとさびしい。
くろいふくのひとがいっぱい。
みんなないてる。
どうしてないているの?
しかくいはこのなかでおとうさんがねてる。
しかくいはこのなかでおかあさんがねてる。
ねむいのかな?
「その時のあたしには分からなかった。その箱が棺でお父さんたちが死んでいたことなんて。本気で寝てるんだと思ってた。目が覚めたら帰ってくるって信じてた」
突然、この世を去った両親を見た子供のときの鳴瀬。
一体、どんな気持ちでいたのだろうか?
それは本人にしか知りえない。
けれど、なんにちたっても、いえにかえってこない。
どうして?
どうして?
どうして?
なんにちもかんがえた。
なんにちもまった。
たくさん、たくさんまちつづけた。
そして、わかってしまった。
…おとうさんとおかあさんはしんでしまったんだ。
「この時、あたしは心を閉ざしたの。辛すぎて、そうすることでしか弱い自分を守れなかったから」
わたしはおじさんのいえにひっこした。
おじさんのいえには、おとこのこがいた。
おとこのこはわたしににんぎょうをみせた。
なにがいいのかわからない、おばけのにんぎょう。
クマさんのほうがずっといい。
「みてよ、コレ! クリスマスにサンタさんにもらったんだ!」
わたしはおとこのこからおばけをとった。
「なにするんだよ! かえせよ!」
わたしはおばけのにんぎょうを、ちからいっぱいひっぱった。
うでがとれた。
「…こわした…ヒック…ック…うわぁぁん!」
おとこのこはこわれたにんぎょうをもってなきだした。
ザマーミロ。
「子供のあたしは自分に降りかかった理不尽が許せなかった。だから八つ当たりをしてしまったの」
子供の無邪気さは時に残酷という。
無垢な心は無垢だからこそ平気で人を傷つける。
果たして残酷なのは誰だったのだろう?
すぐにおばさんがやってきて、わたしをしかった。
「お姉さんなんだから仲良くしないと駄目でしょ!」
あたまをたたかれた。
「…ック…ヒック…うわぁぁん!」
わたしはないた。
あたまがいたい。
おこられるのがこわい。
なんでわたしばっかりこんなめにあうの?
かみさまは、
おとうさんをたすけてくれなかった。
かみさまは、
おかあさんをたすけてくれなかった。
かみさまは、
わたしのこともたすけてくれない。
かみさまなんてきっといないんだ。
みんなきらいだ!
だいきらいだ!
「心の底から世界を憎んだ。神様がいるならきっと助けてくれるはずだった」
縋った希望。神様の存在。
「…でも助けてくれなかった」
それはあまりに儚く、空虚で、希薄なものだった。
「だから神様なんていないと思った」
希望を捨てた先に何が残るのだろうか?
たぶん何も残らなかったのだろう。
わたしはへやにとじこもった。
おじさんがかえってきた。
「あの子、また貴樹を虐めてたのよ。お義兄さんたちが亡くなったのは気の毒だと思うけど、それでもやり過ぎだと思うの! 貴方からも叱ってよ! 私が言ってもあの子は余計にへそを曲げるから」
「…そうだな。分かった。後でそうするよ」
おじさんとおばさんのはなしごえがきこえる。
あしおと。
わたしのへやにちかづいてくる。
きっとまたおこられる。
わたしはわるくない。
わるいのはあのこ。
わたしにじまんするから。
おとうさん。
おかあさん。
…あいたいよ。
「何もなくなったあたしに残ったのは思い出だけだった。いつも思い出の中の両親に縋ってた。そうすることでしか生きられなかった」
言葉の意味はあまりに重くて、
縋る思い出さえもなかったら、
鳴瀬はどうなっていたのだろうか?
あしおとがピタリととまった。
ドアがひらいた。
おじさんがはいってきた。
うしろにはおばさんがいる。
「…佳奈ちゃん。……お人形壊したんだってね…」
「………」
いいたくない。
いったらまたおこられる。
「どうして、そんなことをしたんだい?」
「………」
いいたくない。
いったらまたたたかれる。
「ごめんな。寂しい思いをさせて」
「………」
「叔父さんはあたしに何度も謝った。けれど違うの。分かっていた。一番悪いのはあたしだってことも、あたしが謝らないといけないことも」
それでも閉ざした心は凍り付いて、
解けるまでには何年もの年月を費やした。
「それでね、お世話になってる叔父さんにもいろいろと迷惑かけた。普通ならすぐにでも手放したくなるでしょ? そんな子供なら。でも叔父さんは諦めずにいつもあたしに優しくしてくれた」
「………」
「だからかな? あたし、人の優しさに人一倍敏感なの。だからきっと買い被りなんかじゃないよ」
いつもの明るい調子で言い切った。
そうして俺たちは付き合うことになったのだった。
「神様なんていない」
以前にも聞いた言葉。
それが今もまだ呪縛が続いている証のように思えた。
いつか佳奈の解けない氷がなくなる日はくるのだろうか?
「今にして思えば本当に佳奈の言うとおりだった。俺、親父も母さんも小枝もみんなのことが好きだった」
「うん」
過去を振り返って自分が言ったことを今になって訂正する。
失って初めて気付いた愛情。だからもう大切な誰かを失いたくない。
「敬介は小枝ちゃんたちのことを本当に大事に思ってるんだよ。だからここで別れることになってでも無事でいてほしいと思った。そうでしょ?」
「その通りだけど…でも――」
最後まで言い切る前に佳奈は、
「なら敬介は何も間違えてない。ただ大切に思う気持ちが溢れただけなんだよ」
彼女は母親が子供に諭すような優しい微笑を浮かべていた。
「…ハハ……これじゃどっちが年上なのか分からないな…」
「年上なのは敬介よ! 勝手にあたしの歳を増やさないで!」
苦笑しながら言った軽口に佳奈は怒った。
何だかこうしていると出会ったばかりの頃の俺たちに戻ったような気がした。
「…クッ!」
「…フフ」
そんな雰囲気に俺たちはどちらが先でもなく失笑を洩らし、
「ハッハッハ!」
「あははは!」
やがて堪え切れなくなって二人して笑う。
こんなに笑ったのは初めてかもしれないというくらいに笑った。
「ありがとうな。俺、お前が居てくれて本当によかった」
「どう致しまして。あたしも敬介と一緒に居れることがとっても嬉しいよ」
相変わらず曇った夜天の下、俺たちはお互いを確認するように肩を寄せ合った。
「これからもずっと一緒にいてくれ」
「うん。敬介こそ一人でどこか遠くへ行かないでよ? そんなことしたら敬介のこと、嫌いになるからね?」
佳奈は俺の服の裾を握り締めている。
「大丈夫。俺はどこにも行かないよ。ずっと傍に居るから」
だから俺はそんな佳奈の手に自分の手を重ねた。
「約束だよ」
「ああ、約束だ」
俺たちは光さえほとんど届かない夜空の下で約束を交わした。
明日さえも見えない世界で交わした拙い約束。
だけど俺は生きている限り、この拙い約束を守り続けるだろう。
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