昔のことを思い出す。
あの頃、俺は荒れていた。
学校を中退したことで親とは毎日喧嘩してた。
次第に家にいることも嫌になってバイトが終わると一人暮らししてた奴の家に上がりこんで朝帰りすることが日常になってた。
そんな時にバイトに新人が入ってきたんだ。
「この娘は今日からウチでバイトしてもらうことになった鳴瀬佳奈さん。バイト初心者らしいから分からないことは教えてやって」
当時のバイト先の店長が紹介すると佳奈は明るく「よろしくお願いします!」って言ってさ。
それが佳奈との出会いだったな。
ちなみにお互いをファストネームで呼び合うようになったのは付き合いだしてからのことだ。
それまではお互い名字で名前を呼び合っていた。
もっとも俺が呼ぶときは大体が「お前」だったけれど……。
その日、俺と鳴瀬は二人でバイトに入っていた。
客も少なかったから手持ち無沙汰になって俺は話しかけた。
「今日が初めてのバイトなんだってな、新人」
「はい、そうですけど」
「まぁ、分からないことは多いだろうけど何かあったら聞いてくれ」
「それはお言葉に甘えさせてもらいますけど、…あの……」
その時の鳴瀬は何か言いたそうな顔で俺を睨んでいた。
けど何が言いたいのかは分からなかった。
「ん、何? どうかしたのか、新人?」
「その新人って呼び方、やめてほしいんですけど…」
「ああ…何だそんなことか」
「…そんなことって」
鳴瀬は不満そうな顔を更に顰めた。
…何でそんなに怒っているのか分からない。
「だってお前、新人じゃん。『新人』以外に何て呼べって言うんだよ?」
「アンタ、さっき聞いてなかったの?アタシの名前は鳴瀬佳奈よ。新人なんて呼ばないで名前で呼んでって言ってるの!」
「…? 何でそんなにこだわるのか知らないけど、まぁいいや。じゃあヨロシクな、ナルセカナ」
改めて呼び直す。でも素直に呼ぶのも面白くないから少し皮肉をこめて言ってみた。
そういえば昔の俺はこんなにも捻くれていたんだな。
「何かまだ引っかかるんだけど?」
「そう気にするなよ。人生なんて詰まんないこと気にしてたら損だぜ」
「……」
まだ怒っているようだったからいい加減な態度で誤魔化してみたら佳奈は黙ってしまった。結局、その日はそれ以上話をすることはなかったな。
…ただ凄く睨まれてたような気がするけど……。
次に一緒にバイトをしたのは確か2日後くらいだっただろうか…。鳴瀬は俺を見るなり嫌そうな顔をしてたな。今でこそ付き合ってるけれど、あの時はまだ一方的に嫌われてたな。
(……これはちょっと悪ふざけが過ぎたかな…?)
俺はそう思って謝罪を試みた。
「この前は悪かったな。ちょっとふざけ過ぎた」
「別に謝らなくてもいいよ。アタシもちょっと大人気なかった」
「ああ、これからは気をつけるよ。……それで…」
取り敢えずご機嫌取りには成功したようだ。
やっと鳴瀬は『一瞬だけ』険悪な空気を解いてくれた。
「ん、何?」
「…あのさ…名前、何だっけ?」
だけど俺の質問はまた彼女の逆鱗に触れたらしい。
佳奈はさっき解いてくれた緊張した空気を何倍にも重くしたような雰囲気を漂わせて、今度こそは許さないとばかりにそっぽを向いてしまった。
「…我ながら物覚えの悪さにウンザリするぜ……」
大仰に溜め息を吐いてみる。もちろん俺はふざけている。当然ながら名前もバッチリ覚えている。
それでも謝るという行為に慣れていなかった俺は素直に謝ることに反発を感じてこういった態度に出てしまったのだった。
「…ハァ、アンタねぇ……」
鳴瀬は頭を抱えながら大きく息を吐いた。
これは憂いから出たものだ。
どうやら俺のふてぶてしさに諦めを感じたようだ。
「…もういいわ。アンタの事はよく分かったから……」
鳴瀬は疲れた様子で肩を落とした。
閉店時間が近づいてきたこともあって客が疎らになってきた。
この時間帯は毎日こんな感じでその度に暇を持て余している。
まぁ忙しすぎるのも俺としては嫌なんだけれど…。
「お前って学生だろ? この辺の学校に通ってるのか?」
俺は退屈しのぎに鳴瀬に話しかけてみる。
「うん、この辺だけど。二駅くらい先にある高校」
「あぁ、あそこか」
聞いた場所にある高校を思い浮かべ、すぐに場所を理解した。
というよりも、そもそもこの辺りには高校自体が一つしか無い。
「そういうアンタは大学生くらい?」
「いや俺もまだ高校に行ってる歳だ。とは言っても退学したけどな」
「退学? どうしてそんなことしたの?」
鳴瀬は呆れたような表情をした。
普通は退学した奴を見る目としてはそんなものだろう。
だから俺も今更気にしようとは思わなかった。
「先公がウザかったってのもあるけどさ。一番の理由は高校に行く意味が分からなかったから、かな」
「そんな理由で辞めたの?」
「…そんな理由で悪かったな」
親と似たようなことを言うものだから思わず悪態を吐いてしまう。
「いや、まぁ確かにあたしも理由が分からなくなることはあるよ?でもさぁ何となく出ないといけない気がするじゃん。それに学費とかも勿体ないしさ」
「そんなことは考えたさ。でも俺は他にできることがあると思ったから辞めたんだ。強制されてやることに何の意味があるのか分からないし、意味も分からないことが将来役に立つとも思えなかった」
「ふーん、そうなんだ。あたしには出来ないな、そんなこと」
「別にお前に分かって貰えなくてもいいよ。俺は俺なんだから」
「もとから分かりたいと思ってるわけじゃないけどね」
バイトが終わり俺は川崎の家にでも行こうとして歩を進めた。
しかし俺は背後に気配を感じて振り返る。
「お前の家、こっちの方なのか?」
「まぁね。アンタもこっちなの?」
「いや俺の家はこっちじゃない」
淡々とした態度で言った俺の顔を鳴瀬が覗き込んできた。
「…?じゃあこれからどこに行くのよ?」
その表情は不思議そうだった。
「ダチの家に行く」
「…友達の家って、自分の家には帰らないの?」
「朝には帰るけど?」
それを聞いて不思議そうだった表情はだんだん怪訝な表情に変わっていく。
「…朝って……」
「……家に居るの嫌いだから」
「どうして?」
「あそこには俺の居場所なんて無い。親父とだって数ヶ月くらい口を利いてないし、どうせ俺が居たって居なくたって同じさ」
「…そんなことは……」
俺は両親のことを思い浮かべて苛立ちを覚えた。
結局、俺にとって両親なんてものはムカつく奴でしかない。
特に親父は顔を会わせる度に難癖付けてくるから大嫌いだった。
「そんなことは無いって? お前に何が分かるって言うんだ?」
「…それは分からないけど」
「分からないなら勝手なことを言わないでくれ!」
俺は苛立ちをそのままに怒鳴った。
そうすることで何が変わる訳でも無いのは分かっている。
それでも俺は行き場のない怒りを佳奈に向けた。
それに圧倒されたのか鳴瀬は硬直している。
「…ゴメン」
そして自分が悪い訳でもないのに謝ってきた。
「悪い。俺も怒鳴っちまって。お前に怒鳴ることでもないのにな」
「ううん、気にしてない」
それからはお互い愚痴を零しあうようなことが多くなった。
お互い家族のことや学校のこと、その他にもいろいろなことで悩みを持っていたりして相談しあうことも多くなった。
そんな他愛のない話をしていたときに鳴瀬は唐突に聞いてきた。
「ねぇ、アンタ。神様っていると思う?」
この話をするのはこの時が初めてだった。
「はぁ?何だよ?いきなり」
「いいから答えて!」
「…う〜ん。あんまり考えたことないけど、もしかしたら居るかもしれないな」
「……そう」
なぜか落ち込む鳴瀬。
勝手に質問して、答えてみたらコレだ。
まったく意味が分からない。
でも、すぐに気を取り直して鳴瀬は言う。
「あたしは神様なんていないと思う!」
鳴瀬は力強く断言する。
何か意味でもあるのだろうか?
そう思わせるほどに真剣な表情で。
「どうしたんだ?意味の分かるようにしてくれ」
「…確かにこんなことをいきなり訊かれても困るかもね」
「…ああ。実際にものすごく困った」
「…ごめん。…今は話す気になれない」
それから2ヶ月くらい続いたある日。
バイト中に大事な話があると言われてこうしてバイトが終わった今、俺たちはバイト先から少し離れたところにある広場に居る。
この広場のシンボルである銅像の前で鳴瀬が立ち止まって俺のほうを振り返った。
どこかキョロキョロと挙動不審に目を逸らしているものだから俺は少しじれったさを感じていた。
そしてようやく鳴瀬は口を開いた。
何かを覚悟したのかその眼は俺を真っ直ぐに見つめている。
「あ、あたし…新山のことが、その…あの…」
「何だよ?」
いつもならハッキリと言いたいことを言う鳴瀬が珍しく言い淀んでいる。
その様子で何を言おうとしているのか見当がついた気がした。
けれど自惚れ過ぎだと自分を諫めた。
「あたし、新山のことが好きなの!」
それを聞いて自惚れでは無かったことを実感した。
「アンタ言うことはキツいけど本当は優しいから。あたしの悩みにも真剣に答えてくれたし、いつの間にか毎日、アンタと会うのが待ち遠しくなってた」
「俺、お前が言うほど優しくなんてない。俺はただ思ったことを言っただけだ」
「それは新山が自分の優しさに気付いてないだけだよ」
俺は自分のことを考えてみた。
けれどやっぱり鳴瀬の買い被りだと思った。
「あたし思うんだけどさ。本当は新山って家族のことが好きなんじゃない?」
「な、何言い出すんだ? いきなり」
唐突に妙なことを言い出すものだから俺は戸惑ってしまった。
「だって新山ってさ、よく家族のことを話すことが多かったじゃない?」
「それが何で家族が好きってことに繋がるんだよ?」
「誰かのことを話すって言うことはその人を意識してることだと、あたしは思う。どうでもいい人なら話したりしないよ。だからきっと新山は不器用なだけ。きっと本当は家族のことを大切に思ってるんだよ」
「そ、そんなことは…」
今度は俺が言い淀んでしまった。
何か反論したいけれど言葉が出ない。
……今日の俺はどうかしているのだろうか?
「ほら言い返せないでしょ? やっぱり新山は気持ちを素直に表せないだけで本当は家族のことが好きなんだよ」
「………」
「あたしは新山のそんなところが好きになったの。どうしようもなく不器用だけど優しくてさ。それにきっと寂しいんだろうなとか思ったりして放っておけなかったりして」
「………」
佳奈はさっきまで恥ずかしそうにしていたのにも関わらず、今は臆面もなく真っ直ぐな瞳で俺を見つめていた。
「ねぇ、答え聞かせてくれるかな? 別に嫌なら振ってくれてもいいんだよ? あたしも無理して付き合ってもらいたいとは思ってないから」
「俺は…俺も嫌いじゃない。いや、好きだ。でも何ていうか、そんなに真っ直ぐに見つめられても答えられる自信がない。さっきも言ったけど俺が優しくないし、やっぱり俺は家族のことを好きなんて思ってない。全部お前の買い被りだ」
こんな答えしか返せない俺は情けないのだろうか?
それでもいい加減な気持ちで受け止めることだけはしたくなかった。
だからこんな答えしか俺には浮かばなかった。
「あたし、分かるんだ。小さい頃に両親が死んじゃって、今まで叔父さんの家にお世話になっててさ。昔はずっと独りでいるような子供だったんだ」
「……え?」
初めて聞いた真実。
なぜ今、それを話すのか?
何よりそんな彼女の姿は想像しがたいものだった。
それくらい彼女は明るく言ったから。
「前に訊いたよね? 神様を信じるか信じないか」
「ああ。訊かれた。あの時は本当に意味が分からなかった。どうしてあんなことを訊いたんだ?」
「…昔の話だけど聴いてくれる?」
「ああ」
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