それからこの村で過ごすことにして数日。 しかしいつまでもここに頼るわけにはいかない。 だから俺たちは町を出ることにした。 今は備蓄があるとはいつても限られた量しかない。 それに頼ることは出来ない。 俺たちはそれを拒んで住み慣れた町を出たのだから。 ただ小枝の体調を考えると躊躇うのは確かだった。 (俺は小枝を確実に生かしたい) 俺は一緒に旅をすると悪化するだけなのではないかと思い決意した。 「…小枝、話がある……」 「いきなり何?」 小枝は今は平気なようだけれど薬の効果が切れた頃には咳をしていた。 それでも徐々に悪化しているのは確かだ。 そもそも本来なら病気なのに野宿なんてすることが無謀だった。 それを繰り返す生活で小枝がいつ倒れるかなんて分からなかった。 「…お前はここに残れ……」 「…え? どういうこと? 何を言ってるのお兄ちゃん?」 小枝は何がなんだか分からないといつた表情だ。 「…これ以上、お前は連れてはいけない」 「…何で? …何で…そんなこと言うの?」 「…俺たちと一緒にいてもお前の体調は悪くなるばかりだ…。ここに残っていたほうが 少しでも確実に生きられる。だから残れ」 「…どうして? …わたし…分かんないよ…。お兄ちゃん、一緒に居てくれるって約束してくれたじゃない。…それなのに…もう…一緒には居られないの?」 小枝は泣きそうな顔で俺に縋る。 そんな妹を見ていると決意が鈍りそうになる。 でもそれは小枝の為にはならないと自分に言い聞かせてできるだけ突き放すように言った。 「…分からない奴だな。…この際だから言うぞ。…お前が居ると邪魔なんだよ! だからお前はここに残れ!」 「ッ!」 (…酷かもしれないけれど、こうするしかないんだ…。…分かってくれ、小枝…) 泣きながら、その場を去る背中を見ながら俺はそう願った。 「小枝ちゃん、泣いてたみたいだけど何かあったの?」 声は佳奈のものだった。事の顛末を知らない彼女は不思議そうな顔をしている。 「…小枝にここに残れって言った」 「え? ちょっと! それって酷いんじゃない?」 「こうするしかなかったんだから仕方ないだろう! 俺たちと一緒に行っても体調がもっと悪くなるだけだ! だったら、ここにいたほうがマシだろう!」 「…でも」 佳奈は反論しようとしたけれど言葉が見つからないようだった。 「大丈夫だ。ここには一之瀬のオッサンもいる。あの人なら小枝の面倒を見てくれるだろう。すぐにでも頼もうと思う」 「………」 彼女は不服そうにしながらも黙っていた。 辛いのは俺だって同じだ。 それでもこうすることが最も小枝の為になるはずなんだと思って本心を殺した。
俺はすぐに一之瀬に頼みにいくことにした。 居場所はきっと『あの場所』だろう。 町外れの場所まで歩いてゆくとやはり目的の人物はいた。少しだけ哀愁の漂う背中に声を掛ける。 「オッサン」 「ん? …何だ、お前か」 一之瀬は自分を呼んだ人影の姿を確認するとつまらなそうに言った。 「オッサン、実は頼みがある」 「頼み? 俺はお前に何か頼まれるような覚えはないんだけどな」 一之瀬は俺の気持ちを知ってか知らずか、砕けた感じにそう答えた。その態度に少し 腹が立ち俺は怒鳴るようにもう一回言った。 「ちゃんと聞いてくれ! 頼みがあるんだ!」 ようやくこっちの真剣さが伝わったのか、彼は真面目な顔になった。 「ちゃんと聞いてるから言ってみろ。何だ、頼みって?」 「小枝を引き取ってくれないか?」 「はぁ? 何言い出すんだ、いきなり!」 俺の言葉に唖然となる一之瀬。 それも当然だろう。 数日前に知り合ったばかりの人間が肉親を引き取ってくれと自分に頼んでいるのだから驚かないほうがどうかしている。 「頼む! こんなことを頼めるのはアンタしかいないんだ!」 「ちょっと待てよ! 俺は別に構わない。けどお前らは本当にそれでいいのかよ?」 「良いも悪いもない! このまま小枝を連れて行っても小枝の体調を悪くするだけだ」 「本人はそれで納得してるのかよ? たった一人の家族と生き別れになって、本当にそれがいいことなのか?」 「…それは……」 もちろん小枝は納得なんてしていない。俺は口を濁す。 その様子を見届けて俺の心境を見切り一之瀬は呆れた顔をした。 「本人が納得してるなら、俺はこれ以上言う気はない。でもお前の妹が納得してないのにお前一人で勝手に『そうするべきだ』なんて言ってるなら、それはただの自己満足だ。もしそうなら俺は引き取れない」 「………」 「もう一晩、よく考えて決めるんだな。俺にはもう何も言うことはない」 そう言い残して一之瀬は背を向けてその場を去った。 俺は告げられた言葉の重みで動けないまま激しい葛藤を覚えた。 「そんなこと言ったって、どうすればいいんだよ」 しばらくの間を置いて、ようやく口から出た言葉はそんな陳腐な言葉だけだった。
その日、俺はずっと葛藤に悩まされた。 『連れて行きたい』と俺の中の一人が言う。 それに対してもう一人の俺が『連れて行ってはいけない』と抗議する。 連れて行けば確実に小枝は死ぬ。 ここに残れば、生きられるかもしれない。 どうするべきかは決まっているだろう。
何度も何度もまるで耳元で囁かれるかのように頭に自分の声が木霊する。 「確実に生きて欲しいと思うのは当たり前だろう。小枝は俺の大切な妹なんだから」 思いが知らず口を吐いた。それほどに俺は思い詰めていた。と、不意に脳裏に昼間の一之瀬の言葉が過ぎった。 ―それは自己満足だ―
自己満足? 生きて欲しいと思うことが悪いのか? 確かに俺とは逢えなくなるかもしれない。 でも生きていれば、きっといつかは乗り越えられる。 死んでしまったら元も子もないだろう。 それでも生きて欲しいと願ってしまうのは自己満足だっていうのか?
「分かんねぇよ! 俺には分かんねぇよ!」 答えなんて出せる訳がない。 どんな選択をしたって小枝を傷つけることしか出来ないんだから。 (…それなら生きて傷を癒して幸せになるべきだ。それには時間はかかるだろう。でも、それが一番いいんだ) 俺は葛藤を封じ込めようとした。 けれど実際は封じ込められるどころか更に俺の中を占めていつた。 まるで内側から体を蝕んでいくように…。 「どうしたの? 難しい顔して」 「うわぁッ!」 「な、何? どうしたの!」 突然、声を掛けられたから思わず声を出してしまった。 でも何故か声を掛けてきた人物も驚いているようだ。 「…何だ、佳奈か。声を掛けるなら、もっと前置きを持って声を掛けてくれよ」 「…よく言うわ。あたし何度も声掛けたのに。逆にこっちが驚いたわよ」 「ん、そうなのか? 悪い、気付かなかった」 佳奈は呆れたのか溜め息を吐いた。 当然だ。それは自分でも分かるほどに間の抜けた声だったんだから。 「で、どうしたの? 何か考え事?」 「……ああ…」 「話してみてよ。そうしたら楽になるかもしれないよ?」 「…ああ、すまない。…実はずっと昼から小枝のことを考えてたんだ。オッサンに小枝のことを頼みに行ったんだけどさ。その時に言われたんだ。もっと小枝の意見を尊重してやれってさ。俺の一存で決めたことだったから。…でも、それはただの自己満足だって否定されたよ」 「…そんなことがあったの……」 佳奈は神妙に俺の言葉を受け止めてくれている。 「…でも…俺には分からないんだ。だってそうだろ?家族の無事を願うのは当然じゃないか! 確かに生き別れになることで今は傷つくかもしれない。でも傷はいつか癒えるものだろ? 小枝には生きて時間を掛けて傷を癒して、いつか来るはずの幸せを手に入れて欲しいんだ」 自己満足なことかもしれない。 俺の抱いているエゴを押し付けているだけなのかもしれない。 それでもこれは俺の望みだ。 頭の悪い俺にも思いつける小枝を幸せにできる方法だ。 「でもそうする為には小枝の意見を無視することになる。これって自己満足なのか? 本当に悪いことなのか? …それが…俺には分からないんだ……」 「…敬介の言いたいことは分かるよ。でも、本当にそれって幸せなの? 家族が居なくなるんだよ? …アタシだったら耐えられないよ」 「……佳奈…」 「もうアタシの家族はいないけどさ。アタシ、この先ずっと引き摺っていくと思う。浅い傷なら癒えるかもしれない。けど家族が居なくなるって、そんなに簡単なことなのかな? アタシは敬介とずっと一緒に居たいよ。この先、自分の身に何があったとしても、それだけは変わらないと思う」 俺は佳奈の言葉を否定する言葉を探したけれど何も浮かばずに聞くことしかできなかった。 それでも否定をしたくて頭を伏せる。 否定できないということはつまり肯定することだ。 (…そういえば前にもこんなことがあったな……。あの時も結局、佳奈に言い返すことができなかったっけ……) 肯定してしまうということは小枝を危険に晒してしまうことを認めてしまうことになるんだから。 「そんな人が居なくなったときにできる傷って、きっと考えられないくらい大きい傷だと思う。そんな傷を小枝ちゃんに負わせるのが本当に良い事なのかな? …ねぇ敬介…癒えない傷もあるんだよ。それはずっと痕になって背負わなければいけないモノなんだよ」 佳奈の言葉はまるで重量を持ったように俺の心に圧し掛かった。 そんなことは分かってる! 分かってるけど、俺は! 「あたしだって小枝ちゃんの体の事は心配だよ? …でもさ…自分の意見を押し付けた結果、相手に後悔しか残らないかもしれない…。それならさ、もっと後悔するかもしれないけど、自分で決めた結果で後悔するならそっちのほうがいいとアタシは思うよ」 相変わらず否定しようとする半面で俺はそれを認めてしまっていた。 だから言葉は出ない。 ……見つかる訳もない。 「それにさ、もしかしたら良い結果が待ってるかもしれないしね」 そして俺の心は折れた。 意固地に守っていた自分の主張が崩れていく音を俺は聞いたような気がした 「…そういう事だったのか……。どうして気付けなかったんだろうな。確かに自己満足にも程があったな。俺、自分の考えを妄信しすぎてたみたいだ。結局、自分がそうしたいだけだったんだな」 「…敬介は間違ってないよ」 「……そうか…」 「ねぇ、覚えてる? アタシたちが付き合い始める前のこと」 「ああ、よく覚えてる。あの頃はいろいろと迷惑を掛けたな」 「そんなことは気にしなくていいよ。アタシは別に何とも思ってないから」 「…そうか」 「うん」
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