何も考えららないまま習慣となった食料探しだけをしながら町をいくつか越えた。 あの日から毎日同じ夢で魘された。 前に魘された悪夢は自分自身で克服することが出来た。 けれど今回の悪夢はいつまで経っても消えることなく俺を苛み続けると思う。 そうやって苦しみながら人を殺したことを悔やみ償い続けるしかないのだろう。
…一生懸けても償いきれなくても…。
その日、俺たちは次の町に着いた。そこは町というよりは村という表現が相応しい。その敷地に足を踏み入れようとした時だ。 唐突に声を掛けられた。 「随分と若い連中だな。どっかの町から歩いてきたのか?」 その声を追ってみると、その主は三十路を迎えたばかりくらいの男だった。 「こんにちは」 「…こんにちは」 「………」 その男に佳奈は元気なく挨拶をして小枝はおずおずと挨拶をした。 そして俺一人その声を無視した。 「おいおい、湿気た奴らだな。若い連中はもっと元気があってもいいと俺は思うぜ?」 「…なんだよオッサン……? …何で初対面のアンタにそんなこと言われなきゃいけないんだ……」 「な…! お、オッサンって俺はそんな歳じゃねぇ!」 「…悪かったな、オッサン……」 「チッ、もういい。さっさと行け! テメェみたいなガキの相手してると俺まで気が滅入りそうだ!」 手で『あっち行け』とジェスチャーしながら男は言う。 「…オッサンに言われなくても行くさ……」 「…すいません」 自棄のあまりに八つ当たりのように馬鹿にした態度で返してやった。 そんな俺に代わって佳奈が謝る。 そして村の中に向かって足を踏み出すと後方から声が聞こえた。 「何があったかは知らねぇけどな、いつまでもそんな顔してたら『いつか絶対にその場所から動けなく』なっちまうぞ」 俺は『余計な世話だ』と心中で毒づいてその場を後にした。
村の面積は余り広くはなく数分で町の中心に着いた。 そこは今までの町とは違って痩せてこそいるけれど餓死した人の死体はどこにもなかった。 「こんにちは、見かけない顔だねぇ。アンタたちも他所から来たのかい?」 話しかけてきたのは年配の女性だった。老人の問いには佳奈が答えた。 「こんにちは、初めまして。アタシたちは北の方の町から歩いてきました。ここに着いたのはついさっきで」 「そうかい、北の方から……。この前の地震以来この村に人が来るのはアンタ達が二組目だね」 「そうなんですか?」 「えぇ。北から来なさったなら会わなかったかい?一之瀬さんって三十歳くらいの男の人だけど」 北ということは通ってきた町のどこかなのかもしれない。そんなことを考える。 「名前は聞かなかったんですけど男の人には会いました。あの人も他所から?」 「一生間くらい前にね。今は気さくで村の人たちを盛り上げてくれてるけど、初めて来なさった時はそりゃぁ酷い顔をしてらした」 「そうなんですか?」 どうやら村の入り口で出会ったオッサンは余所者らしい。 「えぇ、何か余程辛い目に遭われたんだろうね。お兄さん、今のアンタと同じような顔をしていたよ。アンタも若いのに苦労したんだね」 「……」 俺は返事を返さずに考えた。 (…あのオッサンが?) それでも結局、あの男がそんな顔をしている様なんて想像も出来なかった。
今日はこの村で今日は夜を明かすことになった。 夕方ごろになると一之瀬と呼ばれていた男が姿を見せた。 「何だお前ら。今日はここにいるのか?」 「ああ、そのつもりだ」 「…そうか」 一之瀬は特に興味も無さそうに頷く。 そこで俺は昼間に聞いた話について訊いてみた。 この軽薄な印象(これは俺の第一印象だ)のオッサンの過去に何があったのかを。 「アンタ、余所者らしいな」 「…ああ」 一之瀬は他人事のように返事をした。 相変わらずこのオッサンが辛い過去を抱えているなんて思えない。 「…ここに来る前に何があったんだ?」 「……。…誰かから聞いたのか?」 俺の質問が意外だったのだろう。一瞬だけ一之瀬の顔が曇った。 「アンタがこの村に来た時の話を少しだけ聞いた」 「…そうか」 一言だけ短く答えると遠い昔を思い返すように空を仰いだ。 「俺はお前の言う通りこの村の人間じゃない。俺はここから遠い町で妻と子供と暮らしていた。あの頃は良かったよ」 ―――俺は築五十年くらい経つボロアパート。 そこで俺は家族3人で暮らしていた。 低収入でこんな家にしか住めなかったし食べるものも質素なものだった。 だけど妻も娘も幸せそうで俺もそれを見ていられることが生き甲斐だった。 娘のあゆみはまだ生後2年くらいの赤ん坊だった。 この子が小学生になる頃には庭付きの一軒家を構えて、いつかもっと幸せにしてやりたいと思って我武者羅に仕事をこなした。 そんな時だった。 …あの地震が起きたのは……。 俺は会社を出て全力で家まで走った。息継ぎが追いつかずに胸が苦しかった。それでも全力で走り続けた。 でも着いた時に見たのは見たくない現実だった。 「和美! あゆみ! 無事か! 無事なら返事をしてくれ!」 「……う…ぅ……」 「和美!」 妻は崩れ落ちたアパートに押し潰されそうになりながら必死に娘を護っていた。 「…私…もう……」 「馬鹿なことを言うな!今、助けてやるからな!」 「……あゆみだけ…でも……」 和美は力を振り絞って幼いあゆみを俺に差し出した。 俺がその手から娘を預かると妻は力尽きて倒れた。 そして俺の目の前で彼女の体は倒壊してコンクリート片の塊になったアパートに埋もれていった。 「和美―ッ!」 俺は瓦礫を除けて助け出そうとしたさ。 手には切り傷やら擦り傷やらが出来た。 けどそんなは気にせずにひたすら続けたよ。 それでやっと彼女の体が見えるようになった時は愕然としたさ。 その時にはもう和美の体は冷たくなってたからな。 「…すまない和美! …お前を…幸せにしてやるって言ったのに…!」
それから俺は何もかもが変わってしまった町で娘を生かすためだけに動いた。 助けられなかった妻の為にも娘だけでも生かそうってな。 色んな町を転々と放浪したさ。 でも段々とあゆみも衰弱していった。 離乳食どころか食べ物さえロクに見つからなかったから。 そしてここに着く数日前に娘は死んだ。 娘は泣き声さえ上げなかった。 …本当に静かに死んでいった……。 「畜生ッ! 俺は一体何なんだ! 和美もあゆみも俺が護らないといけないのに!それさえも出来なかった! 俺は…俺は……一体何なんだ!」 それからの俺は自暴自棄になった。 生きていることが虚しくなった。 どこかも分からない土地を歩いた。 何もかもどうでもよくて何度も死のうとした。 でも何度やっても死ねなかった。 そんな中、辿り着いたのがこの村だった…。 「………」 村の中心には子供たちが遊んでいた。 「…子供か……。もう少し早く着いていたら、あゆみも数年後にはあの中で一緒に遊んでいたんだろうか……?」 見ているだけで辛くなった。 逃げるように俺はその場を離れた。 結局、足を止めたのは家族が死んだところに一番近い村の入り口だった。 ここに住むようになってからもここに来るのは日課になった。
「それが昼間、お前たちと出会った場所だ…」 「そうか…。亡くなった家族の事を思い出してたんだな」 「…ああ、そして今日、お前たちに出会った」 俺は昼間、この村に入った時のことを思い出す。 「…お前は俺に似ていた。何もかもどうでもいいつて顔が特に、な」 「…そうだったのか。なぁオッサン、聞いてくれるか?」 「……言ってみろ」 一之瀬は嫌な顔をするでもなく俺の話の続きを促した。 「俺、物凄く親不孝な奴だったんだ。昔は今までと同じような日が続くと思ってた。でも地震で親父と母さんが死んだ。親父は小枝を俺に預けて死んだんだ。それから避難場所になってた中学校の体育館で数日過ごしてさ。ここにいたら死ぬことしか残らないつて思って町を出ることを決めたんだ」 「…ああ」 「それで生き埋めになった人の死体を見て、やっと死ぬって事を実感した。それで思ったんだ。死んだ人の為にも生きないといけないつて。それが俺から死んだ人にできる一つだけの事だって」 「………」 俺の独白とも言える懺悔。 それを一之瀬は聖職者のように黙って聞き届ける。 「前に町で死に掛けの子供がいたんだ。その時は佳奈が躍起になって助けようとしてた。それでも助けられなかった。その時、泣いている佳奈を宥めながら思ったんだ。本当に俺にできる事は少ないのかもしれないつて」 「………」 「それで数日前に自分が生きるためだけに人を殺していた奴がいた。そいつは俺たちにも襲い掛かってきたから、俺は戦ったんだ。…そして…俺はそいつを殺した……」 「………」 一之瀬は俺が人を殺したことについて驚くこともなく、依然として黙って聞いていた。取り乱さないのは年の功なのだろうか? 「…それ以来、夢に魘されるんだ……。その夢は一面が血で染まっていて、数え切れないほどの人が死んでいて、皆が俺を恨めしそうに睨みながら死んでしまえって」 「………」 「…最後には絶対に親父が出てきて、俺は助けを求めるんだけど親父まで俺に死ねって言って俺を突き放す。そこでいつも目が覚めるんだ……」 「………」 「…俺、思うんだ。俺が親父たちと一緒に死んでさえいれば殺さなくても済んだんじゃないかって……。人を殺した俺が生きているのは間違いじゃないかって……」 「…それは違う」 それまで黙って聞いていた一之瀬がそこで口を開いた。 俺は反感を覚えて訊いた。 「何が違うってんだよ?」 「お前は何も犠牲にせずに生きてると思うのか? 何も殺さずに自分が生きてると思ってるのか?」 「ああ、その通りだ」 「お前が食べるものは何だ? それは犠牲になってないってお前は言うのか?」 「…それは……」 「…何かを犠牲にしないと誰も生きられないんだよ。きっと犠牲になったものは『もっと生きていたい』と思ったはずだ。それでも俺たちが生きるためには、それを殺すしかないんだ。そうしないと俺たちが死んじまうからな……」 俺は何も言い返すことが出来ずに黙り込んだ。 そこへ一之瀬は追い討ちを掛けるように言った。 「大体、お前は甘えてるんだ。『俺が死んでいれば』だと? お前が死んだら、残ったお前の連れはどうするんだ? お前を生かした親の気持ちはどうなる?」 「………」 「死んだ人たちに甘えるのはもう止めろ。その人たちはお前に生きていて欲しいと思うはずだ。お前が『俺は生きなければならない』と思うんじゃない。死んだ人たちが『お前には生きていて欲しい』と思うんだ。大体、自分は親不孝だと? ふざけるのも大概にしろ。お前はこうして生きてるんだ! それが親孝行でなくてなんだ。一児の親だった俺にはお前の親の気持ちだけは分かる。親ってのはな、子供の幸せを一番に考えるものだ」 「…すまない。…俺、間違ってた。そうだよな、俺が『死んだ人の為』って思うのは俺の想いを都合よく言っただけかもしれない。でも違うんだな。死んだ人が『残った俺には生きて欲しい』と願ってる。だから俺は生きないといけないんだな」 「謝るなら、俺じゃなくて自分を思ってくれてた奴に謝るんだな。それにな、生きるってのは自分が生きたいと思って初めて意味があるんだ。自分が生きたいと思わない限り死んだ人は浮かばれない。だから俺は今、死んでしまった家族の為に生きたいと思って生きてる。誰かの為じゃない、他でもない自分の為に。それが結局は死んだ人に報いる事なんじゃないか?」 俺には一之瀬という人物がとても大きく見えた。 「…オッサン、サンキュ。俺一人じゃたぶん気付けなかった…」 「馬鹿野郎。お前は一人じゃねぇだろ! そんなこと言ってたら連れが泣くぞ」 「…そうだな」 「殺したことを後悔してるってんならその分だけ連れを精一杯護ってやれ。俺は護れなかったけど、お前はまだ護れる奴がいるんだからな」 「ああ、分かった!」 俺はようやく自分というモノを掴んだ気がした。 俺は死んでいった人の為に自分の意思で俺は生きる。 そして護りたい。 護るべき掛け替えのない人を。 それが本当の意味での生きることだと今日になって俺は知った。
夜も深まり一之瀬は一人、町の北の外れに佇んでその先を見つめていた。 「…和美……。今日は他所から来たガキに会ったぞ。なんだか昔の俺みたいな奴だった。まだ子供のくせに一人前に悩みなんて抱えやがってよ。生意気だろ?…あゆみ……・。お前も生きてたら、あんな感じになってたのかな……?」 彼は今は無き家族に今日の報告をする。 笑っている表情とは違って雰囲気は少し寂しげだった。 「それでウジウジしてやがったから説教してやった。…らしくないことは分かってたけどよ、ほっとけなくてな」 見つめる先は雲に隠れた月の光が僅かに地を照らしていた。 「…さて。今日はもう寝ることにするよ」 一之瀬は村から射す明かりに一歩を踏み出す。 まるでその姿は悲しみと後悔の過去から希望の射している未来へと続く一歩だった。そして最後にもう一回振り返る。 「…おやすみ」 それだけ言うと再び歩みだした。
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