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作品名:明日への足跡 作者:とりさん

第4回   悪夢、そして……

 今日もまた、ひたすら歩き続ける。
 ただ今までと違うのは町ではなく山沿いの公道を歩いているということだ。
 街中とは違い周囲には木々が密集している。
 だけど木の枝はどれも枯れ果てていて寒々しい風景だった。
「次の町までどのくらいある?」
「まだ3時間くらい歩かないと駄目みたい」
「…そうか。もう夕暮れも近いから今日中に次の町には出られそうにないな…。今晩は この辺りで野宿になるな。昨日の食料の残りはどのくらいある?」
「ちょっと少ないけど今日の分は何とかなりそうかな」
「それなら今日は大丈夫だな」
 適当な所で足を止めて今日は休むことにした。
 山の近くだから飢えた野生動物に襲われる可能性もある。
 しかし野生動物は火を怖がるとよく聞く。
 だから周辺から木の枝をかき集めて焚き火を焚いた。
 それを囲んでいつもよりも更に少ない夕飯を食べ終えると佳奈と小枝を先に休ませた。俺は火の番と周りへの警戒を兼ねて起きている事になった。

 日が落ちて数時間。座っているだけにしているのにも飽きて空を見上げた。
 しかし相変わらずの曇天で灰色の雲が空の彼方まで続いている。
 見慣れた光景に特に感慨を抱くこともなく俺は火に視線を戻した。
「明日は町に着いたら食べ物と水を確保しないとな…」
 一人呟くと佳奈が目を覚ました。正確な時間は分からないけど朝はもう近いだろう。
「悪い、起こしたか?」
「ううん、目が覚めただけ。敬介、今度は私が起きてるから寝てて」
「ああ、頼む」
 俺は佳奈に番を任せ、眠りに就いた。


 あの日から毎日、同じ夢を見るようになった。両親を失った瞬間が繰り返し俺を責め苛む。
 しかし出立の日に初めて見たときとは違って今では魘されることはなくなっていた。
 ただそれでも悲しみだけは癒えなかった。
 この苦しみは生きている限り続いていくのだろう。
 もしも忘れられるのならばこの夢を見ることもなくなるだろう。
 でも忘れられないし、忘れてはいけないと思う。
 死んでしまった人は思い出の中でしか生きられない。
 …いつかは俺も死んでしまうことは分かっている。
 …いずれは誰の記憶にも残らなくなるかもしれない。
 それでも生きている限り死んだ人を覚えていたい。覚えている限り、確実にこの世界に生きていた証明になるから。
 でも、だからといつていつまでも悲しんではいられない。
 悲しみからは何も生まれない。

 悲しむのではなく乗り越えること。
 思い出を胸に明日を一所懸命に生きること。

 きっとそれが俺を生かす為に死んでいった人たちの想いを背負うことだろうと思うから。
 住み慣れた町を離れて色んなモノを見てそう思えるようになった。だから、もう夢に魘されることはなくなった。

 …そう。なくなったはずだった……。


 目を覚ますとそこには佳奈と小枝がいた。
 佳奈はあれからずっと起きていたのだろう。小枝はまだ寝息を立てていた。
「おはよう」
「敬介、起きたのね。まだ寝てなくていいの?」
「ああ、大丈夫だ。道路の上で寝てたから体の節々は痛むけど、疲れ自体は取れたよ」
「…そう、良かった」
「今日中に次の町へ行こう。着いたらすぐに食べられる物と小枝の薬を探さないと」
 小枝の体調は一向に良くなりはしなかった。
 ただの風邪だけど状況が状況だ。食べ物も少なくて寝るところも無い。
 薬があるからか病状が一気に悪化することが無いというだけで日ごとに体力は徐々に低下していることは明らかだった。
 

 時々、思うことがある。
『今頃、町に残っていたら少しは小枝の調子も良くなっていたのだろうか?今よりもっとマシな生活が送れていたのではないのだろうか?』と。

 …後悔は無いと言えば嘘になるかもしれない。

 それでもあの場所にいては駄目だと思ったこと事態は間違いではないと思う。
 出立してから色んな事を経験して色んな事実を知った。
 きっと残っていたら生きることの本当の大切さには気付けなかったと思う。
 そして何よりその結果が今に至っているのだから。後悔したって何も残らない。
 そんなことをしたってきっと死んでしまった人たちの想いを踏み躙ることになるだけだ。
 だから後悔する分だけ明日を精一杯に生きることのほうが俺には大事なんだ。
 そう考えることで後ろ向きな気持ちを振り払った。


 その頃。
 川崎の残った体育館では数日前に配給される食料が底を尽き、残された人々は絶望の中に佇んでいた。
 誰もが空腹と渇きを訴えここを発つ者も少なくなかった。
 食べ物は分け合うものから奪うものに変わり力の無いものは食いはぐれ衰弱していった。
 今日は川崎家で家族会議が行われた。内容は『この場所を出ることについて』だ。
「もうここは長く持たない。だから俺はここを出るべきだと思う。みんなは嫌か?」
 川崎の父親である川崎栄一の発案には特に反論は出なかった。
 ただそれでも一堂揃って暗い面持ちをしていた。
 そうするしか手段はないと分かってはいても先行する不安感と住み慣れた土地への愛着が後ろ髪を引く。
「…それしかないんだろ? だったらそうするしかない」
 川崎は躊躇を見せながら言う。彼もやはり渋々といった表情だ。
「そうだ。どの道ここにいては助からないだろう」
「でも出て行ってどうするんだよ?」
 「そこを今から話し合いたい。どうやったら家族全員が助かるか。何か意見のある人はいるか?」
 父親という立場から会議の司会を取り仕切る栄一は皆に問いかけた。しかし意見は返ってこない。返ってきたのは重い沈黙だけだ。
「…特に案はないか。確かに仕方ないだろうな。俺だってこんな状況じゃ、どうしたら助かるかなんて考えつかないからな。それでも俺たちは生きなければいけない」
「…そりゃそうだけどよ」
「まあいい。案が出たらいつでも言ってくれ。なくても明日にはここを発つから準備をしておけよ」
 父親の言葉を最後に会議は締められた。
 彼らもまた数日の絶食に耐えている身だ。栄養失調で体調は良くない。その体力でいつまで無事でいられるか?それが最大の問題だった。


 町に辿り着くとやはりこれまでの町と同じで道端や家屋の庭には餓死した人や家の柱などに押しつぶされた人たちの死体が幾つも地に臥していた。
 それを見て嫌な気分になってしまうのも今までと同じだ。
 それでも目を逸らすことなく歩けるようになったのはその現実を受け止めることができるようになったからなのか、それともただ単に見慣れてしまっただけなのか…。

 ただその中に異形の死体があるのが目に付いた。
 それらの死体の体には所々に痣があった。
 その痣は転んだときに出来たものには見えない。
 …むしろ殴られてできるような痣だった。
 その様子を不思議に思いながら歩いていると更なる異形があった。
 不自然に千切れた肉片。
 野生の動物にでも襲われたのだろうか?
 いずれにせよ、とても恐ろしい事が起きたのだろう。
 その死体の顔は目を見開き恐怖を顔に貼り付けて死を迎えていた。
 目にした途端に吐き気がする。
 そのくらい広がる景色は常軌を逸している。
「…なんだ……これは……?」
「…嫌…そんな……」
 幸い小枝は俺の背中で寝ていたからこの惨状を見させずに済んだ。
 これは極限の飢餓が齎す地獄だ…。

 その中に一人、動く人影があった。
男だった。
 しかし男の目は既に正気の目ではない。
 それは完全に飢えで理性を失っていた。恐らくはこの惨状の最後の生き残りだろう。そいつは俺たちに気付いて覚束ない足取りで近寄ってくる。
 男の顔は愉悦に歪んでいた。
 笑顔とは明らかに別種な笑み。光の宿らない虚ろな瞳に見ているだけでおぞましくなるほどの愉悦を浮かべる男は羅刹そのものだった。
 ボロボロの服には赤い何かが染みを作っている。もやや元の色さえ分からないほどに……。
 脳裏に異様なヴィジョンが過ぎる。
 おぞましい光景。
 …ありえない。
 そんなことはあってはいけない。
 理性が広がる想像を必死に歯止めをかける。
 想像すればきっと俺の精神は壊れる。
 実際に目の当たりにしたらショックで発狂することは間違いない。
 それほどに恐ろしい映像だった。しかし今、目の前に広がる全てがそれを示唆している。
(まさか…こいつが……?)
 嫌な予感がして俺は小枝を佳奈に預けた。
 男はたぶんこの場所にいる生き残り。ならば、その予感は当たるだろう。
「…新しい獲物が来たか……」
 人間の成れの果てたる男は一人、暗い呟きを洩らして手にした鉄パイプを振りかざして襲い掛かってきた。
 俺はそれを両腕をかざして受け止める。
 これで案の定、予感は的中したわけだ。
「…クッ!」
 男の痩せた手で振り下ろされた一撃は腕を折るほどには至らなかったけど骨に響いてジンジンと痛んだ。
「クソッ! この野郎ッ!」
 俺は受け止めた手を押し返して渾身の力で体当たりした。
「…グゥッ!」
 男の四肢は宙を舞い地面を転がった、
 俺はその隙を衝いて近くの瓦礫の中から木片を手に取った。
 角ばった上に木材は持ちづらいけど武器になりそうなものはそれしかなかった。
 起き上がってきた男は猛然と突進してきて再び鉄パイプを振り抜いた。
 今度は木材を盾にそれを受け止めた。
 その衝撃でささくれた表面が手の皮膚を切り裂く。
 痛みを堪えて俺は反撃したが、その一撃も空振りに終わった。
 …だけどそれで勝負はついた。
 それを避けようとした男は体勢を崩した。
 そしてそのまま倒れてコンクリート片に頭を強打した。
「…ハァ…ハァ……。もう起きてこないか…?」
 俺は下を向いた姿勢で息を整えて顔を上げた。
 すると男はグッタリと項垂れてピクリとも動いていなかった。
 その頭部には紅い血が滲んでいる。
 それは次第に地面に水溜りを作った。
 水溜りは時間を掛けて大きくなっていく。
 それを見てようやく熱く火照っていた体が急速に冷めていった。
 次第に思考が冷静になって途端血の気が引いた。
「……? …冗談だろ……?」
 俺が男の体を揺するとその体は力なくずるりとその場に倒れ臥した。
 それで俺は理解した。
 ……理解してしまった…。
(…俺が、殺した……?)
 遠巻きに俺の様子を見ていた佳奈。小枝もいつの間にか目を覚ましていた。
「…あ…。お、俺……」
 その姿を見て、俺は呆然と声を出す。
「……」
「い…嫌ぁぁーッ!」
 そんな俺を見て佳奈は俯いて口を開かず、小枝は悲鳴を上げて気を失った。

 そこで俺は自分の手が生温かい何かで濡れていることに気が付いた。
 
 呆けた意識のまま手のひらを見る。

 …濡れている。

 ……真っ赤に濡れている。

 ………真っ赤な血で手のひらが濡れている。

「うわぁぁぁーーーッ!」
 静寂に包まれた世界は、俺の絶叫で埋め尽くされた…。


 …それから数時間。
 依然として頭の中には罪悪感が渦巻いていて体中の生気を抜かれたように何も考えられない。
 そんな中、長く続いた沈黙を不意に佳奈が破った。
「…敬介、ゴメン」
「……どうして謝るんだよ…」
 佳奈の呟くような謝罪に真っ白な頭で問い返す。
「………」
 だけど返ってきたのは沈黙だった。
「…悪いのは俺なのに、どうして……」
「…ゴメン」
 2度目のゴメン。
 俺にはそれに含まれる意味を考える余裕も無い。もしかしたら深い意味は無いのかもしれない。
 けれどそんなことはどうでもよくなっていた。
 佳奈の言葉だけじゃない。

 ……もう全てがどうでもいい……。

 でも、ただ一つだけ思った。

 ……俺も親父たちと一緒に死んでいればよかった……。

 
 …何も覚えていない。
 真っ赤な世界を歩き続けて、知らぬ間に夜になって、知らぬ間に寝ていた。

 俺は今、夢の中にいる。
 夢の中は現実と同じ赤一色の世界。
 見るもの全てが血塗られた世界だった…。
 夢の中にありながら、それでも体は酸素を求める。
 生温かい空気を吸い込むと生臭い異臭が鼻腔を擽る。
 その臭いに耐えられなくなって思わず息をするのを鼻から口へと切り替えた。
 それで臭いは感じなくなったけど代わりに鉄っぽい味が味覚を刺激した。
 吐き気がするほど『死』に満ちた世界を歩き続ける。
 …どれだけ歩いても目に映るのは死体ばかり……。
 飢えに苦しみ死んだ人。
 乾きに喘ぎ死んだ人。
 不慮の事故で不幸な死を迎えた人。
 災害に呑まれて悲鳴を上げる間もなく死んだ人。
 食べ物目当てに殺され無念を抱えて死んだ人。
 その誰もが死ぬ間際まで生を強く望んだだろう。
 その中を俺は歩く。
 死体は全て俺を恨めしそうに睨んでいた。
 死んでいるはずの人々の視線は歩いても歩いても後を追ってきた。
 そして声なき声で言っている。
(…お前さえ居なければ……)
(…お前が殺した……)
 それぞれに別々の言葉で訴えている。
 それらは無数の声色で脳に直接響いてくる。
 その全てに共通しているのは俺への憎悪と恨み。
 呪い殺さんばかりの怨嗟の声。
 恐ろしくて耳を塞いだけれど声は大きくなるばかり。
 そして次第に声は一つに纏まりだした。
(…お前なんて……)
(…お前なんか……)
 
 死んでしまえ!

 俺は歩くことさえ出来なくなってその場に立ちつくす。
 それでも声は止むどころか更に大きくなっていく。
 そして声なき声は叫びに変わった。

 死ね!死ね!死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね!

 狂ったように、只管投げかけられる死刑求刑の声。
 膝は笑って、歯は意思に関係なく何度も噛み合って音を鳴らす。
「…許してくれ! 許してくれ!」
 俺には両手で頭を抱えながら許しを乞うことしか出来なかった。
 許されないと知りながらも俺にできる事はあまりに少なかった。
 …いやできることなんて無い。
 できることが在るとすれば、それは彼らの言うとおり死ぬことしかないのかもしれない。

 …俺は人殺しだから……。

 立っていることすら出来なくなって蹲った俺はひたすら謝り続けた。
 それしか知らないように懺悔する。
 まるで馬鹿の一つ覚えとでもいうように。
 それでも声は止まない。
「…許してくれ、許してくれ…」
 謝り続けて声は嗄れ、喉を鳴らしながらも謝り続ける。
「…許して、くれ…許し…て……」
 突然、自分の前に誰かが立っていることに気付いてその足に縋り付く。
「…た…助けてくれ……」
 必死の思いで助けを求めた相手。
 それは嫌というほど知っている人だった…。
「…お……親父……?」
「…敬介……」
 よく知っているはずの父親の顔は…見たことも無い顔だった。
 蒼白な貌に恐ろしい形相を浮かべて俺を睨みつけている。
 そして…。

「敬介。お前は死ね!」

 これ以上ないほど冷酷に、これ以上ないくらいの侮蔑を籠めて言った。
 …そして縋り付いた俺を足を払って突き放した……。


「…介!…敬介!」
「……うぅ……」
 声が聞こえて、段々と真っ赤な夢が薄れていく。
「敬介、大丈夫?」
「…う……佳奈……?」
「どうしたの? すごく魘されてたけど……」
 気が付けばじっとりと嫌な汗を掻いていた。やけに鮮明な夢を思い出して、また悪寒を感じる。
「…何でもない……。放っておいてくれ……」
「…敬介……」
「…頼む…。…今は一人になりたいんだ……」
「………」
 悲しそうに顔を伏せる佳奈を置いて、俺はその場を離れた。


 もう一度、夢を思い出す。
 辺り一面が真っ赤な血で彩られた夢を…。
(…どうして俺は生きているんだろう……)
 あの時、死んでいれば…。
(…どうして俺なんかが生きているんだろう…)
 こんな事にはならなかったはずなのに……。
(…これじゃ、同じじゃないか……)
 俺が殺した……。
(…自分の為に人を……)
 考えれば考えるほど自分を許せなくなる。
(…俺なんて死んでしまえばいい……)
 ……本気でそう思った。





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