肩にはリュックが掛けられている。 中身は今朝の配給と薬、行く宛ても無い俺たちは南を目指すことに決めた。 特に理由は無い。 どこに行っても安定は求められない旅。 だから行きたい方角に行くことに決めた。 一番最初の目標は住み慣れたこの町を出ることだった。移動手段は自分の足だけだった。電車はもう走っていない。 線路は途中で途絶え高架線は千切れてむき出しの電線がぶら下がっている。道路もアスファルトに断層ができていて路上駐車していた車はフロント部分が潰れて今も炎上した状態で逆立ちをしている。 横を見れば以前は洒落たワンピースがショーケースに飾られていたファッションショップがコンクリートの山に埋もれていた。 面影もなく変わってしまった町を足場に気をつけながら歩く。 廃墟と化したビルが立ち並び、ゴーストタウンとなってしまった町を見るのは辛かった。 自分の生まれ育った町が、沢山の思い出の詰まった町が一瞬でなくなってしまったのはとても寂しくて悲しかった。 どれだけの人が犠牲になり無念を残して死んでいったのだろうか? 「…なんか居た堪れなくなるわね……」 佳奈も同じ事を考えたのだろう。 悲しさと悔しさを籠めた声で言う。 表情も声と同じでどうしようもなく悲しげだった。 「…そうだな。でも俺たちは生きているんだ。だから犠牲になった人たちの為にも行き続けないといけない。残った俺たちには、それくらいしかできる事は無いから…」 「…そうね。あたしたちは一日でも長く生きないといけないわね」 昼頃に体育館を発って町外れに着いた時にはもう夕方だった。 疲れはたまっているけどまだ休むわけには行かない。 佳奈に小枝のことを任せて俺は食べ物を探す。 近隣の倒れた家の跡に近づき一人でも処理できそうなものを慎重に庭に移す。 少しでもバランスを崩すと雪崩の様になりそうで危険だ。
2時間くらい作業した結果ようやく食べられそうなものを見つける。 作業を続ける中で老人の遺体(逃げ遅れたのであろう)を見てしまった時は吐き気がした。 既に腐敗が進んでいて独特の臭気が漂い生前の姿を全く分からない姿は唯一伸ばしていた手だけが原型を留めていた。 血まみれの手は死んでしまった今もなお助けを求めているようで胸を締め付ける罪悪感に耐え切れずに顔を背けた。 (…親父たちも、あんなふうになっちまったのかな……) 老人だったモノの姿に今は亡き両親を重ねた。 そして俺の帰りを待つ二人のもとへと帰る。 と、ずっと寝かせていた小枝が目を覚まして佳奈と話していた。 その姿を見てさっきまで感じていた罪悪感が少しだけ軽くなったような気がする。 安堵する俺の顔を見た小枝が心配そうに訊いてきた。 「お兄ちゃん、大丈夫? 顔色悪いよ…?」 「心配ないぞ。俺は元気だからな」 「…本当に?」 病気の妹に心配を掛けさせたくない。だから必死に作った笑顔で言う。 それでも小枝は俺の心中を見抜いたように詰問を続けた。 俺は余計に虚勢を張って力こぶを作って見せる。 「…大丈夫だって、ホラ!」 「………」 小枝はそんな俺を余計に胡散臭いものを見るような目で見ていた。 それ以来、会話が止まってしまい気まずくなってしまう。 どうしたものかと考えているとパンパンと手を叩いてこの雰囲気を吹き飛ばしてくれた。 「…ハイハイ、辛気臭いのは無しにしてご飯食べよう? あたし、もうお腹空いちゃった」 「…そうだな。今日は歩きっぱなしだったからハラ減ったしな!」 「あ、お兄ちゃん誤魔化した!」 小枝は食いつくように俺に抗議の声を上げたけどその瞬間『きゅるる…』と小枝のお腹が鳴った。 「お前も腹が空いてるんだろ?」 「う、うぅ〜!」 それで観念したのか小枝は何か言いたげな視線を向けながらも、やっと追及するのを諦めてくれた。 「…でも本当に大丈夫じゃない時は言ってね……。私、もう家族が居なくなるのは嫌だから…ずっと生きていてね、お兄ちゃん……」 小枝が寂しげな声で俺に求めた願いに胸が詰まる。 答えなんてもう決まっている。 それが両親の願いでもあり、俺自身の目的でもあるから。 「俺はどこにも行かない! 小枝を置いて死んだりしない! 俺と小枝と佳奈で何としても生きるぞ!」 「ありがとう、お兄ちゃん」 小枝は泣きそうな笑顔でそう言った。
ささやかな夕食を終えてしばらく座っている。 空は物心がついた時から曇っていて晴れた時なんて無かった。 だから太陽も月も星も知識として知っているだけだ。 今日も曇っている空を見上げていた。 小枝が寝てから佳奈が話しかけてくる。 「…ちょっといい?」 「何だ?」 自分から話しかけてきたのに佳奈は言い辛そうに口ごもって、数秒してからやっと口を開いた。 「…敬介、さっきは何を見たの? 小枝ちゃんじゃないけど、あたしも気になってて」 「…そうか」 さっき見た光景が脳裏によぎる。 話すべきかどうか迷ったけれど佳奈には話しておこうと思う。 小枝には残酷すぎて言えなかった。 (けれど佳奈になら…) あるいは話すことで少しでも重荷を捨てたかったのかもしれない。 「…倒れた家の下に逃げ遅れて死んでる人が居た……。…血まみれで…生きてる時の姿も想像できないほど潰れてて……それでも手が…助けを求めてたんだ……。それが両親に被って見えて…」 「……そうだったの……」 佳奈は辛そうに目を伏せた。 「…でも、助けることなんて出来なかったんだ……。俺、助けを求めてる手に何も出来ないことが悔しくてさ。目を背けることしか出来なかったんだ」 「…でも敬介は言ってたよね。『死んでしまった人の為に俺は生き続ける』って。それでいいんじゃないかな? 助けられない人の為にも生き続けよう?あたしたちは生きてるんだから」 「…そうだな。サンキュ、楽になった」
俺は今まで『人の死』という事に実感が抱けなかった。 親父たちの死に立ち会ったとはいえその時は実際に親父たちの死体を見たわけじゃない。
もしかしたらまだ生きているのかもしれない。 またどこかで逢えるかもしれない。 …心のどこかでそう思っていた。
だから悲しかっただけで『死ぬこと』がどういうことを意識的に遠ざけていた。 でも目の当たりにしてしまった。
まだ生きていたいと助けを求める手を。 それでも助けられることなく理不尽に死んでいった亡骸を。
それを見て本当の意味での『人の死』を知ってしまった。 逃げ出したいほどの現実が目の前に広がっていた。 それを見せ付けられて、俺の『生きたい』という気持ちがとても希薄なモノに見えてしまった。 あの人はきっと死ぬ間際に俺なんかとは比べられない程に強く『生きていたい』と願っただろう。 …それでも叶わずに絶望して死んでしまった。 俺たちは生きなければならない。 誰でも願う当たり前の願いさえ叶えられなかった人たちの為にも中途半端な気持ちで生きていてはいけない。 彼らの為にも一所懸命に生きなければいけない。 俺たちは生きていく。 今までと同じ決意に今までよりも強い気持ちを籠めて…。 …死んでいった人たちのために。
朝になって俺たちは少ない荷物を纏めて一夜を過ごした場所を発つ。 今日はとうとう住み慣れた町を離れ新しい町へ足跡を付ける日になる。 住みよい場所であることを僅かに期待して歩みだした。
1時間ほど歩くと今日一日を過ごすことになる町に辿り着いた。 しかし淡い期待は一瞬で風化させた。 そこに在るものは地割れに飲まれた家。 ここにも幸せな家族が住んでいたのだろう。 でも今は当時の様子を表すものは無い。
しばらく歩いているとその中から弱弱しい呻き声が聞こえてきた。 掠れたその声を辿って軒先の一つに辿り着いた。 そこに居たのは力尽きて倒れこんでいる子供だ。歳は十歳くらいだろうか。 しかし歳相応の元気な様子は既になく、体の所々に擦り傷や切り傷がある。 「大丈夫、キミ? 今、助けるから!」 動転した様子で佳奈が駆け寄った。 こんな状態を見たら普通は動転するだろう。 俺は小枝の視界を抱きかかえることで塞いだ。 「…う……うぅ……」 佳奈の声に反応したのか再び呻き声を上げた。 家族は近くには居ない。 …恐らくはもう…。 「ハラが減ってるんだろう、何か食べるものを!」 それに佳奈は頷いてリュックから昨日の晩に万が一の為と取って置いた食料を取り出す。 「キミ、これを食べて!」 佳奈は倒れている子供にそれを差し出した。 食べ物を口に運ばれてそれを咀嚼する。 しかし飲み込むことが出来ずに吐き出した。 「しっかりして! ちゃんと食べて!」 その後、数回同じ事を繰り返したが結果は同じだった…。 俺たちはまだ息のある子供を放っておくことも出来ずにその場に留まる。 しかし俺たちにできる事は余りに少なかった。 今も変わらず食べ物を与えようとしているけれど食べ物を求める意思に反発して、体はそれを受け入れなかった。 そして次第に反応がなくなっていき眠そうに目蓋を閉じかけている。 「寝ちゃ駄目よ! お願いだから、しっかりして!」 佳奈の必死の声ももはや聞こえていないのだろう。 視点も焦点を失っていく。 …そして年端もいかない子供は眠るように息を引き取った。 「…そんな……どうして……」 佳奈は脱力してその場に座り込んだ。 俺もやるせない気持ちになり目を伏せる。 俺の胸の中では目隠しされて何も知らない小枝が非難の声を上げていた。
「…もう…ここに居たくない……」 沈黙の中、佳奈が悲痛な声で言う。 「…そうだな……」 俺は一言だけ答えて小枝の視界を塞ぎながらその場を離れた。
それから日没まで歩き続けて駅前のロータリーを今日の野宿の場所にする。 「食うもの探してくるから小枝のことを頼む」 「……」 俺は今も黙り込んでしまっている佳奈に小枝を預けて昨日と同じように近くの残骸の中から食べ物を探した。 駅舎は全壊を免れたらしく食べ物も水も割と簡単に見つかった。 夕飯を食べるときも佳奈は喋らない。 それどころか食べることも拒絶していた。 そのままスッと立ち上がり一人で歩いていってしまう。 「小枝、ちょっと休んでてくれるか?」 「佳奈さんを追いかけるの?」 「ああ」 「そっか。行ってらっしゃい」 小枝をその場に置いて佳奈を追いかける。 「おい、待てよ! どこまで行くんだ?飯は食わないのか?」 「ちょっと一人にして…。今は一人になりたいから……」 佳奈は振り返ることなく歩き続ける。 「そんな事できるかよ! お前、今にも死にそうな顔してるじゃねぇか!」 「ほっといてよ!」 そんな佳奈の肩を掴んで無理やり止めようとした。 けれど、それは振り払われた。 俺はもう一度その肩を掴み今度は強引に振り向かせて頬を叩いた。 乾いた音が静寂の中に大きく響いた。 「…何するのよッ!」 「お前がそんなんでどうするんだよッ!」 「どうでもいいのよ! もう何もかも!」 自棄になっている佳奈の頬を俺はもう一度叩いた。 「…ッ!」 「お前がそうしてたって何も変わらない! もう死んだ人は戻ってこないんだぞ!」 「……敬介…あたし……あたし…ッ!」 「…泣けよ。俺たちには泣いてやるくらいしかできないんだから……」 佳奈は堰を切ったように泣き出し俺はそんな佳奈を抱きしめた。
「…泣いたらお腹空いちゃった」 泣き止んだ佳奈はそれまでの暗い感情を振り払うように明るく言って夕飯を食べ始めた。 …もしも俺たちが生きられる未来がこの先に続いているのなら『あの子のような子供のいない未来』になって欲しい。 また生き延びる目的が一つ増えた。 俺たちが生き延びて未来を創らなければいけないんだ。
一方、その頃…。 「あーあ、あいつら今頃どうしてるだろうなぁ…。もうこの町は出て、隣町辺りかなぁ…」 川崎は1日分の食糧として配給された乾パンを食べ終え体育館の壁に背を預ける。 彼は今、ここを発って行った数年来の親友の身を案じていた。 学校に備蓄されていた非常食は既にそのほとんどがなくなった。 最早底を尽きるのも時間の問題だろう。 そんな中でどれだけ自分が生きられるのか? 彼にとってそれを不安に感じないと言えば、それは嘘だ。 (…俺もいつまで生きていられるだろう?) 現にこんな思いが胸を過ぎることもある。 だけどそれも仕方のないことだ。 明日さえも見えないような状況下で考えない人間は恐らくいない。 ただでさえ突然降りかかった不幸だ。 平穏の中で過ごした人の中にはもしかしたら不安に耐えかねて蹲ってしまう人もいるかもしれない。 今の状況は足場さえ見えない暗闇の中に取り残されたようなものだ。 それでも彼は震える足を懸命に立たせている。 (何を弱気なことを考えてるんだ、俺は!約束したじゃないか!) 生きてまた逢おう。 それは親友と別れの際に交わした約束。 その約束が唯一、彼の不安を紛らわしてくれた。 彼はまだ明日を照らす希望(ひかり)を持っているから今も立っていられた。 「絶対に生きて約束を果たすんだ!」。
…もう何キロ歩いたのだろうか。 すっかり辺りは見慣れない土地だった。 今朝から小枝の体調が悪かったので今日は移動することを避けて昨日からの熟している公園に居座る。 薬はもう尽きてしまった。だから今日は食べ物と一緒に薬局を探す。 昨晩、食べ物を探すときに色々と探索していたから町の地理は何となく分かった。 俺は目的のモノを見つけて公園に戻る。 気候は相変わらず暑くて帰ってくると汗で服がベタついていた。 公園にあった蛇口で水を汲むついでに服を水で洗う。 配水管は壊れているようだったけど幸い水は綺麗だ(少なくとも見た目だけは)。 その後、昼食を摂って小枝に見つけてきた薬を飲ませ、服も着替え用の服に替えさせる。 だけど俺が手伝うわけにもいかないので辺りを歩く。 (ただ歩くだけってのもな…) そう思ったから何か役に立つものを探すことにする。 物色しながら歩く。 とその中の一軒の庭にあった納屋から『あるモノ』を見つけた。 「最近は色々あったからな…。こんな時に不謹慎かもしれないけど、息抜きになるかもしれないし持っていくか…」 俺がそれと食料を手に戻る。 そこでは着替えを済ませた小枝を佳奈が寝かしつけたところだった。 本来ならベッドで寝かせたほうが良いんだけど都合よく置いてある訳もない。 ベッドは愚か、住む場所までない。 これはそんな中で偶然見つけたささやかな贅沢だった。 手に持ったそれに佳奈が気付く。 「どうしたの、それ?」 「ああ、歩きながら見つけたんだ。確かライターも持ってきてたよな?」 「うん。学校を出るときに火は必要だって思って持ってきたわ」 「なら大丈夫だな。夜になったらやろう」 「そうね。きっと楽しくなるわ」
日は暮れて夕飯を食べると小枝に持ってきたモノを見せた。 「それ、どうしたの?」 小枝は昼間の佳奈と同じ質問をした。 「昼間に見つけてきたんだ。こんな時なんだから、たまには花火ってのも良いだろ?」 見つけたものとは花火だった。 これがあった納屋は頑丈な造りと母屋から離れていたことが幸いして原型のままで建っていた。 「そろそろ暗くなってきたし、やるか!」 「うん、そうしよう!」 「さすがに打ち上げはないか…」 「いいじゃない。線香花火だけでも」 俺が肩をすくめると佳奈が慰めてくれた。 もちろん俺も本気で落ち込んでいたわけじゃないからすぐに気を取り直す。 色とりどりの火花が明るく煌めいて暗い風景を照らす。 「…わぁ……!」 「…綺麗だね」 佳奈と小枝はそれぞれにその輝きに陶酔する。 「なんだか、ホッとするな」 和やかな空気が場を包んでいる。 その中にいると本当に見つけてきた甲斐があったと嬉しくなった。 俺は一人思う。 絶対にまたこんな時間を過ごせるようにしようと。
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