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作品名:あの日、雨が降らなかったら…。 作者:眞野寿々佳

第1回   彼のバイク
『次のニュースです。今日午後11時ごろ、○○県△△市の県道で、斉藤雅人さん28歳が運転する大型バイクが転倒しました。斉藤さんは病院に運ばれましたが、全身を強く打っておりまもなく死亡が確認されました。現場は緩やかなカーブですが、事故当時△△市には激しい雨が降っており、大雨洪水警報が出されていました。このため、視界がかなり悪かったと思われ、警察では自損事故として検証を続けています…』

そのバイクが、警察から返されてきた。
もう、これに彼が乗ることはない。
もう、これに私を乗せてくれることもない。
もう、ヘルメットを脱ぐときの、爽やかな笑顔を見ることもない。
もう、朝クラクションでせかされることもない。
もう、彼との婚約が果たされることもない。
もう、もう、もう、もう、もう、彼が……この世に、いない。

 お通夜では、沢山の人が集まっていた。雅人はまだ28だし、将来を嘱望されたライターだった。集まった同級生たちは「こんなところで会うなんてな」とこぼしていた。
雅人のお母さんは、具合が悪くなって倒れてしまった。私は殆ど初対面の雅人の叔母さんや近所の奥さんたちに囲まれて、忙しく走り回らなければならなかった。お父さんは、息子の早すぎる死が受け入れられずに、何杯も日本酒をあおって泣いていた。お兄さんは、保険や葬儀の手続きに忙しい。通夜に集まった近所のおじさんやおばさんは、私が雅人の嫁だと思ってこき使う。やれ「ビールをもってこい」「お酌しろ」「子供を寝かしつけろ」「住職を送って来い」「自分の上着はどこだ」…。
 お葬式は憶えていない。あれだけ働いたのに、遺族席にも座らせてもらえず、火葬にも連れて行ってもらえなかった。私は雅人の何だったのかと思う。受付をしている葬儀社の社員さんにペットボトルを差し入れて、ふと壇上の雅人を見る。黒いリボンがかかった写真は、見覚えがなかった。私と出会う前のものかしら。
 私の悲しみは、どこへ行ったのだろうか。警察の霊安室では、その場でぶっ倒れてしまったお母さんに付き添って部屋を出て、そのまま小間使いにされてしまった。彼が死んでからもう4日になるのに、泣いたのはあれっきり。喪服と白いエプロンに、ふとした瞬間、涙がこぼれてくるのが普通じゃないのかしら…。あの日から雨がやむことなく降り続いている代わりに、私の涙は一つ落ちる暇もない。

 雅人の死から7日目、ようやく雨が上がった。お葬式のドタバタも過ぎ、遺骨の前にお線香をあげることもできた。そして、彼の実家から去るときが来た。彼の両親に短い挨拶をした。ようやく起きられるようになったお母さんだけが、「お世話になったわね、ありがとう」と言ってくれた。外にでて、まだ曇っている空を見上げながら一つため息をつく。
誰も見送ってくれる人はいない。

 私はその足で、花屋に寄りお供え用の花を買って、雅人が事故を起こした現場へ向かった。16からバイクに乗って、バイクが何よりも大事で、でも決して無理な運転をしなかった雅人…。
 現場はなんでもない緩やかなカーブで、見通しもよかった。下り坂の後でもない。ここで事故が起こることはめったのにない、と言った警察官の言葉は正しいのだろう。なぜ、雅人が、こんなところで…。
雅人のバイクが目に浮かぶ。左側の凹みは、雅人の膝の後だろうか。車体についた無数の傷が、雅人の体にも付いたのだろうか。

 雅人とは、そんなに長く付き合ったわけじゃない。
優しい人だった。私がその優しさに甘えることに慣れて、弱い人間になったから.…その見返りが来ているのだろうか。正人と別れて、自分がどうなるのか想像出来ない…。 しっかり前を向いて歩いていけるのだろうか…。

 そんなことを考えていたら、俄かに激しい雨が降り出した。傘も何も持っていなかった私は、抱えた花束と一緒にびしょ濡れになる。
その時、1台のバイクが私の横をすり抜けていった。カーブで減速し、何事にも気付かず走り去っていった。
その瞬間、雅人のバイクが転倒するシーンが見えたような気がした。土砂降りの中、スピードを少し押さえて走る彼のバイク。ゆっくりとカーブに差し掛かったとき、ふっ、と車体が傾く。雨で滑って、タイヤから車体、そして雅人の体が地面に叩きつけられる。彼とバイクがばらばらに飛んでいく…。

 涙が出た。私は泣いていた。雅人が死んでから初めて涙を流して、声をあげて泣いた。雅人の死んだ場所で、いつまでも泣いていた。激しく降り続く雨が、涙と溶け合って頬を流れた。


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