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作品名:この頃身辺に起こったこと 作者:奥辺利一

最終回   1
 今日(八月十五日)NHKBS放送で放映された「映像の世紀プレミアム」を観て、改めていろいろなことを思い知らされる気がして、背筋に冷たいものの感触を覚えたので、忘れないうちに記録したいと思う。番組の副題は「三人の独裁者の狂気」というもので、ムソリーニ、ヒトラー、スターリンの国家統治者としての経歴や行いを記録したフィルムを編集して作られたドキュメンタリーである。端的に言ってしまえば、彼らの行いは歴史のただ中に瞬間的に表れた特異な現象ではなく、今日もなお連綿として続いているということだ。一握りの権力者の見る夢が人類にとって比類ない災厄をもたらすという、これまでも歴史上に繰り返し現れた現象なのであり、今もそれが現在進行形で行われようとしているのではないかということに、改めて思い至ったからである。
 複数の隣国で起こっているカタルシスを起こしかねない危機的状況が、わずか百年前に人類が経験した非常事態を、完全にとは言わないまでも、かなり正確にトレースしているように見えるのは驚きである。第二次世界大戦で、世界は全体主義者や覇権主義者の巧妙なやり口に騙されて、とんでもない煮え湯を飲まされたのだから、このような愚にもつかないことは、文明が高度に発展した世界において繰り返されることはないはずだと思っていはしないか。まさに「過ちは繰り返しません」だ。ところが、今日なお、世界のあちこちで権力闘争が行われ、殺し合いが行われている。アフリカや中東などでは、過ちは日常的に起こっているのである。
 あまりに有名な彼らのプロパガンダの手法は、国民に選ばれた民族の血統とその優秀さを宣伝し、気持ちよくさせるというところから始まる。たとえば、「アーリア人は世界中のどの民族よりも優れているのに、これまで苦しい目に遭ってきたのは悪賢い他民族のせいなのだ」と繰り返し、国難を脱するという目標を立てて、民衆の団結を促すのである。背景には世界大恐慌があったとしても、なぜ民衆はかくも簡単に独裁者の下に結集することを選んだのだろう。既成の政府や政党が恐慌下のかじ取りに悩んでいるとき、彼らを攻撃するのは容易だったからだろうか。既成の政治に飽き足らない、あるいは不満をため込んだ人々は、独裁者が発する甘い言葉にいとも簡単に乗せられてしまったのだ。そして、ひとたび民衆を掌握し、権力の座に就いた後は、己の欲望のままに強権と暴力でその中心に君臨し続けようとする。
 ところで、二十一世紀に生きる我々は、いまさらそんな手は食わないと、断言することができるだろうか。それが意外に簡単にできてしまうのを、我々は隣国の政治状況を眺めることによって即座に理解することができる。
 我が国の政治状況に目を転じるとき、政治家個々が何を考え、何をしようとしているのかがさっぱり見えてこない。国会に議席を置く政治家の端くれなら、少なくともこの国の未来についてどう考え、その考えに基づいて、厳しい国際状況の中、国を、国民を導いてゆく覚悟なのか、絶えず国民に向かって訴え続けるべきなのだ。それが今は見えてこない。与党は、世界的規模の疫病対策を一握りの閣僚に委ねて、効果的な施策について積極的に議論するのを忌避してばかりいるという体たらくだ。野党はと言えば、自分たちの利益を図るためだけに烏合、離散を繰り返している。今起こっている野党の再編劇も、何が最優先されなければならないと考えているのか、さっぱり見えてこない。基本的な政治理念が消費税の扱いだという話に同調する国民は少ないだろう。その前に何を国民に訴えるべきなのか少しもわかっていない。こんな状況で選挙に勝てるはずがない。少しは三人の独裁者の靴でも磨いて勉強すべきだとも思うが、それまでの戦略も実行力も持たないことがせめてもの救いなのかもしれない。しかし、こんなくだらない政治ショーまたは茶番劇を繰り返している間に、我が国の経済力や自由が隣国の毒牙にかかってしまわないという保証はないのだ。


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