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作品名:家族ゲーム 作者:奥辺利一

第5回   母親の本質
美佳は探偵からの報告を待っていた。用意された朝食を黙々と食べていると、既に出かけてしまった両親の上に、何事もなく流れてゆく平凡な暮らしに別段疑問を感じないでいるように振舞えるのは何故だろうという思いは募った。何事かが起こっても、表面上は何の痕跡も留めないようにやり過ごさなければならないことを、どうして欺瞞だとは言わないのだろう。何事に対しても、それが以前から予定されていたことなのだという顔をしていなければならないことに何の意味があるのだろう。いつからそう思うようになったのかは分からないし、そんな状況をぶち破ってみたいという不可能そうな欲求を抱くようになったのも、いつからだったか分からない。
母親は美佳が物心ついた頃からずっと個人病院の受付の仕事をしている。彼女の落ち着いた物腰が病院を訪れる患者の慰めになるのだとしたら、それはそれで構わないと思うが、その彼女を見る目に色々な種類のものが存在するのを意識するようになったのはいつからだろう。その中には彼女の秘密を握って悪用しようとするものや、その他の悪意を持って近づこうとするものもある筈だと考えるようになっていた。それが探偵の言う嫉妬のせいだとしたら、大きな勘違いだと言わなければならないが、母親がそのような現実を易々と受け入れている気がするのは事実だった。

美佳は悩んだ末に一人の同級生の家に電話をかけて、「頼みたいことがあるんだ」と言って呼び出していた。
「君のお母さんは看護師なんでしょう」
「ああ、そうだけど」
寝癖と区別がつかないヘアースタイルをした学生が思いがけない呼び出しに興奮して、「なんで?」と繰り返し訊くのを無視して話を進める。
「大石病院に務めていたこともあったわね」
「うん。そうだね」
「病院で働いている人の数が何人ぐらいか知ってる?」
「さあ、知らないよ」学生は、自分の思惑とは違う話の展開に、家を出て来た時の勢いを殺がれている。
相手が自分の話に興味を失くして行くのを感じた美佳は、そろそろ切り札を出さなければならないと決断した。
「これは、絶対に秘密にしてね」
秘密という言葉に怯んだように同級生は顔を強張らせた。
「子供、つまり君ね、の友達で大石病院の受付をしている吉川の娘がお願いしたいことがあるから聞いてやってくれないかって、お母さんに頼んでほしいの」
「なんで?」思いもしない話に相手はかなり混乱している。
「理由は聞かないで」
誰かに頼みごとをするのに、その理由を伝えないのがルール違反なのは分かっている。だから、それでも通用しそうな相手を選んだつもりなのだ。
「じゃあ、勝手に想像してもいいんだね」したり顔で笑うとますます子供に見える学生には、下衆な好奇心と無邪気とは言えない反発心が見え隠れしている。
「いいよ」目の前の子供っぽい学生に、どんなに下らない邪推を受けたって、自分の生活には関係ない。
学生は笑いかけたが、すぐに真顔になって考える素振りを見せた。
「それでも、母さんがなんて言うかな・・・」彼は明らかに、こんなことは頼み難いと言っている。
「だめかしら?」断られるのは想定内の事だったが、また振出しに戻ることを考えると気が滅入る一方で、なぜか肩の荷を下ろしたような軽やかさも感じる。
「どうしてもだめ?」
相手に余裕を与えないために後先を考えずに念を押すと、相手は瞬きを忘れたように美佳の顔を見た。
「何か問題が有るんだったら、話を聞いてもいいよ。力にはなれないかもしれないけど」彼にとっては英雄的な態度だったのだろう。顔がうっすら上気している。
「そういう事なら、最初からそういう人間を選ぶはずだ」という言葉が出かかるのを飲み込んで、美佳は言った。
「ええ、有難う。ずいぶん親切なのね」
その言葉を聞いた相手は身を乗り出すようにして言った。
「じゃあ、俺が直接病院の関係者に頼むっていうのはどうだろう」
「病院に知り合いでも居るの?」
「居ないけどさ。何とかなるかもしれない」
こんな風な思考回路はどうして形成されることになったのだろう。何か行動を起こす際の原理に関しては、自分に都合の良いように考えるのと、その反対に分かれるらしい。
「いい、このことは誰にも話さないでよ。別に話してもらってもかまわないんだけど、あくまでも人間としての資質の問題なんだから。言ってみれば君が試されるわけね。分かった」


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