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作品名:家族ゲーム 作者:奥辺利一

第3回   探偵に依頼する。
美佳の中に芽生えた疑いは日に日に膨らんで、初めは心の片隅に兆した不安な思いが、今は頭の中の組織にはっきりと刻まれてしまったような気がしている。
「親の素顔をあぶり出せ」という彼氏の言葉を鵜呑みにしたわけではない。しかし、親がひた隠しにしている事実か想念かは知らないが、それらに依って日常の中に滲み出すよそよそしさという違和感の源に分け入ってみようという思いは、いよいよ動かしがたいものとなった。
「これからどうするの?」探偵は何かに失望して帰りたがっているようだった。
「私の家族の話を聞く勇気が有りますか?」
こんな一言で目の前の中年男を引き留めることが出来るのかは分からなかったし、引き止めたいのかも分からなかったが、自分の悩みを解決してくれそうかどうかを見極めるためには、もう少し会話が必要だった。
「勇気が要るかどうかは分からないが、途中までだったら聞いてやってもかまわないけど・・・、聞いてどうすれば良いんだい?」
「嘘かどうか判断してください」
「それは難しそうだ」
「出来ませんか?」
「うん、ただ事実を把握するだけなら出来ないことはないがね」
「そうですね。話を聞くだけじゃあ、判断が付かないですよね」
「そうだね。人の気持ちを分かるのは難しいね。特に家族の問題は厄介なんだ。家族を完全に切り離してしまうことは難しいからね。それでも、当事者同士は自分たちには関係ないような顔をしているんだ。実際、彼らにとっては些細なことでしかない場合だってあるらしい。おまけに家族の不仲の場合は、血を分けた家族の問題とそうでないものの問題を含んでいるからね。血を分けたものの恩讐はどこか人間味にあふれているけど、他人の場合はもっと冷淡だからね」
 美佳の顔を覗き込む男の目は眩しいものを見るように細かった。
「それから序でに言えば、両親の不仲というのは古典的な課題だからね。そう目新しい問題じゃない。問題は君のような子供に対する影響なんだ」そう言って探偵は、再び美佳の反応を確認するように見た。
「子供の態度としては、両親の問題には他人よりも首を突っ込みたくないと思うか、その逆か、あるいはその両方なのかもしれない。君はどうやら首を突っ込みたい派らしい」
「どうかしら・・・、それより、両親の不和が古典的な問題だというのは本当なの?」
「まあ、夫婦によって程度の差はあるだろうが、そんなものさ」
「何故ですか?」
「なぜって、最も身近な利害関係者だし、生活空間や経費を分担しているし・・・」
「同じ家に住んでいるから?」
「まあ、そういう事もあるしね。顔を突き合わせる機会は多いし、そうでなくても赤の他人よりは気にしがちだからね」
「親しければ親しいほど喧嘩することも多くなるって理屈ね」
「しょっちゅう顔を突き合わせているから仕方が無い」
「仕方が無いで済ませられるんだ」そう言うのが他人に対する精一杯の抵抗だった。
「頼みたいというのは、両親の不和の原因を調べて欲しいということなの? そう言うことだったら、ほとんど無理だよ」
「そうでしょうね」
相手は自分をその気にさせるように話を進めてきたような気がする。美佳が同意らしきものを示したのは、探偵のプロ意識を傷つけたくなかったからだ。
「つまり、仲が悪いのは夫婦の宿命で、そこには誰も介入できないということになるわけですか?」
「まあ、そうだな」と言いながら、美佳の反応を観察してから探偵は続けた。
「それでも、君にすれば、このまま放っては置けないんだろう」
美佳は心の内を見透かされるのを拒むように目を伏せた。
「このまま放って置くに限るんだけれど、そうすれば今の状態は解消されないんだから、君の問題も解決されないまま放置されることになる。それで構わないのかどうかだ」
「構わない」と言うのは簡単だ。それでも、自分だけが我慢を強いられるのは途轍もない不公平に違いない。
「もしかして君は、原因だとされる事由にうすうす気づいているんだ」
「・・・・・・」美佳は、自分の態度が両親のいずれかを傷つけることを恐れて、口を噤んだ。
「ご両親のいずれかが相手を裏切っている」
 こんな言い方があてずっぽうや勘で出来るのだとしたら驚きを禁じ得ないが、目の前の探偵が既に家庭の秘密に通じていると思うのは、もっと恐ろしい事だった。
「それで、どんな風に裏切っていると言うんだい?」
無神経に話を先に進める探偵の顔からは、職業的な好奇心と打算が見て取れる気がした。
「裏切るだなんて・・・」
「じゃあ、相手の期待を踏みにじっていると言い直そう。これでいい?」
「期待を裏切る」という言葉は美佳の中で隠微に響き、騙されてもかまわないという投げやりな感情に翻弄される気がしたが、それは必ずしも不快なものではなかった。
「君には両親の内心の自由を制限したり、秘密を嗅ぎまわったりする権利はないかもしれないが、悩みや不安から救済される権利はある筈だから」
この一言が美佳を大きく動かした。
 美佳は自分の家族の話を他人の家の話のように客観的に語ろうとしたが、話の性格上、彼女の感情によって脚色されるのは仕方がない事だった。
美佳は母親を、血の繋がっていない冷たい人間だと説明した。
「そう思うようになったのは、いつから?」
表情を変えることなく美佳の話を聞いた後で事務的に尋ねる探偵の顔に、深い苦悩を表す暗い影が掛かり始めたことに美佳は気付かなかった。
「さあ、それは分からない。気が付いたらそう思っていたの」
「そう思う前はどうだったの?」
「忘れたけど、普通の家族想いの女性だったと思うわ」
「問題は、なぜそうなったのかということだね。原因に思い当たることはないの?」
「元々、そういう人だったんじゃないかな」
「どうして、そう思うんだい?」
「最初は猫を被っていたのよ」
「何のために?」
そこが知りたいのだという思いが高じて美佳は苛立った。
「最初から父を愛してはいないのよ。でなきゃあ・・・」
「お父さんを裏切ったりしないということなんだ」
「・・・・・・」そうだと口に出すことも汚らわしい気がした。
「それじゃあ、具体的な証拠を握っているなら、話してくれよ」
「それは、無いわ」
「その証拠を押さえたいという事なんだ」
「・・・・・・」
「その後で、どうするの?」
「さあ・・・」
「お母さんを家から追い出したいの?」
「・・・・・・」探偵の非情な問いに美佳は敢えて答えなかった。
「こういう事はさ、その後の対処の仕方も考えてから始めたほうが良いんだぜ」
探偵が諭すように言うと美佳は、「自分が母親に必要以上の悪感情を抱いているだけなんだ」と考えているのではないかと怪しんだ。
 娘は暫らく項垂れるようにしていたが、顔を上げてこう答えた。
「証拠はないけど、家の財産が目当てなのよ。でなけりゃ・・・」心苦しさに美佳は言葉を詰まらせたが、彼女を悩ませていたのは嘘と真実の境界の曖昧さだった。
「でなきゃ、結婚しなかったというわけなんだ」声を潜めて言う探偵の目は、見たくないものを含む一切合切を吸い込む暗く虚ろな室のようだった。
美佳は黙って頷いて見せたが、相手の目を真面に見ることが恐ろしくて出来なかった。


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