血の繋がりのない父親と暮らすことにどうしようもない息苦しさを覚えて、美佳は家を飛び出した。飯岡の事務所に転がり込んでから半月が経過しようとしている。 「そろそろ家に帰ったら」と言う飯岡の視線に動じることのない自分を発見することで気が晴れた。 「まだまだ」と答えると、重大な嘘を吐いている気がして顔が火照った。 「お父さんは無実だったんだよ」 飯岡は勘違いしているから、無実と言うのが喜劇のキーワードのように滑稽に聞こえる。実際、あれは仕組まれた茶番だったのだから。 「と言うか、吉川さんが一番の被害者だったんじゃないか」 「・・・・・・」 被害者の父親が苦しんでいないことを願うよりも、美佳には確信めいたものがあった。苦しまなければならない理由が無い人間が苦しむのは理に適ったことではない。 「軽々しい気持ちで言うんじゃないよ。本当にそう思うんだ」 「頭が上がらないから?」こんな口を利く自分も今は嫌いじゃない気がする。 「頭が上がらないどころか、大恩を感じなければならないからさ」 「そんなこと・・・」父親が誰かに恩を売るために自分を引き取ったのではないと思いたかったが、そう思う自分が怖い気もした。 「そう思うんだったら、もう少し此処に居ても構わないでしょ」これは甘えではない。むしろ脅迫かも知れない。 「どうして?」 「私を養う義務があるから」 飯岡のリアクションが読める気がして軽口をたたく。それが当たったときの嬉しさは格別だった。 「あれから、姉さんには会った?」 「会ってない」 「どんな風に思った? 最初は恨んだだろう」 「良くやるよ、って思った」その点では飯岡も同罪なのだ。 「そう言えば、また会いたくなったら探偵さんに連絡するようにって言ってた」 「会いたいの?」 「さあ、どうだろう」 「姉さんが居るって知ったときは、どんな気分だった?」 こんなことを聞く権利が誰に有ると言うのだろう。 「今でも信じていないから」拒絶するように頭を振る。いきなり信じようとしても無理なのだ。受け入れられるにしても時間がかかるだろう。 飯岡が心配そうに美佳の顔を覗き込むから、「そのうち、また会うつもり」と言わなければならなかった。 「彼女の気持ちも察してやれと言うのは無理だよな」 「無理だね」 「その前に自分の気持ちを察してくれって話だよな」 「気持ち悪い」 「なにが?」 「自分の気持ちを見抜かれたりしたら、究極のプライバシー侵害じゃん」 「そんなことが怖いんだ」 「怖いって言うか・・・」こんな無神経にこそ気を付けるべきなのだ。 「家には帰らない積もりなんだ?」 どうして、こんな無神経なことを聞くのだろう。家族だから許されるのだとしたら、同じ顔をして思いやりを説くのはおこがまし過ぎる。こんな事を思うのも甘えと受け取られるのなら、少しだけ言わせてもらわなければならない。 「困らせようとするものとは戦わなければだめなの」 「皆が困らせようとするわけはないだろう」 「それじゃあ、どうして困ったことが起きるの? 教えて」 美佳は困惑している飯岡に背中を向けて笑い飛ばしたが、思い浮かべていたのは雅之のことだった。この父親との関係も、いずれは切れることになるだろうという予感がして、心が震えた。 「お母さんを恨んではいけないよ。責任は全部俺にあるんだから」 飯岡は何に対して責任を取ろうというのだろう。 「でも、今更責任を果たすとは言えないし」 「そうだね。手遅れだよ」 どうしてこんな残酷なことを平気で言えるのだろう。成長するということは慣れるということ、なにものにも動じない厚顔無恥を身に着けることかもしれない。
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