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作品名:家族ゲーム 作者:奥辺利一

第13回   母親と対決する。
 家の中で向き合うことが何かを棄損する行為のような気がして、美佳は由美子を散歩に連れ出そうとしたが、母親は娘の意図を察知したのか、容易に聞き入れなかった。
「それじゃあ、ベランダに出よう」そこは家の一部ではあっても、特別に開かれた場所のような気がする。
いつになく強引な娘の行動に危惧を抱きながら、由美子は不承不承、娘の我儘に付き合うことにした。
取り敢えず母親を外に連れ出すことに成功した美佳は、喉の渇きに苦しみながら改めて辺りの景色を確認するように眺めた。
夕暮れのビル群のシルエットに遮られて、ベランダに出てもさほど視界は広がらないが、真下を見下ろすと足が竦む。
「そこからダイブしてみろ」という誘惑に耐えていると、気を失いそうになる。
「何か隠してない?」どうしてこんな目に遭うことになってしまったのだろう。情けなさに泣きそうだった。
「隠し事だったら、色々あるわよ」これが洗練されたユーモアだとしても、今は楽しむ気がしないどころか、憎らしいと思うばかりだ。
「ふざけないで」
「どうしたの? おかしいわ」
由美子の顔に不吉な影が忍び寄るのを気の毒に思いながら美佳は、今の自分は普通じゃないと思う。でも、そうしたのは自分のせいではないのだ、という恨み言が体を熱くさせる。
「お母さんとあの人はどういう関係なの?」体が崩れ落ちてしまいそうになるのを必死に堪えた。
「あの人って?」母親の顔が恐怖に引きつっている。
「昼間、喫茶店で会っていた男の人」由美子は絶句した。色白の顔が蒼白になって行く。
「ああ、あの人だったら、ちょっとした知り合いなのよ」
「それはそうでしょう。喫茶店で親しそうに話をするんだから」
「・・・・・・」
「やましい事はないのね」
「やましいだなんて、何を言うの」
「あの事って、何のこと?」
「・・・・・・」
母親の弱さに付け込むようなことは忌避したいと思ってきた筈なのに、今はそれさえ捨てようとしている自分が恐ろしかった。
「西田ひかるって人、知ってる?」
「知ってるわよ」母はかろうじて平静を保っているように見える。
「私に会いたいって言うから、会ったの」
「そう」消え入りそうに項垂れる由美子が空中に身を投げる光景が目の前にちらついたから、美佳は咄嗟に彼女の腕をつかんだ。
「痛い」声を上げて体を捩る由美子の目に涙が滲んでいる。
「もう、知っているんでしょ」由美子の声が罪を告白するように震えている。
「何を?」涙ながらに訴える母親の心情を思いやる気持ちを振り払うように聞き返す。
「あなたの生い立ちのこと」
 己の体から魂が抜けてしまうような、自分の幼児期に有り得ない秘密が隠されたことをまざまざと確認する瞬間だった。
「そんなの、知らないわ」誰かが真面に向き合って話して聞かせようとしたことは一度もなかったのだ。
「私たちは一生懸命にやって来たの、それだけは信じて」
「違うわ。騙してきたのよ。二人して」
相手のリアクションから、自分が鬼神のように血も涙もないものに憑りつかれたのを悟らなければならないほど辛いものはない。しかも相手は母親であった。
「いつまで隠しておくつもりだったの?」詰ろうというのではない。純粋な関心から聞いたのだという思いに縋りつきたいのだ。
「いつまでも隠しておくつもりだったわ。それは、お父さんも同じ気持ちだから」
謝罪や贖罪を要求する前に、父親と母親のイメージの上で冷血という言葉が醜く踊った。
「私はどうすれば良いの」こんなに的外れで切実な問いかけはないだろう。
「このままでいいのよ」母親は、このまま家族として暮らせばいいと言っている。
「そんな事を言ったって、お父さんが・・・」
父親と不実とを結びつけられないという障害は、自傷行為の痕跡のように心の片隅に残りそうだった。
「あなたにお父さんの気持ちが分かる?」
「そんなもの、分かるはずがないわ」惨めさが体中を駆け巡る。
「それでいいのよ」
「どこがいいの?」
「分からないから、分かってあげたいと思うんじゃないの」
「違うわ。分からないのが不安だからよ」
 自分の惨めさで相手の悲しみを測ることが可能になるには、どうすれば良いのだろう。


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