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作品名:家族ゲーム 作者:奥辺利一

第1回   ゲーセンで探偵に出会う。
 真夜中のゲームセンターは、天井に埋め込まれたスピーカーから叩きつけるダンスミュージックと異星人の鼻歌のような効果音を消し去ってしまえば、眩し過ぎる彫刻がぎっしり詰まった未来の美術館のようだ。おまけに、アクアリュームの中を泳ぎまわる魚の群を思わせる人々の装いは奇抜でも、その動きは水槽に住み慣れた魚のように緩慢で、時おり、見知らぬ森に迷い込んだ子鹿のように、通路を横切って行く娘の姿が、ゲームに倦んだ一部の顧客の注意を引いた。
娘はゲームに興じるわけでもなく、ただ歩き回っていた。彼女の目が向けられているのは巨大な銀紙細工のように見えるミラーボールが吊り下げられた天井でも、ピンク色をしたビニールクロスが貼られた壁でも、七色の雷のような光を発するガラス箱を戴いたゲーム機でもなかった。彼女はガラスケースに群がる人々の姿に目を凝らして、彼女の悩みを聞き、的確な対処法を提示し、あまつさえ実行してくれそうな人物を探していたのだ。
彼女のめがねに適う人物はなかなか現れなかった。
母親の体内に育まれる胎児のように、自分が理想とする人物に出会うことはできないのだ。若しくは探し回る場所が間違っているのかもしれない、という反省が生まれようとしていたとき、中年の男が声を掛けてきた。
「君、この辺じゃ見慣れない顔だね」
ゲームセンターにも常連客が居るのかと思ったのは、しばらく経ってからだった。初めて足を踏み入れた場所で掛けられる言葉としては、何の変哲もない言葉だというのが第一の感想である。見慣れない顔だからと声を掛けるのがナンパの常套手段なのだと聞かされてはいたが、実際そんな目に会うのは初めてのことだった。
 美佳は黙って男の顔を観察した。顔の輪郭は角張っていて、皮膚は弛むほどではないが、盛り上がった頬がほうれい線を際立たせている。目は一重で細く、鼻は少し上向き加減で、二つの痩せた黒豆のような鼻腔が見えていた。
唇は薄く小さい。このような形の唇は内向的で非情な性格に多いというのを雑誌で読んだのを思い出すと、この男が探していた人物なのだとしたら、人生は考えるよりずっと簡単なのかもしれないという考えが脳裏を過ぎった。
「ひとり?」男は続けざまに尋ねた。
どう答えるべきか判断が付かないまま曖昧に頷くと、ゲームセンターに向かう前に心に決めた、自分の秘密を容易に相手に悟られてはならないという思いが体の自由を奪った。
「ひとりだったら、どうなの?」
それが適切なリアクションなのか考える間もなく、恐々答えると、男の顔が皮肉な笑いを浮かべるように動いた。
「遊び相手を探しているんじゃないの?」
「そんなの、別に困ってないし」
「でも、今は一人なんだ。一人じゃつまらないだろう」
 確かにそうかもしれないが、一人のほうがましな相手だって掃いて捨てるほど居るに違いない。それにしても、決して若そうには見えない白髪交じりの男が、何の気もなく話し掛けてくることなど有り得ないと考えるべきであった。
取り敢えず困ったときには、こんな誘いに乗ってみるのも必要なのだろう。自分が探しているのは人が良さそうな人間でなければならないのだが、人が良いとか悪いとかを見分けるのは魚の鮮度を見分けるのとは訳が違うのだ。とにかく話を聞くほかはない。
「ここへは、よく来るんですか?」
「いや、今日がはじめて」
 このとき美佳は、男が自分に見慣れない顔だと言った矛盾に気づかなかった。相手が探そうとしているキャラクターかどうかを見極めるのが先決問題であった。
「どんな仕事をしているんですか?」いきなりこんなことを聞くのは適当ではないかもしれないが、他に何を聞いたら良いのか、思いつかなかった。
「ああ、食うための仕事なら、誰でもしなければならないのが普通だからな」
男がどういう積もりでこんなことを言うのか気になったが、常識的な人間ならこう言ってお茶を濁すのが当然なのだ、という思いつきがそれを打ち消した。
「どんな仕事?」相手を試すためなら、無遠慮に繰り返して訊くことが許される気がした。
「聞いてどうする?」
「・・・・・・」こんな風に切り返されることを予期していなかった自分が恨めしい。
美佳が恥ずかしさを含んだ困惑した顔を見せると、男はそれまでの見下すような態度を改めるように、こう答えた。
「調査員とでも言うのかな・・・」
「調査員・・・」初めて聞く職業に、娘は具体的なイメージを描くことができなかった。
「何かの研究なの?」
「そんなきれいな仕事じゃない」男は、自らを嘲るような笑いを浮かべると、屈辱的な秘密を告白しなければならないときのように目を逸らした。
「人に頼まれて、いろいろ調べるのさ」
 美佳はこの男が探偵だと直感した。見るからに平凡な顔をした男が、他人の秘密を暴くような仕事に従事しているというのは、意外であった。人生は意外性の連続なのだ。自分が深夜にこんな所をうろついているのだって、考えてみれば普通ではない。
改めて男の顔を見ると、自分の望みを叶えてくれるかもしれないという微かな希望が顔を覗かせるような気がしたが、この男がどんな仕事でも引き受けるのかどうかは分からない。問題は、自分の依頼を黙って引き受けてくれるかどうかという点なのだが、美佳にはひとつの確信があった。それは、誰だって欲望には弱いというものだ。たとえ望みは叶わなくとも、それを確かめる機会にはなりそうな気がした。
その他に美佳の関心を占めていたのは、誰も自分の頼みを断ることはできないのだという、小さい頃からの習慣によって培われた思い込みが、今でもどこかで通用するかもしれないというものであった。
「あなたは、信用しても大丈夫な人ですか?」美佳がそう尋ねると、「信用しても良いかなんて訊かれたのは初めてだ」と言って、男は豚のように鼻を膨らませて笑い出した。
 美佳も釣られて苦笑したが、内心はプライドが地に墜ちて行く過程を目撃しているような腹立たしい気分であった。
「信用するって、何のために? 何か打ち明けたいことでもあると言うのかい」
「仕事を頼むかもしれないのよ」美佳は苛々しながら言った。
「しごと? 君が俺に?」
「そうよ。おかしい?」
「おかしくはないが、仕事には報酬が付き物なんだぜ」
「ええ、分かっているわ。でもその話は後にしない」
「それは、かまわないよ。報酬が発生するのは仕事の内容にも依るし、第一、引き受けられるものかどうか分からないんだから」分かり切ったことをくどくど説明されると、入学式の後の退屈なオリエンテーションのことが思い出された。
「まず、私の話を聞いて欲しいの」この一言を言うために只管費やされた無意味な時間の累積が美佳の脳裏を過ぎると、涙腺が緩んでしまいそうになった。
「断っておくけど、他人の家族の話ほど退屈なものはないんだよ」
男の口から発せられたのは、美佳を試すような言葉だった。人を試してはならないというようなことが聖書の何処かに書いてあった筈だという思いがすると、ぶつけようのない憎悪が呼び覚まされる気がした。
「どうして?」
「それは大概、語り手によって歪められたものだからさ」
「・・・・・・」みすぼらしい中年男の言葉を断じて受け入れるわけにはいかないという強烈な自負に、美佳の体は震えた。
「その次に困るのは、自分の未来を変えることが出来ないか、という相談を持ち掛けられることだ」
「そんなこと・・・」
「自分の未来に並々ならぬ関心を寄せる可哀想な人間の手相を観て、占い師はこう言うんだ。この手相は実に珍しい、百人に一人の手相だってね。占いが統計学に基づく学問の一種だとするなら、おそらく彼の言うことは正しいのだろう。だから人々は、占い師の話と自分の手相とを見比べて一喜一憂するのかもしれない。しかし、占い師は、一つの手相の類型を提示して、この手相の持ち主が最大級の幸運を掴むだろうとは言えないんだ。百人に一人が宝くじに当たるようなビッグチャンスをつかめるようなら、地球上には幸運な人間が溢れることになるし、そうなれば宝くじの有難味は半減する。するどころか、くじが成立しないということさえ明白だ」
 思いがけない話に美佳が呆気に取られていると、何処を見ているのか分からないように空中に向けられた男の顔は、我を忘れて物事に没頭している、水墨画の背景に描かれた人物のように見えた。
 美佳は再びオリエンテーションの記憶がもたらす不快感に囚われそうになった。
「そんなの当たり前よ。誰でもそう思っているんでしょ。でも、だから信じたいのよ。ひょっとして当たるかもしれないと思うから」
「どうして当たるかもしれないって思うんだい?」
「さあ・・・、思いたいからよ。そうでしょ。簡単なこと。そう思いたいのよ」
「だから、何でそう思いたいんだ?」
「そうならないと思うのが悲しすぎるからだわ、たぶん」
「それは違う」
「どう違うの?」
「自分のこれまでの生き方を帳消しにしたいからなんだ。連中はいつでも自分の人生をリセットしたいと思うのさ。何か特別なことが起これば自分の生き方は変わるって、自分は変わることが出来るってね。本当にそうだろうか」
「リセットなんて、まるでゲームと同じなのね」
「まあ、そんなものかな」
「でも、人生をリセットなんかできないわ」
「そう、人生は一度きりのチャンスを与えられたゲームだからね。だから未来に関する予想は明るいほうがいい。これ以上辛くてはかなわないからね」


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