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作品名:考えるヒント 作者:奥辺利一

最終回   1
 小林秀雄氏の「考えるヒント(文春文庫)」を読んで考えた。その中に「プラトンの『国家』」という題名のエッセイが収められていて、氏は国家と政治について考察している。文章の冒頭で、「プラトンの国家」に記されたソクラテスの話を引用しているが、そのあらましは、一度死んだ人間はそれぞれ天国と地獄に送られて過ごした後で、再生のために一か所に集められて、新たな運命の選択を迫られるという話だ。そこでめいめいが新たな運命を選択し、必然と書かれた椅子に乗って忘却の川を渡っていくというものだが、様々な魂が集まって次の人生を選択する場面を指して、魂の混合が行われると書いている。これをプラトンが考えたのか、小林氏が考えたのかは分からないが、魂の混合という記述が私の気を引いた。
 この時に浮かんだのはビッグデータについてである。魂の混合とはどういうことだろう? 考えてもよく分からなかった。丸い球が出る抽選機のように、その中にたくさんの魂が収まっていて、ガラガラポンと新しい運命が割り当てられるということなのかしらとも思った。魂の混合が、様々な人々の人生や思想や感情が入り混じった後で、人々は新たな運命を選択した人間として生を与えられて生まれ変わるということなら、ビッグデータと抽選機に他ならぬ共通点があるような気がした。ビッグデータの解析によって、人々の人生が運命づけられるというのだ。
 死者は魂の善悪によって天国と地獄に振り分けられるという。これを取り仕切るのが日本では閻魔大王ということになるのだろうが、我々は生前にも閻魔大王ならぬビッグデータの解析に依って、行く末の振り分けを行われているのかもしれない。そう疑ってみるのも無駄なことではないかもしれない。
 ビッグデータについては、実は詳しい知識を持っているわけではないが、人々の行動記録や購買の記録を情報として蓄積し、これを解析して様々な場面での意思決定や計画立案に用いることが出来るらしい。そうなると、これが発展すれば、活動や購買のトレンドのほかに趣味嗜好やインターネット上に溢れる情報などが加えられて、現代社会の重層的な秘密が明らかにされ、そこに生きる人々の素顔まであぶりだすことが可能になるだろう。やがてそれは、広範囲に流布されて利用されることによって、人々の行動を規定するばかりか、その集合体である社会までも規制を受けることになるかもしれない。やがてそれが、宗教や道徳律に取って代わる規範としての存在を高めることになるかもしれない。
 その先駆けと言えるかどうか、ツイッター上での書き込みが現政権が国会に提出した法案の採決をあきらめさせるという前代未聞の珍事が発生した。デジタルネットワークは日々進化を続け、今では重要なコミュニケーションツールとしての位置を占めている。そこでは老若男女を問わず自由な意見の表明を可能にする。ところが、自由であるべき意見の表明にケチをつけ、非難する輩がすぐに登場するのがネットの常らしい。このような悪人の存在は、ビッグデータが、悪人によって社会をコントロールするために悪用されるのではないかという危惧を抱かせる。

 今日、人々の幸福の道しるべの役割を果たしてきた宗教や道徳の衰退は明らかだ。幸福な時代に生きる市民の大半が来世の幸福を説く宗教と疎遠になるのは仕方がない。しかし、これまでの幸福な時代がこれからも続くという保証はない。疫病の蔓延によって政府が非常事態を宣言する事態が、これから頻発しないとも限らない。このような時代に人々は何を信じて生きればいいのだろう。その選択肢は様々あるだろうが、その中に政府というものが入ってくる場合もあるだろう。むしろ近代社会における政府が果たすべき役割は高まっているということが出来るだろうから、これからは、政府の、政治家の責任がより厳しく問われることになるだろう。
 
 最近は、コマーシャリズムという言葉を聞かなくなった。この言葉が生き残っていて、まだ使われているかどうかは分からないが、商業的に有益かどうかによって我々の社会活動が左右されるという実態は存在するのだろう。コマーシャリズムという言葉が目新しくなく感じるのも、経済的な価値を生み出すか、生み出さないかによって評価される社会が定着してしまったからかもしれない。経済的な豊かさを追い求めることは悪い事ではないが、問題はそのことによってなおざりにされるものの存在である。華やかなテレビコマーシャルの背後からヒトラーの演説に似た音声が聞こえる気がするのは考え過ぎだろうか。

 小林氏は文章の最後をこう締めくくっている。「巨獣(社会)にはひとかけらの精神もないという明察だけが有効な飼い方を教える」。せっかちに考えれば、社会からの押し付けや誘導はろくなものではない。そのような社会を構成する個人や利益集団の調整を図るのが政治の仕事だから、国民の声を無視して、自分たちの考えを只押し付けるだけの政治家や知識人については、一応警戒しておいた方が良いかもしれない。
 それにしても、この国の比例代表という選挙制度はどうかしている。彼らは選挙で直接選ばれるのではなく、政党の有力者の計らいで選挙候補者名簿に載ることで当選してくる。このような政治家が国民に顔を向けるのではなく、名簿への記載を左右する者に尻尾を振り続けるのは、当然と言えば当然なのだ。


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