20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:明日もなた朝日は昇る 作者:奥辺利一

最終回   1

*題 名 明日もまた朝日は昇る


*登場人物

渡辺誠  (津波で被災した三陸地方の港町の若者)
小斎学  (渡辺誠の中学時代の同級生)
佐々木敏郎( 同 右 )
田中弘道 ( 同 右 )
瀬野尾鮎美( 同 右 )
三浦憲次 (町内の花卉農家)
三浦さき子(憲次の妻)
町役場職員
町役場課長補佐
さすらう男

*本編

(未曾有の災害に見舞われてから一年後、被災した港町の荒涼とした景色の中を二人の若者がそぞろ歩いている)
小斎「まるで別世界だな」
渡辺「ああ、そうだな」
小斎「何もかも流されてしまった。お前の家も俺の家も」
渡辺「あっという間の出来事だった。夢でも見てるようだった」
小斎「これは何かの報いなんだべが?」
渡辺「むくい・・・?」
小斎「ああ、何かが足りなかったことを教えてくれるような」
渡辺「何かが足りないって、何が?」
小斎「それは分がんね。分がんねが、そうではないって言えっぺか?」
渡辺「俺たちを含めてあの人たちがなんか悪いことしたっけ?」
小斎「したつもりはねえ。でもそれは気づかねがっただけがもしんね。少なくとも、過去の教訓を生かせねがったというのはあっかも」
渡辺「だからって誰も責められねえさ」
小斎「そうだな。いまさら責めてもはじまらね」
渡辺「それにしてもひどいもんだ」
小斎「ついこの間までここいら中瓦礫の山だったけど、今はすっかり片付けられてしまって、何もかもなぐなってしまった」
渡辺「前は少し歩いてみただけでも、漁船や車や家財道具やランドセルとか写真とか、人が住んでいた痕跡がいくらでも見られたもんだ」
小斎「今でも何か探したいような気がすんのはなんでだべ」
渡辺「ああ、確かにそんな気がする。んでもこれでは何が見つかるっていうんだろう」
(そのとき二人は、耳元をかすめて吹く潮風の音がにわかに高まるような気がした)
小斎「中学校さ行ってみっか? 校舎だけは何とか残ったらしい」
渡辺「わざわざ行かなくても、こっからだって見える」
小斎「ああ、そうだな。この辺一帯で残ったのは建物の土台だけだがんな」
渡辺「それにしても、まるでゴーストタウンだな。人っ子一人どころか、猫の仔一匹見かけなぐなってしまった」
小斎「これがらどうなんだべ」
渡辺「どうにもならねえ」
小斎「本当にそう思うのが?」
渡辺「ここにそう思わせない何かがあるっていうわげ?」

(突然に二人の背後から怒鳴り声が聞こえてきた)
さすらう男「かえせ」
(二人は慌てて振り返った)
小斎「うわ」
渡辺「なんだ」
さすらう男「なにやってる、早ぐ返せ。いづまでもぐずぐずしてねえで、早ぐ返せってば」
小斎「おい、誰なんだ。何を返せって言うんだ?」
(小斎は渡辺の耳元で声を潜めた)
渡辺「さあ・・・? 何かをなぐしたんだべが?」
さすらう男「おめだずもそう思うべ。あいづらが勝手にさらっていったんだもの」
小斎「さらっていっただって、穏やかでねえな」
渡辺「もしかして、犠牲になった人たちのことかも」
小斎「ああ、なるほど。いや、それにしたって、俺らさ返せって言うのはおがしいべ」
さすらう男「なぬごちゃごちゃ言ってんだ?」
渡辺「返せって、何を返してもらいたいんですか?」
さすらう男「だからさ、わがんねえやづらだな。ここさ居だ子供たつのことだ」
渡辺「そう言えば、ここは保育園の跡地だったんだ」
小斎「それにしたって、俺らに返せって、少しおがしいんでねえが」
渡辺「おがしくたって、なんかしなくてねえな」
小斎「かかわらねえほういいって」
(小斎の静止も聞かずに渡辺は声を張り上げた)
渡辺「子供たちならそのうち帰ってきますよ」
さすらう男「そのうづって、いづ?」
渡辺「ですからそれは、もう少し待つとですね・・・」
さすらう男「やっぱりおまえだづがさらったのが?」
渡辺「いや、そうではないですが、もう少しして落ち着いて、町が復興すればですね・・・」
さすらう男「復興っていつさせんの?」
渡辺「ですからそれは、今、町役場とか多くの人が取り組んでいるところですから・・・」
さすらう男「おめだづではねえの」
渡辺「まあそうですね、それはちょっと・・・」
さすらう男「ずいぶん無責任でねえの。今復興させるって言ったばがりなのぬ」
渡辺「いや、そうではなくてですね」
小斎「おい、無駄だって」
さすらう男「何が無駄なんだ。復興すんのが無駄だって言うのが?」
渡辺「あっ、そういうわけでは・・・、復興は絶対させなくてはならねえし」
さすらう男「おめだづもおんなずだな」
小斎「なにが?」
さすらう男「口を開げば復興だの絆だのって言うだげで何もすねんだべ」
(男はぶつぶつ言いながらきびすを返して歩き去る。その後姿を二人は呆然と見送っていた)
小斎「まいったな。ほんとにおがしいよ、あのおやず」
渡辺「まあそう言うなよ。あの人だって被害者なんだ」
小斎「それにしたって、おがしくて話になんねって」
渡辺「そうがなあ。そんなにおがしいごどなんだべが」
小斎「そりゃあおがしいべ」
渡辺「保育所の子供を返せっていうのがそんなにおがしいこどがな」
小斎「今は非常事態なんだ。子供を持つ人たちもみな家をなぐしてしまったんだもの。それから保育所の建物自体消えてしまったし、職員の人たちもどっかで避難生活を送っているはずなんだ。保育所の再開なんかいづになっかわがんね」
(そのとき渡辺の脳裏にひとつの思いが閃光のように閃いた)
渡辺「そうだ。そうなんだ。子供を取り返すべ」
小斎「なんだ?」
渡辺「子供を取り返すんだよ」
小斎「どうやって? いなぐなってしまったものを取り返すなんて出来っかよ」
渡辺「だからさ、子供だづの元気な声や元気に遊ぶ姿を取り戻すようにすっぺ。それが皆が望む復興の目指すものなんだ」
小斎「それはそうかもしれねが、今は無理だべ」
渡辺「今は無理だって、いづになったら無理でなぐなんの?」
小斎「そんなのわがんね。あれがらずいぶんたづのにこのありさまだ。元に戻んのに何年かがっかわがんね。それどごろが・・・」
渡辺「元通りになんねど思うのが?」
小斎「いや、そうは思わね。でも何年先になんだべ」
渡辺「だがらさ、誰か任せでただ待っているだげではなくて、一日でも早く元の賑やかさを取り戻すために出来ることがあっかもしんねな」
小斎「そんなの無理だ」
渡辺「なんで」
小斎「だって、俺たちに何がある? 何もない。金も人脈もノウハウも・・・」
渡辺「だから諦めてしまうのか? 諦めるしかねえの?」
(小斎は唇を噛みしめるようにして考え込んだ。やがて無力感に襲われた心に小さな明かりがともるのを感じると元気がよみがえった)
小斎「わがった。とりあえずやってみっか。でも二人ではどう考えても無理だ。まずは人あづめだ。手分けして心当たりに片っ端から声かけでみっぺ」

(それから数週間後、呼びかけに賛同して集まって来たのは渡辺と小斎の二人のほかは同級生の佐々木と女子の瀬野尾だけだった)
佐々木「これだけ?」
小斎「まあな」
瀬野尾「何人に声かけしたの?」
小斎「俺は五人。誠は?」
渡辺「そうだな・・・、二人ぐらいか」
(気まずそうに答えながら渡辺は、真っ先に呼びかけようと連絡を取った、遠くに避難している同級生との会話を思い出していた)
渡辺「もしもし」
田中「はい、田中です」
渡辺「弘道、元気か?」
田中「はあ、だれ?」
渡辺「俺だよ俺、渡辺」
田中「誠か、どうした、なにかあったのか?」
渡辺「何もねえよ。あんなことがあったばかりだもの、続けて変なことがあってはたまらねえよ」
田中「・・・・・・」
渡辺「そっちはどうだ?」
田中「どうって別に変わりはねえさ」
渡辺「そっちの暮らしには慣れたか?」
田中「暮らしねえ・・・、暮らしってどういう状態のことをいうんだろう」
(電話の向こうから自嘲的な笑いを漏らす気配が伝わってくる)
渡辺「今何してんの? 仕事は見つかった?」
田中「いや、まだだ。そっちは?」
渡辺「うん、まあいろいろ・・・、ところであれからこっちに帰ってみたりした?」
田中「いや」
渡辺「帰ってみたいと思うことはあるだろう?」
田中「まあ、どうだろう・・・、あまり考えたことがないから」
渡辺「そうか、そうだろうな。分かるような気がするよ」
田中「そうなんだ。じゃあまた。元気で」
渡辺「おいっ、ちょっと待ってくれ。何か忙しい用でもあんの?」
田中「それは、別に・・・」
渡辺「だったら、もう少し話を聞いてくれねが」
田中「ああ、それはかまわないよ」
渡辺「ところで、時間ができたらこっちに帰ってきてみる気はねえ?」
(一瞬の沈黙の後で聞こえてきた田中の声は暗く沈んだものだった)
田中「なんで?」
渡辺「みんなで町の復興について話し合ってんだ。田中もその気はあるべ」
田中「なんの話?」
渡辺「町の再生についてさ」
田中「何か具体的に進んでいることはあんの?」
渡辺「いや、だからそれはこれからみんなで話し合って・・・」
田中「これからなんだ。がんばれよな。応援してっから」
渡辺「そうじゃなくて、おまえも話し合いに加われねえかと思ってさ」
田中「おれが?」
渡辺「そう。おまえに入ってもらえばいろいろなアイデアが出そうだから」
田中「俺のアイデアなんか、たいしたものではねえさ」
渡辺「そんなことはね。そんな風に思うことはねえ」
田中「別に意識してそう思ってるわけではねえさ」
渡辺「それはそうだ。しかしあのときのショックは大きかったけども、そろそろ新しく始める時期でねえべが。おまえがどう思っているがしらねえが、このままでは故郷がなくなってしまうんだ」
(渡辺は田中に考える余裕を与えようと待つ積もりだったが、返事はすぐに返ってきた)
田中「まあそうかもしれないが、自然の力には逆らえねえよ」
渡辺「仕方ねえなんて言うなよ。そんなことねえってば。災害を食い止めることができなかったのは、ある意味で仕方ねえことだったかもしれね。でも、いつまでも自然の力の前に膝をついたままでいるわけにはいかねえのさ」
田中「だからって、何かがおれたちの思うように進むかどうかと聞かれれば、そうだとは言えねえんだ」
渡辺「おまえ、ちいせえどき何して遊んだ」
田中「そんなの忘れたよ」
渡辺「寂しくねえが?」
田中「さびしい・・・?」
渡辺「うん」
田中「寂しいのは寂しいさ」
渡辺「だったらさ、故郷を取り戻してえとは思わねが?」
田中「それは思わね」
渡辺「なんで」
田中「故郷はいつまでも心の中にある。今はそれが故郷なんだ」
(渡辺の心に小さかった頃いっしょに遊んだ田中の姿が浮かんだ)
渡辺「昔はあんなに楽しがった。その場所を再生させたいとは思わねのが?」
田中「それは思い出にすがっているということではないのか。いつまでも昔の思い出にすがって生きるわけにはいかね。故郷は自分を育んでくれたのだから感謝はしてる。でも今はそれどころではねえ。まずは一人一人が前に向かって生きることを考えなければならねんだ」
渡辺「それはそうだ。これからは一人一人自分の足で歩いて行かなくてはならね。誰も助けてはくれねえかもしれね。だからこそ俺たちが助け合わねければどうすんだ。一人ではなかなか難しいことも力を合わせればできる。そうは思わねが?」
田中「ああ、そういう話はさんざん聞かされた。だけども身に染みてそう思うという気持ちだけで復興ができんのが?」
渡辺「・・・・・・」
田中「そんなのはできるはずがねえ。まず、瓦礫の処理だって、集団移転だって金がなければどうしようもない。その金を誰が出してくれるんだ?」
渡辺「・・・・・・」
田中「それはこの国に住むすべての人が出してくれるんだ」
渡辺「だから?」
田中「俺はもう良いと思うんだ」
渡辺「なにが?」
田中「これ以上迷惑はかけられねえよ。そうは思わねが?」
渡辺「何でそんなこと・・・」
田中「あれは自然災害だったんだ。誰が悪いわけでもねえ。津波で町はきれいさっぱり流されてしまった。そんな町に住みついて町を作り上げたのは俺たちの祖先だけど、誰に頼まれたわけでもねえ。そこが住みやすいという理由だけで自然に人が集まって町ができた。ただそれだけのことなんだ。その人たちはもう居ない。俺たちの記憶の中に残っているだけだ。いや記憶にさえ残ってねえ。俺たちが覚えてんのは、そこで楽しい子供の頃を過ごしたということだけだ」
渡辺「いったいなにが言いてえんだ? 俺たちが幸せに暮らしてきた町を復興させんのがだめだって言うのか?」
田中「そうではね。人の思いはさまざまだ。そこで暮らしを立て直すことが必要だと思う人もいるだろうし、そうは思わない人もいるだろう。それだけのことだ」
渡辺「おまえはどうなんだ?」
田中「今は何も考えられね」
(答える田中の声は次第に遠のいてゆくようだった)
渡辺「いつかは考えられるようになるんだべが?}
田中「それはわがんね」
渡辺「ひょっとして、明日どうしなければならないのかも分らないのでねが?」
田中「そんなことは・・・」
渡辺「だからさ。いっしょに考えてみっぺ」
田中「考えれば何かみつかるって言うつもりか?」
渡辺「それはどうだべ。みつかっかどうかはわがんね。でも一人で考えるよりはましだべ」
田中「誠が言いたいことは分かるし、その気持ちも分かるつもりだ。だから応援はする」
渡辺「何も難しく考えることはねえって。気楽に考えて言いたいことを言えばいいんだ。そういうことで始めるつもりなんだから」
田中「話は分かった。これまでいろいろ聞かされた中でも一番よく分かった。でも俺には何もできない気がする。それだけのことだなんだ」

佐々木「誠、誠、何考えてんの?」
(話の途中で黙り込んでしまった渡辺を不審に思った佐々木が声をかけた)
渡辺「あっ、いや、なにも・・・」
佐々木「なんだよ、しっかりしてくれよ。ほとんど声かけしてねえんでねが。それじゃあだめだわ」
小斎「だめじゃねえって。物事の始めはいつもこんなもんだ。四人ぐらいがちょうどいいんだ。俺たちが活動しているうちに同志がどんどん増えていくって寸法さ」
瀬野尾「そんな風にうまくいくかしら。これではちょっと寂しいわね」
(四人はうつむき加減に互いの顔を見合わせた)
小斎「まあ先に進めようや」
瀬野尾「そうね。せっかくだからそうしましょ」
小斎「じゃあ、言い出しっぺの誠からこの会の目的とかについて話してもらうがら」
渡辺「うん、わかった。こうして集まってもらったのは、自分たちの町を取り戻すために自分たちにも何かできるだろうし、しなくてはならないと思ったからだ」
佐々木「何ができるか検討しようというわけだ。自由な発想で新しい町づくりの計画について話合うんだ」
渡辺「検討も大事だが、問題は実際にどう行動するかということだと思う。町の計画はすでに作られつつあるんだろうから、それにどうリンクするかというのも考える必要があるだろう」
瀬野尾「自分たちに何ができるか考えるわけね」
佐々木「そんなのわざわざ話し合う必要があんの」
小斎「なんで?」
佐々木「何かしたいというならボランティア活動センターに行けばいいんでねえの」
小斎「もちろんボランティアは今でも必要だ。瓦礫の撤去は進んだけど、農地だって浜辺だって細かいごみは完全に処理しきれていないようだ。だからその処理の作業に協力するのは大事だとは思うが、それで復興が進むと思っていいんだべが?」
渡辺「まあそうだろうな。汚染された土地を浄化して元のようにする必要はあるが、それは復興のための必要条件のひとつに過ぎないんだろう」
佐々木「じゃあ十分条件つうやつは何なの?」
渡辺「十分条件というよりは、俺たちが早くこうしたい、こうなればいいと思う方向に向かってやらなければならないことは何かをはっきりさせる必要があると思うんだ」
瀬野尾「だから、それは何だと思うわけ?」
渡辺「この町にどうすれば昔の賑わいを取り戻すことができるかを考えたいんだ。具体的には元気な子供たちの姿を昔どおり、いやそれ以上に呼び戻したい」
佐々木「いきなり子供を呼び戻すってのは無理だわ。まず人を戻すべ。俺たちのような若い連中を。そうすれば、いずれは子供を持つ世帯も戻ってくんでねえの」
小斎「そうなんだ。そのために必要なのはなんだべ? これからもこごさ住み続けるために必要なのはなんだべ」
瀬野尾「それはいろいろありすぎて困る」
佐々木「だがらって、すべてを試すわげにはいがねど」
渡辺「たとえば?」
瀬野尾「住むところ、働く場所、学校、保育所、病院、買い物ができる店・・・」
佐々木「なんだ、全部でねが」
小斎「そんなの無理だ」
渡辺「もちろん俺たちだけでは無理だ」
佐々木「そんなら何で集まったんだよ」
小斎「まあ慌てんなって。その中で俺たちにできることを探そうってわけだ」
渡辺「われわれのような若い連中を呼び戻すのに一番に必要なのはなんだろう」
佐々木「それは決まってっぺ。まず必要なのは安定した収入を確保できることでねが」
瀬野尾「まあそうね」
渡辺「そこで、皆で雇用を作り出すようなことをしたらどうだろう」
佐々木「今でも仕事がないわけではねえべ」
渡辺「確かに求人はある。でもそれは道路の復旧などの土木関係で、工事が終わればなぐなってしまう。そういうのでなくて、いつまでも続けられる仕事がはじめられねかと思うんだ」
佐々木「ベンチャービジネスでもはじめようっていうの?」
渡辺「ここは港町だから漁師の人たちは養殖や漁業を復活させようと必死で頑張っているのが現状だ。その手伝いぐらいはできるかもしれないけど、新しい発想で起業するというのは漁業の知識がねえと難しいと思うんだ」
小斎「そのとおりだ。プロの漁師が苦しんでいるのに、素人の俺たちが簡単にできるとは考えられねえな。そこで相談になるわけさ。どうだべ、佐々木には何か考えがあんでねが?」
佐々木「急に言われても困っけど、今すぐにできて、これから先きも続けられるのっていえば、花作りはどうだべ」
渡辺「花ねえ・・・」
佐々木「だめが?」
渡辺「いろいろ設備も必要になるだろうし、その資金のことも手当てしなければなんねし・・・」
佐々木「仕事をはじめるっていうのはそういうことだべ。先立つものがなければ何もできないのさ」
瀬野尾「誰かが貸してくれるといいのにね」
渡辺「うん、その手があった」
小斎「なんだ?」
渡辺「計画に賛同する人々に呼びかけて出資を募るのさ」
瀬野尾「ええっ、そんなことができるの?」
小斎「まあ、できるかもしれねえが、よっぽど実現可能な計画でないと見向きもされねえな」
渡辺「そうだな、勝手な理想をいえば、町内の産業の復活を後押しできるような内容の事業がいいな。たとえば町内の産業のすべて、漁業や農業や観光をうまくネットワークして売り込めるようなシステムを作り上げられたら面白いぜ」
小斎「それは良い。そうなったらそれだけで会社にできるし、人も雇えるかもしれねえ」
瀬野尾「そんなこと言って、会社の作り方がわかってるの」
小斎「いや、わがんね。そんなのは追い追い勉強すればいいのさ」
渡辺「とりあえず役場さ行って訊いてみっか? 花作りをするにしろ、その他のことをするにしろ、会社を立ち上げるやり方を聞いておいたほうがいい。佐々木はどうする?」
佐々木「俺は俺でもう少し考えでみっかな」

(数日後、町内でも指折りの花作り農家の庭先に佐々木の姿があった。庭先で熱心に作業に励む女性の姿を見つけて恐る恐る声をかけた)
佐々木「こんにちは」
三浦夫人「はい。どなた?」
佐々木「三浦さんのお宅はこちらですか? カーネーションの」
三浦夫人「ええ、うちは三浦です。カーネーションも作っていますけど」
佐々木「だんなさんは居ますか?」
三浦夫人「どちらさまですか?」
佐々木「あっ、すみませんでした。佐々木といいます。この先の大浦地区に住んでいたものです」
三浦夫人「あらそうなの。じゃあずいぶんひどい目にあったんじゃないの」
佐々木「ええ。家は一階が全部やられて、じいさんとばあさんもやられました」
三浦夫人「あらずいぶんひどがったねえ。それでいまはどうしてんの?」
佐々木「一家三人で仮設暮らしです」
三浦夫人「それは何かと不自由で大変でしょう」
佐々木「三浦さんのところはどうだったんですか?」
三浦夫人「そう、うちもずいぶんやられたの。家はかろうじて残ったけど、ハウスは全部やられて、カーネーション作りも一からの出直しになってしまったの」
佐々木「ハウスは新しく建てたんですか」
三浦夫人「そうなの。やっとできたばかりで、何もかもはじめからやり直ししなくてないのよ」
佐々木「そうなんですか・・・」
三浦夫人「ところで、うちの人に用があって来たんでしょ」
佐々木「ええ、まあそうなんですけど、でもまあ、いつでも・・・」
三浦夫人「ちょっと待っててね。裏の畑に居るはずだから、呼んできますね」
(しばらく待たされた後に姿を現したのは、日焼けした精悍な顔つきのたくましい初老の男だった)
三浦「何か用?」(つっけんどんな言い方に佐々木の心は折れそうだった)
佐々木「お忙しそうですね」
三浦「うん、忙しいよ。農家の連中は忙しくて仕方ねえのさ。これまでの分を取り戻さねどなんねんだもの」
佐々木「それでは後でもかまわないんです」
三浦「後でもかまわないって、いつんなったらひまになるかもわがらないぐらい忙しいんだ。用があるなら聞かせたらいっちゃ」
佐々木「そうですか・・・。でもたいしたことではないんで」
三浦「そうなんだ。むりじいはすねがんな。それでもかまわねえんだったらいいけど」
佐々木「はい。失礼します」
三浦「ところで、兄ちゃんは今どごさいんの?」
佐々木「大崎の仮設です」
三浦「仕事はあんの?」
佐々木「これまでは家でメロンづくりの手伝いをしてました」
三浦「どごで? 大浦のほうで?」
佐々木「そうです」
三浦「うわあ、そんではひどがったな。畑はどうなった?」
佐々木「まだ手つかずのままです。しばらぐは再開させんのは無理みたいです」
三浦「そうなんだ。気を落とさないで頑張れよ。俺なんか、ガンバゴさ片足突っ込んでいんのに借金までして花作りを立て直すんだがらや。兄ちゃんはまだ若いんだもの、やる気があればまだまだなんだってやれんだがら」
佐々木「はい。ありがとうございます」
三浦「ところで、話ってそのことではねえの?」
佐々木「いいえ、自分の仕事というよりは皆のために・・・」
三浦「みんなって?」
佐々木「中学校の同級生なんです」
三浦「友達のために仕事の世話をして歩いてんの? 今ある仕事は復興関連の土木関係ばっかりだべ」
佐々木「そうらしいですね」
三浦「それなのに、なんでうちにきたの?」
佐々木「ええ、そうですね・・・、皆で花作りでもできればいいかなと思って・・・」
三浦「花作りって、なんか当てでもあんの?」
佐々木「いいえ、それは別に・・・、ですからいろいろお話をお聞きしたいと思って」
三浦「話を聞くのもいいけど、まず必要なものを用意しなければならねっちゃ。土地にハウスに機械に苗に肥料に、だがら元手だって結構いるし」
佐々木「ええ、それらについては追い追い準備することにして、花の育て方を教えてくれる人がいないかなと思って・・・」
三浦「花作りの職人でも目指すの」
佐々木「そうではなく、新しいやり方で花つくりをすることを考えついたんです」
三浦「どんな?」
佐々木「個人経営から脱却して、もっと柔軟で可能性のあるやり方を模索したいんです」
三浦「言ってるこどがいまいちわがんねな」
佐々木「意欲のある人材を募って、共同してそれぞれが能力に応じて役割を果たすというものです」
三浦「それはやめだほうがいい」
佐々木「えっ、なんでですか?」
三浦「花つくりに限らず、農業は土地がなければどうにもならねえ」
佐々木「誰かから借りることはできないですか?」
三浦「それは無理だな」
佐々木「貸したい人がいないということですか」
三浦「まあそういうことだ」
佐々木「今まで農業をやっていた人は引き続き農業をやっていくということなんですね」
三浦「そこいらへんはちょっと違うな」
佐々木「どう違うんですか?」
三浦「津波の被害を受けてから大方はもう農業は続けられねえって諦めてるのさ」
佐々木「後継者の問題ですか?」
三浦「それもあるし、土地の問題も大きい。昔と違って農地そのものが減ってしまったがらな。米作りだけではある程度の規模がないと成り立たないもの」
佐々木「だったら貸しやすいんじゃないんですか?」
三浦「普通はそうだが・・・、もう未来に夢をもてねえのかもしんね。まして自分の土地を誰かに貸して耕してもらうというのは心苦しさがあんのよ。今まで自分が耕してきた田んぼや畑だがんな」
佐々木「そうなんですか・・・」
(出出しから出鼻をくじかれて、佐々木は意気消沈した)
三浦「まあ本気でやれる見通しがたったらまた来てみればいい。そん時は忙しいなんていわねがら」
(そう言い残すと、花卉農家の主人はきびすを返して元来た方向に歩き出していた)

(立ち話をしただけなのに花作り農家の苦境や難しさがわかったような気がした佐々木は早々に引き上げようとしていた)
三浦夫人「佐々木さん」
(声のするほうに振り返ると先ほどの奥さんが小走りで後を追ってくる)
三浦夫人「これ持って行って。うちの畑でとれたものだからおいしいかどうかはわかんないけど」
佐々木「すみません。ありがたくいただきます」
三浦夫人「ところで、何か相談事だったの?」
佐々木「ええ、まあ」
三浦夫人「うまくいきそう?」
佐々木「いいえ、難しそうでした。ちょっと考えが甘かったみたいで」
三浦夫人「そうなの。あんまり気を落とさないでね。何かあったらまた遊びにでも来なさいね。うちだって後何年頑張れるかわからないんだもの。これからはあなたたちの時代なんだから、それを忘れないでね」

(佐々木は三浦花卉農園をたずねた結果を報告するために三人を災害メモリアルセンターに集めた。そこは町の有志が倒壊を免れた自治会の集会所を借りて開設したコミュニティーセンターで、内部には被災前の町の風景を記録した写真とともに引き取り手のない遺品などがが飾られている。四人は展示品を眺めてそれぞれの感想を口にしていた)
渡辺「町内の風景写真だ。こんなのよぐ残っていだな」
佐々木「だろう。俺も最初に来たときはびっくりしたんだ」
瀬野尾「こんな場所があったのね。いつできたの?」
佐々木「数ヶ月前らしい」
小斎「誰が造ったんだべ」
佐々木「近所の奥さん方らしい。みんなに来てもらって、きれいだった町並みの写真を眺めてゆっくりお茶でも飲んでもらいたいということだそうだ」
渡辺「管理人はいねえの?」
佐々木「なんでも、誰でも気軽に立ち寄ってもらえばいいということだから、常駐してはいないようだ」
小斎「おまえが何でここのことを知ってたの?」
佐々木「ある人に連れて来てもらったんだよ」
小斎「だれに?」
佐々木「だれだってかまわねべ」
小斎「じゃあ性別だけでいい。男、それとも女?」
佐々木「そんなの聞いでどうすんの」
小斎「どうもしねえけど、情報の共有は大事だべ」
佐々木「だからさ、ちょっとした集まりに使わせでもらったんだよ」
(そのとき渡辺は三人の輪から離れて風景写真にじっと見入っていた)
佐々木「誠、どうした? 珍しいものでも写っていだが?」
渡辺「いや、そうではねえ」
小斎「懐かしくて仕方ねえんだべ」
渡辺「それもそうだが、改めてとんでもないものを失くしたんだという気がするんだ。これらは今となってはとても貴重な写真になってしまったわけだ」
瀬野尾「どうして?」
渡辺「どうしてって、元どおりにすることはできないからだよ」
瀬野尾「できるだけ前と同じように復興すればいいんじゃないの」
小斎「それは無理だべ」
瀬野尾「どうして?」
渡辺「集団移転の話が出てるからさ」
瀬野尾「しゅうだんいてん・・・?」
小斎「二度と津波にやられないように沿岸部の集落は高台に移るんだとさ」
瀬野尾「そんなことしたら、昔には戻りっこないよ。絶対」
佐々木「まあそうだな」
渡辺「だから、今は町を二分して論争している真っ最中なんだ」
瀬野尾「佐々木君はどっち派なの?」
佐々木「さあ、まだわがらね」
瀬野尾「そういったって、佐々木君の地区は移転の対象区域になるよね、当然」
佐々木「そうさ。移転ということになれば、畑も何も全部失いかねね」
小斎「メロンはどうすんの?」
佐々木「二度と作れなぐなっかもしれね」
小斎「じゃあ反対だ。メロン農家は十軒以上あんだべ。その人だづさ、メロンを二度と作れねえようなことはやるべきでねえさ」
佐々木「まあそうなんだけど、津波の恐怖で心をやられた人もいるからな。無碍に反対とばかりはいえねえさ」
瀬野尾「渡辺君、どうすればいいと思う?」
渡辺「移転してもメロンを作れるようになればいいとは思うけど・・・」
瀬野尾「できないの? どうして?」
佐々木「今は家の周囲に畑があっから盗まれねえけど、畑だけになったら盗り放題だから」
瀬野尾「だって、そんなこと。そんな悪い人ばかりいないでしょう。みんなで見回ればいいのよ」
佐々木「まあ、そうだけど、そこまでしても続けるだけの意味があんのがもわがらね」
渡辺「だから敏郎は花作りを提案したんだろ」
佐々木「まあ、そういうことだ」
瀬野尾「困ったわね」
(佐々木が置かれた苦しい立場に気づいた鮎美は、こんなことをしている暇があったら佐々木の問題をまず解決しなければならないという思いに駆られた)
瀬野尾「なんとかしましょうよ」
渡辺「なにを?」
瀬野尾「佐々木君の話。そっちのほうが先決よ」
渡辺「まあそうだけど、この話は町全体の復興計画にかかわる話だから、誰かの意見ですぐにどうこうなるというものではないから」
瀬野尾「そうかもしれないけど、そんなこと言ったら、それを言い訳にして計画を一方的に押し付けられるだけじゃないの。もしやる覚悟があったら、私たちだけでも反対の旗を掲げて戦うべきじゃない」
渡辺「敏郎の考えはどうなんだろう」
瀬野尾「ちょっと待って。何もこの話は佐々木君だけの問題ではないもの。渡辺君の提案にも関係するのよ。復興ネットワークの会社を立ち上げるにしても、その前提となる町の産業を守らなければならないはずよ。メロンを町の特産にすべきだとは思わない」
佐々木「俺は、メロンが前と同じ状態でできるなら続けたい。でも、集団移転は避けられねえな。そうなると諦めるしかねえと思ってる」
渡辺「じゃあこういうことだ。集団移転に加わらねえでメロンを続けられればいいんだ」
佐々木「まあそうだけど、一軒だけ残ってもやるというのは難しいべな」
小斎「それはそうだ。じゃあこのことについても、いまどうなってんのが役場で訊いてみっぺ」

(それから数日後、四人は町役場の駐車場で待ち合わせた。小斎と瀬野尾が先に着き、遅れて渡辺がやって来た)
瀬野尾「おはよう」
渡辺「待たせてしまったね」
小斎「遅いよ。佐々木は一緒じゃねえの?」
渡辺「悪い。あいつは用があってこられないということだ」
小斎「なんだよ。始まったばかりでこれかよ。作戦の成功にとって足並みの乱れというのは最も警戒すべきものなんだぜ」
瀬野尾「来たくなくて来ないわけではないんでしょ。どうしても来れない事情があるんだわ」
小斎「みんな理解があって、すばらしいよ。でも本当の優しさっていうのは違うと思うんだよな」
渡辺「ああ、わかったよ。優しさについての解釈は後で聞くことにして、さあ行こう」
瀬野尾「そうしましょう」

小斎「以外に暇そうだな」
(庁舎内に足を踏み入れると、小斎が囁くように言う)
瀬野尾「しーっ。聞こえるわよ」
渡辺「魚市場じゃねえんだから、どんなに忙しい場所でも表面上は暇そうに見えることもあるさ」
小斎「えーと、ここで聞いてみっか。(入口に近い窓口に近づいて声をかける)ちょっとすみません」
役場職員「はい。なんでしょう」
小斎「ちょっと話を聞いてもらっていいですか」
役場職員「はい、どうぞ」
小斎「復興のために働きたいと思うんですが・・・」
役場職員「わかりました。ただ、ボランティアの受付はここではありません。復興対策室に行ってください」
(小斎は首をかしげ、振り返って渡辺を見た)
渡辺「ボランティアの申し込みではないんです」
役場職員「あら、そうですか。どんなご用ですか?」
渡辺「もちろん復興のお手伝いにはなるんですが、自分たちで会社を立ち上げたいんです」
役場職員「会社ですか・・・? どんな会社なんですか?」
渡辺「それはまだ決まっていないんです」
役場職員「はあ・・・、そうなんですか」
(役場職員は迷惑そうに眉をひそめた後で困惑した表情を見せた)
役場職員「それで何しに来たわけですか・・・?」
渡辺「はい、いろいろアドバイスをいただけるとありがたいです」
役場職員「それでは、ここは町民課ですから、商工観光課の方に回ってください」
(三人は二階の商工観光課に向かった。そこで尋ねて来たわけを話すと、課長補佐の肩書きを持った中年の職員の席に案内された)
課長補佐「それで何が知りたいの?」
渡辺「復興の現状はどうなんですか?」
課長補佐「それを聞いてどうすんの?」
渡辺「もし、できることがあれば協力したいと思うんです」
課長補佐「ボランティアの申し出だったらここではないよ」
渡辺「ボランティアではなく、もう少し別な形で協力したいんです」
課長補佐「ああ、そうなの。なにができるの?」
渡辺「それが、具体的に何ができるというのではなく、何かができるのではないかと検討しているところです」
課長補佐「うん、それで復興の状況が知りたいというのね」
渡辺「はい」
課長補佐「それでは、ここより復興対策室に行ってもらったほうがいいね」
(それまでうつむき加減に話を聞いていた小斎が目の色を変えて顔をあげた)
渡辺「それから、何かアドバイスをもらえないでしょうか」
課長補佐「それはかまわないよ。どんなアドバイスがほしいの?」
渡辺「今ちょっと考えていることがあるんです」
課長補佐「ほお、どんなこと」
渡辺「復興の手助けに会社を立ち上げたいんです」
課長補佐「会社を・・・? どうしてまた」
渡辺「このままでは失われた町の産業がいつ元に戻るかもわからない状態じゃないですか」
課長補佐「何を根拠にそう思うの。誰かに吹き込まれたの」
渡辺「根拠といわれても・・・」
課長補佐「別にあるわけではねんだ。だったらそういうことは言わねえほうがいいよ。みんなそれぞれの立場でがんばっているんだがら」
小斎「(むっとして)それはわがっています。でも町民の何人が知っていますか。今どんな計画があってどこまで進んでいるのが、わがっている人はそれぞれ計画にかかわっている人だげでねすか。もしはっきりした見通しが立っているんだったら教えてもらえないすか」
課長補佐「それはもちろん知りたいという人には何も隠す必要はないんだよ。でもね、復興に向かって一生懸命に頑張っている人のことも考えてもらわないと」
小斎「そりゃあ考えていますよ。だがらわざわざこうやって来てるんでないですか」
課長補佐「だったら聞かせてもらうけど、今会社を立ち上げたいって言ったよね。どんな内容の会社で、設立までのスケジュールはどうなってんの? 定款の案はできてんの? 資本金はどうすんの?」
小斎「ですからそれはまだ、これから時間をかけて・・・」
課長補佐「そんな状態で復興の責任の一端を担うことができると思ってんの」
小斎「・・・・・・」
課長補佐「そうやっておもしろ半分の冷やかしのつもりでは困るんだなあ。会社を作りたいからすべて面倒見てくれといわれても、今そんなことをやってる暇はないし、平時だってここではそんなコンサルタントのような仕事はしてないから。商工会さでも行ってみたら」
(そう言われて顔を見合わせた渡辺と小斎の表情には無念さと無力感が漂っていた)
瀬野尾「ところで、話は変わりますが、今、集団移転の計画があるようですが、そうなった場合にメロン農家はどうなってしまうのですか?」
課長補佐「集団移転によってメロン作りがどうなるかということ?」
瀬野尾「ええ、そうです」
課長補佐「それは農家の考え方次第というか、まず尊重しなければならないのはその方々の意向ということだね」
小斎「それはひょっとして、続けたいものは続けるだろうし、そうでないものは撤退するだろうということですか」
課長補佐「いや、そう単純なものではないよ」
小斎「じゃあ、どうなんですか? 町の政策としてメロンを町の特産物として守ってゆこうという気はあるんですか」
課長補佐「うーん、それは可能性の問題になるんでね、産業として発展する余地があれば町としても進めることになるだろうね」
瀬野尾「だからその可能性をどう見ているんですか?」
課長補佐「正直に言えば、畑もハウスも壊滅的な被害を受けたわけだから、これを復興させるだけでも容易ではないよね」
瀬野尾「だから個々の農家次第だというのは少し無責任すぎないですか」
課長補佐「まあ、メロンを作るのは農家の方々だからね。復興に熱心な農家には資金の面で支援する用意はあるよ」
瀬野尾「もし、メロン農家が全員メロン作りを続けたいということになれば、土壌の改良などの支援をいただけるということですね」
課長補佐「まあそうだね。でもね、私が聞いた範囲では難しいと思うよ」
瀬野尾「なにがですか?」
課長補佐「農家の意欲というのか、それがね・・・、あれだけの被害を受けてしまうと、なかなかね」

(役場庁舎から出てきた三人の顔色はさえなかった)
瀬野尾「なんだか、がっくりきたわね」
小斎「予想外だったの?」
瀬野尾「まあね、ある程度は予想していたけど、こうまでとはね」
渡辺「まあそうだよな」
瀬野尾「なにが?」
渡辺「皆忙しいってことなんだろう」
小斎「それでもさ、もう少しましな応対も考えられるんじゃねえの」
渡辺「今はそんなことも言えないんだろう。皆精一杯にやってんだから」
瀬野尾「でも私たちの話を聞く暇もないって、どういうことよ。そんな余裕もないことで大丈夫なの」
小斎「まったくだよ」
渡辺「まだまだ考える余地があるってことだな」
小斎「そうなのか」
瀬野尾「何をどう考えるの?」
渡辺「そこだよ。そこから考え直すというか、経験する必要があるらしい」
小斎「よくわがんね。これからどうすんの?」
渡辺「少し歩いてみよう」

(三人が歩いて行く先に小高い丘が見えてきた。周囲の瓦礫が取り除かれてしまうと、均整のとれた円錐形の形が際立って見えるようになっている)
小斎「日和山だ」
瀬野尾「こんなにきれいな形をしてたんだね」
渡辺「上ってみる?」
瀬野尾「うん。久しぶりだもの」
(三人がくぐる鳥居から続く階段の両側には桜の苗木が植えてある)
小斎「ほら、桜だ。誰が植えだんだべ。それにしてもずいぶん細い桜だな。元気ねえんでねえの。すぐに枯れんなよ」
瀬野尾「頑張って育って、桜の名所になればいいわね」
渡辺「そうすればここで花見もできるし、楽しみだ」
(階段を上りきると開ける平坦な頂には桜の苗木に囲まれて白木の慰霊塔が立っている。周囲を見下ろすと見えるのはモザイクのような建物の土台ばかりである)
小斎「ここに来っと、何もかもなぐなったのが手にとるようにわがる」
瀬野尾「本当に、改めてそう思うね」
小斎「何でこんな場所にわざわざ来たの?」
渡辺「まあ、後で話すよ。まずは慰霊塔に手を合わせよう」
(白木の塔に手を合わせた後で、三人は無言で水平線を眺めた。明るい日の光を受けて輝く海面は水平線のところで空の明るい青色を溶かし込んでいるように見える。海を眺めながら渡辺は静かに語り出した)
渡辺「穏やかできれいな海だ。あの時は、こんな海はもう二度と見たくないと思っていた。でも今は真正面に立って見ることができる。あのときの海が憎かったかといえばそうだった。今も憎さが消えたわけではねえ。でも今日は少し違う。少しやさしくなったような気がする。少しばかり昔のきれいな海に戻ったような気がする」
瀬野尾「そうね。私は今、目の前の海と空に励まされているような気がする。こんなことは初めてかも。あの日の以前の海はただきれいなだけのものだった。そこにあることを少しも気にしなかったし、あたりまえだと思ってた。今は違う。いいことも悪いことも含めて、こんなに大きな存在のものを今まで見たり感じたりしたことはなかったような気がする」
小斎「俺もだ。うまくは言えねえけど、海が俺たちを見てくれているような気がする」
瀬野尾「そうね、必ず助けてくれるわよ。そうじゃないとおかしいって」
小斎「これからどうする?」
瀬野尾「これで終わりなの?」
渡辺「終わりだと思えば終わりだ。 ただ、一人でも終わりではねえと思えば終わりではねえ」
小斎「いや、これから始まるんだ」
瀬野尾「そうね。わたしたちの人生も始まったばりなんだもの」
(そのとき階段下から呼びかける声がした)
佐々木 「おーい」(鳥居をくぐって上ってくるのは佐々木だった)
小斎「なんだ敏郎でねえが。どごさ行ってだんだが」
渡辺「何してたんだ。遅いよ」
佐々木「それがさ、三浦さんがら急に呼び出されて行ってきたんだ」
瀬野尾「三浦さんって誰?」
渡辺「カーネーションを作っている人だべ」
佐々木「ああそうさ」
小斎「ずいぶんニコニコして、気持ちわりいべ」
佐々木「そんなに人をうすら馬鹿みだぐいうもんでね」
瀬野尾「いったいどうしたの?」
佐々木「教えてくれるってさ。花作り」
小斎「ほんとが、何でまた気が変わったんだべ」
佐々木「 さあわがんね。おれたちのようなものでも役に立つかも知れねえって思ったんでねえが」
渡辺「花作りか・・・」
佐々木「あれ、だめなの?」
小斎「花作りで何人の雇用が生まれるんだべ」
佐々木「まあそう言うな。三浦さんも心配していだのは、そこなんだ」
小斎「どうする?」
渡辺「やるのかやらないのか、それが問題だ」
佐々木「やらないわげにいがないべ。俺は一人でもやる。三浦さんに顔向けできねえもの」
小斎「まあそうだな。やるべきだな。まずは花作りからやって、そこからだ。その後はその後で考えよう」
渡辺「今は何もかもなぐなってしまっているが、いつまでもこのままでは終わらねえ。新しい町を整備するにしても、夢のある未来図を描いたとしても、あくまでも主役はここに住み続ける俺たちなんだ」
佐々木「そうだ、俺たちがやらなければ誰がやる。誰かがやってくれるわけではないんだ」
(そのとき四人は、丘の頂から見下ろすモザイク模様の地面の上に黒い小さな影が現れるのを見た)
小斎「また誰か来た」
佐々木「誰?」
渡辺「田中だ。たぶん」
小斎「なんで田中なの? あいつは県外に避難しているはずだべ。連絡したの?」
渡辺「避難してたって、気持ちはかわらねえのさ。ここを忘れることはできねえのだろう。どんなに変わり果ててしまってもここが故郷であることは変わらない。いつだって好きなときに帰ってくればいいんだ」
瀬野尾「そんなことでいいの?」
小斎「なにが?」
瀬野尾「このままじゃ、また帰ってしまうだけでしょ」
小斎「どうすれはいいわけ?」
瀬野尾「戻って来るように説得しよう」
佐々木「まあ、そうする手もないわけでは・・・」
渡辺「それはやめたほうがいい」
瀬野尾「どうして?」
渡辺「それぞれ事情があるわけだから、押し付けることはしたくない」
佐々木「まあ、そうだな」
小斎「さあ、帰っぺ」
瀬野尾「どこに?」
小斎「それぞれの家にだよ」
瀬野尾「次はいつ集まるの? それを決めなくちゃ」
佐々木「でもルールで縛るのはごめんだぜ」
瀬野尾「それじゃあ、いつでも好きなときに集まれるというのだけを決まりにしましょ」
渡辺「そんな決まりなんてはじめて聞いだ」
小斎「うん、そうだが、ながながいい決まりでねえが」
佐々木「どごがの面倒くせえ規則よりよっぽどましだ」
四人「アハハハ」
(本篇終了)

*あらすじ
未曾有の震災が東日本を襲ったとき、渡辺誠、小斎学のふるさと、三陸の港町も壊滅的な被害を蒙っていた。それから一年余りが過ぎた頃、二人が住民が姿を消してしまった町の跡をそぞろ歩いていると、奇妙な風体の男に声をかけられる。
男は津波によって保育園の建物が破壊され、多くの園児が犠牲となり、園庭から園児の姿が消えてしまったことを嘆いていた。その責任を取れと迫る男に二人は辟易するが、男の悲しみと理不尽な怒りに接して、それまで自分に向かっていた目を外側に開かせられるという体験に目覚める。
町の復興の一端を担うべく立ち上がることを心に決めた二人は中学の同級生の参加を募り始める。
渡辺誠は自分の思いをまっさきに汲み取って、一番に活動に参加するだろうと目当てをつけた同級生田中弘道に電話をかけるが、そこで聞かされたのは震災に遭って多くのものを失った同級生の本音ともつかない苦しい胸のうちであった。「復興のために協力しなければならないという思いはあるが、今はとてもその気になれない。自分のふるさとは永遠に失われてしまって、どうあがいてもそれを取り戻すことはできない」というのだ。
渡辺と小斎の努力にもかかわらず協働する事を快諾したのは同級生の佐々木と瀬野尾の二人だけであった。四人は町の復興のために自分たちにできる方策について話し合うが、案は二つに絞られる。一つは佐々木が提案した花作りによって雇用を生み出し若者の町外への流失を防ぐというもの。もうひとつは渡辺の、町の産業の復興を促進するため、それらをネットワークして生産と販路の拡大を図る会社を立ち上げるというものであった。
四人はそれぞれの思いを集めて活動を開始するが、その行く手には思わぬ困難が待ち受けているのであった。


■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 181