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作品名:奇妙な連中 作者:奥辺利一

第4回   4
 留美子を愛しいと思う気持ちが日増しに昂じてきて、ぼくは一人でいることが多くなった。三人の仲間にそのことが知れるのを恐れたためだった。午後の講義が休講になると、ぼくは独りぼっちだった。なぜか酷く疲れを感じた。図書館に行って葬儀の行進のような活字の陰に脅かされるのに耐えきれないほど意識は弛緩していた。歩くことにさえ苦痛を覚えて樅の木の傍らのベンチに腰を下ろしていると、ぼんやりした意識を体ごと闇の底に引きずり込むような睡魔が襲ってきて、瞼を閉じると、その時まで体を支配していた疲労感が上昇する目眩のような感覚に引き上げられ、頭の先から抜けてしまうかのようで気持ちよかった。どこか体のある部分と繋がっていて疲労を起こさせる原因となっているに違いない学業生活その他もろもろの日常的次元の煩雑な事柄が一瞬のうちに粉微塵になって吹き飛んで行って、忘我の歓びに陶然としている自分を発見して愉快だった。ぼくが自身の生命を確認するのは、このような恍惚の瞬間であった。それはまさに快楽を知覚するのと同様の感覚的な認識の仕方であった。ぼくが生命の本質は官能的で享楽的なものであると考えるのにはこのような体験が根拠となっていた。おそらく疲弊した感覚は、少なくとも生命の官能的な部分にとっては不可欠なものなのだろう。もし生命の本質が官能に他ならないとしたら、疲労感覚は生命にとってその意義を明確にするほどの意味を持つだろう。この場合に僕が言う疲労感覚は、日常的な感情が引き出すところの人間的愚かさを見つめる、あの脆弱な、しかしそれを認めるという点で人間的弱点を超越する哀しみをその根源とするものなのだ。ぼくは無闇に悲しんでばかりいた。哀しみが体の内部に沈殿していって、その沈殿物が結晶して僕の弱点を固く閉ざしてしまう日が来るのを待っていた。
 ぼくの根拠のない絶望は、その頂点に達するときは幸福と見分けがつかない歓びでぼくを満たしたが、それはまた己の生命を支えているものと考えられる対外的状況を否定するところに生じる歓びという点でも共通する破滅的な性格のものだった。ぼくは何者であるのかという問いを自己に向かって発するとき、ぼくはすでに生活者であることを止めてしまっているのだ。生活する者にとってそのような問いかけは無意味なのだ。生活者にとっての自己とは対外的なもので、利害関係に他ならないからだ。この問いを発するとき僕は生活の基盤を失い、ただ精神だけが活動し、肉体はズタズタに切り刻まれて思考体系の中に組み込まれてしまうのだ。精神と肉体が融合した人間の姿は消滅してしまうのだ。常にこの問いを発しないではいられない僕は生活者ではない。生活者以外の者が発するこの問いの答えは死の他にはないだろう。生活者ではない者にとって自己とは認識に他ならず、認識は移ろいやすく、普遍的な自己の発見は死に至る認識以外には考えられないからである。古びた固いベンチの上に藁くずのような体を横たえて、徐々に薄れていく意識の中で、ぼくは死の匂いを嗅いでいた。それは正体不明の甘い香りがした。


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