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作品名:奇妙な連中 作者:奥辺利一

第2回   2
 そうして僕たちは密約を結んだのだ。猫も熊も角もぼくと同様に現実を憎んでいた。同時に、自分たちの生命を憎んでいた。ぼくたちの憎悪を晴らす手段としては死以外に考えられないという認識も共通していた。空疎な人生観ゆえの苦悩への確実な報復の手段は死のほかに考えられないという認識は共通していたけれど、ぼくたちは簡単に死ぬことができなかった。そこで、密約には決して死を選んではいけないという一項が加えられたのであった。結局、ぼくたちは死の恐怖に打ち勝つことができなかったのだ。怠惰な日常に伴う屈辱感に対する憎悪をもってしても死の恐怖に打ち勝つことはできなかったわけだ。その結果、人生の目的を見失いはしたけれど、その代わりに、生きるには勇気など不要なことを知った。生きる力となるものは喜びや幸福などではなく、怒りや憎しみであることを知ったのだ。
 ぼくたちの最大の関心事はセックスだった。ぼくたちの欲望は途絶えることなく充満していたけれども、その機会に恵まれることはほとんどなかった。けれども、その気になれば女子学生を下宿に連れ込んで強姦さえできるのだと思っていた。強姦などという反社会的な仕儀に及ばなくても、ぼくたちに男としての存在意義を認めてくれて、それを許してくれる女がまるでいないわけでもなかった。それでも僕たちは満たされなかった。やがて満たされないことに対する不平不満も薄らいでいったが、性欲の活動は衰えを知らなかったから、ひたすら耐えなければならなかった。やがて、それが生きることへの手軽な反逆なのだと考えるようにもなった。耐えることで抑圧された欲望が爆発する瞬間に訪れる特異な快楽があることも知った。それは自身の内部だけで欲望に身を任せるところに生じる密やかな悦びだった。ぼくたちの内部での性的な経験は実際の行為より以上に性的な刺激に富んだものであるという予感のようなものもあった。そうして池田留美子がぼくたちのセックスシンボル的存在になったのだ。その理由は彼女が肉感的な女だったからだというばかりではなく、欲望は異性に性的と考えられる部分によって掻き立てられるのではないという説をぼくたちは信じていた。性欲の萌芽は単に肉体的な変化によって起こるのではなく、あそこが勃起するのは性的なイメージの展開によるものに過ぎないのだ。性欲が異性を求める作用は、後天的に植え付けられた知識によって展開されるイメージによって生じる性的興奮がそうさせるだけのことなのだ。同性の愛は、この歪められた性衝動から自由な人間が自由に相手を選んだという結果に他ならない。というのが僕たちの間の有力な性愛説となっていた。それにもかかわらず僕たちは、自由な人間であるどころか、女性の肉体的特徴のある部分によって激しい性衝動に駆り立てられていた。女体との成功を夢想することで射精することも可能な若い獣だった。留美子を抱きたいとぼくたちは願った。それはまた、彼女の存在を通して自分たちの存在を確認するためであったかもしれない。生きる目的も価値も持たないぼくたちの存在を確認するためには、ほかの女であってはならないと思っていた。またそれは性交という手段によらなければ不可能に違いなかった。彼女を抱くことはぼくたちの、ある意味で、衰弱しきった生命の最後の要求のように感じることさえあった。しかし留美子は、ぼくたちの要求を平然と無視し続けた。少なくとも僕にはそう見えた。ぼくたちが店にいるとき、彼女は陽気だった。それでも何かの拍子に暗い表情になることがあって、ぼくたちを沈黙させた。彼女は自分のことを語りたがらなかった。子供のころはもとより、なぜ結婚に失敗したのかさえぼくたちは知らなかった。彼女が寂しさを露見させるときにかろうじて窺い知ることができる、遠い過去からの打撃の強烈さが、その哀しみの領域に入り込もうとする勇気を挫いてしまうからだった。この哀しみがぼくたちを拒む第一の理由だったかもしれない。ぼくたちは寂しさに耐えかねている留美子を遠巻きにして、それと気づかれないように見守るほかなかった。
 留美子に何を求めているのか、ぼく自身にも明確にはわからなかった。おそらくそれは、留美子の存在とは本質的には関わりのないものに違いない。ただ彼女の存在に触発されたぼくたちの苦しげな要求が、それ自体は何の意味も持つわけではないのに、他のどんな種類の要求よりも確かに、ぼくたちの意思を捕まえて離さないというだけのことだったのだ。留美子との結合が何を意味し、ぼくたちの生命にどれだけの重みを加えることになるのかなどは、どうでもいいことだった。ぼくたちは差し当たって、自分たちの内部に確実に存在する要求を実現しなければならないところまで追いつめられていた。
 どんなにもがいても幸福だった幼児期に還ることはできないのだということに気づいてしまった後では、もう何ものもぼくたちを驚かすことはできないのだ。「それでも生きなきゃね」と猫は言うのだった。「死ねないんだから仕方がない」と僕。「いや、死ななければならない理由が無いから生きるんだ」熊が不機嫌そうに言う。彼は酒に酔っていないときは常に無愛想だった。「しかし、生きることは所詮つまらんことだというのは誰でも知っていることさ。仏教は死ぬことを教えている。釈迦の涅槃図は死んでる姿なんだ。悟ってしまった後は生きる必要がないってわけなんだろうな。極楽浄土の考えも現世は問題にしていないんだ。念仏を唱えて居さえすれば極楽が迎えに来てくれるって寸法さ」こう言うのは角だ。「それから地上的な生き方を教えるのが儒教だぜ。これは個人が無視されている。教えの頂点に立つのが国であり天子であるわけだ。天下が太平になれば民も幸福を保障されるという説だが、これは中世の遺物だね。キリスト教は二言目には愛だ愛だとぬかしやがる。愛は惜しみなく奪うと言ったのは誰だったかね。キリスト教の愛は契約に過ぎないんだ。俺はお前に対して害を加えないから、お前も俺には害を与えるなってね。俺に言わせれば、愛は惜しみなく真実を奪う、ってとこかな」「しかし、恋は素晴らしい」猫が皮肉っぽく言った。「俺は決めた」突然猫が宣言するように言った。「俺は恋をすることに決めた」それを聞いた他の三人は笑い出してしまった。「よせよ」と角。「誰に?相手はいるのか?」と僕。熊は黙って笑っている。彼の笑顔を見るのは久しぶりだ。「相手は誰でもいい。ただし条件がある。第一に女であること。第二に・・・・」角が猫の腕をつかんで遮った。「それぐらいにしておけよ。後で恥をかくことになるぞ。それから条件は一番目だけにしておくことだ。女ができれば上出来だ」「恥をかいてもかまわない。恥をかくぐらいのことを気にしていたら何もできない。俺たちは何かしなければならないんだ」その時洗い物をしていた留美子が見かねたように口を挟んだ。「その通りだわね」ぼくたちは驚いて彼女を見ただけで、しばらく誰も何も言わなかった。やっと猫が信じられないといった様子で、「本当にそう思いますか?」と訊いた。「ええ」留美子はあっさりとそう言った。「馬鹿を言え」熊が誰に言うとでもなく呟くように言った。「お前に猫の気持ちがわかってたまるか」熊の言い草は留美子の耳に届いていた。「わかるわ。解ったつもりにさせておけばいいじゃないの。変に起こっているのね。解られて困ることなの?」熊は留美子の顔を睨みつけていた。留美子も洗い物の手を止めて熊を見た。その目が熊の心理を読み解こうとして働くのをぼくは見逃さなかった。ぼくには熊がなぜ、怒鳴り声のように荒々しくではなかったが、留美子に抵抗の意思を示したのかが分かるような気がしていた。「猫の気持ちがわかるというのは本当だろうね」角がいつもの冷めたような口調で言う。「しかし、実際のところはわからないんだ。誰だって他人の本当の部分はわからないのさ。それでいいじゃないか。悲しいけどね」こんなことがあってから、ぼくたちの密約には新たに一項目が加えられた。留美子の前では不用意な議論は慎むこと、というのがそれだった。もっともその一文については、ぼくたちの間で話し合いが行われたわけではなかった。誰が言い出したのでもなく、無言のうちに僕たちはその項目を確認し合っていた。ぼくたちは自分たちの本音が留美子に知られることを警戒していた。自分たちの考えることが反社会的な色彩を帯びているかもしれないという危惧を抱くというのではないが、自分たちの幼稚さを暴露されることには痛みが伴うからであった。とりわけ留美子に知られることを恐れていた。


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