剛と王子 剛くんは病院のベッドの上で、家族や看護師さんたちに見守られて夢を見ていました。 夕方の窓辺に小さな星飾りのついた帽子をかぶった男の子が現れて、話しかけてきました。 「君はどうして泣いているんだい」 剛は男の子を不審に思うどころか、「だってみんなが嘘をつくんだもの」自分の口から言葉が勝手に出てくることに驚きました。 「へえーっ、それは困ったものだ」男の子が本当に驚いたように言うと、剛はそれがうれしくて、調子に乗って続けました。 「ちゃんと約束したのに、誰も守らないんだ」剛がうったえると、「どんな約束をしたんだい?」男の子はまじめな顔をしてききました。 そこではじめて剛は思ったことを口に出して言うのをためらいました。言ってしまえばみんなが本物の嘘つきになってしまう気がしたからです。 「言えないのかい? なにを心配しているんだい。言いたいことを言ったって誰も怒ったりしないよ。もっともな顔をして怒ったりすることがどんなに下品なことか、知っているからね」 「そんなことないよ。お母さんもお姉ちゃんもわがままを言ってはだめだって怒るんだ」 剛は体をよじるようにしてうったえました。目の前の男の子が重要なことを見落としていると感じたからです。 「じゃあ、誰にも言わないからさ。みんなに内緒で言ってみなよ」そう言いながら男の子は目をパチパチさせました。 「ぼくはずっと長い間この病室のベッドの上にいるんだ」剛がこの話をするときは自分が特別な存在になって、相手が驚いたり気の毒そうな顔になるのを何度も見てきましたが、男の子はすこしも驚きませんでした。 「うん、知っているよ」 「だから早くおうちに帰りたいんだ」剛は力を込めて言いました。 「なるほど、よくわかったよ。みんなはもうすぐ帰れると言うんだね」 「そうなんだ。みんなが言うようにもうすぐおうちに帰れるっていうのは本当なんだろうか?」 剛は目の前の男の子が真実を知っているような気がしてきいてみました。 「それは僕にもわからない」男の子の答えはそっけないものでした。 「おそらく誰にもわからないのさ。でもみんなはそう信じたいんだ。わかるかい?」 剛は首をかしげました。誰にもわからないことを平気で口にする人々がいるということが信じられなかったのです。 「でも君はちがうようだね。みんなで嘘をついて約束をやぶったと思うんだ」 剛は首を振りましたが、かまわず男の子は続けて言いました。 「嘘をついた人は何か得をしただろうか?」 思いもかけない質問に剛は考え込んでしまいました。自分がかんしゃくを起こしたときのお母さんやお姉ちゃんの悲しそうな顔が浮かびました。 「それじゃあ、僕はこれで失礼するよ」 「どこへいくの?」剛はあわててききました。 「ぼくの仕事場に帰るのさ」 「そこへつれて行っておくれよ」 剛にはこの男の子の後について行きたい気持ちが次々とわいてくるのでした。 「ああ、かまわないよ。君が二度とかんしゃくを起こさないと約束して、守ることができたらどこにだって連れて行ってあげるよ。でも、一つだけ言っておくけど、君が約束を守らなかったとしても僕は君を嘘つき呼ばわりしたりはしないからね」剛に向かってウインクすると、男の子は窓から空に向かって帰って行きました。 それからしばらくして、再び姿を見せた男の子に、「約束通りきたんだね」と剛が言うと、男の子は少し困った顔になりました。 「君は僕を迎えにきてくれたんだろう。僕は君との約束を守ったんだ。今度は君が約束を守る番じゃないか」剛が責めるように言うと男の子は少し考えてから言いました。 「僕は約束を破ったりはしないよ。だけど、君はお母さんやお姉ちゃんと離れて僕のところへくる勇気があるのかい?」 剛は頭をひどく殴られたような衝撃を感じ、ハッとして我に返りました。それでも自分から言い出したことを引っ込めるのは恥ずかしくて苦しいことに思われました。だから自分の本当の気持ちを正直に伝えるのをためらっていました。 「なに心配はいらないよ。旅行なんかはいつだってできるのだからね。君の心の準備ができるまで、いつまで待ってもかまわないんだ」男の子がウインクしながらそう言うと帽子の星の飾りが月の光をうけて明るく光って見えました。
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