あの日以来、我が家では四季の廻り方を忘れてしまったかのように冷めた冬のような生活
が続いています。母は蛹(さなぎ)のように動かず、ただただ仏壇上で揺らめく炎を見つめ
ているのです。もう春だというのに飛ぶことが出来ないのです。早いもので、今年の夏で
丸一年になろうとしています。それまではごく平凡な生活に小さな幸せを感じていました。 父の啓三は現実をしっかりと受け入れているのか、悲しみを表に出すことはあってもけ
してその悲しみに飲み込まれるようなことはないのです。仏前で背を丸くして悲しみに耽
(ふけ)る母を見ては言うのです。
「咲江、お前がそんな暗い顔してばかりいると天国に居る紀美江が心配するじゃないか。
ほらあの子はこんなにも笑っているだろ?」
父はくぐもった声でそう言うと母の肩にそっと手を添え、これ以上ないくらいに笑みを浮
かべた愛娘の写真を見て言うのです。そんな父の優しさ、気丈さが歯がゆくもあるので
す。私は父と母のそんなやり取りを見ながら今、妹との唯一の思いでの詰まったアルバム
を開き思いだすのでした。七年間という期間で撮られた写真は思ったより少なく、寂しい
ですが今ではこの数枚の写真と、当時のまま残された衣類などからしか妹を感じることは
出来ないのです。でもそれらも今では妹の匂いはしません。埃やカビのような臭いがする
だけなのです。生前、宝物のように愛用していた三輪車は朽ちた配管のようになってたっ
た今も冷たい雨を浴びているのです。妹の存在していた証は我が家とともに消えずともけ
して良いとは言えない状況にあるのです。ふと一枚の写真に目を落とすと、それは妹の亡
くなる半年ほど前に家族で京都に旅行に行った時のもので、金閣寺を背に家族で移ってい
るものでした。父が妹を肩車していて、私がやきもちを焼いていたのでしょう、ふて腐れ
てそっぽを向いて写っているのでした。母は私を慰(なぐさ)めようと私の後ろから肩に手
を掛けて笑っているのです。当時のことは鮮明に記憶しています。あのあと私は生(なま)
八橋(やつはし)を買ってもらい、すっかりご機嫌になっていたのでした。あの笑顔と談笑
の耐えないあの頃に戻ることが出来たなら、ビデオテープのように巻き戻すことが出来る
のならばと私は真剣にそう思うのです。もしもあんなことがなければ、この写真のような
幸せは続いていたに違いありません。先生へ宛てた手紙を書きながら私は当時のことを思
い出していた。
あの時、私が・・・。
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