その金髪金眼の少女がやらかしてくれた、とんでもない事情を聴いた由樹は思わず少女を平手で張り倒したくなった。いや、グーでもいいかもしれないとさえ思う。でも、理性の糸を紡ぎ合わせ、張り合わせて、根性と気力で張り手を押しとどめた。 代わりに、投げやりに質問をぶつけた。 「何でもいいけど、俺は元の世界に帰れる訳?」 そこが最も由樹にとっては重要な点である。帰れるのなら、即刻元の世界に帰してほしいと由樹は思う。明日から学校もあるし、体育もあるし、英語の単語テストもある。 また、現時点で由樹は、謎の騎士から腕を刺されており、なるべくなら早く病院に行きたかったのだ。まだ消毒もしていないから感染症などになったら困るだろうと心配だ。 悶々と悩んでいると、少女が返答した。 「帰れるよ」 いともあっさりと。 「か、帰れんのッ?」 ――嘘だろッ。 「何をそんなに驚いているのか、私には分からないんだけどな」 「だって、普通は召喚されたら敵ボスを倒すまで帰れないだろ?」 「それは召喚主に問題があるんじゃないの。相当腕が悪い魔導師だね。召喚したら元の場所に返す。これ基本、これマナーね。出したら戻す、子どもじゃないんだから、出しっぱなしにするのは礼儀を欠いてるでしょ」 フンッ、と少女は高飛車に鼻を鳴らした。 帰れると分かった途端に由樹は気になっていた質問を投げつける。 「あのさ、この世界ってどうなってるんだ? ドラゴンはいるし魔法は使えるし。後さ、この喉にくっついている、紫色のコイン。これ何だよ、ダサいんだけど外していい?」 「それを知ってどうするの。あなたは直ぐに帰るのでしょう。関係ないでしょ、屑」 「………」 言われてみれば、確かにそうである。にしても、最後にクズと言わなかったか、この女。 それとも自分の聞き違いだろうか。そうだよな、初対面でクズはないよなと思う。 「知りたいのなら別に答えてもいいけどね。そのコインはね、『天史教本』1999冊子、4章、98ページの下段。〈意志の疎通の書〉というもので、そのコインを声帯付近に装着すると他の言葉を話せるというものなんだよ。で、他に聞きたいことは?」 「良く分かんないし、やっぱいい。直ぐ、俺帰るし」 賢明な判断だね屑、と言って少女は、由樹のことをフンと鼻で笑った。 「俺の聞き違いじゃなかった訳ね?」 「何か言ったのかな? 屑」 「………別に」 正直、ブスにこのような態度を取られたなら、ぶん殴っていた所だが、何故かこの少女だと拳は止まってしまうのだ。そんな絶対的な美貌が少女には宿っていた。金髪でおまけに、瞳も金。その上にはちょこんと小さな眼鏡が乗っている。その眼鏡は少女の容姿を損なわず、寧ろ際立たせているのだ。正直、綺麗だな、と見惚れてしまう。 「そうそう。言い忘れていたけど、屑にはこれから王様に会ってもらうよ。それが終わったら帰してあげるから」 突然、凄いことを言った。 「………は? 何で俺が。今直ぐ帰せよ」 一般市民の羽柴由樹の中でも人生最大のビックイベントである。偉大な王様に、何故に小市民であり、平民の由樹が会わねばならないのか。由樹は目を見開いて少女を凝視した。 その視線を鬱陶しそうに、少女が説明する。 「キング級召喚の報告をしなきゃいけないんだよ。こういう結果になりましたってね。その時にこういう人が召喚されましたと陛下や司令官に言わないと……いけないんだよ、ね」 酷く憂鬱そうに、少女はそう告げたのだった。 極度に緊張した由樹は金髪金眼の少女の先導の下、仄暗く寒々しい廊下を静々と進んでいく。王城の内部はかなり複雑な造りで、少女なしではきっと迷子になるだろう。 更に、進んだ所の一際大きな扉を開け、二人は中に入った。 中には武装した騎士が背筋を伸ばした完璧な姿勢で迎えていた。その周りには、家来のような人、そしてメイドっぽい人が同じく、ピシリと背筋を伸ばして立っている。武装騎士たちの中には、あの由樹の腕を刺した騎士もいた。そして由樹が騎士の前を通り過ぎる際に、ぎらりとした獰猛な視線を由樹に向けてきた。 ――勘弁してよ、俺、何もしてねーだろ? そういう類の視線を試しに送ってみたが、逆に睨み倒された。 正直、俺、この騎士が恐いです、神様……。助けて下さい。この騎士を抹殺して下さい。 もちろんその願いは神さまが聞いてくれる訳もなく、小心者の由樹が極度のストレスに苛まれているのに対し、金髪金眼の少女は全く物怖じせず、堂々たる様で王座に近づいていった。 ――何だ、コイツ。この場所が、怖くないのか? その見事な堂々たる態度にはある意味感心した。この少女は由樹とそう違わない年齢だというのに、大人と対等にある。そんな印象を抱かずにはいられなかったのだ。 少女は王座の前で跪き、由樹にも同様のことを求められ、ちょっと気恥ずかしいも跪く。 少女は鈴の音のような流麗な声で、現状を王に報告し始めた。 「報告いたします。キング級の召喚は敵の妨害に遭い、失敗しました」 その途端、周りの騎士や召使たちから呻き声が上がった。 周囲の様子を完全に無視して、少女は一切気にせず、続けた。 「その結果、召喚されたのが私の後ろにいる者です。この者は見知らぬ座標から“竜の谷”に召喚され、黒竜グイシンに遭遇。ラドルアスカ・D・ローレ様がお連れになりました」 ラドルアスカ・D・ローレという人名の部分でピクリと反応したのが、竜から堕ち手由樹を剣で刺したあの“ハンサム騎士”だった。恐らくは、奴がラドルアスカ・D・ローレなのだろう。妙にそわそわしているのは、由樹の気のせいではないと予測する。恐らく、ハンサム騎士=ラドルアスカなるものは、金髪金眼の少女に由樹を虐めている様を見られたことに何か問題があるに違いない。 「敵のスパイは現在捜索中であります。報告は以上です」 下がってよろしい、と王の声が響いた。 「面をあげよ。イル・サレイドと異国の者よ」 王のお許しが出たので、少女――イルと言うらしい――と由樹は顔を上げた。 すると、今まで確認できなかった王様の全貌が見て取れた。王は酷く疲れた様子で、ごほごほと苦しそう咳き込んでおり、その度に近くにいる黒い服を着た女の召使に背中をさすってもらっていた。何だか、物凄く具合が悪そうな王様だ。病気なのだろうか。 「一つ訊きたい。げほっ……イル。キング級の召喚は何故に失敗したのだ。敵の妨害と言うが、万全な警備とルーファニーもついていたのだろう。何処に問題があったとそなたは思うのか、意見を聞き、……たい……ッ!」 そう言い終えると、老年の王は激しく咳き込み始めた。 ――大丈夫か? 心配になって由樹はイルを見やった。だが、どういう訳か少女は平然としており、何かを真剣に考えている様子だった。だから由樹は何時ものことなのかと安堵したのだった。
* * *
そんな由樹の心配を余所にイルは現在、どう言い逃れをしようか、己の知能全てでもって思考をフル回転していた。当然、王様の病状に構っている暇などない。そもそもイルは最近、タルデシカに呼ばれたので王の病状なぞ知ったことではないのだ。王の名前さえ知らない、田舎暮らしが長い人間である。都会のことなど知らない。だから、考えることは一つのみだ。 何とか、誤魔化さねば、また、あの小屋暮らしに戻ってしまう。それは不味い。 「敵はあまりにも強大でルーファニーと私がいても対処はできなかったのです。また、ナイジェルが足手纏いとなり、敵の追撃すらも出来ませんでした」 何とか良い言い訳ができたとイルは安堵したが、その言葉に一番驚いたのはナイジェルである。当然だ。真実はイルとルーファニーの喧嘩が原因で失敗したようなものだからだ。 真っ青になって王の前だというのに慌ただしくイルの方へと疾走してきた。 「これは嘘です。虚言でありますッ! 私は足で纏いになどなってはおりませんッ」 「……な、何?」 けほ、ごほ、がは。王の咳はさらに激しさを増した。 「本当の原因はルーファニー様とイル様が放った召喚術が邪魔で、追撃っ……ぐふッ!」 それ以上ナイジェルは発言することはできなくなった。 歴戦の英雄ルーファニーが、銀の杖でナイジェルのみぞおちに一発、食らわしたからだ。 ずるり、とナイジェルの体が床に崩れ落ち、イルがよくやった、とばかりにルーファニーに合図する。これはイルの予想通りの結末である。もし、ナイジェルに罪を着せれば、彼は必死になって違うと予測した。そして本当のことを言おうとすれば、ルーファニーが自分の味方になることも予想ずみ。全て計算済みだ。 「き、汚……い」 ナイジェルが何か言っているが、イルは素知らぬ振りである。 王は咳でナイジェルの言葉が聞こえなかったのか、酷くナイジェルを詰った。 「ナイジェルッ! 今後このようなことがあってみろ。貴様をドラゴンの餌にしてくれる」 「ひッ。申し訳ありません。以後、けしていたしませんので、どうかお許しをッ」 可哀想な人である。王は再び少女へと向き直った。 「して、イルよ。どう、ナイジェルが、げほっ……邪魔を……したのか?」 「…………え、」 そこまでは考えていなかったらしい、イルは焦ってルーファニーに視線を送ると、ぷいと視線を外されてしまった。いい案は無いらしい。不味いとイルは思う。 「どうした。早く、言わぬ、か。がはッ……、けほ、こほッ」 再び、王は激しく咳き込んだ。 当然、そう簡単に思いつくはずもなくイルは困惑する。どうしよう。やばい、かもしれない。嘘がばれたら、それはもう大変なことになるだろう。イルは焦り、どうしたものか、と考える。どうしよう、このままでは不味いことになるかも。ならば、いっそのこと。
しかし、次の瞬間―――。 「ごぼぉっ!」 王が口腔から鮮血を吐き出した。 遂に吐血したのだった。やはり王様は具合が悪かったらしい。 慌てた家臣たちが王の下へと駆け寄った。 「陛下をッ。陛下を医務室へ運べッ! 直ぐに医師の手配をっ」 白目を剥いて血反吐を撒き散らしながら、王は寝所へと黒服の女の召使によって運ばれていった。 * * *
その場から、少し離れたところで。 「助かったよ。陛下が倒れてくれて」 イルが心真っ黒な発言をしていた。 「これでこの問題も有耶無耶になるだろうな」と、やはり心真っ黒なルーファニー。そこでふとルーファニーはイルに向き直り、真剣な口調で、 「まさかだか、お前が何か毒を盛ったなどということは……、あるまいな?」 と、訊ねた。 暫し、沈黙してからイルが、 「まさか」 と、言った。 ルーファニーは孫が言い逃れするためだけに王に毒を盛ったのか、本気で心配になった。 「まさか、……な」
その様子を見ていた由樹は、異世界は恐い所だと震え上がっていた。 異世界は恐いトコらしい。
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