金髪金眼の幼さが残る少女は血の色のワンドを振り下ろし、今度は空中に金色に輝く図形を描き始めた。一体この少女が何をしているのか、由樹には理解できないがこれだけは言えた。 彼女が由樹の窮地を救ってくれた、と。 心の中で猛烈に感謝する。こんな所で死ななくて本当に良かったと、少女が助けてくれて本当に良かったと思うのだ。本当は言葉でも伝えたくて堪らなかったが、あのハンサム騎士らによって咥えさせられた猿轡によりそれは阻まれていた。そう由樹が思考を巡らしている僅かな間にも、金髪金眼の少女は空中に流麗な光輝く図形を超高速で画き続けていった。 その動作は慣れた様子で、複雑難解な図形を瞬く間に書き上げていった。 やがて複雑な図形は完成し、キィンという金属音に似た音をたてて、更に光が増し、そして最後に石畳に小さなコインを残し、図形の光はその場から消え失せた。 「ッ!」 ――魔法……。 由樹の脳裏にそんな陳腐な単語が浮かぶ。誰だって、思い浮かべるだろう。陳腐だが、何もないところから何かを生み出すことができるのは、手品師か魔術師のどちらかだから。 由樹が不思議に思って見ていると、少女は生れ落ちた紫色のコインを拾い上げ、由樹に差し出す。 「シニア、リーダ、ル、クローナ。ソロニシカ、ルーマ」 「……ッ」 ――な、何語? 外国人に出会うと拒否反応を起こす、日本人特有の血が騒ぎだしたのを、由樹は感じた。 アンタ、何いってるんデスカ。わったーしは、にっぽんじん。エイゴ、はなーせません。 猿轡をされていなければ、由樹は絶対にそう言っていた自信がある。 外国人の未知の言語は全て英語に聞こえるのは、悲しきかな日本人の性だろう。 だが、生憎と金髪金眼の少女はかなり強引な性格のようで、テンパッた由樹が何か妙な行動を起こす前に、無理矢理に由樹の首に紫色のコインを縛り付けてしまった。その拍子にさらりと金色の髪が由樹の眼前を垂れ、柔らかい香りが立ち込めて、由樹はちょっと妙な気分になってしまう。 「………ッ」 よくよく見れば、少女は凄く綺麗な容姿をしていた。金髪に白い肌とヨーロッパ風の容姿に、瞳は金色と少し変わった光彩を放っている。大きな猫のような眼には、ちょこんと小さな丸い眼鏡が乗っている。暫し、観察していると、その桜色の唇が動き、鈴のような声で言葉を発した。 それも、日本語で。 「言葉、……分かるかな?」 その時に感じた、由樹の感動は今まで生きてきた中でも、最高にスペシャルだった。 安堵と感動で危うく瞳から涙が零れそうになったのだ。海外旅行で迷子になってしまった哀れな観光バカな日本人たち。迷子だけど言葉は通じない寂しさ。ここは何処。ここが何処かも分からない。人に道を尋ねたいのに、言葉が通じないから尋ねられないという悪循環。 彼らの気持ちが今の由樹には痛いほど共感できた。言葉が通じないほど心細いものはないのだ。言葉が通じないとは意思の疎通が全くできず、相手に自分の気持ちを伝えられないばかりか、相手の言うことも理解できない。そういう状況になったのは短い時間にも関わらず、四面楚歌的な不安を由樹が感じたのは無理もないことだった。 思わず、力いっぱい頷いてしまう。 ――分かる、言葉が分かるよ、俺。 少女はそれを確認すると、ついて来て、とだけ言い、王城の奥へと進んでいった。 ついてこいと言われても、現在由樹は鎖でぐるぐる巻きの身動きが取れない状況だ。 「……ん、う、ぐぐッ」 動物園の猿のごとくガッチャガッチャと鎖を鳴らして訴えると、少女は振り向き、面倒臭そうに再び空中へワンドを走らせた。すると先程同様に、複雑な円形の図形が光を放ち、キィンという金属音とともに、由樹の体を拘束していた鎖と猿轡が弾け飛んだ。 「おぉ、すっげー」 金髪金眼の少女は既に歩き始めたので、慌てて由樹もその後を追った。
少女はスタスタと薄暗い廊下を進んでいた。由樹のことを振り返ろうともしないのだ。 突然、見知らぬ土地にやってきてしまった身としては、聞きたいことは山程にあるのだが、少女の顔にはありありと拒絶が表れているため、それは憚られる。 それでも由樹にとってはかなり深刻かつ重大な問題なので、恐る恐る、話しかけた。 「あの……、聞きたいことが」 「知ってるよ。あなたの事情は大体把握しているからね」 意外にも、いい返事が返ってきたので、調子に乗って由樹は続きを促す。 「事情って、俺が何でここにいるかを、アンタは理解してるってこと?」 こくり、と少女は頷き、 「私があなたを、ここに召喚した張本人だよ」 けけけけ、と何がそんなに楽しいのか、実に楽しそうに、嗤った。 * * * 時間は、少々、遡る。
キング級の召喚に失敗したルーファニーとイルは、暫し呆然として、滅茶苦茶に破壊された図式を眺めていた。流石のイルも、この時ばかりは顔色が真っ青だ。あまりの悲惨な結末にナイジェルは失神寸前。ルーファニーは怒りで興奮のあまり、不気味な笑いを堪えきれず、絶えず召喚場に響かせていた。 その薄気味悪く、そして実に気まずい空気が流れる中、異変は突如、起こった。 キング級召喚式が、チーズが溶解するように、グニャリ、と変形したのだ。 キィンという金属音をたてて、光が増し、何かを召喚しようとしている兆候が現れる。 焦ったイルが破壊され、ぐにゃぐにゃになった図式を覗き、呟いた。 「何、これ。見たこともない座標…。『天史教本』の座標に似ているけど、もっと遠くて、更に上。もっと高い、空の、“空の上”……の座標?」 怒りとショックから立ち直ったルーファニーも図式の検証へと加わる。 「これは、いや、ここはドラゴンの座標とも違うな」 イルとルーファニーは所謂、学者だ。 普段は、召喚術の研究に日夜費やす日々を送っている研究者。 その学者の性質上、新しい事象を発見すると研究してみないといられないのだろう。喧嘩をしていたことも忘れて二人はあーでもない、こーでもないと熱弁を振るう。やがて、図式が完成を向かえたらしく、その座標の物体、もしくは生き物を召喚することを示す、最後の輝きを放った。期待に胸を膨らませた学者組み二人は目を輝かせて、召喚されてくるものを待った。そして、待った。 「…………」 「…………」 彼らは待った。 「…………」 「…………」 彼らは、只管に、待った。 「ねぇ、まだかな?」 「まだだな」 何かが可笑しいなと二人は思う。 普通、召喚術を行なった際には、図式に召喚する物体の座標と何処に召喚するかという、召喚する場所の座標を画く。よって、必ずしも召喚場所と召喚している場所は一致せず、“遠隔操作的”に別の場所にも召喚物を出現できることはできるのだ。 だが、大抵の場合は魔導師がいる場所、つまり現在召喚している図式の場所に、召喚する場所を設定する。 今回の場合も、イルのいる“召喚場”に座標を設定しておいたのだ。 学者二人組みは、すぐさま召喚場所の座標を確認した。 「あれ、ここの座標に設定されてない。ちゃんと書いたんだけど。で、この座標は何処の」 「恐らくは、破壊されたショックで座標が狂うたのだろう」 「だから、この座標は何処の」 「自分で『天史教本』を開いてみればいいじゃろ。持ってないわけでもあるまいし」 「面倒なんだよ。私は莫迦ジジイよりも多く持ってるから、探すのが大変なんだよ」 「わしだって多くもっとるから、いちいち探すのが大変なんだ。くそ孫よ」 ぶつくさ言いつつもルーファニーは『天史教本』を開き、座標を捻出した。 その様を見ていたナイジェルは贅沢な悩みだなぁ、と本音を零す。本来ならば、あまり起きない悩みである。それほど大量の『天史教本』を召喚できる魔導師というのは多くはないのだ。 大変だ大変だ、と文句を垂れた割には、ルーファニーは素早く謎の座標を見つけ出した。 「この座標は“竜の谷”だ、間違いない」 “竜の谷”とは、召喚したドラゴンを飼育する宿泊施設である。言わば、ドラゴンたちのたまり場だ。ドラゴンたちは戦術兵器ということもあり、王城より少し離れた所に管理されているのだ。盗まれたり、敵に破壊されると困るからだ。 「“竜の谷”に召喚しちゃったの? げー。そこまで行って見てくるのは実に億劫だね。何とかなんないの」 イルの言葉にルーファニーは、『天史教本』45冊子、67章、45ページ掲載の〈ランゼルの鏡〉を召喚する。〈ランゼルの鏡〉とは、かつて高名だった魔導師ランゼルが外に出なくとも、世間の様子を窺いたいと思い、作り上げた遠隔透視鏡のことで、この鏡があれば何処にいても、あらゆる場所を見通せるのだ。 ルーファニーは空中に銀の杖を走らせ、素早く召喚して見せた。 「ジジイの癖に意外に速いね。本当は息切れしてるんじゃないの」 意外な早業にイルが嫉妬したのか、言わなきゃいいのにわざわざ、文句を垂れる。 「む、しておらんわ。もうお前には見せてやらん」 実に大人気ないルーファニー。 「にゅ、いいもん。自分で召喚するから」 空中に血の色のワンドを走らせ、イルも召喚する。 そうして近くにいるにも関わらず、わざわざ二人は別々の鏡で空中から現れた異人のことを観察し始めた。本当に仲の悪いと思いつつ、ナイジェルはルーファニーの鏡を覗いた。 観察していくと、いともあっさり、“とある騎士”が黒竜から堕ちていったこと。どうやら空中から現れた異国人がこの国の言葉を話せないこと。どうやら話しの流れからいって、黒竜から堕ちた騎士が逆恨みから城に連れていって私刑にしようとしていることなど、が全てはっきり分かってしまった。 「イル、ちょっと行って止めてこんか」 「お金は?」 くれないと行かないよ?、とばかりにイルが、手のひらを返して、金額を要求した。 「いいから行ってこんかッ! 行かないというなら、お前の家と全財産を破壊してくれる」 渋々ながらもイルは由樹の元に足を運んだのだった。 そんな訳なのでした。
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