頑丈な鎖で、甲冑の騎士たちによってぐるぐる巻きにされた由樹は、更に猿轡をされ、まるで西部劇の罪人のように街を馬車に乗せられた。よく見ると、――いや、よく見なくても――街の人々はハリウッド映画で出てくる役者の衣装のような、ファンタジックな服装だった。 街並みもレンガ造りの洋館が建ち並び、道は舗装されておらず、一つの街灯もない。 由樹は自分が中世にタイムスリップしたような感覚がした。 服装や街並みも妙だが、日本人らしき人種は一人も見当たらなかったのだ。 外国人ばかりだ。古風な街の人々は、じろじろと不審そうに由樹のことを見て、「カジミ! カジミ」という謎の単語をやたら連呼しており、おまけにトマトに似た実や中身が緑色の卵が絶えず投げつけてきた。 ――カジミって何だよ。大体、ここは何処なんだ? 分かんねーよ。 由樹の疑問は膨らんでは萎んでいった。 そうこうしているうちに順調に騎士たちの馬車は進み、丘の上に建つ巨大な城が由樹の視界に入ってくる。丘にあるせいか、大きく威圧感のある城と窺えた。その城の近くにはドーム上の建築物があり、何故かそこからは真っ黒いキノコ型の煙が立ち上っていたのが見え、何か火事でもあったのだろうかと由樹は不思議に思った。 馬車でドーム状の建物を越えて丘を登り、黒い鉄製の城門が開き、悠々と堂々たる風体で馬車はその門を潜った。その際にも、門番の人だろうか、兵士たちが妙に由樹のことを冷たい目線で睨みつけていったのが気にかかる。 今まで、まさかまさかとその考えを打ち消しながら思ってきたが、もしかして犯罪者か何かと間違われているのでは?、という疑念が由樹の脳裏に浮かんでは消えていく。 ――その前にあの、さっきの動物は何なんだよ。 ――新種の蜥蜴か? いや、空を飛んでいたから、新種の蝙蝠か。 薄々、この世界が妙なことになっていることを由樹は気がついていたものの、認めたくないという気持ちが勝って、目の前の事実を受け入れがたくなっている。 ……蝙蝠はあんなにデカくない。
そして、馬車が止まった。 そのとき、由樹の頭上を巨大な黒い影が轟音を成して通過していった。 飛行機が空を通過していく音に似ていた。勢い良く、由樹は真上に広がる広大な空を仰ぎ見る。 そこには、赤い皮膚をしたドラゴンが空を翔けている姿があった。 ――……蜥蜴でも、蝙蝠でもない。こいつは、…………ドラゴンだ。 ゾワリ、と皮膚に寒気が走った。
王城に着き、甲冑に身を包む騎士に馬車から降ろされ、由樹は王城の奥のほうへ連れていかれた。何がなんだか、さっぱり由樹には分からない。自殺者を助け、そのせいで高層ビルから転落して、気がつけばグランドキャニオンで黒いドラゴンにどつかれて、 そのまま中世騎士に鎖でぐるぐる巻き。何だよ、それ。 もしかして、ここは死後の世界なのか。それともビルから転落したショックで頭が混乱しているのかもしれない。もしくは自殺者を助ける場面から既に夢だった。あるいは、これは由樹が作り出した単なる妄想。 妄想だったとしたら、やばい。精神科に行かなくてはいけない。現実と区別ができない子供として、危ないやつのレッテルを貼られてしまう。――大変だ。 「エンダーヤ ボロドロ!」 汚い鼻濁音の流麗な低い声がして、はっと由樹は声のした方向を振り向いた。 すると、そこには先程、黒竜からあっさり転落した間抜けな騎士が由樹のことを指さし、「カジミッ!」と怒鳴っていた。 空中では定かではなかった騎士の外見は、よくよく観察してみれば、かなり格好よく、とてもドラゴンから落ちて情けなく悲鳴を上げていた騎士と同一人物とは思えなかった。 スラリとした細身の体型で、日本人の由樹から観ればかなりの美系。生粋の白人だ。白人は否応がなく格好よく見えるが、それでもこいつはどこぞの王子みたいな気品があった。 更に、その上に薄茶色のサラサラヘアーがトッピングといった感じだ。 絶対にお友達にはなりたくない人種である。 騎士を見た瞬間に、由樹はその騎士が大嫌いになった。 ――こんなやつがこの世にいるから俺のようなやつが目立たないんだ! 湧き上がった嫉妬心をなんとか押さえて、気楽に由樹は騎士に話かける。 「はぇ、はんで、あんはおほってふの」 はぁ? 何で、アンタ怒ってるの。 そう言ったはずだったが、明確には彼に伝わらなかったらしい。 全ては猿轡のせいである。いや、言語の壁のせいもある。 とにかく由樹としては上空から落ちて命があるのを喜ぶべきと思うのだが、何故だか、そのハンサム騎士は由樹のことを指さし、激怒しているのだ。意味不明だ。 やがて、その周りにいた甲冑騎士たちも「カジミ、カジミ!」と興奮ぎみに叫びだした。 更に、由樹は混乱していく。 「――?」 彼らは剣を抜き、その剣を力いっぱい床の石畳に打ち据えた。その振動は由樹のところまで轟き、彼らの興奮が最高潮に達し、黒竜から落ちた騎士がにやり、と陰湿な笑みを浮かべて、剣を持って由樹の傍に歩み寄ってきたのだ。 まさかまさか、とは思うのだが、その鋭く殺傷能力十分の武器で、騎士は自分のことを傷つけるつもりなのかと由樹は不安に囚われる。 ――まさかぁ。きっと、あの剣で俺の縄を切ってくれるに違いない…………多分……。 しかし、前者の予想はぴたり的中し、剣は勢いよくブスリと由樹の腕を貫いた。 肉、を抉り取った。 剣が肉を取り去っていったのだ。 皮でもない、由樹の肉を。 「―――ッ!」 声にならない悲鳴が、猿轡を通して由樹の口から漏れた。 痛みで暴れまわってのた打ち回りたいのに、それを無骨な鎖が邪魔をする。 目の前が真っ白になって、不覚にも涙が零れ落ちた。 猿轡から呻き声と恥ずかしながらも涎が出て、それでも何をしても痛みが脳裏を埋め尽くした。 痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛いんだよ畜生ッ。 それしか、考えられない。 苦しんでいる様子を嘲笑うように、彼ら騎士達は剣を石畳に打ち据え続けた。 「カジミィ、ドローゼ、シニア、ピーネッツ」 騎士は何かを呟き、まるで神に祈るかのように何処かを仰ぎ見た。 その祈りを観て、由樹はますまず嫌な予感がしてきた。 ――このポーズは、神よ、この罪深き罪人をあなたの下へ〈逝く〉ことをお許しください、………みたいな意味じゃぁない、……よな? ッにしても痛ぇ! この野郎ッ。 以前、殺し屋や軍人が人を殺したりする際、必ず殺す前の止めの瞬間に、十字を切るシーンがあるのを、テレビか何かで見たことがあったのだ。実際は映画だったが。 その映画同様に、ハンサム陰険騎士は剣を由樹目掛けて振り下ろした。 ――や、やっぱり……! クソ。こんなトコでッ、死ぬのか、俺は。嫌だッ。 何とも嬉しそうな騎士の横顔を眺め、初めて由樹は神に祈った。 “信じないとか言ってごめんなさい! 土下座して謝るから、頼むから、何でもするから、今度からお賽銭弾むし、日曜日には教会にミサにも行きます。だから、神さま。俺を助けてください!” その何とも他力本願で宗教の入り混じった罰当たりな願いは、意外にもあっさり天に届いたようである。 騎士の振り下ろす剣は由樹の肉に到達する寸前で、緑色のドラゴンに弾き飛ばされたのだから。 カランカランと剣が軽い音を成し、石畳を転がっていったのが視界の隅に見えた。 視線をずらすと、金髪金眼の眼鏡を掛けた黒ローブを身に纏う少女が、そこにいた。 金髪金眼の少女の桜色の唇が動き、そこから声が発せられる。 「エナ、カジミ」 カジミではない。 それだけ、告げた。
ありがとう、神さま……。 人生で初めて、心から由樹は神に感謝した。
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