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作品名:空を翔る猿 作者:氷室 龍獲

第45回   一方通行よ、更新セリ


 日付は2001年、6月、3日。

 記事の内容は、とある一家で惨殺された少女のこととその容疑者が判明し、忽然と姿を消したということ。
 大体の内容はこんな感じであった。
 ある日、家に帰ってきたt君12歳は、姉であるyさんが血塗れになって倒れているのを発見し、救急車に通報。
 その一時間後、警察の尽力な聞き込み捜査のおかげで容疑者が浮上。
 K家より出てくる一人の血塗れの男が近所で目撃されていたので、捜査は直ぐに進展したらしい。そして、その容疑者の名前は志野 幸四郎――。
 志野 幸四郎は元自衛隊隊員であり、現在は無職の成人男性で、強盗目的でk家に侵入し、そこで鉢合わせをしてyさんを殺し逃走、と当時そのような見解だったらしい。
 だが、意外にも早く見つかった犯人は、とある高層ビルの屋上から姿を消した。
 自殺、という線もあったらしいが、その遺体はいまだ見つかっておらず、事件は迷宮入りした……。

 そして、その五年後に由樹があのビルから同じ方法で、あの世界へと旅立った、と。
 由樹はイルによって、シノはロナによって、あの世界へと召喚された。
 ――くそ、夢なんかじゃなかったッ!
 全ては現実に起こっているものだったのだから。
 由樹はあのイルとか、ラドルアスカとか、ルーファニーとか、グイシンとかリュイ・シンとかがいる世界を、もう否定することはできなくなった。
 確かにあると確信してしまったから。
 がさがさと持ち出し禁止の図書室の雑誌をポケットに捻りこんで、急いで教室に戻って鞄を引っつかんで出口に向かう。
 途中、隆二が、
「え、由樹くん帰るの!? 僕も一緒に―――」
 とか、言っていたような気もするが、とにかくそんなことは眼中になく由樹は下駄箱に向かって階段を駆け下りた。早く、速く、何かをしなくては。そんな焦りが募る。
 焦燥、怒り、憎しみ、嫌悪、妄執、執着、軽蔑、悲しみ、歓喜、愛執、安堵――。
 あらゆる全ての感情が濁流のように由樹の心に吹き荒れた。
 心臓がどくどくいって、言うことを聞いてくれない。
 それらの感情を必死に抑えて、由樹は廊下を疾走した。
 下駄箱の靴を取り出して、素早く履き替えると、鈴の音のような美しい声がした。

「羽柴。一緒に帰らない?」

 正直、今はそんな場合じゃない。帰らなくては。何かをしなくては。
 けど、けれども、その声の主は、あの学年一の美貌を誇る茜ちゃんであったのだ。
 こんなチャンス、天変地異が起こっても断れるはずも無い。
「い、いいよ」
 既に口が動いちゃっていたんだから、仕方がないじゃないか。
 ――お、俺のせいじゃないやい。
 言い訳は虚しい。
  *
 結局、断れるはずもなく――いや断れたんだけど――由樹は茜ちゃんと“仕方なく”帰ることにした。
 本当に仕方なくだ。仕方なく。
 実際、異世界のことがチラついてイライラしていたのだから、内心穏やかではけしてない。一方、茜ちゃんは何処か楽しそうににやにやしていた。
「何処行く?」
「え、一緒に帰るんじゃないの?」 
 茜ちゃんの顔がむっとしかめっ面になった。
 どうやら、彼女はあの言葉を一緒に帰るだけじゃなく、一緒に遊びにいこうという意味で使ったらしい。確かに、小学生じゃないんだから、ただ一緒に家まで帰ろうね、じゃおかしいはずだ。
「……ああ、何処でもいいよ」
 この返答で更に、茜ちゃんの顔に皴がよった。や、やばい。やばいぞ。由樹。
 デートをしようと茜ちゃんからのお誘いをこんなつまらないことで無碍にするのは愚かの何者でもないだろう。
「あー。えーと……、あー」
 何処か、デートスポット的な場所を脳内で検索するが、一向にそんな場所は思いつかず、思いつくのは無骨な高層ビルの屋上だけ。
 由樹が考えあぐねていると、
「じゃ、ちょっとお茶しよう。お茶」
 もちろん、代金は由樹持ちということだろう。腐ってもショボイ改め大企業の社長の息子だ。その程度の金は持ち合わせている。
「いいよ。そこに行こう!」
 ……ということで、由樹と茜ちゃんは喫茶店に向かうことになった。
 ほっと安堵した。どうやら、気の利かない男ランキングにランクインされそうだ。
 危機を乗り越えたというのにでも、何だかイラつくのは何故だろうか?
 今というタイミングのせいもあるのだろうが、何故か金髪金眼の少女の顔が脳裏をチラリチラリと掠めていくのが無性に苛立たしい。いや、イルだけでなくあんなにも大嫌いであったラドルアスカの顔まで出てくるのはどうしてだろうか。
 いやいや、何だかむしろラドルアスカは以前の倍くらい嫌いになったのは何故だか。
 ほっと、一息とばかりに喫茶店のテーブルにつくと、思い切り溜息を吐き出した。
「どうしたの?」
 鈴の音のように心地いい声で茜ちゃんが由樹にそう訊いてきたことで、やっとその愚かな妄想からは抜け出せたくらいだ。
「……や、何でもないよ」
「何か、用でもあるの?」
「ないけど?」
 彼女は何が不満なのか、眉間に皴をよせて、由樹を凝視している。
 茜ちゃんに皴など全く似合わない。彼女の美貌は、顔はもちろんのことスタイルもモデルのような体型をしていて、一切の隙がない。普段、何もしなくても綺麗だというのに、その上何故か今日はメイクまでしてあるのだから、道端で彼女を振り向かない男はいないだろう。髪の毛は金髪に染められており、人によっては全く似合わなくなってしまう金髪も彼女だとすんなり受け入れられるのが不思議である。
「だって、全然あたしのこと見てないじゃない」
 茜ちゃんは、ご立腹だ。きっと、彼女を目の前にして、目を逸らす男に会ったことなどないのだろう。当然だ。由樹とて逸らせない。……のだが、何だか以前好きになったときとは何処かが違う気がするのだ。由樹が変わったのか、茜ちゃんが変わったのか?
 なんと言うか、確かに以前の平凡であった由樹ならば、茜ちゃんを前にして浮つき、心躍らせたであろうが、今は微妙にそれほど嬉しくない。
 ――きっと、志野 幸四郎の謎が分かって、俺が落ち着いていないだけだ……。
 そうに違いないと自分で自分を納得させて、由樹は茜ちゃんにだけ集中した。
「そうかな。見てるよ。見てないわけがないだろ。で、何か頼む?」
 にこり、と透には及ばずとも爽やかな笑みを浮かべて、由樹は喫茶店のメニューを差し出す。
「あたし、紅茶」
 その言葉に連想されて、思わずイルに飲まされたクソまずい青色の汚水お茶を思い出してしまった。今、よく考えれば、あのお茶は絶対におかしかった。だって、普通のお茶がドブのような味をしているわけがないからだ。ああ、そういえば、イルのやつは物凄く意地が悪くて、そのお茶も恐らくはイルの謀略に違いないのだろうと思う。
「羽柴。さっきからぼうっとしてるけど、あたしといるの、つまらないかしら?」
「全然!」
 その茜ちゃんの言葉に由樹はぶんぶんと頭を左右に振る。
 茜ちゃんといて、つまらないはずがないのだ。だって、こんな綺麗な女の子といてつまらないと言う男はホモかニューハーフかオカマか、もしくは精神異常者サイコさんだ。
 とはいえ、茜ちゃん並みの美貌を持つ、金髪金眼の誰かさんと由樹は一緒にいてどうにもならなかったのだから、やはりそれは好みの問題なのかもしれないとも思う。
 その誰かさんと既に対話しているからか、以前ほど由樹は美人に反応しなくなっているのか。だから、茜ちゃんといても落ち着かないのだろうか?
「ちょっと、羽柴?」
 うわわッ。しまった。またも、由樹は茜ちゃんを置いてきぼりに物思いに耽ってしまっていたらしい。急いで、由樹は言い訳の言葉を紡ぐ。
「ごめん。ちょっと、……」
 言い訳が思いつかない。
「ちょっと、……」
 ちょっと、何だ?
 ……何て言えばいい?
 俺は何をしたいんだ?
 そう、つらつらと考えていると、やはり無性にイルの顔がチラついて困った。
 何だ、どうした、羽柴由樹……。
 今は茜ちゃんとのデートの最中で、一生お目にかかれないような幸運の中にいて、それで、とても幸せなはずなのに、何故、何で、アイツの、いや、アイツが鼻血出しながら必死に『天史教本』を召喚する姿が思い浮かべられるんだ?
 そこで今まですっかり忘れていたことを、ハッキリと思い出した。
 ――って、アイツ、無事なのかッ?『天史教本』を無理に召喚しようとしていて、死にそうだったんじゃ……。
 異世界の最後のイルの姿は、我武者羅に『天史教本』を死ぬ気で召喚するボロボロの姿だ。イルが今も無事とは限らないのだ。そんなことも忘れていたなんて。
 そう考えた瞬間、ゾワリ、と身体全身に怖気が走った。
 今こうしている、この瞬間にも金髪金眼の少女は命を落としているかもしれない。
 でも、そうしないと今度はリュイ・シンが命を落とす。
 でも、でも、俺はどっちに助かってほしいんだ?
 どうすればいい? 
 だいたい、異世界はあるのか? 
 夢なんじゃないのか? 
 何を今更言ってやがる。志野 幸四郎の記事が見つかった時点で確信したじゃないか。
 でも、シノと志野、全くの偶然だったら? 
 全ては、ただの偶然であったとしたら。否、それ以前に俺はどうやって異世界に行ったらいいんだ。どうすれば――――、
 と、そこでとうとう茜ちゃんが爆発した。
「ちょっと、あたしといたくないなら、もう帰ってよ! で、どうするのよ?」
 その、答えは決まっていた。

「ごめん。俺、帰るわ」
「……えッ!?」
 恐らく、人生で一度も彼女を前にして帰った男はいないのだろう。心底、驚いたような顔を茜ちゃんはした。でも、由樹は気にしない。もう心に決めたのだ。
「俺は、なんとしても、何をしても、どんなことをしても異世界に、行く」
 その理由は、一度助けてくれ、面倒を見てくれ、とても意地が悪い魔女を救いにいくためだ。

 一方通行は更新した。
 


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