20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:空を翔る猿 作者:氷室 龍獲

第4回   キング級図式



 ……キング。

 それは王を名指す言葉だ。百獣の王しかり。その言葉には同時に、強いという意味合いも含まれているのだろうし、最も優れたものという別格なる印象も含まれる。
 ドラゴンの中でもそれは同様で、とてつもなく強い個体をキング級と称しているのだ。
 ドラゴンのキング級は、一つの島ほど“大きく”、一つの島を滅ぼすほど“破壊力”があり、一つの島のどの人間よりも“知恵”がある、と云われていた。
 それ故、戦争時では絶対的な切り札となる存在だが、召喚に必要なキング級のドラゴンの座標を捉えられる魔導師は十年に一人いるか、いないかとも云われていた。
 座標とは、どの魔導師でも理解できるものではなく、『天史教本』という虚空の座標から召喚できる教本に載っており、その本に全ての座標が記述されている。
 『天史教本』は何万冊にも渡り存在するとされ、この世の全ての歴史が記されているとも伝えられているのだが、全てを召喚できた魔導師はいない為、定かではない。 
 従って、『天史教本』をより多く召喚できる魔導師が、腕のいい魔導師と定義されていた。
 腕のよく力のある魔導師によって、レベル相応の『天史教本』が空から送られてくる。このシステム上、力のない魔導師には一冊しか召喚できないという例も珍しくないのだ。
 そのキング級の座標が記されている『天史教本』を召喚した、偉大な魔導師であるイル・サレイドは現在、タルデシカ国の王城で“だだ”を捏ねていた。

「ビタ一文まけないからね」
 タルデシカの国庫全額出してよね、とイル・サレイドは言った。
 ルーファニー付きの兵士のナイジェル・コスロワは、何とかその駄々子を宥めようと、躍起になっている。
「そんなこと言わずに、どうか愚かな我々にお力を貸していただけないでしょうか」
「――ッ? 何で、ただでアンタらに力を貸してやんなきゃいけなのかな。私はこれでも忙しいんだよ。色々研究しなきゃいけないんだよッ。そんな私の大事で貴重な時間を浪費させてくれと頼むんだから、それなりの代償は払ってもらわないと困るんだよね。世の中さ、愛だの思いやりだの言ってるけど、結局はお金が無いと渡っていけないんだよッ。食べ物も食べられないし、着るものも買えないんだよ。だから、なんと言われようと駄目なものは駄目なんだよ。誠意を見せてくれないと」
 こんのクソ餓鬼が、と思いつつナイジェルは理性で拳を押し留めた。そうでなければ、ナイジェルの拳は金髪金眼の美しい少女の顔を完全に破壊していたところだろう。それに、イルは屁理屈のような、だがある意味正論でまともなことを言っているだけに、余計に腹立たしい。これでは反論できないではないか。
 再び、満面の笑みを顔に貼り付けて、ナイジェルはイルを宥めにかかる。
「そんなこと言わないでくださいよ。もし、召喚していただけたなら、皆の者もあなた様を英雄として崇め奉るでしょうから」
「名誉なんかいらないね。興味ないよ」
「では、何に興味があるのですか。何でもお申し付けください」
「だーかーらー、お金とお金とお金なんだよ」
「……ッ」
 ああ、もう限界だ。クソ餓鬼め。大人を舐めるなよ?
 兵士ナイジェル・コスロワの血管系は膨張し、今にも切れてしまいそうだ。子供というのは本当に性質が悪いもので、理屈は聞かないし、周りの目は気にしなし、おまけに自分が世界で一番偉いと思っている。だから、時々大人は拳を振り上げて、そういう子供の道を正してあげるのだ。
 ――そうだ、これは聖戦なのだ。正義は我に在り。
 我慢していたナイジェルが拳を振るおうとした、その瞬間、救いの神は現れた。
「ナイジェル、後はわしがやる。下がれ」
「は、はい」 
 救いの手はタルデシカの英雄で、一番の召喚術の使い手、ルーファニー師だ。
 これで、どうにかなるだろうとナイジェルは、壁際まで下がって成り行きを見守ることにした。ルーファニー師の口元が引きつっているのが気になったが、おそらく怒っているのだろうと結論づける。
「ところで、気になっていたのだが、お前は本当にキング級が召喚できるんだろうな?」
「どういう意味かな、それは」 
「つまりの。わしらも別に金がない訳ではないのだ。だがな、お前が召喚もできないのに、嘘を言っているのではと心配で、皆渋っている訳なのだ。金を払って持ち逃げされても、敵わないのでな」
「私が嘘を言っているというの」
 ゆっくりとルーファニーは頷く。
 イルはわなわなと悔しそうに振るえた。流石、ルーファニー師だとナイジェルは思う。子供は挑発に乗りやすい。イルはまだ十代前半か、その半ば。そんな子供に挑発を受け流す技量はないだろう。また、実際の所、イルの要求している金額が長年の戦争で疲弊したタルデシカの宝物庫にはないという、とても重大かつ大変な問題があり、はっきり言ってどうにもならないのだ。
 悔しそうな様子のイルが挑戦的にルーファニーを睨みつけ、告げた。
「いいよ。そこまで言うなら召喚するよ」 
 イルは見事に挑発に乗って、“召喚場”へと足を進めた。
 巨大でドーム上のその広場は“召喚場”と呼ばれる、召喚術を行うときの部屋だ。巨大なドラゴンなどを召喚するときに使い、周りには一切人が近づかないように隔離された場所。
 その場所――召喚場――の中央に立ち、イルは赤い宝石の付いたワンドを構えた。
そして、くるりとルーファニーたちを振り返って、
「召喚できたら払ってよね、お金。ビタ一文まけないからね」 
 そう、言った。実に憎たらしい。
「分かっておる」
 その返答を確認し、フンと尊大に鼻を鳴らしてからイルは猛スピードで空中に図形を画き始めた。ワンドが輝きを放ち、図形が金の光を放った。金色の光がナイジェルとルーファニーらの目を貫く。
「………これは、凄いですね。並の魔導師ではこうはいかない。早業です。感服しました」
「確かに。これ程とはわしも思わなかった。だが、この才能だけに逆に“末恐ろしい”の」
 その間にもイルの図形は広がる一方だ。どんどんと、巨大で複雑な図形の幅は空間を満たしていく。円形のリングが幾つもの重なりを見せ、リングの内側にも奇怪な模様が浮かび上がる。確かに、ルーファニーがこの歳でここまで書けるのだから、後々は恐ろしいというのも分からなくないなとナイジェルは思った。
 後々と言わずとも、現在にも恐ろしい問題が残っているのも現実である。
「それはそうとルーファニー師。どうする積もりなんです。お金の方は」
 長年のカジミとの戦争で国力の落ちたタルデシカにイルの要求する多大な金などない。
 その事実を知ったイルは、あの性格上黙ってはいないだろう。怒り狂って、あの才能はナイジェルたちに牙を剥くかもしれないのだから。
「問題あるまい。召喚してもらえばこっちのもの。後は、ばっくれてしまえばいいのじゃ」
「あ、なるほど。名案です」
 せこい考えである。とても英雄の思考とは思えない、年金暮らしの老いぼれ爺さんのような考えだ。
 その時、せこい相談をしていた二人のことをギラリと射抜く、金の瞳があった。
 金色の瞳とくれば、イル・サレイド、その人である。
 広大な図形を画きつつも、こちらをひたと見詰めて不敵な笑みを浮かべている、その様子に兵士ナイジェルは只ならぬ予感がした。その予感は見事に的中する。
「ッハ。どうせ、そんなことだと思っていたよ、ロナの師。だからね、私もそれ相応の手段を取らせてもらったからね。そっちから嘘を言ったんだから、文句は言わせないからね」
「それ相応の手段、………だと?」 
 ルーファニーが怪訝な表情で訊いた。
 ふふん、と可愛らしく笑ってイルは実に偉そうに、答える。
「当たり前でしょ。私があんな笑い薬を作るためだけに、長年の歳月を費やすと思ったの。それは阿呆というものだよ、君」
「貴様、あのお茶に……まさかだが何か“他”にも入れたのか?」
「ッハ、もちろんでしょ。あの笑い薬は私の特性だよ? 一生直らないばかりか、なんと一回笑うごとに辛い記憶を忘れることができるんだよ。楽しいでしょ薬でしょ? ふふん」
 どうやら、あの薄気味悪い笑いの発作を起こす度に、辛い記憶を忘れることができるという“笑い薬”らしい。それは良いことのように聞こえるが、逆にルーファニー師の顔色は真っ青である。不思議に思って、ナイジェルがオロオロしながら訊いた。
「それは、良いことなのでは? 辛い記憶など忘れてしまった方が宜しいかと存じますが」
「莫迦じゃないの。辛いことを忘れたら戦争のように辛いことも忘れるでしょ。じゃ、ルーファニーは戦争の作戦だとか、その知識も、忘れていっちゃうんじゃないのかなぁ?」
 けけけ、とイルが何とも楽しそうに笑った。
 これにはナイジェルも真っ青になった。ルーファニーに戦争の技術も忘れられたら、大変なことになる。現在、タルデシカ軍の指揮を執っているのはルーファニーで、彼がいたからこそ、ここまで戦えたのだ。小国のタルデシカが持ち直しているのは、歴戦のルーファニーと現ネチ(×2)司令官のタッグがあればこそ。
 それを忘れられでもしたら、タルデシカの指揮は一体誰が行うというのか。
「貴様ッ!」
 怒りに燃えたルーファニーが、光輝く図形の真っ只中にずかずかと入っていった。
「そっちが悪いんでしょ。お金さえ払ってくれれば解毒剤を渡すよ。お金と引き換えだね」
「――お遊びが過ぎるぞッ! イルッ」
「お前にイルなどと呼んで欲しくなんかないね、“ロナの師”」
「“お爺さま”と呼べッ!」
「っは、くそじじぃが何を今更言うッ……。おっと、じじいって呼んじゃったよ。いけないいけない。“ロナの師”が今更何を言うのかな。この私に向かってどの口きく気」
 憤怒の燃えたルーファニーがイルに掴みかかった。ナイジェルにはさっぱり事情が呑み込めない。先日のやり取りから、二人の仲が異様に悪いことをとひしひしと感じてはいたものの、根本的は部分ではそれほど悪くはないと思っていたが、これはどういうことなのか。
「る、ルーファニー師。召喚中に図式の中に入るのは危険です。止めて下さい。それにお爺さまと呼べってどういうことなんですか。私は何がなんだか。イルさまとはどういう関係なのです」
 困惑したナイジェルの質問で少し冷静さを取り戻したのか、ルーファニーが口を開く。
「イルはわしの孫だ。ナイジェル、わしの苗字はなんじゃいッ?」
「――あ、サレイドでした。ルーファニー・サレイド。ああ、そういうことか。なるほど。イルさまはイル・サレイド。――ということは、ルーファニー師のお弟子さんというのは」 
「“ロナ”はわしの弟子であり、わしの娘だ。だから、あははっははっははッ」
 高々に笑い始めたルーファニーの様子にナイジェルは蒼白になる。
「笑っては駄目ですよ、ルーファニー師。戦争の知識がなくなってしまいます。我慢して堪えてください、国の未来の為にッ」
 国の未来を考えて笑いを堪えるとはまた、不思議な未来設計である。
「うふ、あは、あははははははははッ!」
 何とか笑いを抑えようとルーファニーが奮闘して、ぴくぴくと肩を震わせた。
 そして、実に楽しそうにイルが付け足す。
「あ、そうそう。いい忘れたけど、その“笑い薬”は、興奮すると激しく笑うようになってるからね。興奮したり怒ったりするのは要注意」
「貴様、そういうことはもっと早く……ッ! うふふふはは、」
 人間には限界がある。当たり前であり自然の現象だ。人は単独で空を飛ぶことは出来ないし、無から有を生み出すことなどできないし、怒りにも限界というものが確かに存在する。
 だから、ここがルーファニーの限界点だったのだ。
 怒りで見境がなくなったルーファニーはその場で召喚術を発動させた。銀色の杖で空中に超高速で図形を画いた。ルーファニーが画いている図形は『天史教本』第128冊子、48章、56ページに記載されている〈悪魔の炎〉の座標だ。
 〈悪魔の炎〉。
 別名、〈黒い炎〉はその名の通り、黒色の炎で、全ての物質を焼き尽くす危険な炎だ。流石のイルも、その図式を見て仰天した。悪戯に召喚するような類のものではない。殺傷能力は絶大の召喚具である。
「ジジイ、私を殺す気ッ?」
「知るかいッ。お前など死ねばいいんだ。この世に生れ落ちたのが、そもそもの間違いなんだからなッ! ――この世の穢れめ」
「………あ、そう。そういうこと言っちゃうんだ。そういうこと言っちゃうんだね。言っちゃったよ。そっちがその気ならこっちも〈天涯孤独〉を召喚しちゃうからね」
 『天史教本』の第127冊子、56章、129ページに記されている〈天涯孤独〉。
 これは、家族を根絶やしにする呪いの符の座標が記されている。その符を一度召喚し、符によって呪いをかけられた相手の家族は皆不幸な死を遂げ、生涯孤独に身を焦がされるとされている最悪の符だ。
 ナイジェルはその無駄に高度な魔術戦を見やり、まさかだが二人に見境がなくなっているのではないかと思いぞっとして叫んだ。イルもルーファニーもかなり高レベルな召喚術師なだけに、二人が我を忘れたとなれば回りの被害は正直、考えたくないのだ。
「イルさま、〈天涯孤独〉を召喚したらあなたまで死んじゃうんですよ? 分かっていますか。ちゃんと理解していますか。それにルーファニー師、こんな所で〈悪魔の炎〉を召喚したら、王城まで被害が及んで、街全体が焼け野原になっちゃいますよッ」

『こいつが死ぬならそんなこと、構わないッ!』

 二人は同時に叫んだ。
 明らかに二人に見境はなくなっている。それでも非力なナイジェルに二人を止める方法はなく、おろおろしているとその目に飛び込んできたのは、召喚しっぱなしで放置されたキング級の図式だった。
「……あ、」
 召喚術において、図式だけは放っておいてはいけないという暗黙のルールがある。
なぜならば、その図式には座標を書き込む部分があり、多くの『天史教本』を召喚できない魔導師に座標を盗まれる危険があるからだ。だから、召喚の際は図形を早く画き、座標を素早く完成させるのが腕のいい魔導師である。
「イルさまッ、図式を放って何をやってるんですかッ! 万が一、敵に座標を盗まれでもしたら……ッ」
 遅い。
 その時には何もかもが遅かったのだ。
 ドームの天井に隠れている人陰。黒装束のいかにも怪しい人物。
 明らかに敵に座標を盗まれた。
「……あ、ああ」
 座標を盗まれると同時に、黒装束の怪しい人物は最も低レベルの召喚術を放って去っていった。その低レベルの召喚術のおかげで、最強のキング級図式はめちゃめちゃに破壊された瞬間だった。
「う、嘘でしょう?」
 キング級召喚は失敗したのだ。
 更には、唯一の希望は、敵の手にも渡ってしまったのだ。
 


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 45