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作品名:空を翔る猿 作者:氷室 龍獲

第39回   『―――』 透

 その日、高層ビルから転落したこともあり、由樹の容態を心配した両親が学校まで黒塗りのどでかい車でわざわざ送ってくれた。最初は、そんなとんでもない車で学校に行くなど、全力で暴れて拒否したのだが、今は素直に両親の配慮に感謝している。

 学校は騒然と祭りのように沸き立っていた。
 ――何だ、これは……?
 マスコミたちがショボイ三流高校の校門を陣取り、その集まったマスコミを『何事か?』と不審に思って観察しに来た野次馬たちが集結し、そして、その集団に注意を向ける学生達が立ち止まる。学園祭とて、ここまで人は集まらなかったと思う。
 わらわらと集まった人垣の間を黒塗りの高級車に乗って、由樹は無事に通過することができた。由樹単独で、この暴徒化した人々の間を抜けるとしたら、さぞ苦労した結果に終わっただろう。それにしても最近のメディアがつまらないネタしかなかったとしても、ここまで由樹の失踪を騒ぐなど思ってもみなかったし、また、親父の会社がそれほど大きなものに成長しているなんて、全然知らなかった。
 小学生のときは、中小企業であったはずなのに。確かそうだったと思う。多分。
「……はぁ」
 黒塗りの高級車が校門を抜け、学校の前で停止した。
 正直、学校に行くのは気が重い。それでも、逃げ帰るような臆病精神はプライドが許さないので、しぶしぶ、車のドアを開けた。
 ――うわ……。
 車の外の光景を見て、思い切り由樹は顔を顰めた。
 車から降りた由樹は学生全員の注目の的だった。皆が、由樹のことを、いや、失踪した社長の息子を注目していた。
 ――さ、最悪だ〜……。

 当然、教室に行っても、状況に変化はなかった。
 動物園の猿でも、もう少し注目されないだろうし、気遣われている気がする。
 いや、注目されるだけでなく、質問までされる破目になった分、先程より状況は悪化している気もしてきた。
「なぁ、お前、社長の息子ってホントなのか?」 
 そうだよ……、悪いかよ。
「凄い。羽柴君って、羽柴物産の御曹司だったのぉ?」 
 悪いが、お前など好みじゃねぇよ。だから、そうあからさまに目を輝かせるな。
「ね、誘拐されてたって、本当?」
 ニュース、見ろ。阿呆。ビルから転落って、朝刊に書いてあったろ。
「ばっか、自殺者を助けて、ビルから転落したんだって。本当は。けど、それって、嘘なんでしょ。ネットに書いてあった。本当は、駆け落ちして体裁が悪いから自殺者の話はでっち上げなんだってさ。で、本当はどっち?」
 …………。
「へぇ〜。でも、有名人だよな。羽柴、今度、俺とどっか遊びにいこうぜ」
 誰だ、お前は。
「ちょっと、ずるい。あたしも! おごってね。お金持ちなんでしょ」
 何で、俺がお前におごらねばならんのだ。悪いが、プライドにかけて、お前におごることは今後、この先一生ないからな。
「ちょっと、羽柴君。黙ってないで、ちょっとは事情を話してよ。クラスメイトじゃん。友達じゃん」
 都合のいいときだけ、友達かよ……。大体、だから、誰だよ、お前。俺は知らないからな、お前なんて。本当にクラスメイトなのか?
「ねぇ、一言くらい話してよ!」
 …………。

 そろそろ忍耐というものが、由樹の中で音を立てて切れそうだ。元々、気の長いほうではないし、我慢するというのも一人っ子育ちのため、経験が浅い。一人っ子なので姉や兄や弟や妹なんかに煩わされていない分、我慢経験値が圧倒的に低いのである。
 とうとう我慢しきれなくなって、由樹はガタン!、と音をなして椅子から立ち上がった。
 机の周りに集まっていた同級生達が一様に驚いて、ビビッて退く。無視して由樹は教室から出て行く。知ったことか。ビビれ、ビビれ。
「ど、何処いくんだよ。羽柴……」
 と、顔も知らない同級生が声をかけてきたので。
 くるりと振り返って、
「……便所」
 吐き捨てた。
 その同級生が尻餅をついた。
「……ああ、そう……」
 怯え気味に顔も知らない同級生が呟いたが、由樹は気にせず完全にその存在を無視して教室から出て行く。しん、と教室が静まる。何故かちょっと由樹が睨んだだけで大人しくなった。その訳はさっぱりだが、由樹には都合がいい。
 “あの夢”を見てから、ぬるい高校生とは少しだけ違う生物になった気がした。元来、友達も少ないほうであったが、更にクラスで浮いてしまった。

  * * *

 由樹が去った教室で先程尻餅をついた少年が、ぽつりと漏らした。
「アイツ、何か変わったよな……、妙な迫力があるっていうか……。何ていうか」
 少年に手を差し伸べた、もう一人の体格のいい少年が返す。
「殺伐とした?」
「ああ、そんな感じだな」
 にやり、と体格のよい少年が笑い、由樹の後を追って教室を出て行った。

  * * *

 結局、廊下でも注目を一身に浴びたため、由樹はトイレには向かわずそのまま屋上を目指す。次の授業はサボることにした。あんな動物園の猿より酷い環境で授業などどうせないようなものだ。無駄、と判断して、屋上の階段を上った。錆びついた、灰色のドアを開けて学校の屋上に出ると、無意識に空を見上げた。
 ――夢……だったのかなぁ。あれは……。
 ぼんやりと、タルデシカに思いを馳せた。イル、ラドルアスカ、リュイ・シン、ルーファニー、グイシン……。全て夢と思うにはあまりにリアル過ぎた。ラドルアスカに剣で刺された場所を見ると、そこには確かに瘡蓋となった傷の片鱗が確認できるのだが、それもビルから落ちた拍子にできたと考えれば説明はつく。
 ――証拠には、ならないか……。

「……ちょっといいかな?」
 声をかけられ、うんざりしながら由樹は声のした方向を見やった。
 すると、そこには空手部の主将であり、成績優秀な卦璽彌 透がいた。学校内で有名なやつなので、由樹でもその存在と名前は知っていたが、苗字は未だ読めたことはない。一体、どんな何て読むのか難しすぎて分からない。どんな苗字だよ、と思う。
 何故、有名なのかといえば、苗字は関係ない。顔よし、成績よし、運動よしと、皆の人気者なので、学校で有名なのだ。だが、空手部主将で成績優秀くらいでは、校内で人気を取れるはずもない。コイツに人気があるのには、まだ理由があるのだ。
 透には、暗い過去があるらしく、5年前に姉の幸恵を強盗に殺された悲劇の主人公として知られていた。幸恵を殺した犯人は未だ、警察に捕まっておらず現在も逃走中であり、そのことも関連して透は正義感が物凄く強く生徒会でも、活躍している熱血野郎だ。
 絶対、お友達になりたくない人種だ。
 ふと、もう一人のねちねちパーフェクトマンを思い出して、顔を顰める。
 嫌なことを思い出してしまった。
 とにかく、そんな良い子ちゃん、透が由樹に下世話なことを訊きにここまでやって来たとは思えない。
「……何。何か用?」
 熱血パーフェクトマン、透は頷くと由樹の隣へと腰を下ろす。何だか、透の雰囲気に飲まれて由樹も腰を下ろした。透の用件を待つ。
「君、羽柴由樹君だっけ、凄いなぁと思ってさ」
「何が、だよ」 
 何、言ってるんだ、コイツ。
「いや、だから、君って凄いなと思って。俺はずっと小学生のとき、まぁ、姉貴が殺されたときからだけど、そのときから正義に対して凄く敏感になった。理由は、まだ捕まっていない殺人犯。だから、俺の夢は警察官だし、正義感も人よりあると思う」
 本当に、透が何をいいたいのか、分からない。
 爽やかなパーフェクト優等生に、意味不明なことを言われて由樹は苛立つ。
「で、何が言いたいんだよ、お前」
 思わず、本音が漏れてしまった。
「あ、ごめん。つい、自分の話をしてしまった。つまりさ、俺は今まで、人を助ける職業につくつもりだったし、そういうことをできる人を尊敬もしていた。でも、自分自身では、人を、人の生死を揺るがすような助けは未だ、できてはいないんだ」
「高校生なら普通なんじゃねぇの」
 そうだ。これが普通だ。
 由樹や透くらいの年齢では、人の生死の責任を負うことも触れることも珍しい。
 それが由樹のリアルだ。
 そう考えると、異世界のイルやラドルアスカ、リュイ・シンは凄いやつらだったんだな、と思う。素直に感心した。だが、透がそんな由樹の考えを否定する。
「うん。普通はそうだろうね。けど、俺はそうは思わない」
 ――訳分かんねぇ、こいつ……。
 怪訝な顔をする由樹に、透は説明する。
「自殺する人を説得することは、俺やお前だってできるだろ? 高校生だろうが」
 ――ああ、そういうことか……。
 なんとなくだが、透の言いたいことが分かった気がする。
 高校生だろうが、小学生だろうが、団地の主婦だろうが、自殺する人を止めることはできる。言葉を話せれば誰だってできるからだ。
「そう、言葉で説得するのは誰だってできるから、高校生でも。けど、君は言葉でなく行動でそれをやった。これはなかなかできることじゃないと思うよ。これは普通の高校生じゃできない。だから、純粋の凄いと思った」
「だから……?」
 ぐ、と透は由樹の瞳を凝視して、はっきりとこう言った。
「尊敬した」
 由樹は思わず、あんぐりと口を開けたまま硬直する。
 ぜ、前言撤回だ。
 熱血野郎プラス、青春野郎だ、こいつは……。
 正直な気持ち、由樹は完全なる自己保身の元に自殺を図るおばさんを助けたにすぎない。
 透のいう、崇高な行為などではけしてないのだ。だから、そのことが余計に勘に触る。
「俺はそんな凄いことをしたわけじゃない」
「何でだい? 俺には、君の行為は凄く、意味のある人々の助け合いに思えるんだけどな」
 あまりのお人よし加減に由樹は嘆息する。世の中、全てが人と人との助け合いなどで成り立っているわけがない。もし、そうであれば、この世は全ての人がハッピーで、争いなぞおきず、戦争などおきるはずもないのだ。
 透の偽善に反吐が出るところだ。
「お前さぁ、世の中そんな、人を助ける善良なやつばかりと思ってると痛い目みるぜ。姉貴が殺されたのはなんの為だよ。その助け合う人間さまが殺したんだろ」
「それとこれとは、話は別だろ? そりゃ、世の中には悪いやつもいるさ」
 ――ああ、そうかい。
「じゃ、俺はお前のいう悪いやつだ。俺はな、自殺者を助けることなんか、これぽっちも思ってなかったよ。偶然だ。それに、お前のいう凄いやつってのも、大したことねぇんだな。俺くらいのやつを、凄いやつっていうのかよ。おめでたいやつだな。俺はもっと、凄いやつらを知ってるぜ。もっと、……凄いやつらを、……な」
 ――何が、尊敬するだよ。俺は、尊敬されることなんか一つもできてねぇよ。
 ――あいつらのほうが、あいつらに比べたら、俺なんかなんもできてねぇよ!
 頭にきて、その場から腰を浮かし、透に背を向けた。
 慌てて、透が呼び止める。
「待てよ。俺が言いたいのはそんなことじゃなくて――ッ。本当に言いたいのは……ッ!」
「ああ、そうかい。そりゃ、良かったな」
 戸惑う透を放って、強引に由樹は屋上を後にした。
 この日、結局、由樹が授業に出席することはなく、早退した。
 だが、このとき、由樹はと透と異世界があんなところで繋がっているなど全く予期していなかったのだ。
 まさか、あんな“偶然”があるなんて……。


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