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作品名:空を翔る猿 作者:氷室 龍獲

第38回   帰ってきたぜ、現代社会


 ――訳が分からない。

 何が、起こっているのか把握できない。
 警察署に連れて行かれた由樹は、“あの”特徴ある警察官から大よその事情を聴いた。警官によると由樹は自殺者のおばさんを助けようとして高層ビルの屋上から転落し、そのまま四日間もの間、行方意不明だったらしい。
 最初、警察側は勇敢な青少年の亡骸をせめて親に届けるべく、高層ビルの真下を全力で捜索した。それでもなかなか由樹の“死体”は見つからず、とうとう一日が経とうとしたとき、捜査は打ち切りとなった。
 まぁ、警察も犯罪が増加し忙しい身だ。仕方がないのだろうとは思う。
 由樹一人に構っている暇もゆとりもなかったのだろう。
しかし、そこで由樹の両親である、羽柴幸三が“羽柴由樹”の捜索願を出したことによって事態は急変する。ショボイ社長の息子というのが由樹の一応の肩書きだ。
 その息子と、自殺者を助けようとした青少年が姿を消した日は同じ。
 そこから弾き出される結論はただ一つ……。
 慌てた警察は、ビルから転落した少年の捜索を再開することを急遽決定した。
 再び、青少年捜査隊が発足し、由樹を三日間も、休まずに全力で探し続けていたらしい。
 由樹としては、『はぁ、ご苦労様』としか言えない。何ともご苦労なことだ。
 で、そんな所に由樹が木の上から落ちてきたのを、あの拡声器のおっさん、つまり  拡声器に拘るあの警察官が見つけたと、一応はそういうことになっているらしい。

「いや〜、ご子息が見つかってよかったですなぁ。多分、ビルと地上との間で由樹君は引っかかった状態で気絶していたのでしょう。今日は風が強く、引っかかったのが偶然取れて、偶然ビルの下にあった木の上に落下した、と。いやぁ、ラッキーでしたね」
 浮き浮きと、警察のお偉方の一人はそう言って、親しげに由樹に微笑みかけてきた。それに律儀に“お礼”を、由樹の父親である幸三は与えている。
いわゆる、寄付金というやつだろう。
「どうぞ。これを……」
「いえ、このようなものは一切、頂けない規則になっておりまして……」
「いえいえ、これは別にそういった趣旨のものではないのですよ。寄付として、融資と考えていただければ結構」
「じゃぁ、遠慮なく」
 結局、警察の何処の誰とも分からない重役っぱいおっさんは、そのお金をいただいた。
 憮然として由樹はそのやり取りを見ていたが、未だ思考は混乱の中にいた。
 とうとう、“こちら”の世界に帰ってきた由樹。
 しかし、本当に帰ってきたのか、それとも警察の言うように、“偶然”、ビルに四日間もの間引っかかっていたのだろうか、そして“偶然”にも木の上に落ちただけなのか。どちらにせよ由樹に判断できなかった。
 前者は、夢にしてはあまりにもリアルであったような気もするし、後者ではあまりにも“偶然”が大きすぎる気もする。
「……では、由樹君、感謝状は後日ということでね」
「……は?」
 ――感謝状?
 全く、幸三と重役の話を聞いていなかったので、いきなり言われた単語に戸惑う。
「だから、君は自殺者を勇敢にも自分の危険も省みず、助けた。この事実を称え、警察から感謝状が君に授与されることになったから、それの授与式を後日、ホテルを借り切ってやるからね」
「俺が? 感謝状を、受け取るの?」
「そうだよ。君は知らないだろうけど、君がいなくなっていた四日間、世間は大変な騒ぎになっていたのだよ。君は羽柴物産の御曹司ということで、君の誘拐説だの、失踪説、色々な憶測が飛び交い、メディアは大混乱だったんだよ。まぁ、君と自殺者を助けた若者が同一人物で良かったけれども、マスコミは、そうとは取らなかったようでね、本当に色々な仮説を書き立てられたんだよ」
「……………」
 絶句した。
 金持ちというのは、たった四日間、姿を消しただけで誘拐とされるらしい。そして、自分の親がそんなにも金持ちだったことに驚く。全然知らなかった。
「まぁ、安心したまえ、由樹君。君と自殺者を助けた若者が同一と確認できた今、記者会見でマスコミにはその事実が伝えられるだろうから、マスコミは美談として君のことを書き立てるだろうからね」
 にやり、とオッサンは由樹に微笑みかけた。その後、適当に親父が重役と会話を交わし、由樹と幸三は警察を後にした。
 
 * * *

 高級車の後部座席に生きた心地がしないまま、由樹はちょこんと座って己の思考に没頭し始める。
“あちら”の世界から“こちら”の世界に帰る直前。
 つまり、グイシンから落ちて直ぐその時に、カジミの騎士が言った言葉をもう一度考えてみる。確か、騎士はこう言っていた。

『そっちの世界はどうだ? 今は西暦何年に、なった? 高校は楽しいか? お前、孝四郎って知っているか? あの事件はどうなった? 犯人は、どうなったか、お前、知っているか―――』

 この発言は明らかにおかしい。
 西暦やそっちの世界、高校、幸四郎、これらの単語は由樹が住む“こちら”の世界を少しでも知っている人間でないと言えないはずの言葉だ。知らなければ言えない言葉。
 そこから考えられる結論はただ一つ。
 あの騎士も由樹と同様の、つまり、由樹の“お仲間”ということだ。
 イル曰く、“神隠し仲間”の。
 そこまではいい。
 ただ、カジミにも由樹と同様に召喚術の犠牲になった哀れな人がいた、という事実が分かっただけだ。だが、もし、これら全てが由樹の作り出した壮大なる妄想であった場合が、一番たちが悪い。自分に妄想癖はないとは思うのだが、発狂した人やサイコさんというのは自覚がないからこそ、精神異常者なのだろう。そう考えると少しばかり自信がなくなる。
 仮に妄想だったら、全てが嘘、幻ならば、こんな事で悩むのさえ莫迦らしい。
 しかし、本当だったらどうしよう……、―――とそこまで考えて、それこそ莫迦らしいと気がついた。
 イルやラドルアスカ、魔法の存在する世界が何処かにあったとして、それがどうしたというのだ。由樹は既に、そこへ行く術を断たれた状態なのだ。幾ら由樹が“あちら”の世界に行こうと望もうとも、もはや行く術はない。
“こちら”の世界には召喚術がないのだから。
 もし、魔導師ではない人間が何処か召喚術のない世界に飛ばされたら、もう帰る術はないのだから。

「……き、おい、由樹!」
「――ッ!」
 自分の名を呼ばれてビクリと体を震わせた。声のした方向に視線をやると、隣に座っていた親父が声をかけたのだと分かった。嫌だなぁ、まーた説教かよ、と顔を顰めつつ、次の言葉を待つ。
「――由樹、」
 再び、剥げた頭に疲れた表情をした、親父が由樹の名を呼ぶ。
 その草臥(くたび)れた感じが無性に苛立って、声を荒げた。
「何だよ! 何か、用があるならさっさと言えよっ」
 親父は一瞬、驚いた顔をしてから、苦笑した。やはり疲れたように言葉を吐き出す。
「……よくやったな。だが、あまり無茶はするなよ。母さんが半狂乱になって、お前のことを心配していた。確かにお前は、社会から認められる凄くいいことをしたし、自殺しようとする人を助けるなんて、そうそうできることじゃない。本当にお前も立派になったな、と思う。だが、親より先に死ぬのは、……やめてくれ」
 何だよ、それ。
 そんな事を真顔で言われ、そして自分の親の横顔が凄く草臥れているのを見ると、自分が物凄い子供に思えて、嫌な気分に浸る。その感情は先日から抱いている、異世界が嫌い、というものとよく似ていた。
 あの世界が嫌いであった。
 自分がいかに愚かであるか、いかに生きるのに怠惰(たいだ)か、いかに醜いかが浮き彫りにされる感じがしたからだった。逃げてきたはずの異世界が、まだ由樹の後を這いずり回ってくる感覚に、軽い吐き気を催す。
 親父が由樹の顔を心配そうに見詰めているのに気がついて、何だか、真面目に返答するのも照れくさく、嫌な感じがして、
「あっそ……」
 適当に返しておいた。
 気まずそうに親父が、隣の高級シートで身じろぎするのが分かった。
 いつもは、絶対にこんな照れくさいことは口が裂けたって言わない性格の、頑固ジジイが一体どうしたというのか、さっぱり分からない。親父の性格は息子の由樹が一番よく知っていると思う。
 由樹とそっくりなのだ。
 プライドだけは死守するところなんかは、特にそうだ。
 常に外見、外面ばかりを気にするのもそっくりだし、他人の為に何かを率先してなど絶対にやらないところも、まぁ、似ていると言えば似ているのだろう。
 ――親子って、嫌なところばっか、似るっていうし……。
 そう思って顔を顰めていると、親父がエヘン!、と偉そうに咳払いをして、
「とにかく、気をつけなさい。分かったか?」
 本当に偉そうに言った。
「………」
 何だよ、それ。
「分かったのか? 分からないのか?」
 そう返答を求めるので少し逡巡してから、由樹はふと金髪金眼の少女を思い出した。
 あの少女ならば何と言って撃退するだろうか、と考える。
 多分、由樹があの少女ならば、こう言う。
「大丈夫か、親父。最近は、中年のボケっていうのが流行っているらしいぞ。何か、いきなり掃除機とか、洗濯機とか、電話の使い方が分からなくなるんだって。恐いな。ところで、親父。頭は湧いてないか。いや、親父の頭は湧いているんじゃなくて、剥げているだったっけな……。………」
 じ、と親父の反応を窺うと、次の瞬間思いっきり、鋭い拳骨が由樹の顔面に飛んできた。

 どうやら、親父の頭は正常らしい……。
 右頬が途轍もなく痛かった。

 それから由樹は病院で簡単な検査を受けて、正常だという判断を医師から下されたのを確認し、自宅へと帰ることができた。テレビの電源をつけると、先程警察で重役ジジイが言っていたように、由樹のことを美談としてマスコミが取り上げていた。ニュースでばんばんやっていて、恥ずかしくなって直ぐに消した。ネットもぶらついたが、テレビと同様な状態で気分が悪く、直ぐにシャットダウンしてやった。
 警察からビルの真下に落ちていたという携帯電話を見ると、パネルが見事に割れ、電源はついていなかった。頭にきて、そのままゴミ箱に捨て去る。どうせ、明日には買ってもらえる。
 ふと、あれほど恋しかった、黄色いざらついた壁に注意を向けると、衣替えの時期のせいか、それともただ母親がリホームしたかったのかは知らないが、既にその壁は姿を消し、純白の壁紙へと変わってしまっていた。そのことに妙に、喪失感が込み上げてきて、壁から視線を外した。
 すると、何もすることがなくなって、ぐるりと広い由樹の部屋を眺め観て、やはり考えついた結論はあの異世界のことであった。“こちら”の世界に来たら来たで、今度はどうしようもなく、“あちら”の世界に行きたくなる。
 ――俺、あんなに家に帰りたかったのに……。
 帰ったら帰ったで、気分はけして晴れない。
 裸足のままベランダに出て、異世界でもこの世界でも変わらぬ空を眺める。
 そして、ぼんやりと異世界に思いを馳せ、何、無駄なことしてるんだか、とその思いを破棄してやった。
 ――もう、あのことは忘れよう……。明日は学校だ。
 ――早く、寝て、全部忘れよう……。


 次の日、羽柴 由樹は学校に行く。
 そして、異世界とリアルとの交差は、止まることを知らずに加速して回り始める。
 全ては、身近にあり、全ては既に始まっていたのだ。
 そんなこととは、未だ由樹は知らない……。



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