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作品名:空を翔る猿 作者:氷室 龍獲

第36回   空の旅、囚物に乗って翔けよ


 一言で言うならジレンマ。
 ジレンマ、とは。
 相反する二つの事の板ばさみになって、どちらとも決めかねる状況のこと。
 <by広辞苑>
「……ぅ、きぃ」
 今正に羽柴由樹は、己のプライドとこの世界の住人の正しさとの間で板ばさみ状態に苦しんでいた。頭でいかにイルやナイジェルたちが正しく高潔なのかが理解できているのに、その反対側で今まで縋って生きてきたプライドが邪魔をする。認めるのは、そう簡単ではないのだ。このプライドを否定するというのは、由樹の今までの人生全てを否定することになるからだ。由樹の人生と人格は全てがこのプライドで成り立っている。
 
 ふと人生を振り返ってみると……。

 小学校五年生のとき、とあるボランティア活動で皆が清く正しく地域活動をする中、由樹はただ一人、担任に命令されようと、友達に睨み付けられようと、女子に暴徒の如く責められようと絶対に掃除をしなかったという経歴がある。
 掃除をやらなかった理由は、『――あ? 何で、俺がただでじじぃ、ばばぁ、その他住民どもの為に働いてやらないけないんだ』というもの。
 ……このとき、由樹は友達を全員なくした。
 中学一年で友達の金子杵彦が三年生の先輩方に目を付けられ、目の前で虐められているのを目撃しても無視して素通りした。どんなに金子が助けを求めてきても完全無視だ。
 助けなかった理由は『何で、俺が態々三年に目を付けられるようなことしなきゃいけないんだ、莫迦か、お前?』というもの。
 ……このとき、由樹は友達である金子杵彦をなくした。
 そして、ごく最近、高層ビルの屋上で飛び降り自殺をしようとするおばさんを発見。
 間違っているようだが、今説明しよう。
 由樹は全く、助ける気なんかなかったのだ。
 さらさらなかったのだ。これぽっちだってなかったのだ。ゾウリ虫ほどの大きさの気持ちもなかったのだ。
 多分、もう予想できていると思うが、その理由は『何で、俺が自分の危険を無視して、ばばぁを助けなきゃいけないんだ?』というもの。だが、ここで見捨てたら、もしかして殺人罪とかになったりするかも、と一瞬考えた結果、助けに走ったのだ。刑務所行きだなんてプライドが許さない。
 ……このとき、由樹は自分の故郷を半分失った(帰れないかもしれないから)。
 そう、全てはこのプライドさえなければ、友達もなくすことはなかっただろうし、この世界にくることもなかったかもしれない。しかし、このプライドを捨てるには長く持ちすぎていた気もするのだ。
 イルは凄く、自分にも他人にも正直だ。あの正直さが今では羨ましい。
 本当は、由樹とて彼らの手助けをしたいと思っていた。
 本当は、あの高潔な彼らの仲間になりたいと思っていることに気がついている。
 本当は、罪を犯した直後に謝りたかった。
 だが、それを彼らに言うのは気恥ずかしく、照れくさいのだ。
 そして考えた結果、どうにもならず、由樹は今不貞腐れながら誰もいない“竜の谷”へと来ていた。がさがさと生い茂る赤色の木々を掻き分け、真っ暗闇の森を只管に直進している。
 何だか、青春映画で夕日に向かって走る人々の気持ちが分かった気がする。
 何だか、雑念を追い払うべく滝に打たれる修行僧の気持ちも分かった気がした。
 ――何か、していないと治まらないッ!
 凄く無意味なことしていると自覚しているのに、足が止まらない。止めると、あの我武者羅に図式に向かうイルの顔が頭に浮かんできて、気に食わない。だから、止められない。
 息が切れようが、苦しかろうが、由樹は足を止めることができなかった。
 自分でも、何がムカついてイラつくのか訳が分からない。
 答えがでない底なし沼を只管に猛進していく。
 だから、とにかく進むのだ。
 只管に、我武者羅に。

「……はぁっ……ッは……」
 どんどん、進む。
 がさがさ、進む。
 暗闇が由樹の大半の視界を支配し、木々のざわめきが聴覚の鼓膜を支配する、夜闇の世界で由樹はただ前だけを見て、突き進んでいた。何時間もそうしていくうちに感覚というものは失せ、代わりに違った世界が姿を見せる。
 幻覚、とでもいおうか。空耳とでもいおうか。木々のざわめきは失せて、この場ではあろうはずもない、金属音が聞こえてくるようになるのだ。
 ――ズぉぉぉ……
 空耳か、幻聴か、そんな不確かで悲痛な音が由樹の鼓膜を裂いていく。
 音が聞こえたかと思うと、逆に、ぴたり、と音が止んだ気がした。先程まであった森の気配が跡形もなく消えうせ、全てはただ風と葉の摩擦音だけとなった。
【……出……】
 その瞬間、声が聞こえた気がした。
 静寂の合間に一瞬の振動が、それらを掻き分けて割り込んだ。
「……な、なんだ? 人がいるのか?」
 周囲に視線を彷徨わせたが、全ては暗闇に覆われて定かではない。
 空耳かと思い、足を踏み出そうとした瞬間、再び悲痛な金属音がした。
 ――ズぉぉぉ…
 同時に、声が臓腑に響くように振動してきた。
【……出せぇぇぇッ……】
 森の住民たち、全ての動物の気配がその場から消えた。
 皆、怯えているのだ、この声に。だから、声が聞こえたかと思うと逆に森は静寂に身を潜めるのだ。何が、それほどまでに怯えさせるのか。この声の先にはさぞや恐ろしい生物がいるに違いない。事実、由樹も生物の本能に従い、先程から全身でこの声の先には行きたくないと拒否していた。足の震えが止まらない。
 足が麻痺したかのように、カタカタと振動する。
 よく考えてみればここは森の中であり、当然その中には獣もいるのだ。平和な日本と違い、この土地には猛獣は我が物顔で闊歩しているのが当たり前。森は猛獣の棲み処だ。
「か、帰ろう……。今すぐ、帰ろう!」
 何て、愚かなことをしてしまったのだろう、と由樹は後悔する。
 猛獣に食われるなど真っ平ごめんだ。
 ここに来た倍の速度で引き返し始めると、直ぐに自分が愚かものだったと悟った。

 ――やばい、帰り道が分からない……。
 さぁっと由樹は青ざめる。
「……嘘、だろ?」
 しかし、無情にも見渡す限り一面がパノラマで木。
前を向いても木。後ろを向いても木。横を向いても木。見渡す限り木……。あれ、俺が向かっていた方向は何処だっけ?
 何だか、本格的にやばくなってきた。
「ぁ―……、と、とにかく、進もう……」 
 どうでもいいから、進むんだ、俺。
 ここでじっとしているよりは、猛獣に食われる確率は低いだろうと判断し、由樹はとにかく進んでみることにする。木々を掻き分け、ざくざく由樹は進んだ。
 そうして進んでいくうちに一軒の建物が姿を現した。その建物は木造で、“竜の谷”とは少し離れているものの、見に覚えのある建物だったので由樹は安堵する。何処で見たのか意記憶の糸を辿り、帰り道を模索する。
 ――確か、結構前だったような、最近も見たような気が……?
 再び、木造の建物で体育館なみに大きな建物に視線を向けると、天井に大穴が開いているのを視認できた。
「あ、」
 そこで思い出した。
 そう、その穴はこの世界に来た直後、黒竜と一緒に落ちたときに開いた穴だ。つまり、この穴はブラックドラゴングイシンが開けた大穴であり、この建物はその凶暴なグイシンの竜小屋なのだ。
 暫し、その建物を見据えていると、先程の悲痛な金属音が聞こえてきた。
 ――ズぉぉぉぉぉぉぉ
 聞いた瞬間、由樹は踵を返してルーファニー宅への進路を取った。何て事だ。何て事だ。由樹はあの獣から逃げるつもりがこちらから近づいていただなんて、何て事だッ!
先程の金属音は人食いドラゴン、グイシンの鳴き声だったらしい。
鎖で繋がれ閉じ込められているとはいえ、こんな凶暴な爬虫類とお友達になれようはずもない。きっと関わっても禄なことがない。いや、近づくのもご遠慮願いたいッ!
 由樹は歩くスピードを上げた。
【……待てぇ、異国人……】
 ぴたり、と由樹は足を止め、振り返る。
「……嘘だろ、オイ、ドラゴンって喋るのかよ……」
 まさか、まさかと思っていたが、この声というのはグイシンのものなのか。
 今、呼び止められたのでほぼ確定な気もするのだが、無駄な抵抗を試みてみる。
「オッ! こんな街から外れた所に人がいるなんて〜、知らなかったー。やや、何処にいるんですか、あっちかな? あっちだろ。うん、街のほうだー。だから、あっちに行こう。この建物とは反対ほうこうだー」 
 …棒読み。
 ずんずんと由樹は街のほうにあるルーファニー宅に進路を取った。
 聞かなかったフリをして。
 ――ズぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!
【……待てぇぃ。ここだ、この檻の中だ、こっちに来いぃ……。来なければ、次の俺の背に乗った人間を食い殺してやるぅ……、それは全部お前のせいだ……、いいのかぁ……】
「……ぅ」
 何かもう、ここまで言われては行くしかなかった。
 意外にもグイシンは人を動かす術に長けたドラゴンらしい。

  * * *

 そろそろと恐る恐る、由樹は建物の扉を開け放ち中に入っていった。
 中は薄暗く、獣特有の嫌な匂いがして、鼻を押さえる。また、獣がいるせいか虫が宙を飛び交い、衛生上凄く悪そうな感じだった。
「来たぞ」
 短く告げると、奥のほうで、ガツン、ジャラジャラジャラッ、という鎖を引きずる音が聞こえ、その音はだんだんと近づいてきた。そして、開口一番にこう言ってきた。
【異国人、俺をここから出してはくれねぇか】
 何を考えているんだ、だから爬虫類っていうのは、水層の囲いの中で飼っているからペットとして可愛がることができるのであって、外に出したらそれはもうペットじゃないのだ。当然、そんな無理な要求は由樹がばっさり切って捨てた。
「ばっか、駄目に決まってるんだろ!」
 すると、ぐるるるるると唸り声の返答。
【なら、俺は次に乗った騎士を食い殺す! もしかしたら、お前かもな。ラドルアスカがもう一度チャレンジってこたぁ、ねぇだろ。ルーファニーのあの様子じゃぁ、お前がまた乗せられるかもしれねぇぜ】
 っへ、俺はどっちでも構わねぇぜ、とグイシンが黄色の瞳を爛々と輝かせて、提案してくる。確かに、その可能性もありうるだけに由樹の心情は穏やかでない。
「な、なら、俺は、ルーファニーの爺さんに、お前がそう言っていたって、言う。そしたら、俺がお前に乗ることは無いし、ラドルアスカも、他の人も乗ることないし、犠牲者もでない。おぉ、俺頭いい」
 名案かと思われたが、グイシンはそれを否定する。
【っへ、俺が言っていたねぇ。誰も信じねぇな、そりゃぁ】
「ど、どういう事だよ」
 にやり、とグイシンは口元を歪め、嫌味な説明をしてくれた。
【何で、今俺とお前はこうして話ができていると思う? そりゃぁよ、お前のしている〈意志の疎通の書〉のおかげだ。そのコインはな、思いや考えをただ伝えるんじゃねぇんだよ。―――意志。つまりよ、物事を成し遂げようとする志を同じくする者だけの意思を伝えてくれンだよ……。だぁから、〈意思の疎通の書〉じゃなくてよ、〈意志の疎通の書〉って言うんだよ、愚かな異国の人間】
「……意志?」
 いまいち、よく事情が呑み込めない。
 意志とは自分が何かをしようと強く思うことで、意思とはただ心で考えていることだ。
 グイシンは続けた。
【つまりよ、人間同士っていうのは、割と同じ思い、考え方をする。だから、意志は違えど、それなりに共通点もあり、〈意志の疎通の書〉も効果があって会話もできるようになる。だがよ、俺とお前みたいに種族が違うと物の考え方や思い、成し遂げたいと思う意志も全然違ぇ。だから、思う志が同じでないと、こうして話はできねぇのよ。俺と志を同じくした人間は今まで、一人としていねぇ。つまりだ、俺と話をするのはずげぇ難しいってことだ。だから、お前の言っていることをルーファニーのじじいは信じねぇよ】
「なるほど、って、俺、お前と志が一緒ッ? 俺、ドラゴンと意志が一緒!? 何か、それってすげぇ、嫌なんだけどっ。動物と心が同じって何、俺、動物!?」
 何だか、凄く嫌だ。
 すると、グイシンも嫌そうな顔をして、俺だって嫌なんだ、ボケぇ、と言ってきた。
【とにかく、同志よ。この檻を何とかしてくれ、俺は外に出たい。出せ】
「ざけんな。駄目だ。お前、外出ると暴れるだろ。大体、お前、喋れるなら何でこの間俺が背中に乗ったときに話かけなかったんだよ。おかしいだろ」
【いや、俺も話かけようとしたんだが、あのときは駄目だった。俺と志はお前と同じじゃなかったんだが、今日、そこをお前が歩いていたとき、初めて同じになったんだ。だから、俺のせいじゃねぇ】
 全然、俺のせいじゃねぇっ、とグイシンはそう言い張った。
 確かに、“全然、俺のせいじゃねぇ”と強く言い張る様に由樹は自分と同じ匂いをグイシンから感じ取った気がした。何だか凄く嫌だ。
「とにかく、駄目なものは駄目だ。絶対に、お前をこっから出したら、怒られるに決まってる」
 今からでも、ルーファニーとイルが悪鬼のごとく由樹に暴言を吐いている様が目に浮かぶ。
『何で、あんな危険なドラゴンを外に逃がした訳? ハァ? ドラゴンが喋りましたー? 何か、私耳が遠くなったみたい、上手く聞き取れなかったよ、もう一回言ってくれる?』
『異国人、わしはそこまで異国人が愚かではないと信じていましたのに。何で危険なドラゴンを逃がしたりしたのですか? はい? ドラゴンが喋りましたー? はっはっは、わしは年でしてなー。耳が遠くなったみたいで。さて、異国人、もう一度本当のことを仰ってくだされ』
 うん、きっとこんな感じだ。
 そうと分かっていて過ちを犯す者はいないし、また、由樹自身、凶暴とされている竜を態々自由にするのは憚られた。
 ぐるるるるとグイシンが不満そうに喉を鳴らして、再度言ってきた。
【出してくれよ、俺はよ、外に出たいだけなんだよ】
「駄目だ」
【そうかよ、もし、外に出してくれたらよ、あぁ〜、いいぜ、別に。出してくれたら、やってやろうと思ったのによ】
 にたり、とグイシンは思わせぶりにそう言ってくる。
 思わせぶりに言われれば気になるのが人間というものだ。
「何を……」
【だって、外に出してくんねぇんだろう。じゃ、お前に用はねぇ】
 ぷいっとグイシンは鱗混じりの顔をワザとらしく由樹から逸らす。
「一応、聞いてやってもいいぞ、それ次第では出してもいい……」
 ――……かもしれない。
 と、こっそり心の中で付け足しておく。
【後で、やっぱ無しとかってのは無しな。同志なんだから、考えていることも大体分かるぜ。いいな】
 読まれていた……。
「だ、だから、それ次第だって。早く言えよ」
【まぁ、そう急くな。で、よ。お前、もし、俺をこの檻から出してくれたらよ、お前を俺の背中に乗せてやる。夜の空の旅と行こうぜ。俺は空を翔けたい、それだけよ……】
「空……?」
 ぐらりと心が傾いだのが自分でも分かった。イルやルーファニーの悪鬼の顔が由樹の意識の中でどんどんと遠ざかっていく。無意識に空を仰いだ。
【おうよ。無性に空が恋しいんだよ、全力で飛びてぇ!】
「そ、それに危険は? 俺がお前に乗って、落とさないって約束できるか」
 無言でグイシンは頷いた。

「その話、乗った……!」



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