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作品名:空を翔る猿 作者:氷室 龍獲

第34回   一方通行よ、悪循環ナリ

 タルデシカ軍最高司令官・ラドルアスカ・D・ローレは黒焦げになったリュイ・シンの手を握り、病室のベッドの横にずっと、一言も発せず呆然と座っていた。
 ラドルアスカがリュイ・シンに恋心を抱いていることは周知の事実なので、皆、痛ましそうにその様子を見守っていた。
 実際、ラドスアスカも戦でリュイ・シンが地上に落ちる寸前で受け止めたときに、負傷していたが、医師たちもその手当てをしてもいいのか、放っておいたほうがいいのか、その判断に困っていた。やっとのことで、一人の医師が手当てを申し出る。
「……ローレ卿、腕の怪我を手当てさせてください」
 だが、ラドルアスカの形相を見て、手当てを申し出た医師がぎょっとなって後ずさった。
 顔面は人形のように蒼白で、生気というものが一切感じられなかったからだ。
「今はいい。後に、しろ」
 いつもなら考えられないような低いラドルアスカの声音に医師は頷くしかなかった。
「分かりました。そうします。“ですが”」
「何だ」 
「殿下の手は離してください。現在、殿下の皮膚は大変脆くなっており、少しの振動で大変なダメージを殿下に与えることになりますから」
「分かった」
 それだけ告げると医師はその場から逃げ出すように去っていった。
 ラドルアスカがリュイ・シンの手を離したかを確認もせずに。

  * * * 

 医師が忠告するまでもなく、ラドルアスカとて直ぐにリュイ・シンの手を離すつもりだった。言われるまでもなく、少し触っただけでリュイ・シンの皮膚はボロボロと剥がれて、触ったことを後悔していたところだった。
「……ぅ……」
 ――俺が全て悪いのだ。全部、俺が悪いっ。
 ――殿下が重症を負われたのも、俺が間違った作戦を立てたからだ!
 猛烈に後悔していた。イルに助言され、自信を持ったことはいいことであったと思う。
 だが、もっと考えて行動すればよかったとも思う。
 おそらく、いつものラドルアスカでも同じ過ちを犯したと思うが、今回はあまり考えずに過ちを犯した。これは自信などとは全く違ったモノだ。過信というのだろう。
 自分の力を見誤った。それがリュイ・シンをこのような目に遭わせてしまった。
 自信を持つことはいい、あのときはアレが最善の策で、恐らく良く考えてもあの結果が出たと思うのだが、それでももっと考えたら違う結論が出たかもしれないと思ってしまう。
 あの作戦があのとき、あの瞬間では最善と分かっていながら。
 本当は、自分は悪くなどないと分かっていながら、自分が悪いと思えてしまうのだ。
 どうして自分はそうぐじぐじ考えこんでしまうのだろうか。
 他の人は、悩んだりしないのだろうか。
 ――金髪金眼の少女は悩んだり、……しないのだろうか?
「頼む。頼むから、殿下を助けてくれ……」
 今は、その少女に願いを託すしかなかった。

 ――俺は無力だ。無力すぎる。

  * * *
 
 と、願いを託された少女は、なぁーんか、やる気でないんだよね、と結構だらだらと作業を進めていた。原因はラドルアスカだ。そう、ラドルアスカがリュイ・シンのことを心配すればするほどイルのやる気が下がっていくという悪循環な無限ループ。
「死なれても目覚め悪いけど、生きていられても結構厄介かもね」
 唇を尖らせつつも、『アルカシス』召喚後の“とある条件”を思えば、少しはやる気が湧いたので召喚場へと向かう。
 イルは瞬時に気持ちを切り替えて、魔導師としての思考に切り替えた。
 まず、召喚の為の準備はどうしようか、と考えた。
 召喚術の準備は確かに存在する。
 例えば、キング級を召喚したときもその“準備”はイルもした。だが、逆に全く“準備”をしないで大きな召喚術をやっても別に問題はない。なぜなら、その“準備”というのが、ひたすら魔導師が眠りつくことだからだ。
 簡単に言うと体力の温存である。
 実際、キング級召喚のときもルーファニーの迎えの馬の背で、ひたすら睡眠を貪った。
 それは、一重にでかい召喚術は術者に負担を強い、体力を温存しておいたほうが、成功の確率が上がるからだった。だが、今、この瞬間にもリュイ・シンが死んでしまいそうだというのに、呑気に寝ている暇などない。ということは。
「よっし。このまま、行こーう」
 ということになる。
 時間がないので仕方がない。
 確かにこのまま召喚に挑めば、成功の確率は僅かに下がるであろうが、イルとて何の目処もなくラドルアスカに大見得を切ったわけではない。もう、既に『アルカシス』の大体の居場所、召喚の仕方は掴んでいるのだ。後、少しというところでいつも、空を切るようにイルの頭の中で『アルカシス』の影が霧散してしまうのだ。
 また、いつもの召喚時も大して準備などしていないのだから、今も状況に差ほど変わりはない。
 だから、その後少しの差さえ埋められれば、召喚はできるはず。
 そう意気込んで、イルは血の色のワンドを空中に走らせた。
 ――何が気に入らないって、ロナにできて自分が未だ『アルカシス』を召喚できていないのが、一番気に入らないのだよね!

 しかし、一時間後。
「お、おかしい……」
 未だ、イルは『アルカシス』を召喚できていなかった。ぜぇー、ぜぇーと乱れた呼吸を整え、目の前に広がる無数の図式の残骸を見やった。
 何故だ、と思う。
 何度やっても、失敗してしまうのだ。まるで、雲を掴むようにするりと『アルカシス』はイルの頭から抜け出ていってしまう。今や、召喚場はイルが発した、紫色の霧で視界は全く効かなくなっていた。ふと、ふよふよ漂っている、由樹をここに呼んでしまったキング級図式のなれ果てを見やる。リシューマン・テライドンのフレーズを頭に思い浮かべた。
 〈要は力の使い方〉
 ――力の使い方って何だ?
 そこに何か秘密があるような気がしてならない。イルはいつも図式に目一杯、見えない召喚術の力を注いできた。その見えない力は、力を使えば使うだけ増す。だから、大抵のものは処理できたが、どうにも違うような気がしてきた。
 そう考えたとき、ぽたり、と一筋の雫が床に落ちた。
 なんだろうと見やると、その液体は赤く血のようだった。
 ――やっちゃったか。仕方ないね。
 仕方ないなぁ、と慣れた様子でイルは鼻に手を宛がう。
 鼻血だ。
 召喚術で無理矢理に『天史教本』を脳に焼き付ける作業は、無理をすると相当脳に負担を掛けるので、時々鼻血がでる場合がある。このこともあり、低レベルの魔導師は一冊子しか送られてこないなどという高い壁が生じるのだ。
「……痛い」
 頭が痛い。
 目も喉も痛い。血の味がした。
 くらり、と眩暈がして、思わず膝をついた。
 ここで止めたほうが良い、ここが自分の限界だとイルは長年の魔導師生活による経験から理解していた。だが、ラドルアスカの悲しむ顔は見たくない。
 とりあいず、ハンカチで血をふき取り、イル再び図式を立ち上げた。
 ついでに、リュイ・シンが死ぬのも目覚めが悪いじゃないか……。
 リュイ・シンはあくまで、おまけだ。


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