瞬時にイルは先程のショックから立ち直って、思考を巡らし始めた。すると幾分冷静さを取り戻した。先程には余裕がなく気づけなかったが、リュイ・シンの黒焦げになった衣服に手紙らしき紙切れを発見して、それを素早く読み取る。
内容はいたって簡潔。 戦で負傷したリュイ・シンがこのままでは死亡する危険がある為、仕方なく危険を冒して召喚術で城まで転移させたと、ルーファニーからイル宛(あて)にそう短く書かれていた。 そして出来るならそっちで治療してほしいとも書かれていた。この字だけ、ルーファニーの文字とは異なっていたから、恐らくはラドルアスカのものだろうと判断する。 「医師さま、殿下の様子は?」 短く、簡潔に治療の邪魔にならないよう、イルは医師に問うた。 「極めて、危ない状況です。ほとんどの皮膚が重度の火傷に晒(さら)されていて……その」 曖昧に言葉を濁した医師にイルは苛立つ。今ここで言葉を飾って何の意味があるというのか。嘘を言って現実を曖昧にしたとしても、リュイ・シンの容態に変化があるわけでもない。 「はっきり、言っていいから。嘘偽りなく報告して」 「は、はい。存命は厳しいかと……。恐らく、今夜が山場かと思われます。我々の技術では、八割がた死に至る可能性が高いでしょう。もし、生き延びるとしたら、魔導師殿の魔道具に頼るほうが、まだ可能性は高いでしょうね」 「分かった、治療を続けて」 「はい」 一先ず状況を確認すると、キビキビとイルは書を認め、ルーファニーにリュイ・シンの現在の状況を小型ドラゴンに持たせて送り届けた。 嘘偽りなく、全てを書き記して……。
* * *
それから半日が立とうとした頃、イルの元に、ルーファニーやラドルアスカといったタルデシカ軍の幹部面々が王城に帰還してきたとの報告が入った。相当急いで帰ってきたらしく、皆一様にげっそりと疲弊した様子だったらしい。未だ、リュイ・シンはしぶとく、僅かな命の糸に縋って、虫の息だが何とか生きてはいた。しかし、それも時間の問題だろうとイルは思う。 医師たちも既に匙を投げた状態だったからだ。 重体で、ぐったりとベッドに寝かされ、医師たちから放置されたリュイ・シンを眺め、イルはぐるぐると思考を続ける。 もう、このままではリュイ・シンの命は削られていく一方だろう。 見るからにまずい状況というのは素人でも分かる。 肌は焼けただれ、肉の焦げる異臭が病室を満たしているし、リュイ・シンの喉から漏れる呼吸音はひゅぅ、ひゅぅといった実に間の抜けた音を発していた。体もピクリともしない。眼球は抉れ、血が皮膚から滲み出ていて、顔も血と炭でぐちゃぐちゃで直視できない。医師ですら目を逸らすような酷いありさまだった。リュイ・シンには悪いと思うも、焼け爛(ただ)れる匂いに耐え切れず、イルはローブで鼻を覆った。この場で吐かない者がいないのだけでも奇跡に近い。 何か、手を打たないと死ぬのは確実だった。けど、その重要な打つ手がない。 後、望みがあるとするならば、恐らく…………………………………………。
「イル」 短く切るように呼ばれ、リュイ・シンから顔を上げるとルーファニーとラドルアスカがそこにいた。 「ルーファニー」 いつもなら祖父の名などジジイ呼ばわりだが、今日に至っては姿を見た瞬間心の底から安堵した。この場を取り仕切るのは、幼いイルには重荷だったのだ。本来の魔導師長が戻って、多分他の者や部下たちもほっとしているだろう。 「状況は?」 ルーファニーが訊いた。 「悪いよ。凄く悪い。医師たちも、もう駄目だって。だから、早く陛下と王妃を呼んで来いって、さ…」 「そうではない、殿下の様子だ。病状を詳しく言ってくれ」 その言葉にイルは顔を顰めた。これでも言葉を濁(にご)したつもりなのに、ルーファニーははっきりと嘘偽り無く言えという。イルとてリュイ・シンに恋心を抱くラドルアスカの前で、リュイ・シンの酷い様を言葉で言いたくなどない。ふとラドルアスカを見やると、やや疲れたように、 「……言ってくれ」 と、言われてしまった。 もう言うしかない。一度心を決めてしまえば元来の性格上、するりと言葉が出てきた。 もう、どうにでもなれ、だ。ヤケクソ気味にイルは容態を報告した。 「皮膚の大半が焼け爛れて、肉はぐずぐず。顔も滅茶苦茶のぐちゃぐちゃ。神経の一部が切れて、下半身は動かないし、殿下の意識もない。呼吸も一時止まったし、心臓も何度か止まったけど、一応は蘇生に成功した。だけど、その蘇生するまでの時間は五分以上経過しているから、たぶん脳に障害が残る可能性大。眼球もほとんど焦げて消失したっているから失明するだろうし、耳はどうかな。まぁ、耳も似たようなものだよ。とにかく、今、生きているのが不思議な症状だよ。正に摩訶不思議(まかふしぎ)だね」 「ああ、報告ご苦労。それと、わしがくるまで良く頑張ってくれた。礼を言う」 ルーファニーが目を瞑りながら、イルを労った。ルーファニーの思いがけない言葉に少し照れ、イルは次にラドルアスカの顔色を窺って、舌打ちする。 何が言ってくれだ。やはり、聞かないほうが良かったではないか。 ラドルアスカは顔面を蒼白させ、自分では気づいていないだろうが、その鳶色(とびいろ)の瞳からは一筋の涙が零れていた。双眸には焦点があってなく、何処を見詰めているのか虚ろだった。 「ラドルアスカ殿、大丈夫ですかな」 心配そうにルーファニーが声を掛けるがラドルアスカは全く、反応しない。もう、一度ルーファニーがラドルアスカ殿……、と叱責するとやっと我に帰った。 「平気ですかな?」 「……ああ、すまない。ルーファニー師。それで、殿下は助かる可能性はどのくらいなのだ?」 そして、こんな的外れなことを言ってきた。今、言っただろうに。本当は言いたくなかったが、イルは仕方なく告知する。 「ないよ。可能性なんて。そこに一筋の希望すらもない」 「そんな、莫迦なっ。じゃぁ、殿下は死ぬ、という、……のか」 「だから、今、そう言ったでしょ。生き残っても、寝たきり状態で、きっと話もできないし、自分が誰かも分からないよ」 「イル!」 流石にルーファニーがイルを嗜めたが、時既に遅い。ラドルアスカはふらりとよろめいて、無様に尻餅をついた。 「そん、な……」 ルーファニーが凄い形相で、睨みつけてきた。イルは素知らぬ顔で、その視線を無視した。何も、策をなくしてラドルアスカを追い詰めるような真似をしたわけではないし、本気でリュイ・シンが死んで清々するような、幾らなんでも、そこまで悪い性格はしていない。(とあくまでイル本人は思っている) むしろラドルアスカの顔を見て、覚悟が固まったというものだ。 イルは先程、中途半端に終わった思考に考えを戻した。 後、望みがあるとするなら…………。
「殿下が生き延びるとするなら『天史教本』、第3012冊子の『アルカシス』、だけだろうね」 む、とルーファニーが眉間に皴を寄せた。 「方法があるのかっ? 殿下は死ななくて済むのか?」 ラドルアスカがそう、食いつくようにイルを問い詰めるが、ルーファニーが難しい顔をして押し留めた。 「わしも、それを考えなかったわけではない。が」
『天史教本』、第3012冊子の『アルカシス』は、先日ロナがイルとのバトルの際使ったモノだが、これには最強の魔道具だけがずらりと記載されており、その中には一生人を呪うような魔道具から、一瞬で傷を綺麗に治すような強力な魔道具がある。 もし、『アルカシス』の魔道具を使えば、リュイ・シンも命を取り留めることの可能だろう。しかし―――、 「わしも、イルも、その『天史教本』は持っておらんのですよ。今から、召喚したところで、何時になるやら……」 そうなのだ。サレイド家では、皮肉にもロナしか召喚できていないばかりか、滅多にお目に掛かれない難易度の高い本だった。 途端にラドルアスカが落胆する。 「そうか……」 普通の人なら、これで諦めたであろうが、何処かの誰かさんは違う。全然、違った。 「だから、何? 今から、やればいいじゃない。やってもみないうちから、諦めないでよね。ラドルアスカさまの思いはそんなものなの。フン、殿下もそんなんじゃ、可哀想だよ」 「イル! 莫迦を言うな! 『アルカシス』を召喚できるものなど、そうはいないのだぞ」 そんなルーファニーの言葉をフン、とイルは鼻で笑って、 「じじいには言ってないよ。で、ラドルアスカさま、どうするの。やるの、やらないの。どっち? 私は、あなたがやってくれと言うのなら、必ず召喚してみせるよ。私のジジイに掛けてね。もし、失敗したら、ジジイの魂はラドルアスカさまにあげるよ」 「……おい、それって、結局、お前自身は何の損害も被らないんじゃないのか?」 と、こんな時なのに細かいことをラドルアスカが言う。 中々、余裕があるじゃないか。 「う、煩いな。とにかく、あなたが頼むなら必ず、私は召喚してみせるってばっ。で、どうするの? やるの、やらないの」 目を逸らすようラドルアスカが俯き、迷わず、言った。
「……やってくれ」
その回答に少しばかり、ぷぅとイルはむくれて、そっぽを向いた。 「けど、条件があるよ」 最悪の性格である。 信じられないものを見るような目つきで、ラドルアスカはイルのことを凝視した。 当然だ。この状況下で条件を提示させるなど思ってもみなかったのだろう。 イル!、とルーファニーが嗜めるも、イルは全く意に介さない。イルもここは譲れないのだ。 「条件があるんだけど、いいかな?」 「な、なんだ」 臆したようにラドルアスカが後ずさる。何か、とんでもないものを要求されると思ったのだろう。それも彼にとっては強ち間違いでもない。 にやっと、イルは笑う。 「もし、成功したら、私と何処かに一緒に遊びに行かない? もし、良ければだけど。私と一緒に愛を確かめ合いましょう……ボクちゃん。了解?」 「う……、わ、分かった」 何だか、微妙な顔をして一応、ラドルアスカは了承した。ルーファニーも微妙な顔をしている。 それを確認して、首を捻りつつイルは再び、召喚場に向かった。 『アイカシス』を召喚するために。 その道中、イルは首を傾げ、思った。 ――おかしいな? リュイ・シンの言葉をそっくりそのまま、言ったのに。 ラドルアスカのツボを突いたつもりだったイルは召喚場を向かいつつ、再度首を傾げた。 たぶん、ラドルアスカはリュイ・シンの幼男好きを知らないらしい……。 告白はなるべくなら、自分の言葉で言ったほうがいい。
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