だだっ広い空間を持つ、まるで学校の体育館のような召喚場で、イルと由樹は戦の補佐をしていた。だが、実際は補佐とは名ばかりで、ほとんどの内容はお留守番である。 しかも、イルと由樹しか補佐係りはいないので、権力も我が物顔で独占している。 ちなみに、現在の肩書きはイル補佐部長と由樹補佐係長だ。 そして部下はいない……。 もし、戦場で必要なものが要請された場合、この召喚場からイルが召喚術で戦場に送るのが主な補佐係りのお仕事だ。由樹は昨夜ルーファニーに頼まれたことを実行すべく、イルの元を片時も離れないでいた。
最初、イルは由樹がべったり傍を離れないのを疎んじて、由樹に数限りない様々な暴言を吐き、退けようとした。だが、由樹も今回ばかりは引けない理由があったのだ。イルのこの暴言は母親のことや亡くした実父などのいざこざからくる、悲しい儚い言葉の盾なのだ。 そう考えると今回ばかりは怒りも湧かなかった――と言うと少々語弊があるが、とにかく耐えられるものだったのだ。 だが、実際は、母親や実父のコンプレックスなどではなく本心からくる暴言なのだが、由樹は気がついていない。この場合、知らないほうが幸せである。 「泣くなぁ……」 そんな同情する由樹の様子を何も知らないイルは、気味が悪そうに遠巻きにしていた。 「ハシバ、頭は大丈夫? 医師を読んでこようか」 「いいんだ。どんどん、言えぇ。俺はお前の味方だから、どんな酷いことを言われても……それはぁ……」 く、と喉を鳴らし、心の内で、「それはお前の不器用な寂しいというサインなんだよな」、と由樹は勝手に解釈した。ますます、イルは訳が分からないといったようで、由樹から引いていくが、それも今の由樹には、「ふッ、人と触れ合うのが本当は怖いんだよな、けど、プライドが怖いだなんて許さないから、そうやって暴言を吐くんだよなぁ」、とやはり妙な解釈の仕方をしていた。 「もう気持ちが悪いから、ちょっと休もう。どーせ、仕事もなくて暇だしね」 「おう。気分が悪いなら、無理すんなよ。お前はまだ小さいんだからな」 「……う、うん。気分じゃなくて、気持ちね。それに私のじゃなくて、ハシバが、だから」 「おう。泣くなぁ……」 「………っ、」 はぁー、と軽くイルが溜息を吐き、血の色のワンドを空中に走らせ、金色の光が帯び、金属音を立てて、虚空から飲み物を召喚した。そして、その動作をもう一度繰り返し、合計二つの飲み物を召喚する。イルがそれを由樹に手渡し、地べたに腰かける。 「はい、ハシバの飲み物。何か、屋敷から適当に召喚したけど、それでいいよね」 「ああ」 召喚した飲み物を受け取って、イルに隣に座った由樹が口をつける。コップに入った液体は青色をして、いかにも毒々しいが、ふと寂しそうなイルの顔を見やると態々召喚してくれた手間を思い、迷わず飲み干した。 「おいしい?」 確かめるように、おずおずとイルが訊いてきた。もちろん即答する。 「おう!」――正直、まずかった。汚水のような味がした。 「……え、」 イルが信じられないものを見るように、目を見張った。 「どうした?」 「ハ、ハシバ。やっぱ、私、医者を呼んでくるよ。絶対、ハシバ、おかしいよ」 「はぁ? いいって。俺、どこも悪くねーし」 「そ、そう? 見てもらったほうがいいと思うけどな…」 そう言って、イルはブツブツと何やら呟き、俯く。どうかしたのだろうか。 由樹は怪訝に思うも、いい機会なのでイルに召喚術に対し、気になっていたことを質問することにした。ここ最近では、由樹はイルのうんちくにつき合わされ、朝からも一緒にいるときなど、研究や資料整理などを手伝わされており、少々召喚術にも詳しくなった。 そうすると、理解したらしたで疑問とは出てくるもので、身近にいる大先生に訊くのが日課だ。というより、それ以外にあまり話題がない。
「あのさ、召喚術って、よく物は移動したりできるだろ? 今みたいに、家にあるコップと飲み物なんかを召喚術を使って、転移するとか」 「――うん、それが?」 「けど、人間にはそれって使えないのか。使えるなら、軍の移動なんかも、直ぐにできて有利なのに、昨日とか武器や食料は戦場に送ったけど人には使ってなかったよな」 そうなのだ。ずっと疑問に思っていたのだが、座標師がいて魔導師がいて、それを駆使すれば、行軍などもっとスムーズにできるはずなのに、彼らは一切人には使わないのだ。 テーブルゲームマスター指揮官としては、使えるものは何でも使ったほうがいいに決まっているという見解だった。だって、ゲームで奥義、またはスキルを使わない主人公などクソの役にも立たないばかりか、ゲームのフラグも立たないというものだ。それではきっとボスの間までも到達できそうにない。その前にゲームオーバーだ。 フン、とイルが鼻を鳴らして答える。 「それはね、人に使うと危険だからだよ。前にも話した通り、召喚術には術を行なえば、行なっただけ失敗が生じる。失敗など日常茶飯事なんだよ。そんな危険な術を人に使えばどうなるか、容易に想像がつくでしょ。当の失敗から生まれたハシバなら」 「なるほど」 実際、由樹に至ってはその危険な召喚術によって転移してきた上、帰るときもお世話にならなくてはならないばかりか、また、そのタイミングも分からず、こうしている今も召喚されるかもしれないのだ。そして、もしかしたら、ずっと召喚されないことも有りうる。 「そう考えると俺って結構、危ないことを経験した? って、いうかこれからもする予定? 帰るときにさ」 「そうなるね。ハシバの場合は、常にあちらの世界とこっちの世界が図式を通して、行き来可能で、その行き来可能な扉が開きっぱなしな状態だから、その扉が閉まらない限りは、妙なところに転移することはないと思うよ」 「そうなの?」 こくり、とイルが頷き、説明を補佐する。 「そうなの。召喚術の失敗というのは、召喚するはずのものを何処か違う別の場所に送ってしまうとか、召喚するはずだったものとは別のものを召喚してしまうか、のどちらか。その原因はよく分かっていないんだけどね。ま、だから、人には使えないの。もし、全然、別の場所に送っちゃって、ハシバのような状態になったら大変でしょ?」 「何で」 「ヘタレ。ハシバは今現在進行形で、大変な状態にあるでしょ。第一、もし、こっちの世界の人がハシバの世界に転移して、どうなると思うの」 ふと、想像してみた。 例えば、こちらの世界の住人・イルが由樹の世界に迷い込んでしまったとする。そして、当然イルは帰ろうとする。由樹の想像上のほいほいとイルは簡単に図式を立ち上げ、こっちの世界に戻ってきた。 「なんか、問題あるの? 普通に召喚術を使って帰ればいいじゃん」 「ハシバ、やっぱ、医師に脳みそを診てもらったほうがいいと思うよ。ハシバの脳みそはドロドロに溶解しているみたいだからね。あのね、恐らくハシバが今、想像したのは魔導師があっちの世界に迷い込んじゃった場合の話でしょ。そうじゃなくて、普通の人の話だよ。ハシバの世界には魔導師がいないんだから、こっちに送ってくれる人もいなければ、自分でもできない。だから、帰ってくる方法はないの」 「おお……」 なるほど。盲点だった。 由樹の世界には魔法なるものは存在していないので、あっちに着いてしまった、こちらの住人は酷く困ることになるだろう。むしろ永遠に帰ってこられない。確かに、そういう危険がいつも付き纏う召喚術を人に対して、使う気にはならない。 よくよく考えれば由樹は凄く運が良かったのかもしれない。運良く、召喚術を使った術者の元に迷わず転移したのだから。 その考えを見透かしたようにイルが付け加える。 「自分がいかに幸運か分かったかな。そして、いかに特殊かも」 「まぁ、大体……な。でも、何で、俺の図式はその転移する扉が開きっぱなしなんだ? もし、この扉が閉じて図式もなくなっていたら、俺は直ぐに帰れたのに」 今度こそ呆れたとばかりに、イルは鼻を鳴らした。 「嗚呼、もう、ハシバと話をしていると本当に嫌になるよ。あのね、もしその図式がなくなっちゃっていたら、ハシバの帰るべき座標も図式と一緒に消えちゃって、何処に送っていいかすらも分からなくなっちゃったでしょ。ばかじゃないのっ」 ふん、とイルは付き合っていられないと、スタスタと作業場のほうに行こうとして、ふと、何かを思い出したように立ち止まった。そういえば、と呟きながらゴソゴソと黒ローブのポケットを探り、何かの紙を取り出し由樹のほうへ放り投げてきた。 「ほら、愛しのリュイ・シンから手紙を預かったよ。“ボクちゃん”」 くす、とイルがからかうように笑った。その言葉に由樹はぞっとする。 東洋人は若く見られる嫌いがあるが、由樹は“ボクちゃん”などと呼ばれるほど幼くもない。嫌な気分になりながら、由樹はリュイ・シンからの手紙に目を通した。
* * *
拝啓、異国の方。親愛なる、ハシバへ……。
わたしは明日、戦へ行きます。あなたがこの手紙を読んでいる時には、恐らく、わたしは既に戦場にいることでしょう。もしかしたら、わたしは戦場で命を散らしているかもしれません。そのことも、考慮し、手紙という形を取らせていただきました。 昨日、あなたはわたしに、姫ではないみたいだ、との発言でわたしはあなたに八つ当たりをしました。また、医務室での治療の際も、あなたの平和な国を思い、自分の国と照らし合わせると、どうしても悔しい思いが湧き上がり、あなたに八つ当たりのような態度を取ってしまいました。それをお詫びしたくて、この手紙を書いております。 ごめんなさい。あなたが悪い訳ではないのに、非難するような態度を取ってしまい、申し訳なく思っております。 あなたはとても平和な国で育ったのでしょうね。だから、あのような言動をしたのでしょう。わたしは久しく平和を忘れていました。だから、どうしようもなく、あなたの態度が癇に障った。 それで、あのような態度を……。 そういう訳で嫌な思いをさせて、ごめんなさい。 もし、許してくれると言い、そして、今回の決戦を無事に生き延びることができたなら、一度何処かにわたしと遊びに行きませんか? もし、良ければですが……。 わたしと一緒に愛を確かめ合いましょう、ボクちゃん。 そして、もし良ければわたしのお部屋でお仕事をしませんか? お給料は高めにしておきます。
――リュイ・シン
* * *
「もし、許してくれると言い、そして、今回の決戦を無事に生き延びることができたなら、一度何処かにわたしと遊びに行きませんか?――だって。モテモテだね、ハシバ。いいんじゃない? 応援するよ。ハシバとリュイ・シンがくっ付けば、ラドルアスカさまの失恋が決定するしね」 くす、というイルの笑いが聞こえてきて、由樹は慌てて手紙を隠した。 「の、覗くなよッ!?」 「ふふ。いいとも、既に一度、目を通したからね。内容は暗記ずみ…」 けけけ、とイルが笑う。 「テメッ。俺宛の手紙を盗み見たのか!」 「盗んだなんて、人聞きが悪いよ。ちょっと、紙が封筒から出ちゃったその拍子に、見えちゃっただけだよ」 「そーいうのを、盗み見るっていうんだよ!」 ――くそ、時々、奴を縄で縛って、絞め殺したくなる衝動に駆られるのは俺だけか? ――いや、そうだ、これはイルの寂しさのサインだった。その、はず……。 そう思い直し、由樹はじりじりと我慢した。 「そうなんだ。“ボクちゃん”」 ――ああ、忍耐も限界に来たしている。本当に寂しさ隠しなのか? これが……。 ルーファニーが嘘を言っているようにしか、由樹には思えなくなってきた。 実際、その通りなのだが…。 「だいたい、封も切れていないのに、どうやって封筒の中身が外に出るんだよ!」 そうもっともな反論をしてみるが、実際由樹にもどうやって手紙の内容を盗み見たのか分からない。リュイ・シンからの封筒は、封がしたままなのだ。きちんと糊付けされており、上手く出したとしてもその出した後は残る。光に透かして読んだのだろうか。 けけけとイルが笑って、反省の色も無く答える。 「召喚術で一旦、封筒の外に出して、で読んだら、また召喚術を使って中に戻したの」 「思いっきり盗み見てんじゃねーかッ!!」 全然悪びれもせずにイルは、ケタケタと笑った。 何だか、とてもじゃないがこれが、イルの寂しさ隠しとは思えなくなってきた。 く、と喉を鳴らし、怒りを爆発させようとした、 ――その瞬間…………………、
どさり、
と、いう異質な物音が背後でした。 同時に金色の光の帯が増し、金属音を放ち、図式が霧散する。 何が届いたのだろうか、と補佐係の仕事を受け持つ、イル補佐部長と由樹補佐係長は同時に音がした背後を振り返った。 そして、絶句した。 表情が凍りついた。 そこには、黒焦げになった、リュイ・シンが無惨にも転がっていた。 「…………で、……でん、か?」 イルが混乱気味に漏らす。 今、話したばかりの内容を由樹はじわりと思い出していた。 人には召喚術は使わない。なぜなら、危険すぎるから。何処か、別の帰ってこられない場所に失敗すると転移する危険があるから。もしかしたら、一生帰ってこられないから。 「ぅ……ぁ……、ぃ、医師を、医師をっ、医師を早く呼べぇえ! 医師を呼べ!」 大声でイルが、叫ぶ。 あの何時でも余裕と皮肉で形成されたイルがこんなにも取り乱したのを、由樹は初めて見た。 呆然と由樹が見ているなか、リュイ・シンは大勢の医師達によって運ばれていった。 何だか、このふざけた手紙がすごく重く感じられた。 『もし、許してくれると言い、そして、今回の決戦を無事に生き延びることができたなら、一度何処かにわたしと遊びに行きませんか?』 昨日、リュイ・シンは確かに生き残るつもりだったのだ。 自分が死ぬなどという未来は画いてはいなかったのに。 何故、彼女は今死にそうになっている?
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