作戦は順調に進みつつあった。 伝令に出した小型のイエロードラゴンは敵に見つかることもなく、無事にロールストーン魔導師部隊にルーファニーからの書簡を渡し、代わりにその返事として別の紙切れを持って帰ってきた。
――その作戦に、我らロールストーン魔導師部隊は乗ル。健闘をイノル。 カジミに一矢報いヨウ! ……ロールストーン魔導師部隊隊長 短い文章であったが士気の高さを感じさせる文であった。現状のタルデシカの兵力を考えると頼もしい限りだ。 またロールストーンは優秀な魔導師が多く、戦場で唯一魔導師を連れてくる国だ。 〈黒い炎〉の召喚にもかなりの期待ができ、作戦の成功確率も彼らのお蔭で上がるというものだ。 魔導師を戦場に連れて行くのは自国の戦力を低下させるので、なるべくは優秀な魔導師は国に温存しておくものだが実際、魔導師を一人連れてくるだけで、戦況をひっくりかえすほど、彼ら魔導師たちは有能だった。だったらロールストーンは小国で甘んじていないとそう思うであろうが、ロールストーンには肝心の兵士が少ない。いくら魔導師でも兵なくして、勝利はありえないのだ。兵と魔導師の使い用途にはそこに違いがある。 魔導師は接近戦に弱い。ゲロ弱だ。 また今回のように大掛かりで戦況を一変させる召喚術を使うと、自軍にまで被害が及ぶため、一旦兵を撤退させなくてはならない。だから、魔導師がたくさんいるからといって、ロールストーンは強いというわけではなかった。 「ルーファニー殿、〈遠吠えのホルン〉を頼む」 ラドルアスカがそう指示をすると、既に上空で待機していたルーファニーが頷いた。 〈遠吠えのホルン〉。第12冊子、42章、5ページに記載されている、角笛。 これは遠吠えのように遠くにいる者に伝達するように造られた角笛で、この角笛に口をあて、叫ぶとその声は大きく鳴り響き、遠くにまで聞こえるようになるというものだ。 ルーファニーはすぅっと息を大きく吸い込み、角笛に向かって叫んだ。
【全軍、南東に向かって撤退! 繰り返す! タルデシカ及び、ロールストーン、イクルーズ軍は全軍直ちに南東に向かって撤退する!】
谷じゅうにルーファニーの命令が反響し、響き渡る。 軍の反応は素早かった。タルデシカもロールストーンもイクルーズも逃げるのだけは大得意だ。一目散に南東に向かって、一目散に逃げ始めた。 それを確認し、ラドルアスカが指示を飛ばす。 「よし、我らも撤退する。南東に向かい進路を取れ! 行くぞッ」 ぐん、とドラゴンの手綱に力を込め、一斉にタルデシカの幹部たちは谷間の横穴から飛び出した。横穴からドラゴンに乗った、タルデシカ幹部たちが空中を疾走する。傍から見れば、蜂の群れが巣から飛び出してきたよう、密接して宙を滑空している。その様子は上空からは酷く目立つ。 当然、タルデシカ軍が移動すると同時にカジミが追撃を仕掛けてきた。 タルデシカの群れを追尾する形でカジミが食らいついてくる。止まったら、終わりだ。矢を射掛けられ、ドラゴンが飛べなくなってもそれは死を意味する。誰もが後ろにいる敵を意識しつつもけして振り返らなかった。ただ前だけを見て、ドラゴンの手綱を操作する。 じりじりとその差は縮まっていくが、その予想通りの展開にラドルアスカは安堵した。 「ローレ卿、どうやら上手くいきそうですね」 リュイ・シンが額に玉の汗を浮かべながらも、そう言った。誰もが恐怖を抑えて死を自覚している中、それだけの軽口を叩けるのは虚勢と言えども立派だ。複雑な気分でラドルアスカはリュイ・シンの言葉を返す。本当は恐怖で口など開きたくもなかったが、女性のリュイ・シンが軽口を叩くならば、ラドルアスカが言葉を呑み込む訳にはいかないのだ。 普段ならば、恐らくラドルアスカは言葉を出さなかったろうが、今日は一味違う。 「はい。でも、これからが本番。逸れずについてきてください」 きっぱりと“断言”し、けして臆病な内面は見せなかった。 「……え、ええ」 「?」 作戦が上手くいっているのに、リュイ・シンの顔は優れない。当惑したようにリュイ・シンは頷いただけだった。やはり恐いのだろうか。それにしては何か違う気がした。何処か違和感を持ちつつもラドルアスカは目の前のことに集中した。今はとにかく、作戦を成功させねばならない。今、リュイ・シンの心情に構っている暇はなかった。 これが後で大惨事を招くとも知らずに。
軍は順調に南東に飛行し、目的の場所にまでカジミを誘いこむことに成功した。 そこで待ち構えているのは、ロールストーン魔導師部隊。 彼らの全てが、何等かの棒状のもので空中に図式を立ち上げていた。空は金色の光に包まれ、キィィィンという膨大な金属音が鳴り響く。カジミたちはその様を人目見て、自分たちが誘いこまれたという事実を理解した。ブラックドラゴンたちの軌道を反転させようと躍起になっている。 だが、もう遅い。 ロールストーンの優秀なる魔導師たちは、その優秀な腕で素早く図式を書き上げ終えていた。一斉に黒い〈悪魔の炎〉が空中に召喚され、カジミたちの頭上に降り注いだ。ルーファニーも手助けとばかりに素早く図式を完成させ〈悪魔の炎〉をカジミに容赦なく振り下ろした。 全てを焼き尽くす危険な炎はカジミの屈強なるブラックドラゴンをも薙ぎ払い、熱風とともに押し戻す。 カジミたちの苦悶の悲鳴が谷間に反響し、肉の焦げる嫌な匂いが充満した。 作戦はほぼ成功したようなものだった。 カジミには大きな被害を与えたようであるし、彼らは撤退するしかないだろう。 後は、タルデシカ本部が無事に逃げ仰せ、軍を立て直すだけ。 ――皆が緊張を解いた、その瞬間だった。
ひゅん、という風を切る音とともに、矢がタルデシカ本部の飛ぶ空域に降り注いだ。その数も半端なものではない。タルデシカ本部が移動する、遥か上空から大量の矢が降り注ぐ。タルデシカ本部にはラドルアスカやリュイ・シン、また、ラドルアスカを補佐する者たちもいるのだ。この面子が死ねば、戦はあっという間にカジミに軍配が上がる。 「殿下ぁ!」 焦ってラドルアスカはリュイ・シンの姿を探した。リュイ・シンの姿が近くに見当たらなかったのに気づき当惑した。すぐ、後方に付いてきているはずなのだが、その姿はラドルアスカが思ったよりも後方にあった。直ぐ傍にいるようリュイ・シンには言ったはずなのに、何故、という気持ちが押し寄せる。 「ローレ卿!」 ラドルアスカは急いでレッドドラゴンを反転させた。レッドドラゴンもラドルアスカの意図を賢く理解し、素早く矢の降り注ぐ真っ只中へ身を躍らせていった。 っち、とラドルアスカは舌打ちする。 全て、ラドルアスカの責任だった。 全ては仕組まれていたのだから。 あんな風に敵に見つからず、ロールストーン魔導師部隊が空中に漂っていたのは、敵に見つからなかったからじゃない、見逃してもらっていたのだ! ジルアの奇襲を逃げ延び、身を隠したタルデシカ本部の居場所を炙りだすための、綿密な罠だったのだ。カジミはおそらく、リュイ・シンの居所が分からず、わざとロールストーン魔導師部隊を目立つ場所に追い込み、ラドルアスカに発見させ、そうしてラドルアスカがロールストーン魔導師部隊を使ってくると分かっていながら、わざと追撃し、リュイ・シンの居場所を確かめた、その上で上空にカジミは奇襲部隊を配置した。 “運”よく、“見つからず”に漂っていたのではなかったのだ。 ――なんて、周到なんだ! まんまとその罠に嵌ってしまい、罠を見抜けなかった歯痒さにラドルアスカは奥歯をかみ締めた。だが、今後悔などしている暇などない。 ミスをしたら、その分とり返す。 その時の最良のことをする。 今はリュイ・シンを助けにいく。何よりも、リュイ・シンを助けに……。 だが、リュイ・シンはそれを拒んだ。 「ローレ卿はこないで! こっちにはこないで!」 「――な、何を……?」 全速力で矢の降り注ぐ中を向かっている最中だというのに、何をいうのか。 ラドルアスカにはリュイ・シンが何を言っているのか分からなかった。 「こないで!」 「何を言っているんだ! 殿下ぁっ」 「こないで。わたしが死んでも、代わりはいるわ」 「何を言っている! 殿下は唯一の後継者。代わりなどいない!」 もう、敬語も何もない。リュイ・シンの言葉など無視して、どんどん空を切り進む。 目の前を通過していく矢を叩き切り、剣で行く手を切り進む。レッドドラゴンの目を狙った矢も手早く処理した。ドラゴンの皮膚は頑丈で矢ごときでは傷もつかないが目や口は別。カジミたちが集中して目や口を狙うので中々思うように前に進めない。それでもラドルアスカはドラゴンを傷つけないよう剣を振るい、前に進んだ。ゆっくりとだが確実に。 「こないで、ローレ卿! わたしがいなくとも、王族の血筋なら、いくらでもいます。どこかから連れてくればいい! けど、ローレ卿は、この国の司令官はあなただけなのです! 実力を、力を持っている人は、あなただけなのです!」 そう言うと、リュイ・シンは剣を抜き、上空のカジミへと向かっていった。 「何をする! 殿下、殿下ぁっ」 ラドルアスカも手綱に力を込めるが、到底間に合う距離ではなかった。 もう剣で矢を処理するのは止めた。矢が腕に刺さる。刺さった反動で体が反り返るも、レッドドラゴンは着実にリュイ・シンの元へ進んでいく。 リュイ・シンは単身、カジミの奇襲部隊へと向かっていき、既にカジミの凶暴なブラックドラゴンに迫っていた。ブラックドラゴンが口から黒い炎を吐き出した。 その炎に呑まれるように姿を消したリュイ・シン。 間に合わなかった。 「…ぁ……あ……ぅ……」 真っ黒焦げになって、無惨にもリュイ・シンは空から堕ちていった。 「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁ!」
落ちるようにして、ラドルアスカは遥か下にいるリュイ・シンを追った。 レッドドラゴンを地面に向かって走らせる。傍から見たら、投身自殺のような光景であり、そしてこのまま突っ込めばラドルアスカも無事では済まない速度で、それでも一瞬の躊躇もせずに手綱を地に向け、翔けた。 せめて、リュイ・シンが地上にだけは落ちないように。
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