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作品名:空を翔る猿 作者:氷室 龍獲

第29回   私は私の価値が分からない


 戦況は最悪だった。
 過去にないほど、荒れ、狂い、破壊され、死人が地に潰れ、ドラゴンが焦げ、予想もつかぬ泥沼の深みへと、だんだんとだが確実に展開は敵の思うように嵌っていく。消耗戦では、疲弊したタルデシカに勝ち目はないというのに……。

  * * *

 数時間前、タルデシカと隣接する小国の軍勢とタルデシカ軍は何事もなく合流した。
 タルデシカのお隣さんである小国、『ロールストーン国』はやはり強大なカジミに頭を悩ませ、軍もそれなりに疲弊はしていたものの、僅かな軍勢を引きつれてちゃんとこの戦場へとやってきたのだ。
 そして、ロールストーン軍の特徴は意外にも魔導師が多いことだ。
 今や、優秀な魔導師は戦場で戦ったりはしない。なぜなら、魔導師がいないとドラゴンが召喚できず、戦力が削がれるからだった。
 よほど、魔導師が多くいる国でないと、その余裕はない。
 多くの魔導師を持つ国が戦力も持っているということになり、また、逆に度重なる戦で疲弊したタルデシカなどでは魔導師が不足している状態ということだ。しかし、ロールストーンには優秀な魔導師が多いため、兵は少なくともドラゴンだけはあり、また戦力だけはある。
 また、唯一魔導師を戦場に連れてくる国で、その力は侮れないものがある。
 だから、この国とタルデシカは組めば、戦争慣れしたカジミともそれ相応に渡り合えた。
 そして、吸収合併した小国である『イクルーズ』は、とにかく、戦士の質がいいが、兵の数事態は少なく、主に少数精鋭といったところだ。だが、一人一人の能力は実に高いため、指揮官がいないタルデシカとしては、個々の部隊を彼らに任せられるので頼りになる。
 『ロールストーン』、『イクルーズ』などの小国も実に有能であったが、やはり一番の功績を挙げたのは、奇襲に長けた機動力のある『ジルア』という小国だ。この国はタルデシカのお隣さんのお隣さんにあたる。
 これらの小国とタルデシカが力を合わせ、立ち向かえばこそ、強豪カジミとも対等に渡り合えていたのだった。タルデシカ自体は兵の数こそ他の国より多いものの、そのオプションとしてついてくる、兵の質や戦略、装備などでは何の役にも立たない平和大国なのだ。
 この小国と合流し手を取り合い、戦えば、今回は士気も高くカジミにも勝てるはずだった。
 少なくとも、その希望はあった。

 ――そう、そのはずだったのだ。勝てたはずだったのだ。
 ……ジルアさえ、裏切らなければ……。
 ジルアさえ、カジミの味方をしなければ。
 
  * * *

 最初、『ロールストーン』、『イクルーズ』と無事合流を果たしたタルデシカは、同様に『ジルア』とも軍を合流し、その上でカジミと戦う予定であった。しかし、無事『ジルア』と合流できたと思われた、その瞬間に『ジルア』が反旗を翻した。
 近づいたところを騙し討ちだ。
 より内部に接近した上での『ジルア』の攻撃は、多大な被害を齎し、そして、その追い討ちとばかりにカジミの追撃を食らい、タルデシカ、『ロールストーン』、『イクルーズ』は、統率が取れなくなり、いまや敵、見方が入り混じる、作戦も何もない混戦となってしまったのだ……。

「くそッ! ジルアめ。カジミなどに与しおって」
 戦場から少し離れたタルデシカ本部で、ラドルアスカはそう毒づいた。タルデシカ本部は谷間にある洞穴にひっそりと隠れるようにして、敵の目から逃れていた。もし、この居場所がバレると、王族であるリュイ・シンを連れているので、かなりまずいことになる。
 ラドルアスカもそうそう外に出ることもできず、戦に加わることも出来ず、じりじりと戦況を見守るだけとなっていた。また、演説であれだけの大見得を切った手前、物凄く恰好悪い、というよりバツが悪い。
「まぁ、ラドルアスカさま、戦は始まったばかり。戦は何が起こるか分からない。作戦通りにいくことなど、あろうはずもない。だから、タルデシカにもチャンスはまだある。そう焦ることもあるまい」
 ルーファニーが憤るラドルアスカを嗜めた。
「ああ、分かっている、ルーファニー師。戦はこれからが本番だ。敵の追撃が緩み次第、私らもここから、出て戦おうと思う」
「戦う、とは無茶な……」
「いや、何も私自身が槍を持ち、騎乗して戦おうというのではない。私らが、ロールストーンやイクルーズ、我が軍の統率を、再度取ろうと、そういうつもりだ」
 ちょっと、ルーファニーは意外そうに驚いて、
「成長しましたな」
 と、言った。いつもなら、確かにラドルアスカは、自軍が不利になると慌てふためくか、さっき〜していれば、と後悔ばかりをして、今やらなければならないことに目を向けなかった。それをラドルアスカ自身も自覚しているだけに、ルーファニーが驚くのも無理はないと思った。
「――昨日、あなたのお孫さんに散々言われて、少し反省を」
 ほぉ、とルーファニーは嬉しそうに感心した素振りを見せた。
 それは孫の成長を確かに見る、暖かい眼差しだ。両親が先の戦争で亡くしたラドルアスカとしては、その視線がありがたくもあったが、今はそれに構っている暇はない。

『人はミスをするものだよ。だから、その時、最良と思うことをすればいい』

 ぐ、とその言葉をかみ締め、再び戦場に視線を向けた。
 真っ黒い漆黒のドラゴンが空を埋め尽くし、黄色や赤いドラゴンたちを地上へと墜落させていく。それは一方的な虐殺だった。ブラックドラゴンは力がずば抜けているように、黄色は素早さを、レッドドラゴンは赤い炎を吐き、希少種の白竜は氷を口から吐くといった、一応は得意な能力はあるものの、統率が取れず、バラバラの攻撃ではその本領は発揮できずにいた。
 そうして、しばらくラドルアスカは戦場を眺めていると、ロールストーンの魔導師部隊が戦場から少し離れたところに滑空しているのを視界の隅に捉えた。
 どうやら、先ほどのジルアの急襲で難を逃れ、カジミの追撃隊にも見つからず、今更混戦の戦場に参加するのも二の足を踏んで、今のラドルアスカたち同様、ずっと隠れていたらしい。
 ふ、と頭にこの部隊の存在は浸透すると同時に、ラドルアスカは閃いた。
「ルーファニー師! 頼めるだろうか」
「何を、ですかな?」
 突然のラドルアスカの頼みに全く動揺を見せず、ルーファニーはただ問うた。今はその冷静さがありがたい。
「あの、遠くの点のようなものを、見てください」
 じっと、ルーファニーが老眼鏡をかけ、遠くの空に目を凝らす。しばし、目を細めているルーファニーを見かねて、ラドルアスカは補足した。
「あれはロールストーンの魔導師部隊です。旗を」
 ルーファニーは旗に視線を向け、あぁ、と頷いた。
「確かに。あれはロールストーンの魔導師部隊だ。知り合いがおる」
 その言葉にラドルアスカは、ほっとした。もしかしたら、敵の偽造工作かと思ったのだ。
 敵に見つからずにあんな“目立つ”所にふよふよ漂っているなんて、“運”が良すぎる。
「まず、〈遠吠えのホルン〉で全軍撤退の合図を。そして、敵に気づかれないよう、ロールストーン魔導師部隊をここに集結し、追尾してくるカジミを〈黒い炎〉を一斉に放ち、敵を一掃します。その攻撃を食らい、敵が撤退する間に、我が軍を立て直しましょう。我らの居場所が敵に知らせてしまいますが、我が軍の実情を考えると早めに事態を少しでも好転させておきたい」
 ふむ、とルーファニーは考え、それしかないでしょうな、と言った。
「何とか、やってみましょう」
 不安そうにリュイ・シンが口を挟んだ。
「もう少し様子を見たほうが……」
「いいえ、殿下。ラドルアスカさまの判断は間違ってはおりません。今、ここで何等かの手を打たねば、おそらくは、戦力を削られる一方です。早めに手は打っておいたほうがいい」
「そうですか。差し出がましい真似をして、申し訳ありません」
 王族とは思えないリュイ・シンの言葉にラドルアスカは、慌てる。
「何をいいますか。あなたが我が軍の大将なのですよ?」
「……わたしが?」
 ルーファニーが微笑んで安心させるよう頷いた。
「もちろん。皆がそう思っております。ラドルアスカ殿も殿下も、もっと自信を持っていただきたいですな。では、わしは、伝令に伝えてきます」


 伝令にその旨は伝えられ、ひっそりと一匹の手の平サイズの小型イエロードラゴンがロールストーンの魔導師部隊に書簡を届けに行った。タルデシカ軍が洞穴を出ることはできないため、この小さなドラゴンに、ロールストーンとの連絡は託された。もし、敵にこのドラゴンの存在が発覚したら、なし崩しに作戦がばれてしまうので、見ているこっちはひやひやした。
 また、ルーファニーは単身、一人でレッドドラゴンに乗り、〈遠吠えのホルン〉を召喚して上空で待機していた。この時もルーファニーは実に慎重にこっそりと洞穴から出て行った。敵に見つかっては全てが無駄となってしまう。
 そして後は、ドラゴンが無事にロールストーン魔導師部隊にその作戦に要となってほしいと、伝えてもらい、その返事を持ってきてもらえばいいだけだ。
 ごくり、とリュイ・シンは唾を呑み込んで、ドラゴンの手綱を握り締めた。
 撤退するとルーファニーが伝えたと同時に、タルデシカ本部の居場所は敵に発覚する。
 だから、一目散にリュイたちタルデシカ幹部は、撤退の先頭をきって、逃げなければならない。そうでないと、少数で、しかもリュイ・シンという大物を持つタルデシカ幹部たちはカジミの集中攻撃を浴びてしまう。
 ふ、とリュイ・シンは隣にリュイを守るようにドラゴンに騎乗しているラドルアスカの横顔を眺め見た。
 ――ローレ卿は変わった……。
 一日で劇的というほどに変わった、と思う。
 以前は自信がなく、ずっとねちねち思考を重ね、そのせいでせっかくの機会を逃す場面も多々あった。だが、今日はその機会を逃さず、きっぱりと迷わず決断を下し、その責任を全て被る覚悟が見受けられた。
 ――わたしは、何だか一人、取り残されてしまったようね。
 少しだけ、疎外感があった。先ほど、口を挟んだのはそのためだった。リュイ・シンにはまだ、タルデシカの国を背負うだけの覚悟はない。そんな覚悟は恐ろしくて一生、できそうにないとさえ思う。その点、ラドルアスカが妬ましくもあり、頼もしくもあり、羨ましくもあったのだ。
 ばかね、とリュイは自嘲気味に独語する。嫌な考えを振り払って、ラドルアスカに声をかけた。せめて、見習おうと、どうやってその覚悟を固めたのか訊いてみよう。そして学ぼうと思った。
「ローレ卿、何処か昨日とは違い、自信に満ちて頼もしいわ」
 いきなり声をかけたからか、ラドルアスカがドラゴンから転げ落ちた。
 大丈夫だろうか?
「ローレ卿、大丈夫ですかッ?」
 一時は緊張しているのかとも思ったが、そうとも違うらしくラドルアスカは即座にドラゴンに乗りなおして身を整えた。
「は、はい。大丈夫です。平気です、何でもありません」
 何やらラドルアスカは動揺しているようで、頭をぶんぶん振り回している。
「ちょっと驚いてしまい、取り乱しました。私が自信に満ちている、ですか。まぁ、えぇ。それは、その……」
 煮え切らないで言いにくそうに、ごにょりと口籠もった。
「何です?」
「いえ、その。昨夜ですね、イルが助言……。いや、あれは助言とは言わないな。イルに悪口を言われ、別に感銘を受けた、……と、いうわけじゃないのですが、その……それはその案外、的を外れた悪口でもなく、反省に至ったしだいです」
「!」
 驚いた。
 純粋にあのイルがラドルアスカにここまで自信を与えるなんて、思いもしなかったのだ。
 リュイ自身とて、何度もラドルアスカには自信を持ってもらおうと、励ましていたというのに、それをたった四、五日前に来た付き合いの短い人間が、少し言っただけでラドルアスカに自信を持たせるなんて、有り得ないと思った。
 元来、人は特に悩んでいる時に励まされるなどと肯定的なことを言われると、「本当にそうだろうか?」と疑ってしまうものだが、逆に強く「お前のここが駄目なんだよ!」ときっぱりと否定的なことを言われたほうが「あぁ、そうかもしれない、どうしよう」と受け入れやすいのだ。
 例えば、自分のスタイルが悪いことで悩んでいたとして、他人に「全然、太っているように見えないよー」なんて言われても戸惑うだけだが、逆に「デぇブ。お前、腹の贅肉どうにかしろよ」と言われれば、絶対的にこちらを受け入れ納得してしまう。
 そうか、私は腹の贅肉がやっぱり過剰だったのね、という具合に。
 だから、イルの励まし(悪口)のほうが少しばかり効果的だっただけなのだが、リュイ・シンにはとてもそう考えるだけの余裕はなかった。
 それは、常に自分の役目であったはずなのに。
 兵たちの心の支えは常に自分がしていたのに。
「……」
「どうかしましたか?」
 ぐるぐると視界が暗転し、ラドルアスカの声が遠くに聞こえた。
 ――わたしは、役には立たない? 
 ――せめて、兵たちの精神面だけでも、支えになりたいと思って、いた、のに……。
 リュイ・シンは一切の感情を表に出さず、平然と言った。
「いいえ、何でもないわ」

 初めて、ラドルアスカが自分から離れていったようで、妙な喪失感があった。
 別に、ラドルアスカは誰のものでもないのに、いないとなると、何かかが違った。
 取り残されてしまったような疎外感が襲ってくる。
 そして、自分の存在意義が分からなくなった気がした。
 ラドルアスカは努力により指揮官の座を勝ち得、今でもその腕でタルデシカに勝利を齎そうと頑張っているし、イルは素晴しい才能と英雄にも劣らない確かな実力と術を持っている。もちろん、ルーファニーはかつても今も術を行使し、人望もあり色々な意味で国に貢献している。兵士たちは己が肉体で戦うことができる。
 ――だけど……。
 ――わたしは、
 ――わたしは、一体何のためにここにいるのだろうか……?



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