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作品名:空を翔る猿 作者:氷室 龍獲

第26回   〈永遠の鳥篭〉


「くそジジイめ。とうとう、ボケたか」

 そう嘯くのは、やはりというか何というか、一人しかいない。
 金髪金眼の可憐な容姿を持ち合わせ、傲慢なる唇を携えた少女、イルであった。
 イルは自分の祖父であるルーファニーに対して、そうとう頭にきていたし、随分とむかっ腹も立てていた。
 実の祖父とは顔を合わせれば大抵は不機嫌にはなるのだが、今回の怒りの原因はルーファニーが王城に老眼鏡を忘れてきたと言うのだ。それを自分で取りに行けばいいものを、疲労を抱えたまま屋敷に帰って“直ぐに”ルーファニーはイルに眼鏡を取ってこいと言い渡したのだ。
 ムッとするも金を寄越してきたので行く気になり、今もこうして夜闇をさくさく歩いているわけだ。こうしてよく考えてみると不可解な点が湧き上がってきた。
 ルーファニーが金を渡すことは極めて珍しいのだ。
 何故かハシバの部屋から甲高い悲鳴が聞こえてきたので、恐らくはそれに関係しているのだろうとぼんやりと思う。

 ぶつくさ言いながら、イルはルーファニーの言いつけ通りに王城へと向かった。
 さくさくと落ち葉を踏みしめ、どんどん無造作に進んでいく。
 普通ならば夜に嫁入り前の若い娘を一人で歩かせるなど論外だが、イルの場合は彼女を襲う相手が気の毒というものだ。
 襲ったと同時に召喚術でノックアウト、そして相手のコンプレックスを論うような悪口を言い、相手は二度と立ち直れず再起不能となるであろう。
 可哀想なことである。
 ルーファニーもそのことをよく理解しているので、ぽいぽい頼み事をする。
 そう考えると、イルは何だか再び腹が立ってきた。
「何で、私がジジイの頼み事なんかしなきゃいけないんだろうね」
 暫く、憤然と歩を進めると、何かが空を切るような、奇怪な音がイルの耳を打った。
 川のせせらぎに混じって、矢を射るようなそんな不思議は音がした。
 水の雑音を意図して無視するよう、イルは耳を澄ませる。
 ……ひゅ、ひゅ、ひゅんっ……。
 薄く、空を何かが鋭く、往復する音。
 それも連続的に何度も何度も聞こえてくる。
「……な、何?」
 流石に恐いものなしのイルも、未知なる恐怖に身を震わせた。
 一瞬、動物か、もしくはカジミに関するものかと疑い、そしてあまりイルとしては面白くないのだが、非論理的な幽霊といった物の怪の類まで疑った。
 ごくり、と溜まった唾を飲み下して、イルは恐る恐る近づいていく。
 もちろん、血の色のワンドを高く掲げて、画く座標は頭の中で暗唱しておく。ゆっくりと音のした方向へと近づいていった。
 闇が隠すその道中の奥に、一際大きな星型の葉を持つ木下で、イルは奇怪な人影を目撃した。
 その人影は、頭を上下左右にぶんぶん振り回し、何やら苦悩しているらしく呻いている。
 その頭を振り回す速度は、どんどん加速して今や振り回しているというよりは精神異常者のような不利舞に近い。
 それでもどうやら、本人は苦悩しているつもりらしい…。
 全く、そうは見えなかったが。
 異様で奇怪なサイコじみた人物を見兼ね、またそれが知り合いであったこともあり、なんとなく声をかけがたい雰囲気であるが、渋々イルは声をかけた。
「何……、やってるの?」
「うわッ!」
 苦悩していた怪人物、ラドルアスカ・D・ローレはイルに見られたことに驚き、恥じ、その場から一目散に逃げ出そうとした。
 ラドルアスカの後姿を見やり、ふむ、とイルは考える。
 道中、王城に行くにはこの星型の葉の木の下を通るしかない。
 つまり、ルーファニーは“このこと”つまり“ラドルアスカがここにいること”を知っていた可能性がある。いや、むしろその可能性のほうが格段に高いだろう。
 ――ジジイのくせに、中々気が利くね。
 ルーファニーの策略にまんまと嵌った形になるが、これはむしろ全然悪くない。
 とはいえ、ルーファニーがただイルの恋路を手助けするとは思えないから、恐らくイルに何かをさせたいのだろう。
 ふぅ、と軽く嘆息し、血の色のワンドを空中に走らせた。このままラドルアスカを逃がすわけにはいかないのだ。ジジイがラドルアスカに何かをしろと言っているのだから。

 第67冊子、89章、92ページ、〈永遠の鳥篭〉。
 これは、いわゆる結界というやつに似ている。範囲十メートル以内の全てのものを外界から隔離する、人には見えない籠を形成するのだ。

 イルは手早く、ラドルアスカをここから十メートルの範囲内に閉じ込めた。
 走って逃げていたラドルアスカが見えない壁に激突し、無様に尻餅をつく。
 ドサリッ、という短い音がして、髪を振り乱したラドルアスカが地に背を強か打った。
「っぷ。クフ」
 思わずイルが噴出す。
 笑っちゃいけないと思うが、あまりに無様で笑えた。普段のイメージからして、あの慌てている様子は実に滑稽である。
 イルがにやにやしているとラドルアスカが鋭利な目つきで睨みつけてきた。
「っく、貴様はそうまでして、俺を嘲笑いたいのか! くそ、笑うがいい。どーせ、お前が明日には城じゅうの人間に言いふらしているだろうからなッ!」
 何故、イルがそうまでして言いふらさなければならないのか理解不能であったが、彼の中でイルとはそういう存在らしい。やや、脱力しつつ告げる。
「私は別に他人に吹聴したりはしないよ」
「何故だ」
 いや、イルこそ何故だ、と問いたい。
 ラドルアスカの中では、そうとう歪んだ存在としてある自分の像を思い、イルは頭が痛くなった。
 ――ラドルアスカさまには、そんなに酷いこと言ったつもりはないのにな…。
 一切、イルに自覚はない。
「陰口が嫌いだからだよ。陰でこそこそ言うくらいなら、本人の前で言っちゃうよ」
「そうか。では、この〈永遠の鳥篭〉を帰喚させろ!」
「嫌だよ」
 それこそ御免だった。
 せっかくラドルアスカと会えたというのに、そして明日にはラドルアスカは戦に行くというのに、ここで逃してなるものか。また、ルーファニーの意図も分かっていない。
 このまま何もしないでルーファニーの元に戻ったら、何と言われるか。
 そうとは知らないラドルアスカはいきり立った。
「貴様、何を言っているのか分かっているのか!」
 ――分かっているとも……。
 このまま、ラドルアスカを閉じ込めておくわけにはいかないことも。
 早く、ルーファニーの意図通りにラドルアスカに何かをしなくてはならないのだ。
 考えろ。ルーファニーはどうして、ここにイルを寄越した?
 それは一目瞭然。ラドルアスカに何かをしろと。だが、何をやればいいのだろう……?
 そこでまずラドルアスカが先程、何をしていたかを思い出してじっくりと検討して、そして、くすっと笑う。
 ――粋なことをしてくれる。
 ルーファニーの意図が分かったのだ。
 ラドルアスカは先ほど何やら、奇妙な方法で苦悩していた。その苦悩を取り除けと、悩みを聞けと、ルーファニーはイルを寄越したらしい。
 ――なるほどね。
 ――ふふん、ジジイも役に立つ時があるんだね。
 ――この、悩みを払拭して、私はポイントを稼ぐよ!

「ラドルアスカさまは、何を悩んでいるの」
 こう、ストレートに聞いていいものか。しかし、本来のイルの気性がかけ引きのような会話を望まない。
「別に悩んでなど……」
「“あれ”で?」
 イルはくすっと笑う。
“あれ”とは先程のぶんぶんと頭を振り回し、苦悩していた様子だ。
 それを自覚しているのか、ラドルアスカも渋い顔をしている。
「……っく。部下に漏らすほどのことではない」
「別に、私とラドルアスカさまは、部下と上司って間柄のものでもないと思うけどね。私は明日の戦にも行かないし」
 これは言っていて、自分が痛かった。
 実際、イルとラドルアスカは部下と上司ほどの親密さもないのだ。
「ズバズバと、よく言ってくれる」
「ふふ、よく言われる。話せばいいよ。私は聞かなかったことにして“あげる”から」
「………」
 ラドルアスカは無言だ。まだ、渋っているらしい。流石、ねちねち司令官さまだ。
 妙なところで真面目で、そのくせ何処までもしつこい。このままでは、彼は規則に縛られ、永遠に口を閉ざし続けるであろう。困った性格だ。
 ちょっと、挑発して背中を押してやることにした。
「それとも、ロナの娘という不穏分子には話せない内容なのかな」
 ぱっとラドルアスカが顔を上げた。律儀で真面目で、こういう繊細なことには事細かいラドルアスカの性格ならば、イルを必ず気遣ってくるはずだ。大雑把で結構動じない性格のイルは何とも思っちゃいないのに。
 やはりというか、ラドルアスカは挑発と分かっていながら、イルの内情を気遣うほうを選択した。イルはこういう所が好きなのだ。思わず、口元が緩む。
「……いや、そうだな。話すから、聞かなかったことにしてくれ」
 静かにイルが頷いたのを確認し、ラドルアスカが話し始めた。

「俺は迷っているんだ。軍の指揮を俺のような若者がやってもいいのか、と」
 やっと、話し始めた悩み事を些細なこと、とイルは一刀両断する。
「他にやれる人がいないでしょ」 
 そりゃ、もう、ばっさりと。
 それを言ってはお終いである。
 それに対し、ラドルアスカが何とも微妙な顔をした。
 それでも、一度吐き出すと聞いてはほしいのか、イルに悩みごとの続きを話し出す。
「それはそうなんだが、俺の判断一つで国が滅ぶ、そう考えると怖くなるのだ。俺は無力だ。俺は未熟だ。その点を理解しているだけに、余計にな…」
 そう吐露するラドルアスカの肩は震えていた。
「……そ、その責任に押しつぶされそうになるんだ。恐ろしくて、恐くて夜も眠れない。眠ると、必ずタルデシカが敗北した夢を見る! 女の殿下やお前でさえ、この状況で気丈に振舞っているのに、俺は自分が情けない……。皆、不安だというのに、俺だけが、こんな夢を、悪夢を見ては怖れている。情けなくて、悔しくて、どうしようもないのだ……」
 リュイ・シンを同列に扱われているのが気に食わないが、だいたいの事情は理解した。
 つまり、ラドルアスカは明日の戦に対して、プレッシャーに苛まれているらしい。
 そして、最高司令官である彼は誰にも相談することはできないので、この木陰で一人、苦悩していたと。上司は部下に弱気なところは見せられないのだ。特に軍においては。
 武将が弱気だとその部下の士気が低下し、戦況にまで影響するからだ。
 もし、ラドルアスカが相談するなら、ルーファニーかリュイ・シンといった更に上の者しかいない。だが、実際、彼の気性やリュイ・シンに恋心を抱いていることを考えると、弱気なことを吐露したりはできないだろう。
 ――なるほど、だから、私にじじぃは頼んだわけね。
 ――まぁ、リュイ・シンの死ぬ姿を夢で見るとか言い出さないだけ、マシかな。

 それだけ、ラドルアスカが人に対してではなく、司令官として国に執着している証拠だ。
 もう、愛する人に執着するようでは司令官としては失格だ。身内を失う恐れは誰であろうとあるのだから。
 そう理解すると、イルは、そんな弱気なラドルアスカがどうしようもなく愛おしく感じた。ねちねちしているだけに、ずっと一人でプレッシャーと戦っていたのだろう。考えても答えの出ない、細かなことをずっと堂々巡りに悩み続けていたのだろう。
 この星の葉をした木の下で……。
 ふ、とイルは優しくラドルアスカの髪に触れた。
 サラリと茶色い髪がイルの指を零れていく。何の抵抗もなく、髪の間を指が通った。
 本当に男の髪か、と思う。ラドルアスカが何かを求めるようにこちらを見詰めた。思わず、不覚にも鼓動が跳ね上がった。ラドルアスカの鳶色の瞳が、少しばかり濡れているのは見なかったことにしておこうと思う。
 あまりにラドルアスカと接近し、イルは説得など放っておいてこのままいたいと、このまま、ただ軍とか国とか全ての事情を忘れて、ただ一人の人間として向き合いたいという衝動が押し寄せた。
 何故、自分が軍に貢献させる為だけに、明日死ぬかもしれない危険な戦場へと愛する者を説得し、送り込まなければならないのだろうか。
 ――国なんか、いっそなくなっちゃえばいい……。
 その押し寄せる衝動をぐ、と押し留めた。
 多分、ラドルアスカ自身が戦場に行くことを拒んでいたなら、この衝動のままにどんなことをしてでも、イルはラドルアスカを守っただろう。でも、それを望んでいないならば、イルは何もできないし、助けることなどできはしないのだ。
 暫し沈黙して、そしてイルはラドルアスカの頬に手を当て、狙いを定め……、拳を握り、ラドルアスカの頬を、……ぶっ飛ばした………ッ。
 ぐぅは、という悲鳴がラドルアスカから漏れたが、気にしない。
 反動でラドルアスカが尻餅をつく。
「な、何をする!?」
 困惑と怒りがない交ぜになって、ラドルアスカが非難の声を上げてきた。
 内心泣きながら、しかしそれは一切表には出さず、ふん、とイルは鼻を鳴らして、
「情けないったらないよね。あなたが、そんな風に迷っている限り、タルデシカに勝利はないだろう。あなたの判断次第で国が滅ぶと自分で言っておきながら、何を迷う必要があるのか、私には分からないね。だって、指揮を取る人がラドルアスカさま以外いないっていうのに」
 憤然とラドルアスカは反論してきた。
「そう、簡単に言うがな、そうだと分かっていても、失敗したときのことを考えると迷うものなんだよ! お前なんかには分からないだろうがなっ」
 さきほどと、言っていることが全然違う。ラドルアスカの言い分では、リュイやイルは女の身で気丈に振舞う、凄い人間ではなかったのか。それを今ではお前なんか呼ばわりだ。
「にゅ。人はミスをするものだよ? だから、その時、最良と思えることをすればいい。ミスを怖れ、責任を逃れ、縮こまることが最高司令官の務めなのかな。違うと思うけどね」
「だが……、」
 イルは反論を許さない。畳み掛けるように、言葉で押し倒す。
「召喚術では、こんなフレーズがある。失敗とは、一度やってみたものの、上手くいかず、しそこなうことだ。やりそこない、しくじったことだ。全ての召喚術において、基本の理は、失敗である。失敗は成功。成功は失敗。失敗したとしても、欠点を改めればかえって成功するものだ。では、欠点とはなんであろうか? やはり、これも失敗、やりそこなうことだ。合格点に達しないこと、不完全な箇所、非難すべきところ。短所である。劣っている点、足りない点。では、もう一度、『天史教本』に向き直り、図式を確認してみよう。次の図式はうまくかけるであろう……」
 召喚術の基本フレーズを空覚えると、怪訝な顔でラドルアスカが訊ねてきた。
「それが、何だ?」
「これはね、一番初めに魔導師が覚える格言なの。私も小さいときに、まず、最初に心に刻んだよ。さっき、ラドルアスカさまは、自分は未熟で、無力だと、自分の短所を挙げたね。短所って何? 答えは、やはり、これも失敗、やりそこなうことだ、とある。そう、ラドルアスカさまはまだ確かに、未熟かもしれないし、無力かもしれない。でも、そのことを確認して、心に刻み、悔い改めれば、きっと、次の図式はかけるんだよ」
「そんな簡単にいくか」
 ラドルアスカが吐き捨てるように言った。
 無論、イルとてそう簡単にいくとは思っていない。
「昔の偉い人の格言だよ?」
「だから、何だ」
 はぁ、と溜息を吐く。どうして、こうまで、しつこいのだろうか。別にそこまで悩まなくてもいい事だと思うのだが。
「あのさ、私は何で、ラドルアスカさまが悩んでいるか全然、分からないんだけどな」
「だから、国を任される責任を考えると、怖くて仕方がないんだよ!」
「それはもう、分かったよ。確かに悩むことだろうね、人間なんて脆いものだから。けどさ、明日が決戦なんだよ? 今更、悩んだって、代わりに指揮してくれる有能な人が見つかったからって、その代わりの人が突然タルデシカ軍を今のラドルアスカさま並に器用に操れるの? そんな、付け焼刃の人が。そんなわけないでしょ。今まで、ラドルアスカさまがずっと、騎士たちを訓練していたんだから、そりゃ、その地道な努力があってこその司令官でしょう?」
「それも分かっている」
「別にね、さっきのフレーズは失敗を悔い改めれば、全てが上手くいくなんて、理想のような話をしたくて言ったんじゃないからね。私は現実主義者だから。理想と現実なんて、天と地ほど差があると分かっているから。分かりたくなくても、私は嫌というほど知っているからね。で、本当に言いたかったのは、ラドルアスカさま常に、悔い改め騎士団を良くしようと、もう既に何度もやっているんだよ。地道にね。そのラドルアスカを差し置いて、実際に今、あなた以上の司令官などこの世に存在なんかしないんだよ」
「……」
「それを、ぐちぐち、何だか知らないけど、え? 迷っているとか、何だっけ? 怖い? 莫迦も休み休み言いなよね。それは逃避っていうんだよ。ただ、逃げているだけ。あなたが今、頭をぶんぶん振り回したって、今更どうにもならないし、うじうじ悩むだけ、軍にとっては損! 運気が停滞しちゃうね、きっと。ラドルアスカさまのせいで、せっかく何日も何日も、神殿のインチキ司教さん達が神に祈ったのが、全てパァ。きっと、神官たちは祈った日数を返せ、無駄な時間を弁償しろと言ってくるだろうね。それから、悩むくらいなら、まだ睡眠でも取って、明日の戦のため、体力を温存したほうがマシってものだよ。だいたい―――ッ」
「もういい!」
 全く、止まる気配のない罵倒に、流石のラドルアスカも止めに入った。その様を見て、イルも少し言い過ぎたと思い、ふん、と鼻を鳴らし、閉めにかかる。 
「もう、一度言うよ。あなたに迷いがある限り、タルデシカに勝利はないだろう……」
 暫し、ムッとした表情でいたラドルアスカが何処か吹っ切れたように、フン、と鼻を鳴らし、地面から立ち上がり、ついた泥を叩き落とした。ここまでズバズバ言われれば、大抵の者なら、自分が悩んでいたことなど吹っ飛んでしまうだろう。
「っは、分かっているさ。それくらいな。ただ、血迷っただけだ」
「へぇ? さっきは、あんなに情けないこと言っていたのに。何だか、潤んだ瞳で私のこと見ていたのは誰だっけ? あれも血迷ったのかな」
「き、聞かなかったことにするんじゃなかったのか!」
「あれ? そんなこと言ったっけ?」
「っく、貴様ッ」
 くす、とイルは笑う。
 ――これで、ルーファニーも満足だろう……。
 ねちねちしているから、もっと説得には時間がかかるかと思ったが、存外に可愛い部分もある。新発見だ。
 くすくす、笑うイルにラドルアスカが自尊心を傷つけられて、怒り出して、その場を去ろうとするも、見えない壁に打つかって尻餅をついた。バーカ、とイルは内心で罵倒した。
 今は〈永遠の鳥篭〉があるというのを彼は忘れていたらしい。
〈永遠の鳥篭〉、名だけはロマンチックであるが、その発明者の物語はけしてハッピーエンドではない。
 昔、とある女がとある男に恋をして、〈永遠の鳥篭〉、――発明段階では〈愛の鉄檻〉――を作った。
 だが、男を閉じ込める段階で、既にその恋した男は死んだ。
 女は永遠に閉じ込める男を失い、永遠にそれは使用する機会を失い、その後女は生涯家の外には出ずに過ごしたという。まるで、主人を亡くし、外に出ることができなくなってしまった小鳥のように……。
「出せ! このっ――ッ」
 ハッと物思いから帰ると、力任せにラドルアスカが鳥篭を開けようともがいていた。
ラドルアスカが怒り出した。そろそろ、小鳥を籠から出してやれねばならない時間だ。
いっそ、このまま閉じ込めておきたいくらいだ。
 〈愛の鉄檻〉の名の通りに……。

 だが、幸せなんてモノは一瞬で終わってしまうもの、儚い夢なのだ。
 イルは〈永遠の鳥篭〉の向こう側、川岸を見詰め、そう確信した。
 一瞬でイルの顔から笑みが消える。川辺の対岸を見据え、ぐ、と下唇をかみ締めた。
「ラドルアスカさまは、もう自宅に帰ったほうがいいよ」
 突如、そう言ったことと態度が豹変した様子にラドルアスカは怪訝そうに眉を顰めた。
「何を言っている?」
「こんな夜更けに私たちが会っている所を人に見られたら、逢引と間違われるよ?」
 ふふ、とからかうようにイルが笑うと、当然ラドルアスカは怒りだした。
「くっ、そちらから近づいておきながら……ッ!」 
 単純で助かる。
「ほら、〈永遠の鳥篭〉は解除したよ。あ、それとも、ラドルアスカさまは私に送っていって欲しいのかな。家まで。あぁ、そっか。一人で家に帰るのが恐いんだね。お化けが出るのが。それとも襲われちゃうのが恐いのかな? ラドルアスカさまは可愛い顔してるからね、きっと男の人に襲われちゃうね」
「ふざけるな!」
「だって、さっきまで恐いよー、恐いよー、ママ、恐いよーって、騒いでたじゃないの」
「貴様! 覚えておけ。明日が決戦でなくば、絶対に決闘を申しこんでいたところだ!」
 傲然たる態度でラドルアスカが自分の領地のほうへと、ズンズン帰っていった。本当に早い。まるで、競歩のようである。ちょっと、言い過ぎたかもしれない。まだ、別れて少しも経っていないというのに、闇に紛れてラドルアスカの影も形もなかった。
 ――けど、これでいい……。これがラドルアスカさまのためだから。
 ――ラドルアスカさまは明日、無傷で戦場に立たないといけないから。
 狙い通りだ。この因縁にラドルアスカを巻き込むのはイルの本意じゃないのだ。
 川岸の対岸のほうで見つけた、人影を見据え、イルは言った。

「やぁ、ロナ。人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死ねっていうじゃない? 私はそんなに甘くはないよ。とりあいず、ドラゴンにでも蹴られてもらおうか」
 川の対岸から、英雄ルーファニーの娘であり、イルの実の母親、そして、イルの父親を殺した、悪名高き魔女、……“ロナ・サレイド”が姿を現した。


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