タルデシカ本部で作戦会議をした結果、戦に出向くメンバーが決まった。
その行く人物というのは、もちろん全軍の指揮を担当する最高司令官のラドルアスカに、それと魔導師部隊隊長の自分(ルーファニー)と一応は飾りの大将であるリュイ・シンだ。 一番戦力になるはずのイルはスパイ容疑のため、城に監視つきで残すことが決定した。 ルーファニーが口添えすればイルが戦場に行くこともできただろうが、身内の恥故に、ロナの二の舞は避けたいこともあって、慎重にならざるをえなかった。 作戦会議にはほとんどリュイ・シンが姿を現さないのが気にかかったが、それよりも今のルーファニーには気にかかることがあった。 それは、とある事情からタルデシカに移住している“異国人”のことだった。 はっきり物を言い過ぎるイルの悪癖もあるが、それでも由樹は少し子供過ぎるとルーファニーは思う。確かに、ルーファニーがいきなり指揮官に誘ったのも少々強引で悪いとは思ったが、この世界に慣れる、いいきっかけになれば、と考えた故の結論であった。 実際、指揮官に抜擢されることなど、この機会を逃せば由樹にそのチャンスが訪れるのはないであろうに、その意味を果たして異国の尋ね人は理解しているのか、不安になる。 ルーファニーは本部を後にし、自分の屋敷に向かった。 ――どう、説得したらいいものか……。 自分の屋敷にいる、チビッ子二人を思い、ルーファニーは頭を悩ませた。
辺りは薄暗く、太陽は既に山の陰に身を隠している時間帯。 虫の鳴く声、フクロウの鳴き声、孤独な狼の遠吠えだけが夜の舞台を演出している。 そんな夜もすっかり熟した頃、ようやっと屋敷に帰ってみると、屋敷の召使からイルは外出中で由樹は帰って以来ずっと部屋に引き篭もっているというあまり芳しくない事態を耳にした。 むぅ…、と考え、これは逆にいいのかもしれない、と思う。 イルがいては纏まる話も纏まらないからだ。 ――うむ、これはチャンスかもしれん。 この機を逃すかとばかりに意を決し、ルーファニーは由樹の部屋を訪れた。 「異国人、ちょっといいですかな」 返事を待たずに、部屋の扉を開ける。部屋に鍵はかかっていなかった。 なんとも無用心なことだ。 かかっていたところで強引に抉じ開けるつもりだったが。 扉を開けるとベッドに突っ伏した人影が、こちらのほうをちらり、と覗きみてきた。 どうやら、異国の迷い人は今までずっと布団に包まり、鬱々と物思いに耽っていたらしい。 なんと、繊細なことか……。 「……。………異国人、少し話があるのですが、宜しいかな」 「別に、いいけど」 ルーファニーに布団に包まっている姿を見られたのが気に食わないのか、由樹は努めて態度を硬化させていた。ルーファニーは彼のプライドを傷つけてしまったらしい。 「ふむ」 やせ我慢もここまでくればあっぱれである。 本当は辛くて、寂しくて心細いくせに。 由樹のプライドの高さにやや呆れつつルーファニーは由樹の真向かいに椅子を持ってきて、どっしりと腰を据えた。 「話とはですな、イルについてなんですな」 「イル?」 怪訝な顔で由樹が尋ねてくる。普段は気のいい少年なのだ、この異国人は。 ただ、少しばかり自尊心が強いだけで。ルーファニーは由樹に対して、少なからず好感を持っている。由樹には含みだとか、企みというものが欠如しているのだ。よほど、平和なところにいたのだろう。だが、逆に世間知らずという欠点も持ち合わせている。 それだけが、ルーファニーが戦で由樹の様子を見られない間、心配となる悩みであった。 「そう、イルについて。わしは、明日戦に赴かねばなりません。そこでイルはここにおいていかなければならないのですよ、残念ながら」 「ふぅん」 反応が薄い。 「やはり孫を独り残していくのは心配でな。なるべく、傍にいてやって欲しいのですよ」 即座に由樹の眉間に皴が寄った。 「何で、俺が? 俺、あいつに凄い言われようだし、あいつ俺のこと嫌いなんじゃないの」 「いえいえ、どうにも、そうではないらしいのですよ。わしも最近気づいたのですが、イルは棘のある言葉は吐いても、嫌っているわけではないらしいのですよ。あの子は絶対に人に弱みを見せない。全てが敵。誰にも依存はしないのです」 「だからって……」 難色を示す由樹にルーファニーは溜息を吐く。妙なところで頑固だ、この少年は。 「では、一つ昔話を。ある所に一人の美しい魔女がいました。その魔女は実は悪い魔女で、ある王子さまと結婚し、子供を作りました。そして、子が産まれると同時に王子さまを殺し、王子さまの持つ財産を子供に相続させ、全て奪い、その後子供を捨てました。 捨てられた子供は、実に優秀で魔女の素質を持っていて、周囲を恐がらせました。 が、子供はいい魔女だったのです。 だが、周囲に嫌煙された子供は泣き言一つ言いません。 さて、異国人、その子供は何故、泣かなかったのでしょう?」 暫し、逡巡し由樹が返答する。 「弱みを見せたくないから? にしても、昔話にしては生生しいような――」 そんなもっともな指摘を完全に無視してルーファニーは話を進める。 「ふむ、半分正解。惜しいですな。確かに弱みを見せたくないというのもあるでしょうが、子供はプライドがえらい高かったんですな。だから、弱みを見せたくなかった。ま、子供のやせ我慢といったところでしょうなぁ」 はっと、由樹が上を仰ぎ見た。 彼自身、身に覚えがあるだろうとルーファニーは思う。 今のは、自尊心の高い由樹の心の隙を突くよう、上手くイルを引き合いに出した例え話だ。事実は、イルが何故、泣き言一つ言わないのか、何故ルーファニーを怨んでいないのか、何故不満一つ言わないのか、ルーファニーにも分からないのだ。 そんな孫に対する寂しい気持ちを振り払い、ルーファニーは目の前の嘘を突き通すことだけに集中する。 「あなたとイルはある面においては、凄く似通っている。例えば、そのプライドを重視するところなどは、特に。イルは己の自尊心を守りたいが故に言葉で人を退けるのでしょう」 (…多分)とこっそり心の中で付け足しておく。実際のところは知らないから。 「あなたもその強い自尊心故に、今日のようなことを起こしてしまう。だが、圧倒的に違うのは、あなたの場合、人に頼るがイルはけして人に頼らないということでしょうな」 「………ッ」 「イルは本気で言っているのではないのでしょう。そうやって、人を退けつつも何処かで周囲と戯れたがっている」 父、シャロットがそうであったように。 「やせ我慢もほどほどにしておいてくれないと、祖父としては心配なのですよ。お願いできますかな。ハシバ殿?」 これでいいだろう。 別にイルは放っておいても、平気であろうがこの繊細な異国人はそうはいかない。確かにイルのことが心配であるという言葉に嘘はなかったが、実際、本当に心配なのは由樹のほうだ。彼のほうが、直ぐに内に篭りやすく、またプライドが妙に高いから、人に相談しようとはしない。 だから、ルーファニーは頼みごとという形で、由樹のプライドを傷つけずに上手く、イルの傍においておくことにしたのだ。イルならば、由樹のプライドをずたずたにしてしまうだろうが、それでも放っておくような真似はせず、一応は面倒を見るだろう。
そう、全て逆なのだ。
本来、イルに頼むべき事柄を由樹に頼む。 由樹が心配なのに、由樹のプライドを傷つけないためにイルを心配している振りをしているのだ。 そうすれば、二人はルーファニーの企み通りに一緒にいてくれる。一石二鳥。 「分かった。いいよ。俺、アイツの傍にいるよ」 本当に、この異国人は人を疑うことを知らなくて助かる。 「ありがとうございます」 ほっと、ルーファニーは胸を撫で下ろした。 これで由樹が戦から帰ってきても、きちんとそこにいるだろう。 このままの状態では、ルーファニーが帰ってきて、由樹だけ忽然と失踪しているなんてことも有り得たかもしれない。その点、イルと一緒にいれば、正論と毒を突きつけるから、恐らく、由樹のプライドの高さから逃げて家出する心配はしなくていいだろう。 プライド高さ故に、逃げるという格好悪い選択肢は消える。 ほっとしたら、少し悪戯心がでた。 ルーファニーは銀色の杖を空中に走らせる。金色の光が点り、金属音が部屋に響いた。 キィンという音とともに、銀色のバッチがこの世に姿を現す。 「ハシバ殿。これはお守りです。このバッチはですね、勇気の象徴と言われ、これを肌身離さず持っていると勇気が湧いてくるとそういうお守りでしてな…」 由樹にバッチを手渡す。完全に手渡したところで、意地悪く付け足した。 「そして、逆に情けないことを考えるとこのバッチが制裁を加えます」 「せ、制裁?」 「……そう。バッチが熱を発し、所有者に渇を入れるんですな。まぁ、そうとう情けないことを考えない限り、滅多に熱くはなりませんよ。あ、それと絶対に手放してはなりませんぞ。バッチを手放すと、弱虫の烙印を押されます」 「……ら、烙印? 弱虫の?」 由樹は青ざめている。 「では」 そう言って、笑いながらルーファニーはさっそうと、その場を去った。
* * *
――な、な、何だよ。あのジジイ。妙なもの渡しやがって。 由樹は混乱していた。 ルーファニーが何故、このようなお守りを渡していったのか、由樹に勇気が足りないとでも言いたいのか、まるで分からなかったからだ。 憤然と渡された銀色のバッチを握り締めると、何かの感触を手の平に感じた。 恐る恐る、銀色のバッチを見やる。 「?」 ――熱い……。 …気がする。 見やると、銀色のバッチが熱を発しているではないか! 確か、ルーファニーの説明ではそうとう情けないことを考えない限りは、熱を発しないはずである。ぎょっとして、バッチを捨てようとしたが、その後の説明を思い出して慌てて止める。 『それと絶対に手放してはなりませんぞ。バッチを手放すと、弱虫の烙印を押されます』 確か、そう言っていた。いや、絶対そう言っていた。 弱虫の烙印? そんなもん押されてたまるか。プライドが許さない! 由樹は内の燻ぶるプライドにかけて、絶対に手放さない覚悟を決めた。 「絶対、離すかぁあああッ!」
* * *
その由樹の様子をルーファニーはこっそり物陰から観察していた。 実はあのバッチに、勇気が湧いてくる機能なんかついていない。 真っ赤な大嘘だ。 〈銀色の火種〉115冊子、15章、12ページに記載されている、単なる火種だった。 その能力は、バッチを握り締めると高温の熱を発し、手放すと発火するというものだ。我慢して握れば握るほどその温度は高まり、その我慢した時間により発火する火力が決まる。つまり、ちょっと握れば少しの火がおき、握り締めれば巨大な火が発生するといった代物だ。 「さて、どれほど持つやら」 大抵は小さな火を熾すくらいが、常人の我慢の限界で程よい火種となる大きさだ。 と、由樹の自室から悲鳴が聞こえ、何やらばたばたと暴れている音がした。 見やれば、由樹がクッションで火を消している様子が窺える。 「ふむ、こんなものか。常人とほぼ同じくらいの時間じゃ。ふふ、まだまだじゃの」 この人もそうとう意地が悪い。 ……完全に由樹は騙されていた。
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