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作品名:空を翔る猿 作者:氷室 龍獲

第24回   常に自我が邪魔をする


「ぅおあぁぁああああぁっ。おげぼろぉおおおっおお!」
 
 ゲロでも吐きつつある酔っ払いのような呻き声を上げるのは、未だ酒を飲むことは許されていない17歳の未成年、羽柴由樹である。
 現在、彼は自己嫌悪の真っ只中にいた。
 リュイ・シンとラドルアスカらから別れた由樹は、大きな星型の木の下で苦悶の表情で、先程の失言を悔いていた。
 ――なにが、お姫様みたいじゃないだ!
 そう、原因は正にそれ。
 イルに反論したのは、学校で叱られる生徒と教師のような不毛で実に子供じみたやり取りであったが、それに対してリュイ・シンに由樹が言ってしまったのは、明らかに由樹には悪意はなかったが、逆に悪意なきその無神経さからリュイ・シンを傷つけてしまった。
 ……と、思う。
 実際のところ、リュイ・シンはあまり、けっこう気にしていなかったりするのだが。
 それはそれでまた別の話である。
 とにかくイルの場合はリュイ・シンとは全然違う。イルには確かにリュイ・シンよりも酷いこと、――『お前のせいだ!』なんて――ちょっと、いやかなり酷いことを言っ たが、イルを言葉で傷つけてはいないだろう。より実務的は内容であったこともある。
 だが、リュイ・シンの場合は由樹の発言で彼女を傷つけてしまった。
 そんなつもりなかったというのに。
 それでも時として、悪気はなくとも人は人を傷つけてしまうものだ。
 ――何か、もう、やんなった……。
 非常に疲れた。
 疲労困憊といったところだろうか。由樹がいたところで、戦の手伝いも邪魔になるだけだが、それでも黙ってルーファニーの屋敷に帰るのはサボっているようで、とりあいず、王城へと戻ることにした。戻ったところで、あの金髪金眼の少女が言ったその通りになるだけなのだろうが。
 ――どーせ、帰るところなんか、ないんだ。
「……ぅおぇ……」
 何だか、本当にゲロが吐きたくなってきた。
 精神的にも疲労困憊だぁ。

 * * *

 とぼとぼと王城へと戻ると、やはり由樹がいようといまいと関係なく作業は続いており、人々は明日に迫る戦争に向けて忙しそうに働いていた。しかし、何故か壁の焦げ跡や傷跡が増えたような気がするのは由樹の気のせいであろうか?
 心なしか焦げ臭く、作業をしていた人が減った気がする。
 どうしてだろう。
 首を捻りつつ召喚場のほうへと足を進め、先程の場所に歩いていくと、イルがこちらに視線をよこし、「ほらね、行くとこなんかなかった。家出しないの?」と嘲笑った。
ルーファニーがイルの頭をポコンと軽く叩く。むっと、イルが頬を膨らましたが、それ以上は言う気はないらしい。
 正直、助かった。
 これ以上、イルに正論と名のつく暴言を吐かれたのでは、本気で家出を考えねばならないところである。皆が由樹の家出を願ったとは彼は知らない……。

「異国人、帰ってくると信じていましたぞ」
 嬉しそうにルーファニーが言う。
 いや、だから、イルの言うとおりに行くところがなかったんだよ、くそじじぃ。
 という言葉はさておき、このまま普通に彼らに責任を擦り付けるのは反省がない。
 だから、今更という気もするのだが、自分の気持ちを打ち明けることにした。
「……手伝おうと思うんだけど。仕事」
 ルーファニーが、おや、といった感じ目を丸くする。
「指揮の、ですかな?」
「や、普通に」 
 何で、お前は指揮のことしか頭にないのだ、ジジイ。
「普通、といいますと?」
「だから、普通の人がやる仕事を手伝いたいの、俺は。特別に本部の仕事とかやなの」
 むぅ、とルーファニーが眉を顰める。
「異国人は指揮をしたくないのですな。まぁ、そう言うなら仕方がない。シダ」
 先程はいなかったが、今はルーファニーの後ろに控えている黒服のメイド、シダがいそいそと、ルーファニーの呼びかけに応える。
「なんでありましょう?」
「異国人を他の、人手が足りていないところにお連れしなさい」
「承りました」
 随分とあっさり、由樹はシダに連れられ、別室で仕事をすることになった。
 指揮の手伝いをするのは、直接戦争に関わり、その責任を負うのは自信がなかったが、その他の仕事を手伝うのなら話は別だ。確かにイルの言う通り、仕事も何もせずに彼らの責任だけを責めるのは子供が、泣き喚くのと一緒だ。ここは反省すべきであろう。
 こうして、人並みに仕事をし、手に職つければ文句はないはずだ。
 うんうん、と自分の考えに満足していると、ふとシダの様子が気になった。
 この間と何かが違う、そんな気がしたのだ。
 一切の悲壮感が姿を消し、その代わりに何処か生き生きとした活力のようなモノで漲っている気がした。
「シダさん?」
「何で、ありましょうか。わたくしに何か用でも?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど」
 何か、何処かがこの間と違う気がするのだ。由樹は間違い探しのごとく、じ、とシダに目を凝らし、相違点を探し出すと、何のことはない。シダに涙がないのだと分かった。
 そう、由樹の知るシダとは泣き虫なものだが、今日はその泣き虫はなりを潜めている。
 一体、この短い期間で彼女に何が起こったのか。
「今日は泣かないんだ。戦争が始まるってのに」
 ふ、とシダをこちらに振り返って、
「“国”に残してきた妹が心残りですが、わたくしは陛下にずっと仕えさしていただきます。この国が滅亡する、その瞬間まで」
「逃げないの? 疎開(※)とかあるんでしょ」
 ※疎開……空襲や火災などの被害を少なくするために、人口を分散させること。
「何処へ、逃げればいいのでしょうか。国が滅びれば、帰るところなどありようありませんから……」
 そうだ。その通りだ。
 タルデシカの人たちは、故郷を、ずっと住んでいたその土地を、今なくそうとしている。
 由樹が現代に帰れないとは訳が違う。
 帰るべき故郷をなくそうとしているのだ。
「………あ、」
 何だか、自分が酷く子供っぽく感じられた。
 この泣き虫シダでさえ、凄く立派に見えた。
 キラリと、その失意であったはずの紫色の指輪が光った気がした。未練がましい?
 恋人の指輪を何時までもしているから、哀れだとか惨めだとか、そんなことは些細な事情にすぎず、その指輪を、見れば思い出す辛い記憶とともに歩いていけることこそが、本当の強さなのではないだろうか。
 なんとなく、少しだけシダという女を見直して、指揮の手伝いをしなかったのを少しだけ後悔した。でも、今更、指揮を手伝います、とはどうしても、言えなかったのだった。
 プライドがそれを、そんな格好悪いことを、許さなかったのだ。
 
 常に、自我が邪魔をする……。


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