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作品名:空を翔る猿 作者:氷室 龍獲

第23回   わたしの全ては民に注ぐ


 そこは豪華な一室だった。
 豪奢なフリルが施されたベッドに、まるで牛のような巨大な体躯をのさばらせているのは、リュイ・シンの実の母親であるクラウディアだった。クラウディアの外見を見やり、リュイ・シンは重い溜息を吐き出して、露骨に顔を顰めた。
 どうしようもなく不快であったのだ。
 この、己の母親の外見が…。

 クラウディアはリュイ・シンを妊娠して以来、体重が右上がりに上がり続けていた。
 それもその筈。
 クラウディアはリュイ・シンを妊娠すると、お菓子の味を覚えたのか、まず、朝目が覚めると、とりあいずケーキを丸ごと一個食べる。それで食べ疲れてそのカロリーを補うのにまた、ハムを丸ごと一個。そこで食後にアイスクリームを十個で口直しをする。
 ところが、これはあくまで“間食”である。
 これから彼女の本当の朝食が始まるのだ。
 その内容は、とりあいずパン十個、おかずにビーフシチュー(朝から…)、もちろんおかわり有で。そして、サラダを「お前は馬か、牛か?」というほどしゃくしゃくと食み、ヨーグルトをがぶ飲みする。ちなみに、これは飲むヨーグルトではない、普通のやつだ。 
 更に、野菜ジュースを五リットルといった感じが主な彼女の朝食だ。
 そして、昼食までにとりあいず、お菓子。お菓子。お菓子…。
 恐らく、これだけ食べておきながら太らない人間はいないだろう。
 よって、クラウディアの外見は、贅肉だらけで体重はなんと四百キロを優に越しており、独りでは立つこともままならない状況だ。
 肥満。
 完全なる肥満体である。
 実の娘であるリュイ・シンがクラウディアの外見に不快になるのも無理はない。
「母上、食べるのを止めて、私を見て下さい。お願いです」
 今、リュイ・シンはクラウディアを説得しに、この醜い牛の寝所へと赴いていたのだ。
 尚もケーキを食べ続ける母親に、何とか注意を引こうとリュイ・シンが再び叫ぶ。
「母上ッ! 止めてくださいと言っているのが聞こえないのですか!」
 その必死の声に、やっとクラウディアは顔をこちらに向けた。ほっと、リュイは胸を撫で下ろす。今まで何度も説得に来ていたが、その際には話の一つもできない日が多々あったのだ。どうやら、今日は機嫌のいい日らしい。
「母さま、今日こそは民のために、食べるのを止めて、国のために働いてください」
 むしゃりむしゃりと、ケーキを食べながらクラウディアが迷惑そうに言い訳する。
「国のためって、何をすれ、…………ばいいの……ぐ、……よ」
 物を食べながらなので、非常に聞き取りにくい。そんな母親の姿にさらにリュイ・シンは不快感を露にする。何処の国に肥満で国政を疎かにする王妃がいるというのだ。
「何でもあるでしょう! やることがっ」
 そうだ。今のタルデシカにはやることが山という程ある。
 あの“幼い”異国人にまで軍の指揮を頼まねばならぬほどに。
 ふと、あの可愛らしい異国人に思いを馳せた。
 ――軍の指揮をしてくだされば、ローレ卿の負担も少しは軽くなるというもの。
 ――二人とも、まだ“幼い”男子。戦争に明け暮れるなど可哀想だわ。 
 ――それに異国人のほうは、可愛らしい顔をしておられるし、可哀相です。
 ふふふ、とリュイ・シンは笑いを漏らし、次第にヤバめの妄想に耽っていく。
 ――ハシバは気がついていないけど、わたしの婆や(リュイ・シンの教育係)がいつもあなたを見守っているのです。
 ――わたしがいない時に、妙な虫でもついたら大変ですから。
 ――そうそう、その“婆や”から聞いたのだけれど、ハシバ殿。
 ――あなたは軍の指揮をするのが嫌なのね。いいのよ。いいのよ。あなたはそんなこと、しなくったって。
 ――姫の立場を利用して、わたしのお部屋で働くといいわ。そこで一生、わたしが面倒みてあげるからね。
 ――ふふ、わたしのお部屋(地下牢)でお姉さんが色々教えてあ・げ・る★
 ――ロメン(14歳の男の子)にも飽きたところだし…。ロメンは巻き毛で可愛いのだけれど、最近は大きくなってきちゃってつまらないのよね。
 ――純真な子供を染めていくのが楽しいのに。その点、ハシバは大丈夫そうね。
 ――顔も童顔だし、優柔不断そうだし、まだ女を知らない感じだわ。
 ――早くわたしの部屋に招待したいわ。そうしたら、まずはどうしようかしら……。
 己のこれからの計画に満足して、リュイ・シンはうんうん、と頷く。
「ふふふ、うふ、いいわ。地下のコレクションに加えてあげましょう。だって、わたしはこんなに愛しているのだから、ハシバもきっと喜ぶわ。ふふふ。いいわぁ」
 それはストーカーだ、リュイ・シン…。
 明らかに婆やはリュイ・シンの教育を誤った。
 そして、何時の間にか由樹の知らないところで、確実に由樹拉致計画が進んでいた。
 どちらかというと、大人しく軍の指揮官になるのが身のためである。

 何処か、不思議な世界にトリップしてしまった危ないお姫様に、疎遠な親であるクラウディアも流石に心配になってか、声をかけた。
「……リュ、リュイ? 大丈夫?」
 ハッと、元の世界に戻ってきたリュイ・シンは慌てて元の話題を掘り起こす。
 ――いけない。わたしったら、つい……。ええと、何の話だったかしら?
「そ、そうでした。母上、やることをやってくださいッ」
 幼く、麗しい少年に頼むくらい、軍も国も切迫した状況なのだ、現状では!
 だというのに、この国の王妃であるクラウディアは全くと言っていいほど、働かないばかりか、民から得た大事な税金をお菓子につぎ込んでいる。
リュイの父親である国王に注意してもらおうにも、国王は病に伏せっており、誰もこの母親を止めることができずにいた。
 食べだしたら、止まらないクラウディアはタルデシカの癌(ガン)でしかない。
 このクラウディアが国政に立てば、今のタルデシカの最悪な状況も少しは改善するかもしれないというのに、だ。
 だというのに………。
「戦争があるっていうのは、……あたくしだって聞いているわよ。でもね、戦は殿方のお仕事……。お前も戦になど行かずに、お城で大人しくなさいなさい…な…女児たるもの、常にお淑やかにありぐ…なさい」
 無責任なクラウディアの発言にカッと頭に血が上る。
 誰が好き好んで戦になど行くというのだ。タルデシカがそこまで追い込まれているからこそ、リュイ・シン自らが戦に行かなくてはならないのではないか。
 そんなことも分かっていない、母親にリュイ・シンの体内は沸騰する。
 ――この人がわたしの親?
 ――そんなの嘘よ。絶対に嘘よ。
 ――こんな、こんな、無責任で無知で無能で、ただの豚よりも劣る存在が、
 ――……………………わたしの親?
 そう、ぶちまけてやりたい衝動を必死に押さえ、リュイ・シンは言った。
「何も戦に立てとは言っておりません。ただ、わたしがいない間だけでも、健康なあなたが政治を取り仕切り、国を守ってほしいのです」
「だから、あたくしは政治とは無縁なのです。政治も殿方の仕事。女が口出しするなど、はしたない! リュイ・シンッ! もっと、んぐ、慎ましくありな……むぐ……さい」
 何だか、涙が零れそうだ。
 ――この人はまだ、そんな事を言っているのか。
 ――国が無くなるという、その時に、まだ、こんな戯言を言うというのか。
「……ふふ」
 そう思ったら、笑いがこみ上げてきた。
 こんな愚かな人をわたしは国政に立たせようとしていたというのか、そう考えるとどうしようもなく滑稽だった。
「わたしは、あなたのような愚者を説得しようとしたことが間違いだったのね。そうね、わたしが間違っていたのです。あなたには無理よ。例え、痩せても、食べるのを止めても、あなたにはきっと、国の指導などとても手に負えないでしょうからね」
 こんな嫌味が口を出るとはリュイ自身も驚いた。それほどに、溜まっていたらしい。
「リュイッ! その口の利き方は何!? 親に向かってなんてコトいうのッ!」
 もう、どうでもよかったのだ。
 ――なにが、親に向かって、よ。
「親? あなたはわたしの親などではないわ。あなたは贅肉の塊よ。豚と一緒だわ。いいえ、豚以下よ。家畜よりも役にたた……ッ――――!」
 その瞬間、重さ四百キロの巨体がリュイ・シンの身体に体当たりをぶちかます。
 四百キロの巨体に吹っ飛ばされた衝撃で目が眩んだ。
 どうやら、クラウディアは怒りのあまり、リュイを殺す気になったらしい。
 宙を舞った身体がやっと地面に、どさり、と落ちた。
 それほど、高く自分の身体が飛ばされたのだと知った。
「……ぅ……ぁ……あぁああ……」 
 痛い!
 ――わたしは明日、戦に立たねばならないというのに、何を考えているのだ、この女は!
 痛みと情けなさにリュイ・シンは奥歯をかみ締めた。そうしなければ、涙が零れていただろうから。いや、既に双眸に涙が溜まって見えなくなっている。でも、絶対に泣くものか、こんな女のために泣くくらいならば、国の未来に嘆き悲しむほうが実に有意義というものだ。
 ――絶対に、こんな女のために泣くものか!
 ――この女にそんな価値はない。そんな女のために流す涙など一滴だってありはしない。
「リュ、リュイ? ごめんなさいね、あたくし……そ、そんなつもりじゃ……」
 動かないリュイを心配になったらしく、クラウディアがそんなことを呟いてくる。
 ――そんなつもりでないなら、どういうつもりだったというの。
 ――女児たるもの慎ましくではなかったのか。どこらへんが慎ましく、なのだ。
 ――トドじゃないんだから、せめて、もう少し人間らしい反撃をしてほしかった。
 流石に少しだけ涙が零れた。
 堪え切れなかった…。
 それが、無性に腹立たしくて悔しい。

 わたしは孤独だ
 いくら、ルーファニーやローレ卿が励ましてくれても
 いくら、民がわたしを慕ってくれたとしても
 この孤独感は拭えない
 民は民だ
 王族はけして民とは混じらないから
 雲の上の存在でなくてはならないから
 それが王族の務めだから
 孤独に身を委ね、自分を犠牲にして戦うのだ
 孤独を愛し、愛で、愛しみ、民のために国を守るのだ
 だから、戦おう
 どこまでも
 どこませも……

 それがわたしの全てであった。
 これだけが、わたしの、全てであったのだ。


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