しん、と由樹が去った後の召喚場は静けさと気まずい雰囲気が立ち込めた。 皆の責めるような視線が、じ、とイルに集中する。 「何かな……? そんなふうに睨まれるほど酷いことも、間違ったことも、言ったつもりはないんだけどな。ねぇ?」 ねぇ?、と同意を求められても、答えるものは一人としていない。一様に言い過ぎだ、とイルに対して感じているのとそれを否定するだけの勇気を持ち合わせているものがいないのだ。 「イル。言い過ぎという言葉を少しは覚えなさい。人には分かっていても時に、感情に流されることもあるのだ」 きっぱりとルーファニーが、子供に諭すよう告げると、イルはむっとして、 「なるほどね。で、ジジイは感情に流されている間にロナの悪行を見過ごしたと。分かっていて感情に流されてしまったと。分かっていてやったなら、尚たちが悪いね。――おおっとおぅッ! 何だか、私も感情に任せたくなってきちゃったよッ」 と、そう言ってイルが感情に任せ、召喚術でルーファニーの頭上に巨大なギロチンを出現させた。 「い、イルッ。そんな訳ないだろうっ! お前こそ分かっていて、や、やるんじゃないっ」 慌てて、ルーファニーが銀の杖を空中に振るい、炎を召喚してギロチンを吹き飛ばす。 「っは。何のこと? ちょっと“例”に出してみただけだよ」 凄い“例”を出しすぎだ。 再度、にやにやしながらイルがギロチンの雨を降らし、ルーファニーが巨大な炎でもって吹き飛ばした。 周りの真面目に作業をしている皆さんは大迷惑である。高度な召喚術の乱用により、負傷者が五名、発生した。それも戦争前日だというのに。 ちなみに、軽症が二名、炎の直撃を食らった重症が二名、一名は、……たった今命をお引取りになったようである。だがあまりイルとルーファニーは気にしていない。 否、見てもいない。 す、とルーファニーの目が細く窄められた。 「そのこととは別の話だろう。とにかく、ハシバ殿を追って謝りなさい。元はと言えばお前の失敗のせいなのだからな」 その通りである。 何の罪もない由樹がここにくる原因となったのはイルがキング級図式を失敗したからだ。 今度はルーファニーがギロチンをイルに投げつける。 「何、言ってるの? 元はといえば、失敗した原因はジジイじゃんっ!」 イルが炎で相殺。 これもその通りである。 一応は一生懸命に図式を立ち上げていたイルを邪魔したのはルーファニーだ。 「お前こそ、何を言っているッ? その元はといえば、お前が妙な薬をわしに盛ったのが原因だろう!」 これまた、その通りである。 腹いせとばかりにルーファニーが黒い炎でイルを攻撃。 「何言ってるのさ。そっちがケチくさいから、そういう手段を取るしかなかったんでしょ。最初からお金を払う気なんか無かった、く、くせにぃ。…………ひ、」 ……慌ててイルが逃げ出した。 「今は無理なだけで払わないとは言っていないじゃないか! いずれ払うつもりだ!」 詐欺みたいな弁解である。 払うつもりだったんだ、今はお金がないだけなんだ。そして、その人は次の日には姿を消す……、と、そういう筋書きであろう。 そんな子供騙しの筋書きにイルは引っかからない。 「じゃ、今払ってよ。“今”」 轟!、と黒い炎をルーファニーにお見舞いした。 現在、タルデシカは極貧であり、イルの要求する額などない。また、その予定もない。 「い、今は……、その」 ごにょり、とルーファニーが口籠もりつつ、その場から逃げた。イルが実に調子に乗る。 「払えない? そういうのを詐欺っていうんじゃないの?」 ここで少しばかり、イルがルーファニーよりも優位に立ったが、それはあまりいい結果を生まないことを察し、遠くに避難していたナイジェルが決死の助け舟を出した。 「とにかく、今はお金のことは一先ず置いておいて、異国人に話を戻しましょうよ。召喚術を乱発させるのは止めてください。もう、輸送すべき物資が滅茶苦茶になって、負傷者が出ています。どんどん、話が本題からずれていますよ。おふた方ッ!」 血の色のワンドを空中に走らせていたイルがぴたりと止め、じ、とルーファニーの挙動を観察する。そして、次の動作がないことを確認すると、渋々ワンドをおろした。 「フッ。仕方ないな。そういうことにしておいてあげるよ。私は優しいからね。でも、お金は払ってもらうからね!」 憎たらしいことこの上ない態度に、ルーファニーはなんとかイルを縄で縛って絞め殺したい衝動を抑え込んだ。意図的に気持ちを切り替えて、話を本題に戻した。 そう今は異国人の家出問題の話である。 「異国人がもし家出でもしたら、大変なことに――」 「――どう、大変なことになるのかな?」 悲壮なルーファニーの台詞を遮って、イルがそう言った。 「…………え?」 「だからさ、どう大変なことが起こるの? ハシバがいなくなって」 その場の人間がイルの言葉で瞬時に我に帰った。 「もしさ、ハシバが家出したら、私、ハシバをこっちにこさせちゃった責任は取らなくていいし、屋敷にも置かなくてもいいし、面倒も見なくていいし。良いことずくめだよね」 「……おぉ」 確かに。 一同納得だ。 この瞬間、由樹の帰る場所が消滅した。 由樹は割と、大ピンチだ。
* * *
そうとは知らない、由樹は森の中を只管に疾走していた。 ――何だよ。何だよ。別にそこまで言わなくてもいいじゃないか。分かってたんだよ。 ――俺が子供みたいに醜い言い訳を重ねて、ただ傍観しようとしていたことくらい、 ――自分でちゃんと分かっていたさ。戦争に参加しないのは、そうさ、恐かったからだ。 ――ただ、面倒だったからさ。 ――俺だって、何もここまで一人で育ったわけじゃないし、ちゃんと親に面倒を見てもらわなきゃ、ここまで大きくなんか、何不自由なく育つわけがないってことぐらい分かっていたさ! ――だから、その俺を守ってくれる親がいない今、俺が生きていくには自分でどうにかして、自分独りで生きなきゃいけないってことも分かっていたさ……ッ! 誰が、好き好んで戦争に参加したいと思うのだ。 由樹とて、言い訳じみているとは思うも、戦争でなければ彼らの手伝いをしたって別にそれほど嫌とは感じなかっただろうし、手伝っても良かったとは思う。多分。 だが、人殺しの手伝いは御免だったのだ。 それこそ、今まで親の金だけで生きてきたからこそ、戦争などという自分の力で自分の命と責任、そのものを負うのがただ純粋にできないと思ったのだ。 そのため、イルの言う、“ただ人の影に隠れのうのうと生きている人間”に由樹はずばり当てはまるのであろうが、日本の子供達はほとんどが親の影に隠れた臆病者だ。それを今更、止めるというのはどうしてもできそうにない。自分の限界くらい、自分で見極めているつもりだ。
また、イルの言いたいことも分かる。 イルやルーファニーが由樹に対してやりたかったことを分からないほど子供でもない。 彼らは、由樹をこの世界に連れてきてしまったことを彼ら自身の責任だと、一番よく認識しているからこそ、由樹に「指揮官になれ」と勧めてくるのだ。それは、由樹がずっとここにいなければならなくなったときのことを考え、彼ら無しでも、由樹が一人でやっていけるように、由樹に手に職を就けてやろうと思っているのだろう。 そういう“善意”から、由樹に指揮官の地位を勧めているというのは、分かっていた。 責任を感じているからこそ、イルは由樹にあんな辛辣な態度を取ったのだ。(多分) 現実から目を背けていても、事態は好転などしないと、イルは言っているのだろう……。 ――それでも……! そこまで理解していながら、由樹はその助言を全身で拒否していた。心の何処かで甘えていた。否、甘えたかったのだ。誰かに依存していたかった。そうやって、今まで生きてきたから。 イル風に言うならば、誰かの影に隠れていたかったのだ。 いつまでも。 そこまで考えて、今、自分がルーファニーの屋敷のほうへと足を向けている自分に気がついて愕然とした。
『放っておけばいいよ。どーせ、行くところなんか、ないんだから』
その通りだった。 由樹には、何処かに逃げる場所すらなかった。前は良かった。親から逃げたいときには、ただ友達の家にいけばよかったのだから。ここには、その友達もいないのだ。 だが、それでも、このままイルの言うとおりにルーファニーの屋敷に帰るのは癪で、由樹は、昨日、散歩で見つけた大きな星型の葉を持つ木へと足を運ぶ。 その、一際、大きな木に身体を委ねた。 すると、ラドルアスカの領地方面から、話し声が聞こえてきた。 ――クソ。こんなときは、誰とも会いたくないというのに…。
自分の聖域を犯されたような気がして、不機嫌に話し声のほうを見やれば、その正体は、今、一番会いたくない人物1のラドルアスカと、奴の思い人であり、この国のプリンセス、リュイ・シンが、何やら深刻そうに話していた。 二人もこちらに気がついたのか、由樹のほうへとバツが悪そうに近づいてくる。 別に無理して、話しかけてこなくてもいいのに、と思う。 「こんにちは。異国の方」 リュイ・シンが当たり障りのない、挨拶を由樹に投げかけてきた。 「……こんにちは」 それに由樹が返す。 予想通りというか、何というかラドルアスカからは何の挨拶もない。最初から期待はしていなかったが。 リュイ・シンもそのことに多少は顔を顰めるも、既に無駄と悟っている感があり、ラドルアスカのことを嗜めたりはしなかった。 「あなたも戦の準備を手伝いに、ここに?」 “ここ”とは、王城や召喚場ではなく、ラドルアスカ宅のことだ。 彼女はルーファニーから由樹がラドルアスカ宛に伝言かなにか、パシリに使われたのか、と聞いているのだろう。 「いや、召喚場で地図を見ていたんだけど……。休憩? そう、今は休憩中なんだよ」 どうにも、本当の経緯は話しにくく、由樹は適当にはぐらかした。 「そぅ…。あなたがこんな暇そうにしているなんて、もったいないわ。あなたも指揮をなさればいいのに。遊びとはいえローレ卿に勝ったと聞きました」 今、一番、言われたくないことを偶然にも言い当てられて、由樹はリュイ・シンからちょっと不自然に目を逸らしてしまう。すると、極力由樹が関わりたくないと思っているラドルアスカが凝視してきて、じっ、と由樹の瞳を覗き込む。暫し、ジーと眺めて、 「臆病者ッ!」 あまりにも由樹の情けない姿を見兼ねてか、大声で叱責した。 ビクン、と由樹の身体が跳ねる。 ――分かってるよ。お前に言われなくても。 イルの叱責の後なだけに、自分の臆病さ、卑屈さ重々承知であったので、あえて反論などしなかった。いや、できなかった。だた、今だけはそっとしておいて欲しかったのだ。 だから、次のリュイ・シンの言葉は由樹にとって、砂漠のオアシスだった。 「ローレ卿、この方は異国の方なのです。戦などとは無縁の平和な国の出身なのです。異国人。気になさらないでください。ローレ卿は、つい熱心になってしまうだけなのですから」 優しい、柔らかいリュイ・シンの謝罪にほんのりと心が温まる。 大人なんだな、と思った。 彼女はけして他人を責めたり、他人に責任を押し付けたりせず、常に公平な判断をするのだろう。そう、つい由樹は思ってしまった。 ……だから、 「リュイさんって、お姫様じゃないみたいだ」 ちょっと聞くものによっては無礼と取れるその発言に、ラドルアスカが激怒する。 「貴様ッ! 殿下が姫には見えないだと!?」 慌てて由樹は否定した。けして、そんなつもりじゃなかったからだ。 「そういう意味じゃなくって。何て言うか……。俺のお姫さまのイメージだと、我がままで、強引でっていうイメージがあるから。リュイさんはお淑やかだけど、皆に平等で、服装も莫迦みたいに着飾ったりしないし。ええと、それから、髪もだらだら伸ばしたりしてないから」
……こんなことを口走ってしまったのだ。
リュイ・シンは、フッと寂しそうに笑って、言う。 「私もね、本当はおしゃれ、……したいのよ。我がままにもなりたい。けれど、今はそういうことはできないから。皆にとても迷惑を掛けてしまうから、しないだけ……」 常に公平な判断をする人間などいなかったのだ。
「それとね、髪は戦うのにとても邪魔なのです……」 神様でもない限り……。
優しく微笑みながら、しかし目はけして笑わずにリュイ・シンは言い放った。 「だから、伸ばせないのです」
言葉で包まれ感情を制御された大人の意見なだけに、イルより効いた。
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