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作品名:空を翔る猿 作者:氷室 龍獲

第2回   お金が全てなんですよ、お爺さん?

 
 空は透けるような晴天だった。だが、その晴れやかな太陽の光もこの豊かに木々が生い茂る、森の奥までは届かない。木漏れ日が僅かに照らされる程度で、そのことでより自然が残されているのが分かる。
 そんな鬱蒼とした森の中を数人の人間が、急いだ様子で疾走していた。
 黒くゆったりとしたローブを着込んだ老人を先頭に兵が連なって、陸用のドラゴン――〈最速のリューチカ〉――を全力で走らせている。
 この老人の名を“ルーファニー”といった。
 ルーファニーは召喚術師だ。それも大がつく天才的な魔導師。幾多の戦を潜り抜け、多くの優秀な弟子たちを輩出した偉人中の偉人。それが彼だった。
皆は尊敬の念を込めて彼をルーファニー師と呼ぶ事もある。
 そんな彼らが向かう先は、ルーファニーの弟子の子供がいるという山奥の小さな家屋だ。彼はけして寂しいからと、独り暮らしの爺さんのような理由で会いにいくのではない。
 全ては戦争の為、国の為だった。

  * * *

 五年前、唐突に“カジミ”と名乗る国が、西に向かって攻め始めた。その勢いは凄まじく、あっという間に小さな国々は占領されて植民地と化した。このままいけば、小国であるタルデシカ国も危なくなってくる。このまま占領される訳もいかず、周辺の国々と結託し、軍事同盟を結び、何とか生き残りを図ったのだ。
 だが、ここまでしてもカジミは強かった。
 タルデシカは戦争をほとんど経験したことのない平和な国で、その平和ボケした国が戦争を毎日のようにしている国に、装備も兵も、何もかもが敵うはずがなかったのだ。
 ずるずると負けに負け、とうとう王手を掛けられたのが今の状況だ。
 これを打開すべく、その弟子の子供に会いにいくのが今回の目的である。

「……ふむ」
 ルーファニーは苦悶を露にドラゴン〈最速のリューチカ〉の手綱に力を込める。尊敬すべき魔導師も流石に歳。ずっとドラゴンに乗っていたことでの腰痛でも訴えたのかと、兵士のナイジェル・コスロワが労わりの声を彼にかけた。
「大丈夫ですか、ルーファニー師。目的地は直ぐそこですから、頑張ってください」
「耄碌したじじいのように扱うなッ。大丈夫だッ。何を勘違いしておる」
「あ、そうでございますか」
 違ったらしい。腰痛だとナイジェルに思われたのが癪なのか、ルーファニーは眉を顰めて、渋々といった様子でナイジェルへと本当の理由を口にした。
「そうではない、悩んでおったのだ」
「――何をですか」
 ナイジェルは不思議そうに訊いた。尊大なこの老人を悩ますことが、何か気になったのだ。実際、戦争以外でルーファニーを悩ますことは何もないだろう、とも思う。
「今から行く、魔導師のことだ」
「ああ、ルーファニー師の弟子のお子さんでしたっけ。それが何か?」
「弟子の性格に少し、……いや、かなり問題があるのだ。だから、前任者の子供の方にまで遺伝していたら、かなり厄介なことになると思ってな。似ていなければ、とずっと思っていたのだが」
 ルーファニーは苦悶の表情を浮かべる。ナイジェルからすればあまり問題とは思えない。
「前任者とは――、お子さんのお母さんですね? つまり、ルーファニー師のお弟子さん」
 ナイジェルはもっと分かりやすく言ってほしいなと思いつつ、律儀に答えた。
「そうだ」
「なら、平気じゃないんですかね。親と性格が似るなんてあまりありませんよ。僕の親父と僕なんか性格は正反対です。親父は刀を打ってる職人気質の男だけど、僕は見ての通り? ――座標師の端くれですよ。文官のような兵士のような、とにかく性格は全然、違いますから」
「……だと、良いのだがな」
 その後、この考えは浅はかだったと、兵士、ナイジェルは後悔する。

 * * *

 ルーファニーと武装兵士御一行は暫くも深い森を進み、やがて一軒の可愛らしい小さな木造家屋に辿り着いた。煙突から煙が上がっており、かろうじて人が住んでいることが分かる。その痕跡がなければ、廃屋かと見間違えても不思議ではない、そんな古めかしい家だ。
 煙突から煙が立ち上っていることを確認し、ルーファニーは呟いた。
「どうやら、留守ではないらしい」
 だが、まるで留守であって欲しいかのような口ぶりだ、とナイジェルは思った。
 ルーファニーが木造のドアを叩いた。少しもしないうちにドアが軋んで開く。
しかし、家に迎える家主の姿はなく、辺りはしんと静まり穏やかだ。
「あれ?」 
 何処にも扉を開けたはずの、“人間”がいない。
 きぃ、きぃ、とドアが不気味に軋み、何か嫌な感じがして兵士たちは顔を見合わせた。
 皆が緊張で身を強張らせたが、ルーファニーだけは、す、と目を細めただけで周囲を冷静に観察して、何のことはない、と軽い口調で真実を告げた。
「恐らく、他のものに開けさせたのだろう。ほれ、そこに」
 ルーファニーが指差す先にいた生き物は、緑色の小型のドラゴン。
「なるほど」
 兵士たちもそれで納得をして、ホッと肩の力を抜いた。それと同時にナイジェルには腕がいい魔導師ということが理解できた。
 タルデシカとカジミの双方が戦争の武器にしているのは、ドラゴンだ。このドラゴンを召喚するのが魔導師である召喚術師の一番の役目。ドラゴンの種類は正に多種多様で、小さいモノは容易に召喚できるが、人を乗せて空を飛べるくらいの大きさのモノとなると簡単にはいかない。
 そして、今、扉を開けた緑色のドラゴンは大きいのと小さいのとの中間くらいだ。
 このドラゴンを使役しているのだから腕は悪くないだろう。腕の悪い魔導師だと、これすらも召喚できないのだ。だが、ルーファニーやナイジェル達はキング級のドラゴンを召喚できる魔導師を探しているのであって、腕のいい魔導師ではない。
 本当にこんなボロい小屋に偉大な魔導師がいるのかとナイジェルは未だ半信半疑で、小屋のなかに足を進めた。小屋の内部は外と同じく見た目通りに狭く、ルーファニーとナイジェル、兵士全員が入ったら身動きも取れない状況だった。
 兵士の一人が狭い室内で椅子に引っかかって、ガタンと派手な音を立てる。
「……誰、お客かな? 珍しい」
 小屋の奥のほうから、幼さの残る女の声がした。
 その声の方向に向かって、一斉に兵士たちが武器を構え、槍を突き出した。
 声の主が気分を害したのが、ここからでも感じ取れる。
 当然だろう、とナイジェルは思った。
 ここは声の主の家であって、ナイジェルたちのほうが侵入者なのだから。
「随分と礼儀知らずだね。人の家に勝手に侵入しておいて、家主に刃物を突きつけるってどういう礼儀作法なんだろうね。これがタルデシカの礼儀作法なんだ。それはいいね。しっかり覚えておくとするよ」
 皮肉めいた口調で現れたのは、まだ幼さが残る女の子。
金髪の髪を結い、高く団子状にしている。顔は端麗な造りで、まるでお人形のようだ。
その可愛らしい、大きな“金色の瞳”にはちょこんと眼鏡が乗っている。
 だから、思わず悪気なく兵士の一人が漏らしてしまっても仕方がなかったのだ。
「何だ、餓鬼か…」
 その瞬間、まるで砂糖菓子のようだった少女の瞳がスッと細まって、ぎらりとした獰猛な輝きを放った。般若のごとき形相で少女が血の色をしたワンドを空中に彷徨わせ、図形を画いた。キィンという金属音がして、その図形が輝きを放つ。
 次の瞬間、図形は大量の水となって、兵士に襲いかかった。
 兵士たちの悲鳴が轟く。あっという間に、彼らはたった今入ってきた扉から家の外に押し流された。
 辺りは大洪水の跡地のように、ぐじゃぐじゃに濡れそぼった。
「ぐぬ、性格は前任者にそっくりじゃ!」

 虚しく、ルーファニーの怒りの声が響いた。

 * * *

 そして、数分後。
「ルーファニーがいたんだ。いたのなら、いるとそう言ってくれないと」
 金髪金眼の少女は全く反省のない態度でルーファニーに手を差し伸べていた。
「言う前に、お前が水を召喚して、わしを押し流したんだろうッ!」
 少女の手をかり、よたよたとルーファニーは立ち上がった。
「けけ。悪かったよ」
「謝っているようには聞こえん」
 悪びれもせずに、ふふ、と少女は笑って家の中に入る。そして、大げさにまるで道化師のようにぺこりとお辞儀し、ルーファニーを家の中へと誘った。少女の許可を得ず無断で、怒りに燃えたままルーファニーはリビングのテーブルについた。その他の兵士やナイジェルは、もう既に家へ入る気力を削がれ、遠巻きにして様子を窺っているだけだ。
 それを横目に金髪金眼の少女はお茶の葉をキッチンに取りに行く。お茶の葉をポットにそのままいれ、再び空中に血の色のワンドで図形を画き、お湯を召喚し、ポットに入れる。
 これが召喚術だ。
 ルーファニーもこの少女も魔導師とは言われているものの、実のところは召喚術師といったところだ。しかしこの世界に召喚術以外の魔法はないから、魔導師イコール召喚術師となっている。水も火も、存在している場所から召喚して使うのだ。故に、ドラゴンも。
 ドラゴンは座標を捉え召喚する。
 同様に水や火を召喚するときも、座標が分からなくてはいくら召喚術師とはいえ、召喚できない。現に、今召喚したお湯も、座標の判明している火山の温泉から湧き出たお湯だ。
 その召喚したてのお湯を入れ、少女が茶を出し、ルーファニーが受け取る。
「で、何が目的なのかな?」 
「お前の名は、なんと言う」
「イル・サレイド。ロナの娘だよ。あなたの弟子の娘。母からあなたの話は聞いていたよ」
「そうか」
 ずずっと、音を立ててルーファニーは茶を濁した。
「旨い。いいお茶だ」
 長旅で疲れていたこともあり、ルーファニーは少女の出したお茶をごくりと飲み干した。
「………薬入りの茶がうまいと言った人は初めてだよ」
 その言葉にルーファニーは思いっきり、お茶を吐き出した。
 思わずルーファニーが椅子から立ち上がり、お茶と少女を交互に見詰めた。
「なっ、貴様。………茶の中に何か毒でも盛ったのかッ」
「別に大したものじゃないよ。子供でも扱える簡単な笑い薬だからね。毒じゃないから」
「……そ、そうか」 
 ほっと胸を撫で下ろす。
 ――何だ、子供の悪戯か。
 少女の年齢は明らかに十代前半か、半ば。
 悪戯もする年齢の範疇だろうルーファニーは結論づけた。
 しかし、事態はそんな微笑ましいものではなかったりする。
「効果は一生持続する、レアな笑い薬なんだよ」
「な、なんだってッ! バカ、……な。そんな長く持続する薬があるものか。ある筈は」
 ない筈、だ。
 笑い薬、とはこの世界にある薬草を煎じて作った、人を笑わせる薬だ。これは主に子供がパーティなどで悪戯に使うもので、持続期間など一時間にも満たない、安っぽい玩具だ。
 その薬が一生持続するなんて、有り得ない話だった。
 しかし、少女は悪戯っぽく笑って、
「だって、私が特別に煎じて、改良に改良を重ねたものだからね。そこらのチンケな魔導師が作った子供の玩具とはレベルが違うんだよ。レベルが。私は何年もの時をこの一生続く笑い薬にかけ、いつか貴様に飲ませてやろうと思っていたんだよ。ロナの師」
「馬鹿者ッ! そんな下らないことに時間を費やす奴が、うふふふふっ、あるかッ!」
「お、薬が効いてきたみたいだね。それとも何か楽しいことであった?」 
 少女は実に嬉しそうに可笑しそうに嘲った。
「ぐぬ、貴様。うふふふうふふふふうふっ。くぅ……、止まらぬかッ!」
「こんな山奥に閉じ込めさせられて暇だったんだから仕方ないでしょ。無駄な時間と暇な時間と遊ぶ時間だけはたっぷり何故かあったんだよ。ほら、時間は有効に使わないとね。――で、こんな山奥まで私に“今更”会いに来たのは何の為なのかな。ロナの師」
 迫り狂う気味の悪い笑いを必死に抑え、ルーファニーは言った。
「キング級を召喚してくれ、“ロナの娘”」
「それを私にやって言うの。“ロナの師”」
「そうだ。うふふふふふぅ、“ロナの娘”」
 それを冷笑するように、イル、――ロナの娘、は反論する。
「ふざけないでよね。私がこの山奥に閉じ込められているというのに、何でお前はのうのうと外で戦争なんかやってるのかな。“ロナの師”」
「すまない。うふふふふふふ。“ロナの娘”」 
 全く説得力がない。
 それでもルーファニーの苦しむ(笑う)その姿に幾分満足したのか、クスクス笑いながら少女は、「いいよ。召喚してあげるよ」と言った。
「本当か」
「但し、条件がある」 
 最悪の性格である。
 苦虫を噛み潰したように老人が顔を歪めた。
「その条件とは何だ?」
「お金を持ってきてほしいな。それも多額にね。国庫全額を要求するよ」
「――ッ! ………お前は今がどんな時か分かっていっているのか? 我が国は負けに負け、金も尽きようとしているときに、金を持ってこいだと? お前には愛国心というものがないのかッ。お前というや――ッぁふふふふふふふふふっ!」 
 笑い声を抜かし聞く者によれば感動してしまうだろう老人の台詞を、少女は鼻で笑った。
 そして、いとも簡単に言い放つ。
「一切、無いね。そんなもの。お金だよ。全ては金。金で世界は回っているんだよッ」
「貴様……ッ!」
「世の中ね、お金が全てなんですよ、お爺さん?」
 
  にっこり、とイル・サレイドは笑ったのだった。
 
 


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