背中の打撲を治療する為に医務室に連れ来られた由樹は、ずっとリュイ・シンの顔ばかりを見ていた。別にリュイ・シンが綺麗だからとか、ちょっと気になる異性がどうのとかいう邪な理由からではなく、率直な“疑念”と“不可解”な思いから一心に観察していたのだ。 美や異性を意識する“だけ”なら、現在由樹の身近に、――本当に“だけ”ならばだけど――、一人、金髪金眼の少女がいるのだから、それはない。 じろじろと不躾にもリュイ・シンを見ていると、目が合って、慌てて逸らした。 ――おかしいじゃないか。話しが違うじゃないか。 疑念とは、やっぱりこの女性がリュイ・シンなのだろうか、ということ。 そして不可解な思いは、仮にこの女性がリュイ・シンならば矛盾が生じるということ。 金髪金眼の少女の話では、リュイ・シンとは自分勝手で、我がままで、ブスで、悪魔のようなヤツで、そのくせ国民に人気があって、国の為に自分の命をも顧みず、そのくせ幼い男の子たちを自分の部屋に軟禁していて、鞭でしばいている。そんなお姫様の筈。 ――その筈。 いや、これは明らかに、嫉妬した金髪金眼のちょっと捻くれた少女の狂言であろう。 十中八九、そうに違いない。 本物のリュイ・シンは清楚で、何に対しても平等そうで、天使のような微笑を浮かべた、生粋のお姫様だった。確かに、絶世の美貌を兼ね備えたという訳ではなかったが、もしもこの黒髪が短髪ではなく、もっと美しく伸ばして手入れもされていたなら綺麗な美貌となっていたかもしれない。 「異国人、どうかしましたか?」 戸惑ったようなリュイ・シンの言葉にはっと由樹は我に帰った。 目が合って以来、ずっと視線を逸らしたままという、不自然な動作をし続けていたことに気づき、慌てて向き直る。 「何でもない…」 一拍おいて考え直す。 「…です」 相手はお姫様だ。敬語がいいだろうと思ったのだ。 だが、その由樹の他人行儀な態度にリュイ・シンは哀しそうな顔をした。 「敬語など止めてください。わたしは本当に尊敬されることなど何一つしたことがないのですから。どうか普通に話をしてください」 「分かったよ」 奴が惚れるもの分かるかもしれない、と由樹は思った。健気すぎる。 彼女の魅力はその一言に尽きるのだ。その存在や態度が、言葉、動作、一挙一動が、何処か品を感じさせ、育ちの良さを思わせる。だが、その気高さをけして奢らず、相手と限りなく対等にあろうとするのが、ひしひしと感じ取れる程だ。 にこり、とリュイ・シンが微笑む。 ラドルアスカが惚れるもの納得というものだ。うん、女も顔じゃない。 「わたしはリュイ・シン。この国の王女です。お恥ずかしいことに…」 「恥ずかしい?」 何で?、と由樹は首を傾げた。 「さ、怪我をしている箇所を調べるので着ているものを脱いでください。早く手当てをしたほうがいいでしょう。さ、早く脱いでッ」 「……あ」 女性の前で服を脱ぐということに少々気恥ずかしくも、怪我の処置のため由樹は上着を脱いだ。それに対しリュイ・シンは少しも全く一切取り乱さず、慣れた手付きで由樹の治療を始めた。 「――酷い打ち身。ローレ卿をここまで怒らせるなんてあなたは一体、ローレ卿に何をしたのです?」 「何って」 ラドルアスカに由樹がしたことなど何かあっただろうか。むこうが勝手にやられたと思っていることはあったとしても、由樹自身がラドルアスカに何かをした覚えは、一切、無い。 むぅ、と考えこんでいると、リュイ・シンが気を回してくれた。 「言い方が悪かったわ。ローレ卿はあなたに何を“された”と思っているのです?」 今度は由樹も容易に口が動いた。どうやらラドルアスカの悪癖はタルデシカでは共通事項らしい。リュイ・シンもご存知のようで非常に助かる。 「まず黒竜グイシンにアイツが俺に落とされたと思っていて、それとテーブルゲームでアイツが俺にイカサマをされて、負かされたと思っているらしい」 それを聞いて、リュイ・シンはくすっと笑いを漏らした。 「ローレ卿らしいわ。ごめんなさいね。ローレ卿は戦のこととなると神経過敏になっているのです。特に今は……」 何処か遠いところを見るようにリュイ・シンはある一点にぼんやりと視線を散漫させた。 「――――それで、恥ずかしいって?」 今のラドルアスカについての会話で、彼女は先程の話を逸らすつもりであったのだろう。少々渋い顔をしてから、リュイ・シンは由樹の疑問に答えた。 「この国の現状は聞きましたか?」 「カジミとかいう国に乗っ取られる寸前なんでしょ?」 「だからです。国を乗っ取られる王族ほど恥ずかしいモノはないわ。惨めなのもね。わたしの母上はお菓子ばかりを食べて国に何も貢献しないの。私がいくら注意しても、駄目なのです。全く、聞いてくれださらない。父上も、病気さえ治れば一緒に戦えるのにね。だから、そういった王族の落ち度がある限り、国民に何と言っていいか、申し訳なくて、恥ずかしいのです」 「……ッ」 「ごめんなさい。愚痴を聞かせてしまって」 そう言ってリュイ・シンは肩を竦めてみせる。 黙って由樹は首を横に振った。実感や共感が一切湧かなかったからだ。 慰めの言葉一つ、口を吐いて出てこなかった。 ――戦争? 何だ、それ……? 大昔の話だろ。 苦しいもの、と頭では分かっているものの、どう苦しいのか、どう辛いのかが全く分からなかった。テレビのブラウン管を透してなら、一度や二度、学校の道徳の時間とかで見たかもしれないが、そんな記憶は遥か彼方だ。だから。 「俺の国は戦争がないから、そういうのは分からねーな」 正直に言うしかなかった。 はっとリュイ・シンが息を呑む。 「――ッ?」 「戦争が……、ない?」 「……ああ。ないよ。――ッ?」 一瞬、絶句していたリュイ・シンは直ぐに気を持ち直した。 そして吐き捨てるように彼女は言った。 「そう。羨ましいわね。“そんな”、国っ」 まるで、反吐が出るとばかりに吐き捨てたのだった。 「そうかな。俺はあんまり好きじゃねーけど」 「それは贅沢というものです」 「………………」 由樹は黙る。やっぱ、このお姫様は好きになれないと思った。前言撤回しようと思う。 上から決め付けて言う態度は、教師や親にそっくりだ。由樹の気持ちはそっちのけで、環境のみに着目するのは卑怯だろう。別に由樹が望んでその環境になったわけではないのに。誰だって、自らの生まれてくる環境など選べないのだ。親を選んで生まれる子はいないのだから。 「ごめんなさい。八つ当たりです、気にしないで下さい」 「別に」 お姫様でも、八つ当たりするんだ。 少し、リュイ・シンに対して考えが変わった。お姫様だって人間だし、矛盾しているのが当たり前だ。だからといって、由樹が再びお姫様に対して好意的になることは、もうなかった。 だが、これだけなら、リュイ・シンと由樹の溝は深まらずに済んだ筈だった。 そう、これだけなら、リュイ・シンは由樹にとってちょっと苦手な相手で済んだのだ。
会話の間にも、リュイ・シンは素早く的確に由樹の打撲を手当てしていた。 彼女の冷たい手の感触が由樹の背筋に伝わる。その手付きは何度も何度も同じ部分を擦っていき、ゆっくりと、だんだんと下へ下へ、更に“下へ”と、移動していった。 何か、妙な気がした。 「?」 擦るというより、触っているという表現のほうが正しい。いや、痛み止めの軟膏でも塗ってくれているのかもしれないが、何だかそれとも少し違う気がした。 ――何だ? そうして暫し経つと、何やら激しい息ずかいが由樹、後方より聞こえてきた。 それも、はぁ〜、はぁ〜というちょっと、いっちゃってる感じの人の。 まさかだが、こんな電車の痴漢のような鼻息を出しているのは、あの生粋のお姫様のリュイ・シンだとでも言うのか。 だとしたら、嫌すぎる。 由樹の中の全ての、お姫様像が崩壊の危機に立たされた。小さい頃に母親に読んでもらった、白雪姫。眠り姫、シンデレラたちが、由樹の脳内で鼻息を荒くして去っていった。 もちろん、この部屋にはリュイ・シンと由樹しかいない。このいちゃっている人の鼻息を由樹が出していないということは、残るは一人しかいない。2−1は、1である。 ――う、嘘だッ! あんな清楚な人がこんな変態みたいな鼻息を出す訳ない! 由樹は力いっぱい否定する。だが、無情にも、清楚な生粋の健気なお姫様は、言ってしまった。 「……ふふ。すべすべ、気持ちいぃん」 言った。言いやがったのだ。こいつは。 その瞬間、ぞぉーと全身の毛穴が泡吹いた。 悪寒に全身が震えた。今まで感じたことのない異なる恐怖が由樹を襲う。満員電車の中で痴漢にあう女子高生の気分が体感できた気がした。 「リュ、……リュイさん?」 「なぁに? 可愛い、わたしのボクちゃん」 「…………」 ――もしかして、ラドルアスカにお姫様自らが手当てをする、と言い張ったのは“このため”デスカ? ――医務室で二人きりという、甘いシチュエーションを作り上げるためデスカ? ――ここでコンナことをするためデスカ? それを証明するかのように、リュイ・シンは熱い瞳で由樹を見つめていた。 イルが言うには、リュイ・シンは幼い男の子に情熱を燃やすタイプなのだとか。 東洋人は若く見られがちだ。 “この日、由樹が究極の一方通行に加わった。” イル→ラドルアスカ→リュイ→由樹→?
逆玉も近いかもしれない。 将来は王様に就職か……?
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