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作品名:空を翔る猿 作者:氷室 龍獲

第12回   ふたつの太陽よ、沈め

 イルとのかなり脱線した異世界勉強会を終えると由樹は手ぶらのまま、ぶらりとルーファニーの屋敷から出て賑やかな街の内部を探索することにした。何の当てもなく――当然だけど――、何をするでもなく、何か目的がある訳でもなかったが、外を少し歩きたい気分だった。俗に言う、黄昏たい気分という奴だ。
 幸いにも首の喉仏付近に付いている紫色のコイン、――〈意志の疎通の書〉というらしいが――のおかげで住民にカジミという野蛮人に間違われることはない。気に食わないがイルの言うと通りに、だ。
 ここらの住民と由樹との見た目に生物学的にそう違いはないのに、可笑しいとは思っていたのだ。由樹のように肌が少し黄色掛かっている人間もいれば、モロ白人のような人種もいるのだから、由樹だけが一目で“違う”、とは分からないだろう。その一目で違う、という原因がラドルアスカが騒いだせいだったとは。ほとほと、ねちねちしている野郎だ。
 血液型は几帳面なA型さんに違いない、と由樹は勝手に思った。

 それにしても、この世界は不思議だな、と思う。
 全てが由樹の世界にはない召喚術という未知なる力によって、成り立っているのだから。
 こうして街中を少し歩いてみても、その違いがよく分かるというものだ。似ているようで、まるで違う。違うのに、ある所では凄くよく似通っている。
 例えば、煙草を吸うときに使うライター。これは先程、煙草を吸っているおじさんを見て分かったことだが、超小型のドラゴンが吐く火によって煙草に点火するのだ。煙草を吸おうとしていたおじさんは、ごく自然にポケットから赤い肌の爬虫類をとりだして、そいつのお腹をぐ、と押した。
 すると、小型レッドドラゴンは小さな炎を吐き出し、おじさんは満足そうに爬虫類の頭を撫で、お礼とばかりにエサを与えた。
 これと同じような光景は到る所で見受けられた。
 道には馬車ならぬ、ドラゴン車が普及しており、バスのように大勢の人を背に乗せ移動している。馬車のように箱を引かせるのではなく、人は直接背に乗っていた。馬は馬でそれなりに普及しているようだったが、やはり力のあるドラゴンのほうがこの世界では蔓延しているようだった。
 人間に使われているドラゴンたちも実に素直に従い、まるで人といることが嬉しいかのようにも見える。人は人でドラゴンたちに手を上げるような真似はしない。
完璧な共生関係だ。どちらが、上でも下でもなく、主人でも奴隷でもない。
「はぁ…ッ」
 そんな幸せそうな街を見る度に、由樹は溜息を吐き出していた。
 あのドラゴンも今幸せそうに笑っているおばさんも、皆、ぶち壊してやりたい。もし、由樹に超能力があったなら、直ぐにでも目の前のハッピー光景を滅茶苦茶に破壊してやったことだろう。嗚呼、ぶち壊したい。それも、滅茶苦茶に。
 そんな危ない衝動に駆られるのだ。
「幸せそうにしやがって」
 憎い。
 羨ましくて仕方がない。あの柔らかな笑顔も、嬉しそうなドラゴンの様子も、由樹には皆が自分のことを嘲笑っているかに思えた。まだすっぱりと本音を言う、イルのほうがマシだとさえ思えたのだから救いようがない。吐き捨てるように、言った。
「……偽善者どもめ」
 皆、取ってつけたような笑顔の裏では何を考えているかも分からないのだ。
 クソ、と心の中で大きな悪態を吐く。
 彼らが本心から幸せなのは、由樹も本当は理解していた。
 そう理解しつつもしかし、無性に腹が立ってしかたがなかったのだ。
 由樹だけが不幸というのにムカついただけ、そう、ただそれだけだ。
「クソッ」
 気分はどんどんと加速して沈んでいった。
 何処の世界に、自分が見ず知らずの土地に来て、『うわーぃ。異世界だぁ。ぼく、今日から君らの一員さ。頑張って、生きていくよ』なんて楽観的な発言をするバカがいるのかと思う。 
 そんな奴はよほどの大馬鹿か、大物だ。
 悪いが羽柴由樹は、そんな神経図太くは無い。むしろ、逆である。
 実は由樹は、現代の自宅に戻れば社長の息子という、お坊ちゃまだったりする。親が金持ちなのだ。それは親の功績であって、由樹自身が小市民である事実に何等変わりはないのだが、現代の世界に帰れば待遇だけはVIPである。
 今由樹が通っている平凡な私立高校に入学できたのも、親の影響だったりする。というより、あのレベルの学校には由樹の頭では入れなかっただろう。そして、その学校でも由樹の地位はオタクと何の差もない、平民以下の身分で、むしろ一般家庭の子供たちより遥かに下ではあるものの、この金持ちというビップ待遇がいじめられない原因に違いないと由樹は思っている。
 だからって、凄い金持ちというわけでもないのだが。
 ちょっと、親が普通のサラリーマンよりも金を持っているというだけだ。
 だから、それで威張っている父親が由樹は嫌いだった。
 こんな惨めな思いをするのは、かなり久しぶりであるし、また自制心などという言葉とは無縁の我がままで、所謂、親に守られた小皇帝が由樹という人格を形成しているのだ。
 そのせいもあって、親という後ろ盾がないと、恐くて、惨めで仕方がなかった。
 あんな親、大嫌いだというのに。
 そんな生まれはサラブレッドでも、根は小心者で平民の由樹にはとてもじゃないが、このただ一人の異邦人という状況ですら耐えられそうに無かった。昨夜、じっくりと親の偉大さと心細さを体感したばかりなのだ。
 ――クソ、だから、俺はあのばばぁもじじいも嫌いなんだってッ……!
 惨めで、悔しくて、自分独りでは何もできないということを、ここに来てはっきりと証明してしまっているようで、反吐が出る。
 考えすぎて、吐き気が込み上げてきた。
「……うぇっ……」
 ぐ、と胃のあたりを押さえた。
 必死に堪えた。心で負けたようで、そんな弱い部分を認めたくなくて、絶対に吐きたくなかった。いや、親に頼っていた自分に負ける気がした。
 そんな由樹の様子を心配そうに色白な女性が覗きこんできた。
「あなた、大丈夫? 顔が真っ青よ?」
 単なる通行人に同情されるほど、由樹の顔はやばい顔色だったらしい。
「平気、…です」
 由樹はそっけなく答えて、その場を後にした。
 いかにも優しそうなその女性はまだ、由樹に声を掛けようとしていたが、そんなこと由樹の知ったことではなかった。強引にお姉さんを振り切って、由樹は駆け出した。全力で、まるでお姉さんに追いかけられているかのように、振り切るように、夢中で走った。
 ――冗談じゃない!
 同情されるほど落ちぶれてはいないつもりだった。
 薄っぺらいプライドだけが、由樹の支えであったのだ。
 
 * * *

 平民から一代出世した、サレイド家の屋敷にルーファニーは帰宅していた。
 こんな夕方近くまで孫と異国の旅人を放っておいたのも、昨日、ラドルアスカに依頼した、イルのスパイ容疑について結果を聞きにいっていたからだった。昨日に今日と、短時間で分かるものではないとルーファニーは理解していたが、それでも聞かずにはいられない。恐らく、毎日聞きに行くことになるだろう。
 どうやら、昨日から今日に掛けて怪しい動きはなかったらしい、とラドルアスカから結果を聞き、ルーファニーは安堵して家に帰ってきたのだった。
 生意気な孫の様子をルーファニーは恐る恐る見に、イルの部屋まで足を運んだ。
 確かに、時々“ヤツ”を縄で縛って絞め殺したくなるときがあるが、彼にとっては大事な孫だ。孫が近くにいて、嬉しくない祖父がいるはずもない。孫が近くにいれば、その様子が常に気になるというものである。
 そっと、イルの部屋の扉を開けて中を見やる。中ではイルが一生懸命に新たな『天史教本』を召喚しようとしている様子が伺えた。
 ――陰で勉学に励むとはいい傾向じゃ。
 にたり、とルーファニーが微笑んだ。
 その瞬間。
「気持ち悪いぞ、ジジイ。何をこそこそと私の自室を見て、にやにやしているのか知らないけど、鬱陶しいからどっかに行ってほしいね」
 辛らつな言葉がルーファニーの耳を打った。この声の持ち主はもちろん、イルに他ならない。他にあっても凄く困るが。
 だが、ルーファニーの目には未だ一生懸命に勉学に励む、イルの姿がある。イルは口を開いていない。すると、もう一人、イルがルーファニーの後ろから姿を現した。
 イルが二人…。
 ルーファニーは混乱した。
「だ、誰じゃ、貴様はッ!」
 その言葉にイルが眉を顰める。
「耄碌したの、ジジイ。私がイルだよ」
 その言葉にルーファニーはもう一度、イルの自室にいる偽イルに目をやった。偽イルは未だ一生懸命勉学に励んでいる。そこで、ルーファニーははた、と思い出す。
『天史教本』第58冊子、12章、1ページ、―――〈姿似分身液〉。
これは、どの生物でもどんな物体でもその姿に似せることができる、形態のない液状の下等生物ことだ。その液体に物体や生物の姿が映ると、即座に姿を真似てその物質や生物の通りに行動し始める、緑色をした液体型の生物。
 やはり、知能はあまりないせいか、ワンパターンな行動しかとれないが、ちょっと人を騙す程度ならば有効である。
「ジジイの怪しい足音が聞こえたから、〈姿似分身液〉に私をコピーをさせて、私はこの扉の向こうに隠れていたんだよ。そしたら、ジジイが私のコピーを見て、にやにや笑っていて気持ちが悪かったから、声をかけたくなかったけど、仕方なくかけてあげたんだよ。で、ところでルーファニー。頭は大丈夫?」
 そう、ルーファニーはこういうときに“ヤツ”を縄で縛って絞め殺したくなるのだ。
 ぐ、とその衝動を押さえて、ルーファニーは言った。
「もういいっ。そんなことよりも、異国人の帰り方を調べたのか」
「まだだけど」
 ぷい、とイルは視線を外す。
 恐らく、何もしないで遊んでいたのだろうとルーファニーは予測する。
「直ぐに調べなさい」
 それだけ言ってルーファニーはさっさと踵を返そうとしたが、イルの予想外の発言によりぴたりと足を止めることとなった。

「私についている大勢の監視のせいで、集中できないんだけどな…?」
 この孫は本当に優秀だ、とルーファニーは思う。まさか、気が付いているとは思わなかった。存外に鋭い。知らず、口の端が引きつって込み上げる笑いを堪えた。不覚にも動揺したのだ。興奮と同時に笑いが込み上げた。それでも、ルーファニーは顔には出さずにこう言った。
「何時、気が付いた」
「さっき。ハシバが出かけてからかな。最初はハシバについているのかと思ったけど、ハシバが出かけても彼らは動かなかったから違ったみたいだね」
 何の動揺もショックを受けているともいえない、淡々とした口調でイルは言った。
 その何の感情も抱いていないイルの様子に逆にルーファニーは心を痛ませる。
「すまない」
「別にいいよ。ロナがカジミに亡命した時から、こうなることは分かっていたからね。ロナの子供である私を疑うのは極めて正当な行為だよ、仕方がない」
「異国人にはその事は、説明したのか」
 無言でイルは横に首を振った。
「賢明だ」 
 本当に、この孫は浅はかではない。
“ある一点”を除いてだが。
「ハシバにそこまで、説明する理由が思いつかなかった。だから、話す必要はないと判断したよ。関係ない他人に吹聴する趣味は私にはないからね」
「それでいい。すまないが、お前には監視を暫くつけさせてもらう」
 またしても、イルは淡々と頷いただけだった。
 
 * * *

 結果的に言えば、胃の中のものは吐かずに済んだ。
 プライドが勝ったのだ。誇りの勝利である。そこまで弱い存在だと、認めたくなかったという、ただそれだけの意地が由樹の吐き気を胃に沈着させた。
 あたりを見回せば、随分と街の中心から遠のいてしまっていた。
 綺麗な街並みも中心部だけで、少し歩けば薄汚れた建物や人が何年も住んでいないような廃屋が顔を覗かせていた。
 空気からして違う、澱んだ空間。
 綺麗で華やかであった街の表とは逆に、ここは埃が大量に舞い、乾いた砂が背後を飾る。
 呼吸をするだけでも不快で、目には絶望しか映らない。家の外にはがりがりに痩せ細った子供や乞食たちが、明日の暮らしに何の希望も見出せず、ただ朦朧として座り込んでいる、そんな場所。
 考えてみれば、戦争をしている国が幸せであるはずがなかったのだ。
 少し反省してみて、やはり最終的に、苛立った。
 ――そんな貧乏人のことを気にしてどうする。俺には関係ねーだろ。
 ふ、と嫌な考えを振り払うように、頭を振った。
 空を仰ぎ見れば、もう赤い夕日が静かに沈むところだ。
 夕方の太陽の光はいつもよりやけに明るく、目に突き刺さるようだ。眩しくて、由樹は手を翳し、いつもより遥かに明るい夕日を眺めて呟く。
「太陽が……、ふたつ」
 赤い夕日が“ふたつ”、ぽっかりと山の陰に姿を隠そうとしていた。
 この欺瞞と偽善に満ちた、薄汚い町を二つの夕日が照らし出す。
 その様を見て、異世界に来たんだ、と由樹は初めて実感したのだった。

 この、理不尽な世界に。

 


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