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作品名:空を翔る猿 作者:氷室 龍獲

第11回   ネット=『天史教本』

「じゃあ、面倒だけど自己紹介から始めようか」
 金髪金眼の少女は何事もなかったかのように、こう切り出した。
 今、由樹がいるのは金髪金眼の少女が住む屋敷のとある一室。
 部屋の内装は実に煌びやかで豪奢な飾りと装飾が部屋全体に施されており、またその部屋の半分が本によって埋め尽くしていた。無数の本と書類の山。豪華な内装のわりに無機質な印象を抱かせるこの部屋は、どうやら少女の自室らしい。
 少女はその本と紙面の間に椅子を並べ、二人は向かい合う形で座っている。
「はぁ…」
 由樹が溜息を吐くと、怪訝な表情で少女が冷ややかな視線を向けてきた。
「何か、不満でもあるのかな。とにかく、私はイル・サレイドっていうから。不本意だけどさっきのジジイの孫ね。ジジイの名前はルーファニー。――でッ、私が言いたくもないのに名乗ったのだから、あなたもちゃんと名乗ってほしいんだけど」
 実に攻撃的な自己紹介にイラついて、投げやりに返答してやった。
「羽柴由樹」
 以上。
「じゃぁ、ハシバ。これからこの世界について説明するから。面倒で億劫で私にとっては限りなく他人事に近いから、適当に簡単に説明するね」
「……どーぞ」 
 由樹は覇気がなく、老人のような無気力さで返答し、ダラリと椅子の背もたれに体重を預ける。再び、冷ややかな視線をイルが向けてくる。
「人にものを頼むときは、お願いしますでしょ。何さまのつもりなのかな」
 ぼそり、と由樹は反撃した。
「元はといえば、アンタのせいだろ…」
 う、とイルが言葉に詰まり、視線を逸らしてそっぽを向いた。何だか由樹は悲しくなってきた。何が悲しくて、こんな生意気で小さな女の子に見下されなければならないというのだろうか。更に、由樹は少女を攻撃してみる。自分で撒いた種だ、思いしれッ!
「それに年上は敬うもんだろ。どっちが何さまのつもりなんだよ」
 だが、今回の反撃はイルにも勝算があったのか、ふん、と鼻を鳴らして発言してきた。
「能力もなく無駄に年を食っているものを、敬う必要が何処にあるのかな。そういうのを、役立たず、っていうんだよ。偉い人に年上も年下もないでしょ、無能屑」
「………ぅぅッ」 
 今度は由樹が反論できない番だ。十七年の人生において、人に誇れるものなど何一つないのだから。しいて言うなら、戦略ゲームが得意で、これだけはどんな秀才、天才、誰にも負けたことがないという特技を持ち合わせてはいるが、今まで生きてきて一度も役に立ったことはない。
 ――使えねーッ。俺、ホント、無能屑だよ。
 反論しないで黙り込んだ由樹を見て、ケケケ、と実に面白可笑しくイルが笑ってくれた。
 憎たらしいことこの上ないが立派な誇れる実績が特になく、少女の言う無駄に年を食っているいい例なので、一切反論はできなかったのだ。
「フン、分かればいいんだよ分かれば。ま、喧嘩してばっかりじゃ話も終わらないからね、私が説明して“あげよう”!」
「クッ」
 ふふふ、とイルが勝ち誇った笑みを浮かべた。喧嘩を売ってんのかこの野郎。
 だが、イルの言う通り、このままでは話が全く進まないので理性を総動員して押し黙る。
「んじゃ、説明するよ。まずは、この世界では召喚術があるんだよ。あなたの世界ではないらしいけどね。『天史教本』に書いてあったよ。本当にないの? ないのなら、物凄く原始的な生活をしているんだね、ハシバの世界は」
 由樹はある部分でピクリと反応した。由樹の青筋が額に浮かぶ。聞き捨てならねー。
「………原始的?」
「で、その召喚に必ず必要なものが書くものと座標を理解する『天史教本』ね。了解?」
「無視かよ!」
「ちゃんと聞かないと説明しないよ?」
「どっちが聞いてねーんだよッ!」
 根本的にこの少女はおかしいと由樹は思う。頭のネジがどこか緩んでいるか、抜けているのだろう。絶対に。相手のことなどお構いなしである。由樹もコミュニケーション力はない方だと思うが、この少女の場合コミュニケーション力以前の問題の気がする。
やはりそんな少女は不機嫌な様子で、ちゃんと聞いてよね、と一言だけ文句を言ってから再び説明に戻った。そして由樹の怒りがメラメラと燃え上がった。
「『天史教本』と書くもの、――例えば私の場合は、この血の色のワンド。この二つによって図式を組み立てるの。まあ、召喚術についてはもういいや。そういうのがある、ってことだけ理解できれば問題ないよ。今後この先、もし、ハシバがこっちで暮らすことになっても、魔導師以外は不必要な知識だからね」
「じゃ、気にしなくていいわけね」
「そいうこと。じゃ、次。この世界の地理ね。まず、今私たちがいるここ。この国を“タルデシカ”と言う。正式にはタルデシカ………連邦国だったっけか、あれ、連合? ――まぁいいや、タルデシカ何とか国っていうらしいよ。それでタルデシカと戦争している国、それが“カジミ”と言う。そして、…………」
 と、そこで少女は一旦思わせぶりに言葉を切ったので、由樹は次に内容を期待して見守ったのだったが。
「今後この先ハシバがタルデシカ以外で暮らすことはないだろうから、知らなくていいよ」 
 期待は色んな意味で裏切られる。
「またかよ……。何か、楽しようとして説明してない部分のほうが多くね?」
「いいでしょ、いらない知識なんだから。頭の弱い人は脳を節約した方がいいよ。で、次」
「待って」
「何さ」
「カジミって、国なの? 俺に向かってタルデシカの人たちが物とか投げてきて凄かったんだけど、何て言うのか、その」
 上手く説明できなかったが、カジミという国について由樹は“引っかかり”を覚えたのだ。何故、タルデシカの人々は見ただけで由樹のことをカジミだと思ったのだろうかと正直疑問でもあったし、何かが気に掛かるのだ。
 ふん、とイルは鼻を鳴らして、簡単にカジミについて説明して“くれた”。
「カジミっていうのは、この国と今戦争しているの。つまり、タルデシカの敵。敵国なんだよ。だから、カジミと聞けば、皆殺気だってるからそりゃモノくらい投げつけてくるよ。この国の人ならね。カジミは不思議な国でね、五年前にいきなり力を付け始めたんだよ。今まで、名前もない、小さな集落だったのに。そして、この世界において“二つ目”の言葉が違う国」
「言葉が?」
「そう。ま、そのことはいいよ。でね、今のタルデシカの現状でいうと最低なの。長い戦争で疲弊して、お金もなければ人材もない。つまり、戦争を指揮できる人が前の戦争でほとんど死んじゃったんだよ。大変だよね。それに、昨日見たようにさ、王さまは体の調子を崩していて、王妃はお菓子の食べすぎで肥満体でドラゴン並の体躯を誇っているよ。だから実際に国を動かしているのは、その一人娘リュイ・シンなの。現状で指導者たる人物はほとんどいないから、もうこの国はカジミに乗っ取られるかもね」
 あー大変大変、とイルは他人事のように言う。
 由樹は思考の結果に行き着いた結論をイルへと投げつけた。
「じゃ、俺、タルデシカ以外で暮らす予定もあるってことじゃねーの?」
「ああ、そうだね。じゃあ、カジミの説明もしておこうか」 
少女は実に適当だ。
「……頼むからそうしてくれよ、マジ、アンタ、適当だな」
 分かった分かった、とイルは頷き、簡単に説明した。
「カジミはさっきも言ったようにタルデシカと言葉が違うの。だからハシバを見て、ラドルアスカさまがカジミと間違えたのは無理もないんだよ。だって、この世界で違う言語を話すのはカジミと“コルカ”だけだからね。あとは共通言語だよ。住民たちはラドルアスカさまがカジミだ、カジミだと騒いだからそう認識しただけで、外を普通に由樹が歩いていても話さなければ問題ないと思うよ。まあ、ラドルアスカさまは分かっていて、嫌がらせとしてやった節が強いけどね。十中八九、嫌がらせだね。嫌だね、ねちねちしてて」
「ラドルアスカの話はもういい。先に進め」
「にゅ。なら、カジミの王様の話ね。名前はシノ。こいつが悪の親玉だよ。それでカジミは黒いドラゴンを使う。ん、以上」
「それじゃ説明になってないッ」
 イルは不満げに眉を顰める。
「何が知りたいの。ハシバは頭が悪いんだから不要な知識は節約した方が為になるよ?」
 由樹の怒りが更に燃え上がる。恐らく、完全燃焼までいくとキレルと由樹は思った。
 それでも情報が欲しかったので何とか根性と理性で怒りを跳ね除け、質問する。
「黒いドラゴンのところ。俺、黒いドラゴンに乗ったぜ」
 ああ、とイルは頷き、説明した。
「あれは別格。本来、黒いドラゴンっていうのは凶暴で人を食べるの。だからタルデシカではけして使わない。だって、餌が人なんだよッ? 有り得ないよね。だけど、カジミは人を生贄にしてまで黒いドラゴンを使うの。その破壊力はハシバも知っているように強大だから」
「なら、何でタルデシカに黒いドラゴンが……」
 ……いるんだよ?、と訊く前にイルが手で制した。
「あのドラゴンは別格だって言ったでしょ。黄色のドラゴンと赤い、レッドドラゴンから生まれたから。つまり『変異種』なの。だから、あの黒竜に人食いの性質はないから生かされている。でも、凄く凶暴で手が付けられないんだよ。でも、そんな破壊力のあるいいドラゴンを放っておくのも勿体ない。だから、ラドルアスカさまは昨日ブラックドラゴン、――あ、名前は“グイシン”ね――、そのグイシンを乗りこなすために“竜の谷”に行ったんだけど、ハシバに突き落とされた、と」
「違うッ! 俺は突き落としてなんかいねーぞ、アイツが勝手にッ、俺のことをッ」
「知っているよ。見てたもん」
 くすり、とイルが笑った。
 何故か、ラドルアスカに話が意図的に持っていっているような気がするのは、由樹の気のせいだろうかと思う。
「なるほど。大体、理解した。で、リュイ・シンっていうのは?」
 その人名を出した途端にブリザードのような冷風が由樹を襲った。ブリザードの中心にいるのは、もちろんイルである。冷徹な殺人鬼のような目つきで由樹を睨みつけた。 思わず、びくりと由樹が震える。
「ッハ、そいつはこの国のお姫さまだよ。戦場にも果敢に向かっていき、民衆にも人気がある庶民派の戦うプリンセス=リュイ・シン。でも、身の程を知れって感じだよね。確かに、アンタが戦場に立てば兵士たちの士気が上がるだろうけど、ラドルアスカさまにとってはいい迷惑だと思わない? アンタを守りながらじゃラドルアスカさまは十分に力を発揮できないってのッ! ねぇ? そー思うよね、ハシバ?」
 いきなり話を振られ、由樹は戸惑うばかりだ。それに何なのだ。この女子の妬みみたいないやーな雰囲気は。学校でよくある陰湿な女子同士の虐めみたいだ。
「………ッ」
 呆気に取られていると、イルの小さな眼鏡が輝き、由樹を射抜いた。
「あれ、ハシバ。何で答えないのかな。いやー、まさかだけどリュイ・シンが正しいなんていうんじゃ……ないよねぇ? そんなこと言うとちょっと上空に転移召喚して、ヒキガエルにしてあげようか。ハシバ」
 少女が本気なのを見て取って、思い切り首を横に振った。
 すると幾分満足したのか、少女は上機嫌でリュイ・シンの悪口を言い始める。
「そうだよね。思わないよね。だって、ブスだし、あいつショタなんだよ。ラドルアスカさまは騙されているよ。この国のお姫さまじゃなかったら、ちょっとこっそり呼び出して、〈黒い炎〉でこんがり焼いてあげたのに」
 けけけけ、とイルは何とも楽しそうにその様を想像して笑った。
 由樹はイルの性格を改めた。
 ネジの緩んだヤツから、こいつは、やばいヤツへと。
 しかし、イルの悪口はまだ続く。
「リュイ・シンって髪は真っ黒だし、短いし、本当にブスなんだよ。それでラドルアスカさまによく会えるよね。ちょっとは手入れしなよ。見っともないよ。恥ずかしいよ。だってさ、……」
更に、続く。
 更に続いて、続いて、それから三時間、由樹はリュイ・シンの悪口を聞かされ続けた。
 その辛辣な悪口の内容から、確かに分かったことが三つだけある。
 一つ、イルがラドルアスカのことを好きだということ。
 二つ、ラドルアスカはリュイ・シンのことを好きということ。
 三つ、リュイ・シンは小さな男の子が大好きな幼男趣味ということ。
 イル→ラド→リュイ→幼い男の子→『?』
 究極の一方通行だ。
 このとき由樹は、この究極の一方通行に自らも組み込まれるとは予想もしていなかった。


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