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作品名:空を翔る猿 作者:氷室 龍獲

第10回   関するルーファニーとロナとイル

 天井が違った。

 今日、目が覚めて最初に思ったことは、自分の部屋と天井がこことは違うということだった。自分の部屋の黄色いざらついた壁が妙に懐かしい。この部屋の天井は綺麗だったが、硬質な印象でやけに無機質だった。暫し、そんなことをだらだらと考えていると、寝ぼけた曖昧な頭が昨日の出来事を明確に思い出していった。
 そうか、俺は別の世界にいるのだ、と。
 別の世界。
 つまり、地球ではない別の何処か遠く離れた世界のこと。
 そこは由樹にとって意外にも辛い場所であった。親などこの年になれば、もうほとんど他人だったというのに。当てになどしないし、頼ることもあまりしない、相談事をしたりもしない、友達よりも遥かに疎遠なのが、正常な17歳の親との距離だと思う。所謂、反抗期というヤツのだろうか。中学生くらいになってから、急に親が疎ましくなった。
 最近では更に、圧倒的に親が疎ましいことのほうが多いというのに、昨日からは何故か脳裏に両親の顔がちらついた。久しぶりに顔が観たくなってしまったのだ。
親と隔絶されることが、こんなにも辛いことだとは由樹は知らなかった。
 修学旅行や友達の家へ止まりに行くのとは違い、この異世界からは親の元へ好きな時に、都合の良い時に帰れなという、たったそれだけの違いが無性にきつかった。
 辛いと感じること自体に驚いたのだ。やはり、どんなに親など必要ない、一人で生きていけると粋がった所で、本当に自分の力だけで世の中に立ったことはなかったのかもしれないなと実感した。
「はぁーあッ、眠ッ。だるッ」
 それも今日で終わりだと気分を明るくしようと努める。のそり、と緩慢にベッドから起き上がって、高校の特にこれといった特徴もない平凡な制服を手に取った。
 と、そこで、コンコン、と小気味よくドアが叩かれ、シダの声が響いてきた。
「お目覚めでしょうか」……、と。
 こんな朝っぱらなら何か用かよ、と眉間に皴を寄せ、不機嫌に由樹は返答する。
「お目覚めですよ。けど、着替え中なんで入ってこないでください。どうぞぉ」
 最後のどうぞは、トランシーバー風に付け足しておいた。
 当然だが彼女にその茶目っ気は通用しなかった。
「いえ、お着替えならば、私がお手伝いいたします。仕事ですので」
 有無を言わせず、シダは部屋に入ってきた。その突飛な行動に由樹は驚愕する。
「ひ、」
 思わず、悲鳴を上げてしまって後悔した。黒服の召使・シダの目じりから液体が滲みでた。昨日の出来事が見事に再現される。みるみる涙が瞳から溢れ、ボロボロと零れ落ちた。
「何でしょう。……そんなにも、私の事がお嫌いなのでしょうかっ」
 慌てて由樹は否定する。朝っぱらから女の人を泣かすなんて、目覚めの悪いことはない。
「そ、そんなことないデス、ハイ」
 すると、シダのパッと表情が一遍し、「では、お着替えを手伝ってもよろしいのですね?」とそれはもう嬉しそうに言った。
「よろしいですよ。嫌だけど」 
「何か仰いましたか」
「な、何も」 
 慌てて首を横に振った。
 由樹は心の中でシダを百回半殺しにした。
 
 黒服の召使、シダの手際は実に効率的だった。
 制服などこの世界にはないだろうに。それでも初めから着方を知っていたかのようにテキパキと由樹に着用させていった。やはり、王様のメイドともなると優秀な人材が着任するのだろうと思った。
「シダさんは王様の召使さんなんだよね」
「そうでございます。それが何か関係があるのでしょうか」 
 少し口調に棘がある気がした。
「いや、昨日さ、王様が倒れた時にいたのを見かけたから。それで一番近くにいたから、それで優秀な人なんだなって、思って」
「王は優しいのでございます。だから、私のような“優秀でない”者も近くに置いてくださるので…………ございます」
 最後は消え入るようなか細い声だった。どうやら由樹は彼女のいらん傷を抉ってしまったらしい。話題を変えようと思った由樹はシダの身に着けている指輪に着目した。
 これならいいだろう。女性を褒めるときに、顔とスタイルと髪型と目と宝石を褒めると大抵は喜んでくれるものだろう。
「その、紫色の指輪綺麗ですね」 
 ――うん、いい感じだ。決まってる。
「……そうでしょうか」
 褒めたというのに何やら彼女は暗い。まさかだが、死んだ両親の形見だとか言い出すんじゃないだろうな。由樹は不安になって喋りだした。
「き、綺麗だよ。何か、俺の首に付いている異世界の言葉を話せるコインと似ているよな。お、お揃いだな。お揃い」 
 ――な、何を言っているんだ、俺は。
 由樹は混乱している。
 しかし、シダはキッと由樹のことを睨みつけた。本当に、形見だったのだろうか。
 ――どうしよう……ッ。
「この、指輪は、別れた恋人がくれたものなのです。未練がましい女とお思いでしょう。ええそうですとも。私は、私は惨めな女なのです。未だに初恋を引きずる、愚かで矮小な女なのですッ」
 シダはそれから大声でわんわんと泣き始めた。もちろん由樹の顔色は蒼白だ。
「す、すみません。本当にすみませんでした。以後、指輪には一切触れませんからッ!」
「ほ、本当でしょうか。このことは皆には”秘密”ですよ? 私とあなただけの”秘密”なのです。いいですか?」
「………はい」
 誰がこの状況で嫌だね、なんて言えるだろうかと思う。いや、と由樹は考え直した。金髪金眼の少女ならば言うかもしれないと。アイツなら言う。もっと酷いことを言うかもしれない。例えば、莫迦じゃないのさっさとそんな指輪捨てなよ、とか。
 シダは由樹が本当に言わないと固く誓ったのを見て取ると、にこりと可愛らしい笑みを浮かべた。
「では、お支度が整いましたので、イルさまのいらっしゃる召喚場へとお急ぎください。これでは遅刻でございます。イル様は時間に五月蝿いお人なのです」
 また、さらに由樹は異世界が嫌いになった。
 無駄だと理解しつつも、反論してみた。
「でも、遅れたのはアンタのせいだろ」
「何か?」
「いえ、何でもないです。何でも」
 由樹はシダを心の中で、宇宙の彼方へぶっ飛ばした。
 もう異世界なんてこりごりだ。

 “召喚場”という巨大なドーム状の建物に着くと、金髪金眼の少女と老人がドーム全体を使って、大きく難解な図形を画いていた。ドームの壁には何故か、真新しい大きな焦げ目が付いていた。焦げ後からは煙が線になってと立ち込め、本当にたった今まで熱を帯びていたようだ。
 ――こんな室内で火でも焚いたのか? 
 疑問に首を傾げつつも、少女と老人に注意を戻した。難解な図形を画いているのは少女一人だけで、老人はただ口を挟むのみだった。図形は大きさも凄いが複雑さも凄い。金色の格子が入り乱れ、常に金属音を響かせていた。
 一人、楽をしていた老人がこちらの様子に気が付き、話しかけてきた。
 少女は一人由樹の為に今も奮闘中のようだが、そちらは放っておいていいのだろうかと思う。
「異国人。昨夜はよく眠れましたかな」
「まあまあかな」
 それは良かったと、老人は穏やかに微笑む。由樹は老人に尋ねた。
「あの……。俺は帰れるんですか?」
「もちろん。帰喚の方法が分かったからこそ、こうして図式を立ち上げておるのです」
「ですよね」
 ルーファニーの言葉に少女が、
「立ち上げてるのは私なんだけど。ジジイは何もしてないでしょ。言葉に気をつけてよね」
 言わなければいいのに、文句を垂れた。
「イルッ! お客人の前でその態度は何だっ。爺様に謝れ!」
 ぶつぶつと二人は文句を言い合ったが、これ以上喧嘩されても困るので遮るように由樹は割って入る。
「あの。何で二人して協力してやんないんですか。俺、早く帰りたいんスけど」
 二人で書けば効率もいいはずである。だが、二人はお互いを見ようとしないばかりか、お互いを全く手伝おうとも協力しようとする気配すらもない。精々が口を挟むくらいだ。
 表面上だけは、にこやかにルーファニーが疑問に答えた。
「二人でやっても大して成果が上がらないばかりか、どちらか一方がミスをすると最初からやり直しで、喧嘩になって先に進まないことが判明したから止めにしたんですよ。一人のほうが、むしろ作業効率がいいのですよ」
「ミスする度にジジイと喧嘩になってね」
 ふん、と不機嫌に少女は鼻を鳴らした。
「なるほど。じゃあ、この図形が完成したら、俺は帰れるわけね、良かった」
 その言葉にピクリと二人が反応する。ピクリというより、ギクリといった感じだった。
 二人の怪しい態度に由樹は狼狽する。
「――え、何。やっぱり俺、帰れないの」
 急に不安になってきた。
 だって、そうだろう? 
 一生、このまま訳も分からない世界にいるなど耐えられそうにない。ドラゴンに魔法に戦争な知ったことではない。どちらかというと由樹は本物よりテレビゲーム専門である。ブラウン管を通したほうが絶対的に安全だ。
 狼狽する由樹を前に、ルーファニーが重い口を開いた。
「帰れます。しかし、今直ぐには帰れません」
「どういうことだよ」
 少女と老人は顔を見合わせ、結局、口を開き、説明したのは少女のほうだった。
「昨日、ジジイと二人で『天史教本』を開いて探したんだよ。屑を帰す方法をね。けど、そこで問題が生じたんだよ。それは図式を立ち上げても、帰喚できるのが何時か分からないということ。通常の図式では現在の召喚した物の座標を書き込んで、元いた場所の座標を書き込み、召喚した時と逆の図式を描けば、それで事は足りるんだよ。けど、あなたの場合は、元の図式が滅茶苦茶。最初の図式すらも明確ではない。だから、全く別の世界に帰してしまう場合があるから、危険なんだよね」
「あー、よくわかんね。もっと俺にも分かるように説明しろよ。全然分かんねーよ」
 少女はふん、と見下したように鼻を鳴らし、説明を続けた。
「ここからが『天史教本』で調べたこと。もちろん。失敗したことによって、こういうことは起こる。でも、あなたの場合もっと特殊なの。普通は召喚したら、図式は消える。でも、あなたの図式は壊れたまま消えずに今も召喚場に存在している。だから、これを利用すれば、帰すことも可能だと思うんだけどね。で、今、私が一人で座標を補修しているわけ」
「問題ないじゃん」
「“で”、問題なのが、とりあいず座標を逆に書き込んでいるわけなんだけど、その帰すタイミングが何時になるか、予測が付かないんだよね。大抵は決まっているから、自動的に起こるんだけど、あなたの場合は初めてだからね。もしかしたら、こっちで用を足しているとしき、突然召喚されるってことも有り得るし、また、あなたが寿命を終える最後の一瞬で召喚され、元の世界に帰るなんてことも可能性としては、十分有り得るんだよ。ね、問題でしょ?」
 ね?、って、そんな可愛らしく言われても。その説明で由樹は真っ青になる。
 少女の言う場面をリアルに想像してしまったのだ。
 例えば、こっちで用を足している最中に、高層ビルの真下に出現するズボンを下ろした変態男。死ぬ最後の瞬間に、高層ビルの真下に出現する老人の死体。他にも色々嫌な可能性は考えられる。風呂に入っている最中に召喚され、素っ裸で高層ビルの真下に出現する露出狂とか、こっちでこのまま人生を送って例えば大人になった由樹の子どもが生まれるなんて特別な日に召喚されて永遠に子どもと離ればなれ、とか。
「マジ……? つまり、帰れるには帰れるけど、何時帰れるかは分かんないってこと?」
「そういうことになるね」
 こくこく、と少女は気軽に頷く。
「冗談じゃ、ねーよっ! 何とかなんねーの」
「まあ、方法は探してはみるけどさ。このあなたをこの世界に呼んだ図式はある意味特殊だからね。この図式があなたの世界とこっちの世界を繋ぐ、扉のようになっているんだよ。けどね、他の図式は違う。ゲートは直ぐに閉じるんだよ。けど、あなたのはゲートが開きっぱなし。だから、行き来自由くらいの芸当は理論上では可能なんだよ。まあ、そう悲観的にならなくても、明日には方法が見つかってるよ」 
「アンタ、昨日もそういったじゃんッ!」
 そうだっけ?、と少女は首を傾げる。
 最低だ。最悪だ。とにかく、英語のテストどころの話ではなくなってしまった。運が悪いと、最悪ここで一生を終えなくてはならないらしい。また、上手く帰れたとしても、破廉恥罪で逮捕されてしまうかもしれないのだ。
 うじうじと己の思考に没頭していると、少女が話しかけてきた。
「だから、そんなに悲観的になる必要はないよ。『天史教本』で調べた結果なんだけど、あなたのお仲間もいるはずだから」
「俺の仲間?」
「そ。あなたの世界では“神隠し”と呼ばれているみたいだけどね。こっちじゃ、あなたの世界から間違って召喚しちゃうことなんて、珍しくもなんともないんだよ。召喚術はやればやるだけ失敗も起こる。だから、その分変なところから変なものも召喚しちゃうんだよ。とりあいず、『天史教本』に迷い込んできた人が一生帰れなかったなんてことは書いてないから、平気だよ」
「……か、神隠し」
 何だか、泣けてきた。由樹がいる世界では神隠しに会うと帰って来られないものである。
「それ、本当の話なのかよ」
「多分」
「………」
 多分とは、全く、説得力に欠ける返答だ。
「まあ、暫くこっちに滞在するかもしれないんだし、この世界のこととか知っておいたほうがいいんじゃない?」
 と少女は言い、それにルーファニーが、
「そうだな。イル。お前が教えて差し上げなさい」
「何で、私がっ。嫌だよ、面倒臭い」
「お前が失敗したんじゃろ。潔く責任を取らんかい」
「私が失敗する破目になったのはジジイが邪魔したからだよ。金をくれなきゃ嫌だね。無料でなんか誰がやるのさ、絶対嫌だよ」
「イルッ!」

 次の瞬間、二つの召喚術が炸裂し、壁に焦げ目を造った。由樹は壁が焦げていた理由を初めて知った。
 ……もう、本当に異世界なんて嫌だ。嫌いだ、大嫌いだッ!

 * * *

 そこは、とある部屋の一室だった。
 豪奢な家具が揃い、その内装は綺麗に装飾され、部屋に住む主が金持ちだということが窺えるそんな部屋。この部屋は貧乏国タルデシカのものではない、敵国カジミの部屋だった。カジミの専属魔導師のその部屋には、今、二人の人影があった。
 一人は綺麗な金髪に美しい金眼を持つ女。そして、もう一人は地味な普通の人間。
 金髪金眼の女はもう一人の人物に向かって、手加減なしの平手を打ち込んだ。
 ぱぁんっ、といういい音がその豪奢な部屋に響いた。
 金髪金眼の女が狂気を宿した瞳を爛々と輝かせ、怒鳴り散らす。
「あれ程、キング級の召喚式は”中途半端に”破壊するなと、言ったのにッ! それをっ」
 再び、平手が地味な人物の顔に飛ぶ。
「この役立たずがっ!」
「……申し訳ありません」 
 平手を打たれた人物は消え入りそうな声で謝罪した。
 ふん、と金髪金眼の女は鼻を鳴らし、こう続けた。
「で、状況はどうなの? 異世界から来たっていう、その男はどんな能力を持っていたの」
「それが、まだ分からないのです。それにもう、帰りたいとそればかりで…」
「何ッ。なら、あの子はまだキング級の召喚式の秘密に気が付いていないの?」
「ええ、恐らくは」
 途端に金髪金眼の女の口元が歪み、高々に笑いしだした。
「天才が聞いて呆れるわ。そう、あの子は気が付いていないの」
「はい。その異国人を元の世界に帰そうと必死になっています」
「そう。ふふッ。ならば、放っておきなさい。あたしはてっきり、秘密に気が付いたのかと思って、焦ってあなたに破壊工作を頼んだけど、あたしの早とちりだったようね」
「その用ですね。あなた様こそが英雄の子孫。天才の後継者。唯一の天才です」
 にやり、と金髪金眼の女は歪んだ笑いを返す。
「キング級。一つの島ほど大きく、一つの島を滅ぼすほどの力があり、一つの島のどの生物よりも高度な知能を持つ。しかし、誰もが召喚できたことがない失敗ある図式。ふふ。では引き続き、可愛い我が子と父上の様子。――詳しく聞かせてね」
 金髪金眼の女に命じられたその人物は恍惚とした表情を浮かべ、承諾した。

「はい。……ロナさま」


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