はじめに:この作品は、『ダ・ヴィンチの福音書』の外伝になります。
ですので、『ダ・ヴィンチの福音書』を先に読まれることをお勧めします。
少なくとも、『ダ・ヴィンチの福音書』の第三章の 「洗礼ヨハネとマリヤとエリヤ」までは、先に読んでください。 そうでないと、理解に苦しむかも。
歴史のカテゴリーの中にありますので、何卒よろしくお願いします。
※本文内に、引用した日本語聖書は、財団法人日本聖書協会の口語訳です。 (C)日本聖書協会 Japan Bible Society, Tokyo 1954,1955
『ダ・ヴィンチの福音書 外伝 洗礼者ヨハネ』
T.主を待つ者
ルカによる福音書 第一章五七節〜八○節 【 さてエリサベツは月が満ちて、男の子を産んだ。 近所の人々や親族は、主が大きなあわれみを彼女におかけになったことを聞いて、 共どもに喜んだ。 八日目になったので、幼な子に割礼をするために人々がきて、父の名にちなんで ザカリヤという名にしようとした。 ところが、母親は、「いいえ、ヨハネという名にしなくてはいけません」と言った。 人々は、「あなたの親族の中には、そういう名のついた者は、ひとりもいません」と彼女に言った。そして父親に、どんな名にしたいのですかと、合図で尋ねた。 ザカリヤは書板を持ってこさせて、それに「その名はヨハネ」と書いたので、みんなの者は不思議に思った。 すると、立ちどころにザカリヤの口が開けて舌がゆるみ、語り出して神をほめたたえた。 近所の人々はみな恐れをいだき、またユダヤの山里の至るところに、 これらの事がことごとく語り伝えられたので、聞く者たちは皆それを心に留めて、 「この子は、いったい、どんな者になるだろう」と語り合った。 主のみ手が彼と共にあった。 父ザカリヤは聖霊に満たされ、預言して言った、 「主なるイスラエルの神は、ほむべきかな。神はその民を顧みてこれをあがない、 わたしたちのために救の角を僕ダビデの家にお立てになった。 古くから、聖なる預言者たちの口によってお語りになったように、 わたしたちを敵から、またすべてわたしたちを憎む者の手から、救い出すためである。 こうして、神はわたしたちの父祖たちにあわれみをかけ、その聖なる契約、 すなわち、父祖アブラハムにお立てになった誓いをおぼえて、 わたしたちを敵の手から救い出し、 生きている限り、きよく正しく、みまえに恐れなく仕えさせてくださるのである。 幼な子よ、あなたは、いと高き者の預言者と呼ばれるであろう。 主のみまえに先立って行き、その道を備え、 罪のゆるしによる救をその民に知らせるのであるから。 これはわたしたちの神のあわれみ深いみこころによる。 また、そのあわれみによって、日の光が上からわたしたちに臨み、 暗黒と死の陰とに住む者を照し、わたしたちの足を平和の道へ導くであろう」。 幼な子は成長し、その霊も強くなり、そしてイスラエルに現れる日まで、荒野にいた。 】
彼の名は、ヨハネ。バプテスマのヨハネとも呼ばれている。 父ザカリヤは祭司を務め、母エリサベツはアロン家の娘である。 両親ともに、恵まれた家系であり、神の御前に正しく生きていた者であった。 エリサベツは不妊で年老いていたが、天使ガブリエルの祝福を受け、彼を産んだ。 その妊娠と出産に至る奇跡の話は、ユダヤの山里の至るところに語り伝えられていた。 ヨハネは、幼い時から両親や周囲の者から深い愛情を注がれ、教育を受け、何不自由なく暮らすことができた。
しかし彼には、産まれる以前から、使命が課せられていた。 それは、いつか来られる『主』の行かれる道を備える使命であった。 彼は物心つく以前より、母から毎晩聞かされていた話があった。 それは、天使ガブリエルによる印を受けた証し。 ヨハネの出生にまつわる話と、母の従姉妹マリヤから生まれる『主』の話であった。
それは彼が5歳の誕生を迎えた頃だった。 毎晩聞かされていた、それらの語は、母エリサベツの口から語られなくなった。 エリサベツだけでなく、父ザカリヤも、館の者も、誰も口にしなくなった。
彼は、恐る恐る一度だけ母に問うたことがあった。 「『主』は、あのイエスなのですか?」 母は答えた。 「私が見た印は、間違いであった。マリヤの子が神の印を受けた子であるはずがない。」 彼は問うた。 「私は何者なのですか?」 母は答えた。 「あなたは、まぎれもなく、神による印を受けた子。主の道を備える者。」 彼は問うた。 「では、私の『主』はどこにおられるのですか?」 母は何も答えられなかった。
だが、彼にはその答えだけで充分だった。 母エリサベツの言うように、『主』がイエスのはずではないと、彼も思っていたからだ。 イエスが神による子であるはずがない。神がそんな業をするはずがない。 私が使えるべき『主』は他にいて、その方はきっといつか来られる。 彼はそう信じた。
そして彼は、荒野で寝食をすごし、神に祈りをささげ、自らを律する生活を続けた。 心の迷える者を導き、癒しを与え、水によるバプテスマを授けていた。 彼の行いは、ユダヤの町々に伝えられ、多くの者が従うようになっていった。 ユダヤの人々は彼を指して、こう噂した。 「彼こそが、救い主にちがいない。」
その日も、ヨルダン川で多くの人々がバプテスマを受けようとヨハネの周囲を取り囲んでいた。 一人の男が、ヨハネから受けたバプテスマに感謝の声をあげた。 「あなたこそ、救い主。神が選ばれたお方でしょう。」 ヨハネは言った。 「私は水でバプテスマを授けるが、私よりも力のあるかたがおいでになる。私には、そのくつのひもを解く値打ちもない。そのかたは、聖霊と火とによって、あなた方にバプテスマをお授けになるであろう。」 「何をおっしゃるのです。あなたが、そのお方ではないのですか?」 「いや、私ではない。だが、喜ぶがよい。まもなくこの地にそのお姿を現しになるであろう。」
ヨハネは声高らかに、周囲の人々に『主』の証しをした。 それを聞いていた者達は、あっけにとられていた。 人々の反応が、あまりに緩慢なのに苛立ちを覚えたヨハネであったが、川岸に弟子の姿を見つけると、彼はすぐさま人々をかきわけ川から上がって弟子に駆け寄った。
「待っていたぞ!」 「一体、どうされたのですか?まだ貴方を必要としている人が残っておられるではありませんか?」 「それどころではないのだ!」
ヨハネのその顔は、先ほどまで民に接していた時の神妙な顔ではなく、子供のような無邪気な満面の笑顔であった。
「ついにこの時がきたのだ!今朝、神の声を聞いたのだよ。近く、神の小羊がこられる!」 それを聞いた弟子は、目を見開いた。 「・・・!。私たちが待ち望んでいた『主』が、来られるのですね!」 「そうだ!」 「それで、どこに来られるのですか?」 途端に、ヨハネは困惑した表情を見せた。 「・・・いや、それ以上のことは何もわからないのだ。どのような方なのか見当もつかない。若いのか年長なのか、どこにおられるのか・・・。神はそれ以上のことは何も語られなかった。貴方は何か感じてはいないか?」 「いえ、まだ何も。」 「そうか。何か別の知らせをあなたも受けているのではないかと思ったのだが。主はどこにおられるのであろうか。いや、私などに『主の道を備える』などと大それた役目を果たすことができるのだろうか。」
「貴方は選ばれたお方ではありませんか。神の小羊は、出会った瞬間に判るはずですわ。」 「・・・そうだな。そう信じよう。貴方に初めて会った時のように、きっと判るはずだ。」 ヨハネは弟子の目を見つめた。 「どれほどこの時を待ったことか。誰もが、神からの言葉を夢物語のように忘れていく中、一人待ち続けるのはとても孤独だった。自分の存在価値を見失いかけていた頃、神から主の印を受けていた貴方に出会えたことが、どれだけ私の励みになったことか。」 「私も、主を待つ者の一人だったにすぎません。」 「これからも共に・・・主を支える力となってほしい。」
弟子は満面の笑みをヨハネに返した。 「もちろんですわ。」 「ありがとう。マリヤ。」
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