第五章 『モナ・リザ』
「それは『モナ・リザ』ですね。」 「その名は後の人が勝手につけた名にすぎない。この絵が残っているのもその名ゆえかもしれんので、無下に否定するわけでもないがね。」
「絵のモデルはジョコンド婦人というのが一般的に広まってますけど、実際どうなんでしょう?」 「ジョコンド婦人がモデルといわれても致し方ないだろう。発端はそうだったのだから。彼は、確かに依頼を受けて彼女の自画像を描いた。でも、この絵は彼女ではない。」 「?」
「ジョコンド婦人の自画像は別にある。彼は自画像を完成させて、代金と引き替えに納品をすませておる。この絵は、その後に彼が好きに描いたもう1枚の方だ。絵を描くということは、ただ表面的に外見を写し取れば良い作品とはいえない。その人の本質を表現せねばならん。彼は、婦人の肖像を描く前に彼女の生い立ちを聞き取っていた。そして彼は、ジョコンド婦人にマリヤの姿を重ね合わせてしまったのだ。彼女もまた、子供を幼くして亡くしてしまっていたからね。そして、マリヤの自画像を描きたいと思うようになったのだ。それが『モナ・リザ』の発端だ。」
「この絵は、ずいぶん長い期間をかけて描かれて、彼は最後まで手放さなかったんだからずいぶんとマリヤに思い入れがあったということですよね。」
「最初の頃は、それは苦心したさ。ジョコンド婦人のイメージの上に描いたが、それではジョコンド婦人の肖像にしかならない。彼女の内面はマリヤを彷彿とさせるものがあるのだが、やはりマリヤ自身ではないからね。なかなか納得のいく絵にならんかった。マリヤにこの目で会ってみたい。と、夢みたいなことを毎晩願ったのだよ。」
「・・・文献や先人らの伝説からマリヤを想像するしかなかったわけですね。」
「まあ当初はそういうことだ。その中でも、彼は黙示録を表現したかったわけだ。彼女は黙示録に象徴的に出ているからね。」
ヨハネの黙示録 第一二章一節〜一八節 【 また、大いなるしるしが天に現れた。ひとりの女が太陽を着て、足の下に月を踏み、 その頭に十二の星の冠をかぶっていた。 この女は子を宿しており、産みの苦しみと悩みとのために、泣き叫んでいた。 また、もう一つのしるしが天に現れた。見よ、大きな、赤い龍がいた。 それに七つの頭と十の角とがあり、その頭に七つの冠をかぶっていた。 その尾は天の星の三分の一を掃き寄せ、それらを地に投げ落した。 龍は子を産もうとしている女の前に立ち、生れたなら、その子を食い尽そうとかま えていた。 女は男の子を産んだが、彼は鉄のつえをもってすべての国民を治めるべき者である。 この子は、神のみもとに、その御座のところに、引き上げられた。 女は荒野へ逃げて行った。そこには、彼女が千二百六十日のあいだ養われるように、 神の用意された場所があった。 さて、天では戦いが起った。ミカエルとその御使たちとが、龍と戦ったのである。 龍もその使たちも応戦したが、勝てなかった。 そして、もはや天には彼らのおる所がなくなった。 この巨大な龍、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経たへびは、 地に投げ落され、その使たちも、もろともに投げ落された。 その時わたしは、大きな声が天でこう言うのを聞いた、「今や、われらの神の救と力と国と、 神のキリストの権威とは、現れた。われらの兄弟らを訴える者、夜昼われらの神のみまえで 彼らを訴える者は、投げ落された。 兄弟たちは、小羊の血と彼らのあかしの言葉とによって、彼にうち勝ち、死に至るまでもその いのちを惜しまなかった。 それゆえに、天とその中に住む者たちよ、大いに喜べ。しかし、地と海よ、おまえたちはわざ わいである。悪魔が、自分の時が短いのを知り、激しい怒りをもって、おまえたちのところに 下ってきたからである」。 龍は、自分が地上に投げ落されたと知ると、男子を産んだ女を追いかけた。 しかし、女は自分の場所である荒野に飛んで行くために、大きなわしの二つの翼を与えられた。 そしてそこでへびからのがれて、一年、二年、また、半年の間、養われることになっていた。 へびは女の後に水を川のように、口から吐き出して、女をおし流そうとした。 しかし、地は女を助けた。 すなわち、地はその口を開いて、龍が口から吐き出した川を飲みほした。 龍は、女に対して怒りを発し、女の残りの子ら、すなわち、神の戒めを守り、 イエスのあかしを持っている者たちに対して、戦いをいどむために、出て行った。 そして、海の砂の上に立った。 】
「この一二章に出てくる、男の子を産む女は、マグダラのマリヤの事だ。彼女は、子と共に荒野(異国の地)へと逃げるしかなかったのだ。その時、マリヤを異国の地に逃がしたのが、アリマタヤのヨセフと、十二弟子のヨハネだ。ヨハネのアトリビュートは『鷲』に『蛇(龍)の巻き付いた杯』だ。へびは女の後ろに水を川のように、口から吐き、女をおし流そうとするが、地はその口を開いて川の水を飲みほすのだ。彼はこの部分をモナ・リザの背景にとりいれたということだ。つまりこういうことなのだよ。」
先生は持っていた『モナ・リザ』のページを、遠慮もなくまっぷたつに引き裂いた。
「ちょ!ちょっと!その本は!」 「見たまえ」
先生は自慢げに、縦半分に裂いたモナリザの切れ端を、反対側に重ねあわせたみせた。 モナ・リザの背景については、右と左の高さが違うとか、半分を左右逆にしてつなげあわすと風景がつながる、とかいう話は俺もすでに知っていた。
「背景がずれているのは既に見破られているだろう。だが、なぜそうしたかの理由までには至っていなかったがね。」
「・・・黙示録ですか。」
「その通り、地はその口を開いて川の水を飲みほす。黙示録を表現するために施した仕掛けだよ。」
先生は、破ったページをはさみこんだまま、パタンと本を閉じて、こちらに手渡した。
・・・この本は借り物なのに。 内心文句が出そうだったが堪えて、もう一度破り方を確認しようと本を開いた。 セロテープでうまく誤魔化せるだろうか?
「え?・・・あれ?」
『モナ・リザ』のページは元通りになっていた。 どこも破れていない。どうして?
「私は人を驚かせるのが大好きでな。」
・・・この人は手品師か?
「荒れ地に橋を描いたのにも意味がある。神の助けだけではマリヤと小羊を救うことは できない。人々の助けが必要だといいたかったのだ。」
「でも、ちょっと待ってください。マリヤをはなぜ、荒野に逃げねばならないのですか?あなたの考え通りなら、ペテロは、イエスからマリヤを養うように託されたわけでしょ?」
「ペテロは、イエスに託された三つの使命のうちの、『羊を飼う』ことは果たした。だが、『羊と小羊を養う』ことは途中で放棄したのだよ。」
「なぜですか?」
「一つの理由は、彼女がサマリヤ人であったからだ。小羊、つまりはイエスの後継者といっても、サマリヤ人の血を半分、分けた者だろう?ユダヤの民が、彼女らを受け入れられると思うか?イエスの亡き後、教えを引き継ぎ教会を発展させていくにあたって、彼女らの存在は問題の種でもあったわけだ。」
「だけど、半分はイエスの血を引いているわけでしょ?」
「・・・・。歴史上からイエスの妻の足跡が失われたことは確かだ。別の理由は、やがて悟るだろう。」
・・・別の理由?
「話を戻そう。『モナ・リザ』は、背景だけでなく彼女自身にも、黙示録の要素が加わった。黙示録とは、再臨に関する預言書でもあるのだ。旧約聖書のアダム・エバの再臨が、新約聖書のイエスとマリヤだ。そして、イエスとマリヤがまた別の姿をもって未来に再臨する。それが黙示録だ。この絵の彼女が、黒い喪服を着ているのは、実の子を亡くしたためだが、妊娠しているかのように描いたのはマリヤは再臨した後に、再び小羊を産むということを示したメッセージなのだよ。」
「未来って、いつですか?」
先生は再び遠くを見やって深くため息をついた。
「蛇があまりに狡猾で、誰の目にも真実が見えなくされておる。やっかいな時代だよ。私はあの『印』を目撃したとき、神の計画が生きていることを確信したというのに。この国は、滅ぶべき運命にあったのが、小羊の祈りによって、生かされているという事も悟らない。」
・・・話している意味がよくわからない。『印』って何のことだ?
「ダ・ヴィンチにとって、彼女は人生のすべてだったのだ。愛していたのだよ。過去の彼女を救えなかったことを悔やんでいたのだが、未来に再臨することを知り、今度こそ彼女を救いたいと願っているのだ。」
先生が何を言っているのか、よくわからなかったが、黙ってただ聞いていた。 何か口をはんではいけないと感じていた。
「さて、原点に戻るとするか。」 「はい?」
「君が、『最初に見たもの』についてだよ。『最後の晩餐』には、もう一つアナグラムが存在する。」
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