第三章 『洗礼ヨハネ』とマリヤとエリヤ
「次に、彼女が『エリヤ』であるという話しだ。彼女は洗礼ヨハネに劣らず神から権威を授かっていた女性だったのだ。もし洗礼ヨハネが、イエスを証しする使命を全うしていたのであれば、彼が『エリヤ』であったろう。洗礼ヨハネは最初はイエスを神の子であると証しした。しかし、その後に彼はイエスにつまずいたのだ。その結果が、ヘロデの娘による斬首だ。」
「『エリヤ』は洗礼ヨハネだと、イエス自身が証ししていたはずです。」
マタイによる福音書 第一一章一0節〜一四節 【 『見よ、わたしは使をあなたの先につかわし、 あなたの前に、道を整えさせるであろう』 と書いてあるのは、この人のことである。あなたがたによく言っておく。 女の産んだ者の中で、バプテスマのヨハネより大きい人物は起らなかった。 しかし、天国で最も小さい者も、彼よりは大きい。 バプテスマのヨハネの時から今に至るまで、天国は激しく襲われている。 そして激しく襲う者たちがそれを奪い取っている。 すべての預言者と律法とが預言したのは、ヨハネの時までである。 そして、もしあなたがたが受けいれることを望めば、 この人こそは、きたるべきエリヤなのである。 】
「洗礼ヨハネは大きい人物として生まれたが、天国では最も小さい者となってしまっていることからみても、洗礼ヨハネがその使命を失敗したことが読み取れる。」
「でも、この章節の中でも『この人こそは、きたるべきエリヤ』と言っていますよ。」 「『この人』は、洗礼ヨハネを指して言ったのではないのだよ。」 「は?」
「人々に語るイエスの隣りには、マリヤがいたのだよ。イエスは、隣りのマリヤを指して『この人』と言ったのだ。洗礼ヨハネは私につまづいたと。そして、洗礼ヨハネの代わりに、主の道を整える者(エリヤ)は、『この人』マリヤである。と言っているのだ。」
「・・・マリヤが隣りにいるって、どう証明できるんです?」 「では、マリヤが隣りにいない、とも証明できはしまい?」
これでは、押し問答だった。何も言えなかった。彼が先に口を開いた。 「もう一度、一0〜一四節の言葉を読み返しなさい。洗礼ヨハネは、『バプテスマのヨハネ』となっていて、その代名詞も『彼』になっているだろう。『この人』は区別されているのだ。」
「・・・仮にですけど。もしもマリヤがエリヤだったなんて言ったら、とんでもないことになってしまいますよね。マリヤは、サマリヤ人でしょ?それに、そもそも教会はイエスの妻の存在は認知してないわけだし。」
「その通りだ。とても複雑な話になってくるのだ。だがダ・ヴィンチは、マリヤが第二のエリヤだと見抜いていたのだよ。」 「ダ・ヴィンチが?」
先生は、手にしていた美術書をめくった。そして、一枚の絵でとまった。
「それは『洗礼ヨハネ』の絵ですね。」 「この絵を見て、君は何を感じるかね?」 「自分が、抱いていたイメージと違います。洗礼ヨハネって、荒野で修行した人でしょ。もっと野性的な人かと思ってました。でも、彼の描いた洗礼ヨハネは、確かに体は男性ですが、顔や髪型が女性ぽいですよね。モナ・リザのように中性的っていうんですか。」
「ダ・ヴィンチは、エリヤの使命をもった者が二人いたことを残したかったのだよ。」 「それはあなたが言う、洗礼ヨハネと、マリヤの二人のことですね。」 「その通りだ。だから、体は男性に、顔は女性に描いた。そして、仕掛けを与えた。それが、この手の形だ。」
確か、ダ・ヴィンチの描く絵の中には、人差し指で天を指す形が何枚かある。それは、どれも洗礼ヨハネを指す特徴であるらしいのだが・・・。
「この手の形に意味があると?」 「そうだ。これは何を示していると思う?」
先生は、絵をまねて自分の指でポーズをとった。
「天を指しているのでしょ。」 「そう思わせているだけのことだ。もう一つの意味が含まれている。」
もう一つの意味?・・・ダ・ヴィンチはエリヤが二人いたことを残したかった。ということは・・・。
「『もう一人いる』もしくは『一人ではない』。」
俺の答えを聞いて、先生が満足そうに微笑んだ。
「その通りだ。エリヤは、もう一人いる。男性と女性の二人。洗礼ヨハネとマリヤのことを示しているのだ。」
「もう一人のエリヤが、マリヤだというのは、どうして判るんです?」 「ダ・ヴィンチが『モナ・リザ』に微笑みを残したのも、『洗礼ヨハネ』の絵と『モナ・リザ』を関連づかせるためだ。そして絵画におけるマグダラのマリヤの所持品は何か判るか?」
「アトリビュートのことですね。」
アトリビュートというのは、宗教画とかで、その人物に持たせる持ち物のことだ。 持ち物を見れば誰を描いたのか判るようにするためだ。 たとえば、ペテロに天国の鍵、ユダには金袋というのが、それにあたる。
「マグダラのマリヤは、油壺です。」 「他にもある。実は髑髏だ。」 「髑髏?」
・・・そういえば、他の画家がマグダラのマリヤを描いた絵があった。 ゆうべ、いろいろネットで絵画を調べていた中にあった。 ジョルジュ・ド・ラ・トゥール作の『悔悛するマグダラのマリヤ』だ。 蝋燭の灯りだけの暗い部屋で鏡に向かうマリヤの膝には髑髏が描かれていた。
「髑髏は、何を象徴していると思う?」 「『死』ですか。」 「そうとらえるのが通常だろうが、この髑髏は『誰か』を思い起こさせないかね。」
『誰か』・・・ただの髑髏だと思っていたけど、それが『誰か』を差しているとなると、首だけの髑髏。それは・・・。
「・・・洗礼ヨハネ。」
「その通り。聖書の中で首を切られたのは洗礼ヨハネだ。マグダラのマリヤの髑髏は、洗礼ヨハネとを関連づける証拠の一つなのだよ。」
「でも、マグダラのマリヤが本当にエリヤだなんて、信じられない。」
「エリヤの使命とは何だ?主の道を整える者のことではないか?洗礼ヨハネは、確かに最初はイエスを主であると証しした。彼はその後、イエスに同行し、一番弟子にならねばならなかった。そして、イエスの行く道を整える者にならねばいけなかったのに、彼はそれが出来なかったのだ。もし、洗礼ヨハネが、『エリヤ』としての使命を果たしていたのなら、イエスの妻も、あるいは別の女性であったかもしれない。」
「マグダラのマリヤは『エリヤ』の使命が果たせたと?」
「彼女にも難題はあった。彼女はサマリヤの人々に主を証しすることは出来たが、サマリヤ人であるがゆえに、ユダヤの民は彼女の存在を認めようとしなかった。それでも彼女は、私財を持ち出しイエスに同行したのだ。多くの人々に魚やパンを分け与えることができたのも彼女の財ゆえだよ。時には、彼女の兄姉らと共にイエスの奇跡の力を表し、不信する民を回心させるようにもした。彼女は『主の道を整える者』として洗礼ヨハネ以上の行いをしていたのだ。」
「でも、そんな話、聞いたことがない。」
「ダ・ヴィンチは、独自の才能で、聖書に込められた秘密を知り得ることができたが、それは、イエス、マリヤ、洗礼ヨハネ、ペテロ、ユダ。これまでの定説をすべてくつがえす内容だった。教会はおろか、誰も彼の考えを受け入れる者はいないだろう。だが、彼は自分の知り得たものを後世に伝えずにはいられなかったのだ。だから彼は、絵にすべてを託したのだよ。」
「彼が最後まで持っていた絵は、『洗礼ヨハネ』『モナ・リザ』『聖アンナと聖母子』だそうです。」 「どれも、大切なメッセージが込められている。ダ・ヴィンチの仕掛けは、まだまだあるぞ。」
先生の目は生き生きと輝いてこちらを見つめていた。 最初はこんなに話し込むつもりもなかったが、先生の発想にすっかり興味を抱いてしまった。でも、初対面の人に、構わないんだろうか?
「お時間さいてしまって大丈夫なんですか?いえ、自分は構わないんですけど、」 「この為に与えられた時間だ。」
・・・これも何かの縁かもしれない。俺は、先ほど買ったペットボトルのお茶を差し出した。
「喉が渇きませんか?これどうぞ。自分は飲みかけがありますから。」 「おお、すまないね。」
先生はペットボトルを受け取った。・・・・が、フタが開けられないようだ。フタを引っ張っているのだ。
「・・・回すんですよ。こう。」 「いや、すまない。こういったモノを飲んだことがなくってね。」
ペットボトルを飲んだことがない?日常、こういったモノは飲まない環境にあるほど、お偉い先生なのかもしれない。・・・そう納得してしまった。
一息ついたところで、先生が切り出した。 「次は『聖アンナと聖母子』にしようか。」
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