「うわ!」
思わず、本を手放してしまった。 瞬間、しまった!とも思った。地面に落として汚してしまったのではないか、と。
・・・ばかだな。きっと、木漏れ日が絵に反射したか何かの錯覚に違いないのに。 それでも、落とした本を拾うのに躊躇していた時、横からスッとそれを拾い上げてくれる人がいた。
「あっ。すみません。つい落としちゃって。」
見上げると、その人は拾った本の表紙をじっと見つめながら、丁寧に汚れを払ってくれた。ゆっくりと、まるで赤子の頭をなでるかの様だ。 黙って本を見つめるその人に、内心とまどってしまった。
・・・まさか、図書館の職員じゃないだろうな。
おもむろにその人が口を開いた。 「少し、隣に座らせてもらっても良いかな。」 「あ、はい空いてます。どうぞ。」 にっこり微笑みながら言われて、反射的に返事をしてしまった。
その人は、白髪も多く、たぶん六十歳は越えていると思う。 ちょっと中年太りの気が見え始めている。 つまりお腹がぽっこり出ているのだが、でも話し方はゆったりと貫禄もあり、会社の社長や重役クラスの風格さえ感じられる。 品の良い、薄いベージュのポロシャツにスラックス姿で、休日の散歩を楽しんでいるといったところだろうか。
何にしろ、この席はこの人に譲り、自分は場所を移したほうが良さそうだ。 「あの、それ、ありがとうございました。」 お礼を言い、本を受け取ろうとしたのだが、彼はひざの上で、それをゆっくりめくりながら見ている。単に絵が好きだったのかもしれない。
まあ、いいか。見終えるまでさほどかからないだろうし。 さわやかな風が凪がれた。 木々が揺れる音がかすかに聞こえるだけの静けさだった。
「ダ・ヴィンチの絵は好きかね。」
ふいに声をかけられ、なんと言っていいのかすぐに返事ができなかった。 別にダ・ヴィンチが好きで借りたわけではなかったからだ。
「この絵をどう思うかね。」
彼が指さしたページを見るとそれは先ほど自分が何気なく思っていた『岩窟の聖母』だった。 初対面の人に、質問されて面食らっている部分もあったが、その人の持つ雰囲気には何か親近感も感じられたので、正直に答えた。
「実は関心をもったのはつい最近のことで、絵に関して、何か言えるほどの内容も何もなくて・・・」 「ちょっとした感想でも構わないよ。」 「・・・その絵は、・・・そうですね。実に不気味な絵だなと思いました。」 しどろもどろに答える俺の前で、その人は吹き出した。
「『不気味』か!これはいい。」 彼の笑いはなかなかおさまらなかった。
「いや、笑ってすまないね。君は素直でよろしい。私の知る者どもは、知ったかぶりでえらそうに解説する者ばかりでな。いいかげん辟易していたところだよ。」 「はあ。」
「・・・この絵はな、彼の大失敗作だよ。」 「失敗作?」 「これに二作目があることは知っているな。一作目は教会によって非難をあび書き換えを命じられている。よって二作目は、教会の意向に沿ったものとなった。・・・それは彼の意向とは全く反したものだが、致し方なかった。彼にとって、これ以上の屈辱はなかったことだろう。しかし、この時の大失敗の経験が、後の作品に生かされることになったのだから、まあ良い経験でもあったのだがな。」
「絵がお好きなんですか?」 「これが専門でもない。若い時はいろんなことに関心があって、疑問が見つかると追求せざるを得ない性格だったのでな。まあ途中挫折も多いのが欠点だが、君も若いうちに多くの失敗を味わうといい。失敗は後には自分の糧となるだろう。」
・・・名前も知らない初対面のおじさんなのだが、『岩窟の聖母』の事を既に知っているのだから、絵の知識は俺よりあるには違いない。
「ただの通りすがりのおじさんだが、君が私を『先生』と呼ぶなら、どんな質問だって答えて見せようじゃないか。」
・・・狐につままれたみたいだった。自分を『先生』と呼べときた。 この人は実は、大学教授か何かの偉い先生なのかもしれないが、普通、初対面の人にそんなこと言うか? あっけにとられたが、彼の子供の様な表情に、苦笑してしまった。
「先生・・・ですか?」 「うむ。懐かしい響きだな。」
どうせ時間はあるんだ。たまにはこんな雑談を交わすのも一興かも知れないと思った。
「先生。実は、この小説の事なんですが・・・。」 しかし、『先生』は『ダ・ヴィンチ・コード』を読んだことはないというので、小説の内容をかいつまんで説明しなければいけなかった。
「・・・それでこのヨハネだと思われていた人物がマグダラのマリヤではないかということなんです。」 「君はどう考える?」
・・・小説も知らないのだから、先生もよく知らないということなのだろう。それで逆に 質問してくるわけかな?まあとりあえず自分の意見を言った。
「・・・マリヤではないかと。」 「その理由は?」 「その映画の中にも出てたのですが、このマリヤを、イエスのこっち側にもってくると、イエスの肩に寄り添う姿に見えて、その姿が夫婦のように見えて。これがダ・ヴィンチが絵画に残した暗号なのかと。」 「ただそれだけで?」 「・・・はい。」
彼は手元の絵に目を落とした。 「君は、新約聖書を読んだことがあるかな?」 「ちょっと以前に、ほんの少しだけですが。」
といっても四年ほど前のことだ。キリスト教の友人に説教されたことがあるだけだ。 無理矢理押しつけられた聖書は、毎晩読んでた時期もあるが、睡眠薬代わりに読んでいたにすぎない。・・・これがすぐに眠れるのだ。
「では、読んでいないのと同じだな。まあ良い。私がここに持っておる。」
え?持ってきてる?
彼は肩にさげていた黒のショルダーバッグの中をのぞきこむと、一冊の本を取りだし私に差し出した。それは確かに聖書だった。
「はい?」 「ヨハネ福音書一三章二三節だよ。私は、最近目が弱っててな。読んでくれないか?」 「ああ、はい。えっと一三の二三ですね。」
この人は聖句の章節を暗記しているのだろうか? 『先生』というのも、あながち本当かもしれない。聖書を持ち歩くのだから聖職者なのだろうか。
ヨハネによる福音書 第一三章二三節〜二四節 弟子たちのひとりで、イエスの愛しておられた者が、み胸に近く席についていた。 そこで、シモン・ペテロは彼に合図をして言った、 「だれのことをおっしゃったのか、知らせてくれ」。
「そこまででよい。その小説は、『最後の晩餐』の中でイエスの隣にいる人物、つまりは『イエスの愛しておられた者』のことだが、それがマグダラのマリヤではないか?ということだな。」 「はい。そうです。」 「この絵は、十二名の弟子とともにすごした『最後の晩餐』だ。このイエスの隣の者がマリヤなら、ヨハネはどこにいるというのかね?」
「・・・そうですよね。やっぱりイエスの隣の人物は、定説通りヨハネということなんですよね。」 「いや、そうではない。ヨハネは別にいるよ。」 「?」 「イエスの隣の人物は、マグダラのマリヤでありイエスの妻だ。ところで君は、『十三』と『金』の言葉が、なぜに人々から忌み嫌われるか知っているかね?」
『十三日の金曜日』なら、タイトルなら誰もが知っているホラー映画だ。たいていの人は、この映画のイメージが焼き付いてしまっているだろう。イエスの十字架にかかった日とも聞いたことがある。だけど元の由来は・・・
「テンプル騎士団が殺戮された日からきているのですよね。」 「そうだ。『十三』と『金』を不吉なものとして貶めるために、あえてその日を殺戮の日に選んだのだよ。『十三』とは、十二弟子に数えられなかった十三番目の弟子を指している。『金』は、女性を指したものだ。つまりそれは誰のことかな?」
「まさか・・・マグダラのマリヤ?」
俺の答えに、『先生』はニッコリと微笑んだ。 「話しを戻そう。ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』、この絵はイエスと十二弟子、そして十三番目の弟子としてイエスの妻マグダラのマリヤの十四人を描いたものだ。」
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