第九章 邪(よこしま)な心
「二万でどうだ?」 「三万よ。私、若いんだからね。」 「子供のくせに、たかるな。」 「おじんのくせに、せこいこというんじゃないよ。」
「ちょっと、今月の携帯代四万越えたわよ!どうなってるの!」 「うるせえな。ばばあ。関係ないだろ。金を払えばいいんだろ?」 「親に向かってなんて口の利き方なの?」 「あんたに言われたくないね。あんたが男をつくったせいで、オヤジは出ていったんじゃないか!」 「まったく、誰に似たんだか。あの男にそっくりよ。私は一生懸命、家庭の事を守ってきたのに、外で若い女をつくったの父さんのほうだわ。私だって人生やり直したいわよ。」
「俺が何をしようが、勝手だろ。」
「誰にも私の気持ちなんかわかるもんか。」
「ウザいな。近づくなよ。お前なんか死ね。」
「私のこと愛してる?」 「ああ。愛してるよ。」 「実は私、妊娠したみたいなの。」 「・・・困るな。親や学校に知られる前に何とかしてよ。金は半分、責任とるからさ。」
「テレビや携帯で変な情報流しているのは大人でしょ。刺激されてる私たちの身にもなってよ。被害者は子供の方よ。汚いのは、子供を性の売り物にする大人の方じゃないの。」
「おい、金は持ってきたか?」 「もう出来ないよ。」 「親の財布から盗めばいいじゃないか。親がいやなら何か高い物、取ってこいよ。」 「イヤだよ。」 「お前、またボコられたいのかよ。いいか、誰かにちくったら後が酷いからな。」
「お前の家、金持ちなんだろ。こずかいも不自由しないくせに、なんであいつにたかるんだ?」 「おもしろいからさ。ゲームだよ。ゲーム。」 「悪いヤツだな。」 「世の中、こんなもんなんだよ。おやじだって同じさ。裏で悪いことしてるんだぜ。だから、俺には何も言えないのさ。」
「先生、どうやら、あの子はいじめにあっているようです。どうしましょうか。」 「担任の君がそんなことでどうする?これは子供同士の問題だ。卒業するまで、何とかもたせなさい。」 「しかし・・・。」 「とにかく騒ぎにするな。今は、マスコミもうるさいぞ。子が子なら、親も親だ。自分の子のしでかしたことを、学校の責任として押しつけてくるのだからね。」
「もう誰も信じられない。先生も、親も、世の中も同じだ。」
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僕は、どこにでもいる中学生。名前なんか必要ない。少年Aで結構だ。 必死に勉強したり、クラブに励んだり、自分の個性なんか出そうものなら、教師や級友からもやり玉に合うだけじゃないか。 目立たないように、ひっそりと、皆と足並みそろえてさえいれば平穏無事な日々が送れるんだ。
今日も、退屈な一日だった。 授業はおもしろくないし、仲間との話も今ひとつ盛り上がらない。 何か、皆が驚いて注目するような出来事でも身近に起これば刺激もあるだろうに。 毎日が変化なく単調に過ぎていく。 人生ってこんなものなんだろう。
だけど、こんな僕にも気になることはある。 同じクラスの女の子。結構かわいいから、皆にも人気がある。 でも、僕は女の子と話すのは苦手だ。クラスの女の子たちは全員、未知の存在だ。
僕はいつの間にか、彼女を目で追うようになり、彼女の話す声に聞き耳をたてるようになっていた。 そしてこれが『恋』というものなんだと自覚するに至った。 友達なんかに言えるわけがない。 言ったら最後だ。クラス中のからかいの的になる。 これは僕だけの内緒の思いだ。
僕は、日々気持ちが抑えられなくなり、自分の思いをノートに書きなぐった。 ノートだけが、僕の正直な心を受け止めてくれたんだ。 書くことによって自分の気持ちがスッキリすることを覚えた。
今日、彼女と話したとか、目があったとか、ほんのささいなことまで書いた。 そして満足していた。
やがて、それだけでは満たされなくなり、彼女と帰りが一緒になったとか、図書館で宿題を一緒にやったとか、・・・つくり話を書くようになった。 まったく自分の勝手な想像だったけど、それで心を満たすことができた。 でも、つくり話が増えるほど、現実とのギャップは広がってしまうものだ。
そしてある日嫌な話を耳にした。 彼女が隣のクラスの男と、つきあっているとの話だ。 そいつは勉強も運動も出来て優等生のように見えるが、裏では酷い事も平気でするやつだった。 やばい薬を売ってるとか、弱いヤツにたかっているとか、噂は絶えない。 でも先生は見て見ぬふりをしているのだから仕方ない。
放課後、彼女とそいつが並んで歩いて帰る姿を見かけるようになった。 楽しそうな彼女を見るのが嫌だった。ねたましく思った。 自分が、勉強も運動もできて、顔も良くて、彼女の隣にいれたら・・・。
でも、現実はこうだ。
その日、家に帰ってノートを床にたたきつけた。 こんな物を書いて喜んでいて、完全なるバカだ。
破ろうと開いたとき、自分の書いた字が目に飛び込んできた。
・・・僕は破れなかったんだ。 僕はつづきを書いてしまった。今度のは、いままでとは違う。
僕は期末試験でトップになり、クラブでも活躍し一目をあびる。 彼女の恋人は事故で亡くなり、自分が優しくなぐさめる。 そして彼女と自分が結ばれるストーリーを書き上げた。
内容は日に日にエスカレートしていった。 ノートの中で気に入らないやつを殴り、いじめ、殺したりもした。 周囲の盛んな性知識にふれるにつれて、さらに醜い欲望へと変わっていった。 欲望の命じるままに彼女を動かし、自分の欲求を解消してもいたのだ。 そうすることで、自分の心を満たすことができたんだ。
今日も退屈な一日だった。 学校から帰ってみると、自分の部屋がすっかりきれいになっていた。 掃除しなさいと、何度も注意をされていたが、もういつまでも子供じゃないんだ。 自分の部屋なんだからほっておいてくれればいい。 誰に迷惑かけるわけでもないじゃないか? 僕は、なにかと口うるさい母を、うとましく思っていた。
机の上には一箇所に積み上げられたノートや本類があった。 その中にあのノートがある。胸がドキドキした。 いつもは隠しておくのだけど、昨夜は机の上におきっぱなしだった。
・・・中を見られただろうか?・・・だめだ。どうしよう。 もし、これが見られていたら。 自分は何ていいわけしたらいいんだ?
見られているかもしれないかと思うと、自分の愚かさに消え入りたい思いになった。 ・・・もしかしたら父にも話すかもしれない。父は怒るだろう。・・・怖い。 悪い想像は更に膨らんでいく。どうしよう。
母が見たかどうか、下に降りて様子をうかがってみるしかなかった。 見てなければいつも通りの母に違いない。 いつまでも部屋に閉じこもっていれば逆に変に勘ぐられてしまう。 ふつうにしてればいい、いつも通りに。 意を決して、階下へとおりた。
母は、台所で夕食の支度をしている。 「あら、お帰りなさい。帰っていたのね。」 いつも通りの母の声だ。
「・・・部屋に勝手に入らないでっていってるじゃないか。」 つい不満が口に出てしまった。
母は僕に背を向けたまま言い放った。 「何いってるの。あなたがいつまでも散らかしたままでいるからじゃない。洗濯物だってため込まないでよね。」
僕は、ベットの中に放置していた下着やらティシュやらを思い出した。 母は僕の行為に気づいてるのだろう・・・恥ずかしさでカッと頭に血がのぼった。
母は、背を向けたまま言葉をつづけた。 「変なもの書いてたわね。全部読んだわ。まったくあきれたわ。」
母の言葉に、崖から突き落とされたような感覚を覚えた。 僕の体がかすかに震えてしまっていた。 母はこちらをふり返った。 汚らしいものを見るような、軽蔑した目で僕を見据えている。
「お父さんが帰ってきたら、お話しますからね。」
・・・父さんに話す?父さんの怒った顔が一瞬よぎった。 僕はこれからずっと親に変な目で見られ続けていくのか? 学校にも言われたら・・・。友人や彼女にも知られたら・・・。 僕は一生、皆から変な目で見られ、蔑まれながら過ごすのか?
嫌だ。そんなの嫌だ。 何でこんなことになってしまったんだ。 何であんなこと書いてしまったんだろう?僕が悪いのか?
・・・だって、学校に行ったって何もないじゃないか。 勉強に何の意味があるっていうんだ。 社会にでても何の役にも立たないんだろ。
友人なんていやしない。 下手に本音を話したり、浮き上がった事をすれば、自分がいじめの対象になるだけだ。皆の欲求不満のはけ口になるだけじゃないか。
今だっていじめられてるやつがクラスにいる。 皆知っているのに先生も見て見ぬふりをしている。 ・・・いじめの対象が、自分でなかったことに安心しているだけだ。 ずるい関係でしかない。
家族だって誰も僕の事をわかってくれないじゃないか! 僕がどれだけ学校で悩んでいるか知らないんだろ。 知ってても、休まれたくないから知らないふりしてるだけなんだろ?
僕はどこに行けばいいんだよ。 日記だけが、自分の本音も、欲望も、汚い部分も、全部受け止めてくれたんだ。 僕は、それで満足することができていたというのに。 その僕の心の中を勝手に盗み見るなんて、それを『変なもの』だと。 僕は悪くない!そうだ、母さんだ。勝手に人の物を見た、お前が悪いんだ!
憤りで心がはじけてしまった。 台所のテーブルの上には大理石の灰皿があった。 思わずそれをつかんで、目の前に立っている『それ』めがけて力の限り投げつけた。 『それ』は甲高い音を少しあげて、床にうずくまった。
ざまあみろ。お前がしてきたことへの報いだ。 小さいころから、僕を押さえつけてきたのは、お前だったじゃないか。
・・・なんの理由で?なんて思い出せない。・・・そんなことはどうでもいい。 僕が、悪いんじゃない!
・・・『それ』は、うずくまったまま動かなかった。 頭から、ドクドクと赤いものが流れ、床に広がっていった。 僕の血がまるで逆流したかのように、息切れがして、胸の鼓動が早くなった。
「・・・母さん?」 僕は、自分のしでかした事にやっと気づいた。
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